この記事の要点
- 精神科医フランクルは、人が意味を見いだす道として、何かを生み出すこと(創造価値)、何かを体験し誰かと出会うこと(体験価値)、避けられない苦しみにどんな態度をとるか(態度価値)の三つを挙げた
- 態度価値は、苦しんでいる本人が、自分の中から見いだすもの。まわりの人が「その苦しみにも意味がある」と求めた瞬間に、支えではなく重荷になりうる
- 看取る側にできるのは、意味を与えることではなく、和らげられる苦しみを和らげ、その人が自分の態度を選べる余白を守ることだと、私は考えている
一人の精神科医の歩み
ヴィクトール・フランクルは、1905年にウィーンで生まれた精神科医です。若いころから、人が生きる意味を見いだすことを助ける心の治療を考え、それを、ギリシャ語で「意味」を表す「ロゴス」からロゴセラピーと名づけました。
1942年9月、フランクルは妻ティリー、両親とともにテレージエンシュタット(テレジン)のゲットーへ送られます。父親はそこで半年ほどのちに亡くなりました。1944年、フランクルと妻、そして母親はアウシュヴィッツ=ビルケナウへ移されます。母親はすぐにガス室で殺され、妻はベルゲン=ベルゼンへ移されました。フランクル自身は、ダッハウの支所であるカウフェリングとテュルクハイムの労働収容所へ送られました。
1945年4月27日、収容所はアメリカ軍によって解放されます。その後数日のうちに、フランクルは、妻と母、そしてアウシュヴィッツで殺された兄の死を知りました。
(以上、ヴィクトール・フランクル研究所の年譜より)
翌1946年、フランクルは、収容所に入る前から書いていた本を書き直して出版します。日本では『死と愛』の題で知られる本です。そして、その中の「強制収容所の心理」の部分を広げて、9日間で口述したのが、日本で『夜と霧』として知られる本です。原題は『一心理学者の強制収容所体験』でした。日本では1956年に霜山徳爾訳が、2002年に池田香代子訳の新版が、みすず書房から出ています。
人が意味を見いだす三つの道
フランクルは、人が人生に意味を見いだす道を、三つの価値として整理しました。
| 価値 | 中身 | 例 |
|---|---|---|
| 創造価値 | 何かを生み出す、何かをなしとげる | 仕事、作品、誰かのための行い |
| 体験価値 | 何かを体験する、誰かと出会い愛する | 美しい景色、音楽、大切な人との時間 |
| 態度価値 | 避けられない苦しみに、どんな態度で向き合うか | 病気や喪失の中で、自分なりの向き合い方を選ぶこと |
(フランクルのロゴセラピーを解説した論文 Ewalds-Kvist & Lützén, 2015 などにもとづいて整理)
創造価値と体験価値は、元気なときには自然に手に入りやすいものです。けれど、病気が進んで働けなくなり、外に出ることも難しくなると、この二つの道は少しずつ狭まっていきます。
フランクルが特に大切にしたのは、三つ目の態度価値です。何もできなくなっても、何も体験できなくなっても、「避けられない苦しみに、自分はどう向き合うか」という一点だけは、最後まで本人に残されている。そこにも意味を見いだしうる、という考え方です。
態度価値は、なぜ人を支えるのか
死を前にした人の苦しみの中心には、「何もできなくなった自分に、意味はあるのか」という問いがあると言われます(このサイトの「死をどう受け入れるか」で紹介したスピリチュアルペインの考え方です)。
態度価値は、この問いに対して、「できること」がなくなっても意味が消えるわけではない、という見方を差し出します。
自分の病気を、静かに受け止めようとすること。怖いと正直に言えること。家族に感謝を伝えようとすること。あるいは、最後まで怒りを手放さず、自分の生を惜しむこと。どれも、その人が選んだ向き合い方です。
フランクル自身が、家族を失い、収容所で何もかもを奪われた経験を持つ人だったことが、この考え方に重みを与えています。
看取る側が、求めてはいけないこと
ここからが、この記事でいちばん伝えたいことです。
態度価値は、とても力のある考え方です。だからこそ、使い方をまちがえると、人を追いつめます。
たとえば、死が近い人に、そばにいる人が次のように言ったとします。
- 「この苦しみにも、きっと意味があるよ」
- 「前向きに考えよう。気持ちの持ち方しだいだよ」
- 「フランクルは収容所でも希望を捨てなかったんだから」
言う側に悪気はありません。励ましたい、支えたいという気持ちからの言葉です。
けれど、言われた側には、こう聞こえることがあります。
- 苦しいと感じている自分は、意味を見つけられない、だめな人間なのか
- 前向きになれないのは、自分の心が弱いからなのか
- 収容所の人より楽なはずなのに、こんなに苦しい自分は甘えているのか
態度価値は、苦しんでいる本人が、自分の中から見いだしたときにだけ、意味を持つものだと私は考えています。外から「こういう態度をとるべきだ」と求められた瞬間、それは本人の選んだ態度ではなく、まわりの期待に応えるための演技になってしまいます。そして、応えられない自分を責める、新しい苦しみが生まれます。
このサイトでは、スピリチュアルな考え方を「その人の不安を軽くしているか、新しい不安を植えつけているか」で見ることにしています。同じ考え方でも、本人が自分で手に取るときには支えになり、まわりが押しつけるときには新しい不安を植えつけることがあります。
では、そばにいる人に何ができるか
意味を与えることはできない。では、看取る側には何もできないのでしょうか。私は、そうではないと思います。
- 和らげられる苦しみは、まず和らげる 痛み、息苦しさ、眠れなさ、強い不安。医療で和らげられる苦しみはたくさんあります。態度価値は、避けられない苦しみに向き合うときの話です。避けられる苦しみを我慢させる理由にはなりません。緩和ケアのチームに相談してください
- 答えを出さずに、問いを一緒に抱える 「なぜ自分がこんな目に」という問いに、答えを用意する必要はありません。「そうだよね」と、問いのそばにいることはできます
- どんな態度も、否定しない 受け入れようとする人も、怒っている人も、泣いている人も、それぞれの向き合い方を選んでいます。「もっと前向きに」も、「もっと素直に泣いていい」も、押しつけになりえます
- その人が意味を語りはじめたら、静かに受け取る 本人の口から「この病気になって、わかったことがある」という言葉が出てきたら、それはその人が見いだした意味です。まわりの人は、それを大切に受け取ればよいのだと思います
科学で言えること、言えないこと
最後に、この記事の立ち位置を整理しておきます。
- 科学で言えること:フランクルがどんな経験をし、どんな考えを残したかは、記録で確かめられる。痛みや不安を和らげる方法も、医療で調べられてきた
- 科学では言えないこと:苦しみに意味があるかどうか、どんな態度で死に向き合うべきか。これは事実からは決まらない、意味や価値の話であり、答えを出せるのは本人だけ
そして、どんな考え方を支えにするとしても、治療やケアは続けながら、心の納得を支えることができます。看取る側のあなた自身がつらくなったときも、ひとりで抱えずに、こころがしんどいときの相談先を使ってください。
まとめ
- フランクルは、強制収容所で家族を失った経験を持つ精神科医。人が意味を見いだす道として、創造価値・体験価値・態度価値の三つを挙げた
- 態度価値は、避けられない苦しみにどう向き合うかの中にも意味を見いだしうる、という考え方
- 態度価値は本人が自分の中から見いだすもの。まわりが「苦しみにも意味がある」「前向きに」と求めると、新しい苦しみを生むことがある
- そばにいる人にできるのは、和らげられる苦しみを和らげ、問いを一緒に抱え、どんな態度も否定しないこと
参考文献
- Viktor Frankl Institut Wien. Viktor Frankl Biography(年譜). https://www.viktorfrankl.org/biography.html (閲覧日:2026年10月13日)
- みすず書房「『夜と霧』の双子の兄はいかにして生まれたか――『死と愛 新版』解説(抄)」. https://www.msz.co.jp/topics/08794/ (閲覧日:2026年10月13日)
- みすず書房「フランクル『夜と霧』から (8)」. https://www.msz.co.jp/topics/03970_9/ (閲覧日:2026年10月13日)
- ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧 新版』池田香代子訳. みすず書房, 2002年.
- ヴィクトール・E・フランクル『死と愛 新版――ロゴセラピー入門』霜山徳爾訳. みすず書房.
- Ewalds-Kvist B, Lützén K. Miss B Pursues Death and Miss P Life in the Light of V. E. Frankl’s Existential Analysis/Logotherapy. Omega (Westport). 2015;71(2):169-197. https://doi.org/10.1177/0030222815570599 (閲覧日:2026年10月13日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。