スピリチュアル或いは、不可知のものをどう扱うかについて

スピリチュアルとは何か ― 科学の限界の先にあるもの「人事を尽くして天命を待つ」という態度

約7分で読めます2026年10月13日

目次
  1. 「スピリチュアル」という言葉の二つの顔
  2. 医療の中の「スピリチュアル」
  3. 科学で言えること、言えないこと
  4. 「人事を尽くして天命を待つ」
  5. 医療とスピリチュアルは、どちらかを選ぶものではない
  6. 科学の限界の先にあるもの
  7. まとめ

この記事の要点

「スピリチュアル」という言葉の二つの顔

「スピリチュアル」という言葉には、二つの顔があります。

ひとつは、霊、オーラ、前世、運気といった、目に見えない力の話です。テレビや雑誌、占いの世界で使われるのは、たいていこちらです。

もうひとつは、医療、とくに死を前にした人のケアの現場で使われる意味です。こちらは、あまり知られていません。

このサイトでいう「スピリチュアル」は、主に後者です。前者を否定するためではありません。前者を信じる人も、信じない人も、同じように抱えているものがある。そこに目を向けたいからです。

医療の中の「スピリチュアル」

世界保健機関(WHO)は、緩和ケアを次のように説明しています。

緩和ケアは、命をおびやかす病気に向き合う患者とその家族の生活の質を高めるアプローチであり、痛みやその他の問題を、身体的なもの、心理社会的なもの、スピリチュアルなものを問わず、早く見つけて正しく評価し、対応することで、苦しみを予防し和らげる。(WHO ファクトシート「Palliative care」、2020年、要約)

体の痛み、心の不安、家族や仕事の悩みと並んで、「スピリチュアルな問題」が、医療が向き合うべき苦しみのひとつとして挙げられているのです。

では、スピリチュアルとは何を指すのでしょうか。2009年、アメリカで緩和ケアの医療者や研究者が集まった合意会議は、スピリチュアリティを次のように定義しました。

(Puchalski ら、2009年、要約)

ここには、神も霊も、特定の宗教も出てきません。「なぜ私がこんな目に」「私の人生には意味があったのか」「死んだら私はどうなるのか」「残される家族とのつながりは」。そうした問いを抱えること、そのものがスピリチュアルな営みだ、という見方です。

ちなみに、1998年には、WHO の執行理事会で、憲章の「健康」の定義に「spiritual」を加える改正案が出されたことがあります。執行理事会では賛成22・反対0・棄権8で総会の議題とされましたが(厚生科学審議会研究企画部会の議事録、1999年)、翌1999年の WHO 総会では、ほかの改正案とまとめて審議されないまま見送られました(厚生省の報道発表資料、1999年)。健康の定義に入れるかどうかで議論になるほど、スピリチュアルは扱いの難しい言葉でもあります。

科学で言えること、言えないこと

私は医師として、科学を大切にしています。病気の原因を調べ、効く治療と効かない治療を見分けるのは、科学の仕事です。

ただ、科学には、構造的に答えられない種類の問いがあります。

18世紀の哲学者ヒュームは、『人間本性論』の中で、次のようなことを指摘しました。道徳について書かれた本を読むと、はじめは「〜である」「〜でない」という事実の話をしているのに、いつの間にか「〜べきである」「〜べきでない」という話に変わっている。しかし、「〜べき」は事実とは別の新しい関係であり、どうやって事実から導かれるのか、説明が必要だ、と(『人間本性論』第3巻第1部第1節、要約)。

これは、のちに「事実と価値の区別」と呼ばれる考え方の出発点のひとつになりました。

たとえば、

スピリチュアルな問いは、多くが後者に属します。だから、科学をどれだけ進めても、スピリチュアルな問いがなくなることはないと、私は考えています。それは科学の欠点ではなく、問いの種類がちがう、ということです。

このサイトでは、科学で説明できる部分は科学で説明します。そして、そこから先に進むときは「ここから先は、意味や価値の話です」と、はっきり区切ることにしています。

「人事を尽くして天命を待つ」

科学と、その先にあるもの。この境目に立つときの態度として、私がよく思い出す言葉があります。

人事を尽くして天命を待つ。

自分にできることを、できるかぎりやる。そのうえで、結果は自分の手を離れたものとして受け入れる。そういう意味の言葉です。

この言葉には、二つの部分があります。

  1. 人事を尽くす:調べる、準備する、治療を受ける、人に頼る。自分にできることを、手を抜かずにやる
  2. 天命を待つ:それでも、どうにもならないことはある。そこは、自分を責めずに手放す

この二つのどちらかが欠けると、人は苦しくなりやすいように思います。

「天命を待つ」だけになると、できる治療を受けずに、すべてを運命や見えない力にまかせてしまうことがあります。これは、取り返しのつかない結果につながりかねません。

反対に、「人事を尽くす」だけになると、結果が思いどおりにならなかったとき、「自分の努力が足りなかった」「あのときこうしていれば」と、自分を責め続けることになります。どれだけ尽くしても、病気や事故、人の心のように、自分の手の届かないものはあります。

スピリチュアルは、この「天命を待つ」側を支えるもの、と言えるかもしれません。祈ること、お参りすること、何か大きなものに身をゆだねる感覚を持つこと。それは、人事を尽くさない言い訳ではなく、尽くしたあとの心の置き場所です。

医療とスピリチュアルは、どちらかを選ぶものではない

ここで、はっきり書いておきたいことがあります。

スピリチュアルな支えは、医療の代わりにはなりません。病気の治療は続けながら、その中で生まれる「なぜ」「何のために」という問いに、心の納得を支える。それがこのサイトの考えるスピリチュアルの役割です。治療と、心の納得。どちらかを選ぶ必要はありません。

そして、ひとつの物差しを持っておくと、スピリチュアルなものとの付き合い方が少し楽になります。

それは、あなたの不安を軽くしているか。それとも、新しい不安を植えつけているか。

祈ることで気持ちが落ち着くなら、それはあなたを支えています。逆に、「このままでは不幸になる」「これをしないとたたりがある」と、不安をふくらませて何かを迫ってくるものは、あなたを支えるものではありません。

強い不安や落ち込みが続くとき、死にたい気持ちがあるときは、ひとりで抱えずに医療機関や相談窓口に話してください。相談先は「こころがしんどいときの相談先」にまとめています。

科学の限界の先にあるもの

科学の限界の先には、何があるのでしょうか。

霊や神がいる、と言うつもりはありません。いない、と言うつもりもありません。それは、私にも確かめられないことです。

ただ、確かに言えることがあります。科学の限界の先には、「それでも、私はどう生きるか」という問いが残っている。そして、その問いを抱えているのは、あなただけではない、ということです。

このサイトでは、そうした問いに、宗教の教えや哲学、心理学の研究を手がかりにしながら、ゆっくり向き合っていきたいと思います。答えを押しつけるためではなく、あなたが自分の答えを探すときの、道具のひとつになれればと思っています。

まとめ

参考文献

  1. World Health Organization. Palliative care(ファクトシート、2020年8月5日). https://www.who.int/news-room/fact-sheets/detail/palliative-care (閲覧日:2026年10月13日)
  2. Puchalski C, Ferrell B, Virani R, et al. Improving the quality of spiritual care as a dimension of palliative care: the report of the Consensus Conference. Journal of Palliative Medicine. 2009;12(10):885-904. https://doi.org/10.1089/jpm.2009.0142 (閲覧日:2026年10月13日)
  3. 厚生省「WHO憲章における『健康』の定義の改正案のその後について(第52回WHO総会の結果)」平成11年10月26日 報道発表資料. https://www.mhlw.go.jp/www1/houdou/1110/h1026-1_6.html (閲覧日:2026年10月13日)
  4. 厚生省「第14回厚生科学審議会研究企画部会議事録」平成11年4月12日. https://www.mhlw.go.jp/www1/shingi/s9904/txt/s0412-1_6.txt (閲覧日:2026年10月13日)
  5. David Hume. A Treatise of Human Nature, Book III, Part I, Section I(Project Gutenberg 版). https://www.gutenberg.org/ebooks/4705 (閲覧日:2026年10月13日)

この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。