
プレ男ジャズはニューオーリンズで生まれた、って聞くよね。

メル美初期のジャズの音楽家がたくさん演奏していたのが、市が決めた「色街」の地区だったんだって。
こんにちは、Dr. Taro です。 「色街の歴史」、今回は海外編で、アメリカ南部・ニューオーリンズのストーリーヴィルです。ニューオーリンズの歴史資料館「ヒストリック・ニューオーリンズ・コレクション」(HNOC)のオンライン展示「Storyville: Madams & Music」の解説をもとにまとめました。
※この記事は歴史の紹介です。売春や性的な搾取をすすめるものではありません。
1897年、ストーリー議員の条例
- 1897年、ニューオーリンズの市議会議員シドニー・ストーリーが、売春をフレンチ・クオーターの北側の1つの地区に閉じこめるための条例を出しました。条例は翌年から効力をもちました
- HNOCには、1897年1月の地元紙「デイリー・ピカユーン」の記事が残っています。売春を、カスタムハウス通り(いまのアイバービル通り)、ベイスン通り、ノース・ロバートソン通り、セント・ルイス通りで囲まれた地区にかぎると決めた条例が通った、という記事です
- 地区は「ストーリーヴィル」と呼ばれるようになりましたが、HNOCによると、これはストーリー本人にとっては不本意な名前でした。住む人や働く人、訪れる人の多くは、単に「ディストリクト(地区)」と呼んでいました
- HNOCは、ストーリーヴィルはアメリカで最初の公認の色街ではなかったとも書いています

メル美条例を作った人の名前が、色街の名前になっちゃったんだ…。
約10ブロックの地区と、追い出された住民
- ストーリーヴィルは、市の第4区の、約10ブロックの区域でした
- 地区に指定される前の15年ほど、この一帯は住宅と工場の町でした。住んでいたのは主にアフリカ系の労働者で、小さな木造の家、消防署、学校、教会がありました
- 地区になると、酒場や売春宿、ダンスホールがふえ、家賃の上昇で住民の多くが出ていきました。地区の中の教会は、1914年に閉じています
- いっぽう、黒人の客のための別の色街「アップタウン・ストーリーヴィル(黒人のストーリーヴィル)」が、いまの市庁舎の近くで、なかば黙認のかたちで営業していました
- HNOCは、ストーリーヴィルの歴史には、人種差別と分離、薬物やアルコール、暴力、住民の立ち退き、人種的・性的な搾取といった問題がからみあっていると書いています
「ブルー・ブック」という案内本
- 地区の訪問者向けに、「ブルー・ブック」と呼ばれる案内本が作られました。いちばん古いものは1898年ごろ、最後のものは1913〜1915年ごろです
- 元警察担当の新聞記者ウィリアム・ストルーヴが「ビリー・ニュース」という名前で編集し、カーニバルで訪問者がふえる時期に合わせて毎年出されていました
- HNOCによると、ブルー・ブックには酒やたばこ、レストランなどの広告ものっていました
ジャズの若い音楽家たち
- 地区にはキャバレー、ダンスホール、酒場が並び、ほぼ毎晩、音楽が必要でした。HNOCによると、ストーリーヴィルで演奏したことがわかっている音楽家は約200人。ほとんどがブラスバンドやダンスバンドの音楽家で、女性の音楽家もいました
- 地区の音楽家は、ほかの場所より稼げたうえ、演奏の腕を競う「カッティング・コンテスト」で新しい音を試しました。こうした場が、ニューオーリンズで生まれつつあったジャズの音の発展につながったと、HNOCは書いています
- コルネットのバディ・ボールデン(1877〜1931年)は、世紀の変わり目にいちばん人気のあったダンスバンドを率い、アップタウン・ストーリーヴィルの酒場でよく演奏しました
- ピアノのジェリー・ロール・モートン(1890〜1941年)は、10代から地区で弾き、ここで作曲を始めました。1915年、彼の「ジェリー・ロール・ブルース」は、楽譜として出版された最初のジャズの曲になりました
- ルイ・アームストロング(1901〜1971年)は、6歳でアップタウン・ストーリーヴィルに引っ越してきました。1914〜15年ごろ、コルネットのキング・オリヴァーが彼に目をとめ、家に連れて帰ってごはんを食べさせ、演奏と大人としての生き方を教えたといいます

プレ男ルイ・アームストロングの子ども時代の師匠が、この町にいたんだ!
1917年、戦争で閉鎖
- 1917年はじめ、地区を人種で分けようという案が出たとき、有色人種の女性経営者たちが、自分たちの財産を守るために裁判を起こし、勝訴しました。HNOCは、これをジム・クロウ法(人種分離)と闘う長い歴史の中の、早い時期の勝利の1つとしています
- しかしアメリカが第一次世界大戦に参戦した1917年、連邦政府は軍の施設から5マイル以内での売春を禁じ、全国の色街が閉鎖に追いこまれました
- ストーリーヴィルは、1917年11月12日に幕を閉じました
- 同じ年、ニューオーリンズ出身の白人の音楽家グループ「オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド」が、最初のジャズのレコードとされる録音をしています(このバンドは、ストーリーヴィルで演奏した記録はありません)
公営住宅になった地区
- 閉鎖のあと、地区はおとろえ、スラムと見なされるようになりました
- 1930年代の終わり、ニューオーリンズ住宅公社が地区の多くを買い取りました。かつての豪華な建物のいくつもが、1930年代に取りこわされています
- 跡地の大部分には、1941年に公営住宅「アイバービル住宅」ができました。白人専用で、2〜3階建ての75棟・858戸でした
- この公営住宅の地区は、2015年、アメリカの国家歴史登録財(National Register of Historic Places)に登録されています

ストーリーヴィルは、1897年の条例で売春を1つの地区に閉じこめるために作られ、1917年に閉鎖されました。この地区で演奏した約200人の音楽家が、ジャズの発展にかかわったとされています。
まとめ
- 1897年、市議会議員シドニー・ストーリーの条例で、売春を1つの地区に閉じこめた。名前を付けられた本人はいやがった
- もとはアフリカ系の労働者の住宅地。家賃の上昇で住民が出ていった
- 地区で演奏した約200人の音楽家が、ジャズの発展にかかわった(ボールデン、モートン、オリヴァー、若いアームストロング)
- 1917年11月12日、第一次世界大戦の参戦にともなう規制で閉鎖
- 跡地には1941年に公営住宅。いまは国家歴史登録財
ジャズの歴史はジャズの歴史を10分で、ほかの海外の色街はオランダの「飾り窓」、日本の戦後は「赤線」とは何だったのかもどうぞ。
参考文献
- The Historic New Orleans Collection. Storyville: Madams & Music(オンライン展示)— The District. https://hnoc.org/virtual-exhibitions/storyville/district (閲覧日:2026年10月22日)
- The Historic New Orleans Collection. Storyville: Madams & Music — Guidebooks to Sin. https://hnoc.org/virtual-exhibitions/storyville/guidebooks-sin (閲覧日:2026年10月22日)
- The Historic New Orleans Collection. Storyville: Madams & Music — Rhythm of Storyville. https://hnoc.org/virtual-exhibitions/storyville/rhythm-storyville (閲覧日:2026年10月22日)
- The Historic New Orleans Collection. Storyville: Madams & Music — Brothels & Music. https://hnoc.org/virtual-exhibitions/storyville/brothels-music (閲覧日:2026年10月22日)
- The Historic New Orleans Collection. Storyville: Madams & Music — Coda. https://hnoc.org/virtual-exhibitions/storyville/coda (閲覧日:2026年10月22日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。