目次
この記事の要点
- アドラーは、人が「自分には価値がある」と感じられるのは、他者とのつながりの中で、誰かの役に立っていると感じられるときだと考えた(共同体感覚)
- 日本でアドラー心理学を広めた本では、人は何かを「する」ことだけでなく、そこに「いる」ことでも誰かの役に立っている、という見方が紹介されている
- 「これは誰の課題か」と分けて考える課題の分離は、心を軽くする道具になるが、相手を突き放す理由にすると、つながりを切ってしまう
「迷惑をかけるだけの自分」という苦しみ
病気が進んだり、年を重ねたりして、自分のことを自分でできなくなったとき。多くの人が口にする言葉があります。
「みんなに迷惑をかけるばかりで、申しわけない」 「何の役にも立たない自分が、生きている意味があるのか」
日本の緩和ケアの専門家たちがまとめた枠組みでも、死を前にした人の苦しみとして、「人の負担になっている」という思いや、自分で決められる感覚を失うことが挙げられています(このサイトの「死をどう受け入れるか」で紹介しました)。
この苦しみの奥には、「人の価値は、何ができるかで決まる」という考えがあるように思います。働けること、役に立てること、迷惑をかけないこと。それができなくなったとき、自分の価値も消えてしまうように感じる。
この考えに、別の見方を差し出してくれるのが、アドラー心理学です。
アルフレッド・アドラーという人
アルフレッド・アドラーは、1870年、ウィーン郊外に生まれた医師です。子どものころ、くる病で4歳まで歩けず、肺炎で命が危ぶまれたことが、医師を志すきっかけになったと、のちに本人が語っています。
1902年からウィーンの、あまり裕福でない地区で一般の診療を始め、のちにフロイトの勉強会に加わります。しかし1911年にフロイトのグループを離れ、個人心理学と呼ばれる自分の学派をつくりました。子どもの問題の予防に力を注ぎ、ウィーンの学校に相談所を設けるなど、心理学を地域や教育の場へ広げていきました。
1937年、講演旅行で訪れたスコットランドのアバディーンで、路上で倒れ、67歳で亡くなっています。
(以上、Ellis, 2020 による)
共同体感覚 ― 価値は、つながりの中にある
アドラーの考えの中心にあるのが、ドイツ語で Gemeinschaftsgefühl(ゲマインシャフツゲフュール)と呼ばれるもの、日本語では共同体感覚と訳されることが多い考え方です。英語では social interest とも訳されます。
アドラーの考えを整理した研究では、共同体感覚は、おおよそ次のように説明されています。
- 自分が何かの一部であり、人とつながっているという感覚
- みんなのためになることを求める気持ち。今だけでなく、次の世代のことも考える
- 自分の価値を、人より優れていることで証明しようとしない。自分が差し出せるものから、自然に価値を感じられる
反対に、共同体感覚が弱いと、人と比べて上に立つことで自分の価値を確かめようとしたり、うまくいかないと思う場から身を引いて孤立したりしやすい、とされます(Kałużna-Wielobób ら, 2020)。
人の価値は、誰かより上にいることで決まるのではなく、人とのつながりの中で、誰かのためになっていると感じられることで生まれる。アドラーは、心の健康の中心に、この感覚を置きました。
「いる」だけで、誰かの役に立っている
では、何もできなくなった人は、誰の役にも立てないのでしょうか。
日本でアドラー心理学を広く知らせた岸見一郎・古賀史健の『嫌われる勇気』(2013年)では、人は何かを「する」こと(行為)だけでなく、そこに「いる」こと(存在)でも、他者の役に立っている、という見方が紹介されています。
たとえば、家族が病気で入院したとき。その人が何もできなくても、生きていてくれること、そこにいてくれることそのものを、私たちはありがたいと感じます。目を開けてくれた、手を握り返してくれた。それだけで、まわりの人は救われることがあります。
何もできない、と本人が思っているときにも、そのそばで、家族が支えられていることがあります。
「迷惑をかけるだけの自分」と感じている人に、この見方を無理に押しつけることはできません。けれど、そばにいる人が「いてくれるだけで、ありがたい」と言葉にすることは、できるかもしれません。
課題の分離 ― 「これは誰の課題か」
もうひとつ、アドラー心理学でよく知られているのが課題の分離です。
『嫌われる勇気』では、「これは誰の課題なのか」を考え、他者の課題には踏み込まない、という考え方として紹介されています。誰の課題かを見分けるには、「その選択によってもたらされる結末を、最終的に引き受けるのは誰か」を考える、とされています(ダイヤモンド・オンラインの紹介記事より)。
この考え方は、看取りや介護の場面でも、心を軽くしてくれることがあります。
- 本人の課題:どんな治療を受けるか、受けないか。残りの時間をどう過ごすか。死にどう向き合うか
- 家族の課題:自分がどこまでそばにいられるか。自分の気持ちをどう整理するか
家族は、本人の選択を代わりに引き受けることはできません。「もっと前向きになってほしい」「この治療を受けてほしい」という気持ちがあっても、最後に決めるのは本人です。そう分けて考えると、「自分がなんとかしなければ」という重荷から、少し自由になれることがあります。
これは、このサイトの「フランクル『夜と霧』と態度価値」で書いた、「苦しみへの態度は、本人だけが選べる」という話とも重なります。
課題の分離を、使いすぎないために
ただし、課題の分離には、注意したい落とし穴があります。
「それはあなたの課題だから、私には関係ない」と、相手を突き放す理由として使ってしまうことです。
アドラーの考えの中心は、あくまで共同体感覚、つまり人とのつながりです。課題を分けるのは、相手を切り離すためではなく、相手の選ぶ力を尊重したうえで、そばにいつづけるためだと私は考えています。
- 本人の選択には踏み込まない。でも、本人が助けを求めたら、手を差し出す
- 自分の気持ちは自分の課題として引き受ける。でも、ひとりで抱えこまず、人に頼る
分けることと、つながることは、両立します。
科学で言えること、言えないこと
最後に、この記事の立ち位置を整理しておきます。
- 科学で言えること:アドラーがどんな人で、どんな考えを残したか。共同体感覚という考えを質問票で測り、ほかの性格の傾向との関係を調べる研究も行われている
- 科学では言えないこと:人の価値は何で決まるのか。何もできなくなった人に価値はあるのか。これは事実からは決まらない、意味や価値の話
このサイトでは、価値は、何かを大切に思う存在どうしの関係の中に生まれる、と考えています。だとすれば、何もできなくなった人の価値も、その人を大切に思う誰かとの関係の中に、確かにあるはずです。
どんな考え方を支えにするとしても、治療やケアは続けながら、心の納得を支えることができます。「生きている意味がない」という気持ちが強いとき、死にたい気持ちがあるときは、ひとりで抱えずに医療機関やこころがしんどいときの相談先に話してください。
まとめ
- アドラーは、人が自分の価値を感じられるのは、つながりの中で誰かのためになっていると感じられるとき、と考えた(共同体感覚)
- 人は何かを「する」ことだけでなく、そこに「いる」ことでも誰かの役に立っている、という見方がある
- 課題の分離は、「結末を最終的に引き受けるのは誰か」で課題を分ける考え方。看取る側の重荷を軽くすることがある
- ただし課題の分離は、相手を突き放す理由ではなく、相手を尊重しながらそばにいつづけるために使う
参考文献
- Ellis H. Alfred Adler: eminent psychiatrist. British Journal of Hospital Medicine. 2020;81(2):1-2. https://doi.org/10.12968/hmed.2020.0012 (閲覧日:2026年10月13日)
- Kałużna-Wielobób A, Strus W, Cieciuch J. Community Feeling and Narcissism as Two Opposite Phenomena. Frontiers in Psychology. 2020;11:515895. https://doi.org/10.3389/fpsyg.2020.515895 (閲覧日:2026年10月13日)
- Gallios JM, Iyer V, Kaylor LE. Personality Theories. StatPearls. StatPearls Publishing; 2026. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/42475469/ (閲覧日:2026年10月13日)
- 岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教え』ダイヤモンド社, 2013年.
- ダイヤモンド・オンライン「『課題の分離』こそがあなたを変え、あなたを自由にする!」(『嫌われる勇気』より). https://diamond.jp/articles/-/328158 (閲覧日:2026年10月13日)
- Murata H, Morita T; Japanese Task Force. Conceptualization of psycho-existential suffering by the Japanese Task Force: the first step of a nationwide project. Palliative and Supportive Care. 2006;4(3):279-285. https://doi.org/10.1017/s1478951506060354 (閲覧日:2026年10月13日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。