
プレ男隅田川の花火、今年は一緒に見に行こうよ!

メル美いいね!そういえば、いつから続いてるんだろう?
こんにちは、Dr. Taro です。 東京の夏といえば、隅田川花火大会。今回は、公式サイトの案内をもとに、その歴史をまとめました。花火を見ながら話したくなる話です。
はじまりは江戸時代の「弔い」
- 享保17年(1732年)、大飢饉がおこり、多くの人が亡くなりました。さらに疫病まで流行し、国じゅうに大きな被害が出ました
- 犠牲になった人々の慰霊と、悪い疫病が去ることを祈って、幕府(8代将軍・徳川吉宗)が水神祭を行いました
- それに続いて、享保18年(1733年)、両国橋のまわりの料理屋が、許可を得て花火を上げました。これが「両国の川開き」の由来とされています

プレ男花火って、亡くなった人を弔うためのものだったんだ…。
「隅田川花火大会」は1978年から
- 長いあいだ、名前は「両国の川開き」で、昭和36年(1961年)までは、両国橋の上流で打ち上げられていました
- その後、いろいろな理由で開かれない時期がありました
- 昭和53年(1978年)に「隅田川花火大会」と名前を改め、ビルに囲まれた隅田川で復活しました
豆知識:両国橋の名前
両国橋は、武蔵国と下総国という2つの国の境にかかっていたことから、「両方の国をつなぐ橋」として名づけられたそうです(貞享3年・1686年)。
「たまや〜」「かぎや〜」の由来
花火のときの掛け声「たまや〜」「かぎや〜」は、江戸の2つの花火屋の名前です。
- 鍵屋(かぎや):1659年(万治2年)、初代の弥兵衛が江戸・日本橋横山町で店を開き、小さな火薬の玉を「花火」と名づけて売り出したのが始まりとされます。1733年の最初の「両国の川開き」の花火を上げたのも、鍵屋の6代目でした
- 玉屋(たまや):1808年(文化5年)、鍵屋の番頭だった清七がのれん分けして、両国で「玉屋」を名乗りました
- それ以来、両国の川開きでは、鍵屋と玉屋が川の上流と下流に船を出して競演し、江戸の人々は「かぎや〜」「たまや〜」と声をかけました
- ところが玉屋は、不慮の火事を起こして江戸を追われ(所払い)、一代で姿を消しました。鍵屋は、いまも続いています

メル美「たまや〜」って、なくなったお店の名前なんだ…。掛け声だけ残っているのが、なんだか切ないね。
花火が「丸く」なったのは明治から
鍵屋の年表によると、花火は時代とともに進化してきました。
- 明治7年(1874年)ごろから、花火がまん丸く開くようになった(10代目鍵屋の工夫)
- 明治10年(1877年)ごろ、赤や青の色を出す工夫が始まった
- 明治の終わりには、11代目鍵屋がマニラからスターマイン(連発花火)を持ち帰り、両国の川開きで初めて披露した
花火デートのコツ
- とても混み合うので、待ち合わせ場所と、はぐれたときの約束を決めておく
- 夏の夜でも熱中症に注意。水分をこまめに(夏フェスの楽しみ方)
まとめ
- はじまりは享保18年(1733年)の「両国の川開き」
- 大飢饉と疫病の犠牲者の慰霊と悪疫退散を祈った水神祭に続く花火
- 「隅田川花火大会」の名前は1978年から
- 両国橋は、武蔵国と下総国をつなぐ橋
- 「たまや〜」「かぎや〜」は、江戸の花火屋玉屋と鍵屋の名前。玉屋は火事で一代で消え、鍵屋はいまも続く
参考文献
- 隅田川花火大会 公式Webサイト. 大会について. https://www.sumidagawa-hanabi.com/about/ (閲覧日:2026年9月27日)
- 宗家花火鍵屋. 鍵屋の歴史. http://www.souke-kagiya.co.jp/custom.html (閲覧日:2026年9月27日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。