文明堂:1900年、長崎で創業。1922年に東京へ進出し、百貨店で目の前でカステラを詰める「実演販売」。1937年に「カステラ一番、電話は二番」が誕生。東京進出を進めたのは宮﨑甚左衛門
文明堂東京の公式サイト「文明堂カステラヒストリー」によると、文明堂は1900年(明治33年)、中川安五郎が長崎で創業しました。弟の宮﨑甚左衛門は1916年に佐世保で独立し、1922年に東京の百貨店に出店。箱の中身が見えない不安をなくすため、お客さんの目の前でカステラを詰める「実演販売」を行い、会社は「日本で最初」と説明しています。1923年には電気釜を開発しましたが、同じ年の関東大震災で店が全焼。麻布で再び店を開き、1933年から新宿・神戸・横浜・銀座に自社の売店を出しました。1937年には「カステラ一番、電話は二番」のキャッチフレーズが生まれ、各地の電話局の「2番」をそろえたといいます。

メル美「カステラ一番、電話は二番」って、文明堂のフレーズだよね。

プレ男いつからあるんだろう。そもそも文明堂って長崎のお店?
今回は、カステラの「文明堂」です。文明堂東京の公式サイト「文明堂カステラヒストリー」(2026年10月10日閲覧)で確認した内容をまとめました。
1900年、長崎で創業
- 1900年(明治33年)、中川安五郎が長崎に「文明堂」を創業しました
- 弟の宮﨑甚左衛門は、1908年に18歳で長崎に出て、兄の文明堂で働き、行商で毎日決まった時間に町を回ったといいます
- 甚左衛門は1916年に佐世保で独立して店を出しました
1922年、東京へ。百貨店で「実演販売」
- 1922年、東京の大手百貨店と契約して、東京に初出店しました
- 「箱に詰めたカステラは中身が見えず不安を与える」と考え、お客さんの目の前でカステラを詰める「実演販売」を始めました。会社は、百貨店での実演販売を「日本で最初に実践」したと説明しています
- このときから、食品に販売の日付を押すようにもなったといいます
- 土・日曜・祭日に、買った分の2割相当のカステラをおまけする「増量サービス」も考えました

プレ男目の前で詰めて見せるのは、安心してもらうためだったんだ。
震災、そして自社の売店へ
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1923年 | カステラを同じ品質でたくさん焼くため、電気釜を開発。関東大震災で店が全焼 |
| 1923年 | 16日後に再び上京し、麻布に新しい店を出す |
| 1925年 | 「宮内省御用達」を拝命 |
| 1926〜1927年 | 菓子屋ではめずらしい配達用の自動車を置く |
| 1933〜1939年 | 新宿店・神戸店(1933年)、横浜店(1934年)、銀座店(1939年)と自社の売店を開く |
1937年、「カステラ一番、電話は二番」
- 1937年に、キャッチフレーズ「カステラ一番、電話は二番」が生まれました
- 各地域の電話局の「2番」の電話番号をそろえ、電話帳にもこのフレーズの広告を出して、「文明堂=2番」のイメージを広めたといいます
- このフレーズを考えたのも、宮﨑甚左衛門だと紹介されています

メル美本当に電話番号を「2番」にそろえていたんだね。

文明堂東京の公式サイトによると、文明堂は1900年に長崎で創業し、1922年に東京の百貨店に出店しました。「カステラ一番、電話は二番」は1937年に生まれたフレーズです。
まとめ
- 文明堂は1900年、長崎で創業
- 1922年に東京の百貨店へ。目の前で詰める実演販売
- 関東大震災のあと麻布で再出発、1933年から新宿などに自社の売店
- 1937年に「カステラ一番、電話は二番」
参考文献
- 文明堂東京. 文明堂カステラヒストリー. https://www.bunmeido.co.jp/user_data/library_history (閲覧日:2026年10月10日)
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