
メル美椿山荘の庭って、森みたいに広いんだよね。昔はだれのお屋敷だったの?

プレ男総理大臣だった人の庭だったって聞いたことがあるよ。
今回は、文京区関口のホテル椿山荘東京です。ホテルの公式サイト(ホテル椿山荘東京の歴史、ホテル椿山荘東京について)で確認した情報をまとめました。庭園の「東京雲海」は、都心で雲海に包まれるデートでくわしく紹介しています。
「つばきやま」と呼ばれた土地
- 公式サイトによると、目白台のこのあたりは、江戸時代の地誌などから、南北朝時代(1336〜1392年)にはすでに椿が自生する景勝の地で「つばきやま」と呼ばれていたようです
- 松尾芭蕉は1677年から4年あまり、となりの関口竜隠庵(のちの関口芭蕉庵)に住んでいました
- 歌川広重は1857年(安政4年)、『江戸名所百景』の「せき口上水端はせを庵椿やま」にこのあたりを描いています
- 1853年(嘉永6年)の「江戸切絵図」では、上総久留里藩・黒田豊前守の下屋敷でした

プレ男芭蕉がとなりに住んでいて、広重も描いていたのか!
1878年、山縣有朋の「椿山荘」
- 軍人・政治家の山縣有朋が、1878年(明治11年)に私財で「つばきやま」を買い、庭と邸宅をつくって「椿山荘」と名付けました
- 庭の全体計画や細部の意匠は山縣自身が指導し、当時東京を代表する庭師岩本勝五郎が施工しました
- 京都の無隣庵、小田原の古稀庵とあわせて「山縣三名園」とよばれています
- 公式サイトによると、のちの研究では、庭は山縣の出身地・萩の地形を再現したものといわれています
空襲から「緑のオアシス」へ
- 1918年(大正7年)、藤田組の藤田平太郎男爵が、名園を残したいという山縣の意志を受け継ぎました
- しかし1945年の空襲で、邸宅や樹木の大半が焼けてしまいます
- 1948年に藤田興業の所有となり、創業者の小川栄一が「戦後の荒廃した東京に緑のオアシスを」という思いで、一万有余の樹木を移植して復興に着手しました
- 1952年11月11日、ガーデンレストラン「椿山荘」がオープンしました

メル美いまの森は、戦後に1万本以上も植えて取りもどしたものなんだね。
ホテルになるまで
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1952年 | ガーデンレストラン「椿山荘」オープン |
| 1983年 | 椿山荘新館オープン |
| 1987年 | 庭園の数寄屋造りの料亭「錦水」オープン |
| 1992年 | 敷地内に「フォーシーズンズホテル椿山荘 東京」オープン |
| 2010年 | 庭園のシンボル「三重塔」の「平成の大改修」 |
| 2013年 | 「椿山荘」と「フォーシーズンズホテル椿山荘 東京」が統合し、「ホテル椿山荘東京」に |
| 2017年 | 庭園内に神殿「杜乃宮」を新設 |
| 2020年 | 霧の庭園演出(東京雲海)を開始 |
「七季」のある庭
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ホテルは、春の桜、新緑、初夏の蛍、夏の深緑、秋の紅葉、冬の雪景色、初春の椿の「七季(七つの季節)」があると紹介しています
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庭園には、料亭「錦水」、石焼料理「木春堂」などのお店があります
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都心のほかの名門ホテルは、ホテルニューオータニなどでも紹介しています
まとめ
- 南北朝のころから「つばきやま」と呼ばれた目白台の景勝地
- 1878年、山縣有朋が「椿山荘」と命名。山縣三名園のひとつ
- 1945年の空襲のあと、一万有余の樹木を移植して復興、1952年にガーデンレストラン
- 2013年に「ホテル椿山荘東京」へ。庭には「七季」と「東京雲海」
参考文献
- ホテル椿山荘東京. ホテル椿山荘東京の歴史. https://hotel-chinzanso-tokyo.jp/garden/history/ (閲覧日:2026年10月3日)
- ホテル椿山荘東京. ホテル椿山荘東京について. https://hotel-chinzanso-tokyo.jp/about/ (閲覧日:2026年10月3日)
- ホテル椿山荘東京. 庭園のよこがお. https://hotel-chinzanso-tokyo.jp/garden/profile/ (閲覧日:2026年10月3日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。