私が、喰らう飯

コンビニ、チェーン店。いつもの飯を、うまく喰らう

コンビニ飯

コンビニ飯コンビニの数と売上(2025年):日本フランチャイズチェーン協会の正会員7社のコンビニは5万6,054店(12月末)、年間売上高は12兆583億円で5年連続プラス。一方、来店客数は163億4,142万人で4年ぶりのマイナス。おにぎりやカウンター商材が好調日本フランチャイズチェーン協会の「CVS統計年間動向(2025年1月〜12月)」によると、協会の正会員7社のコンビニエンスストアは2025年12月末に56,054店舗(2024年12月末は55,736店舗)でした。全店ベースの年間売上高は12兆583億円(前年比2.2%増)で5年連続のプラス、既存店ベースは11兆5,848億円(1.9%増)。年間来店客数は全店ベースで163億4,142万人(0.2%減)と4年ぶりのマイナスでした。協会は、高付加価値商品やクーポンなどの販促で平均客単価が伸びたこと、過去最多の訪日外国人や大阪・関西万博が売上に寄与したと考えられるとし、商品別ではおにぎり、カウンター商材、菓子、ソフトドリンク、アイスクリーム、玩具などが好調だったとしています。2026年10月10日コンビニ飯ファミリーマートの歴史とサンドイッチ:1973年9月、埼玉県狭山市に1号店。「日本発祥のコンビニ」として1978年にフランチャイズ1号店、2006年に47都道府県とファミチキ。am/pm・サークルK・サンクスと統合し、国内16,455店ファミリーマートの公式サイトの沿革によると、1973年9月に1号店が埼玉県狭山市に開店し、「日本発祥のコンビニエンスストア」としてのあゆみが始まりました。1978年に千葉県船橋市でフランチャイズ1号店、1981年9月に株式会社ファミリーマートを設立。1989年にキャッチコピー「あなたと、コンビに、ファミリーマート」が生まれ、2006年に47都道府県への出店と「ファミチキ」の発売、2010年にエーエム・ピーエム・ジャパン、2015年にココストアと合併し、2018年にサークルK・サンクスとのブランド統合を終えました。国内の店舗数は16,455店(2026年8月31日現在)。都心の一部では、国産鶏むね肉を使ったサンドなどの限定商品もあります。2026年10月6日コンビニ飯ローソンの歴史とサンドイッチ:名前とミルク缶マークは、米国オハイオ州の牛乳屋「ローソン」から。日本1号店は1975年6月の大阪・豊中の桜塚店、同年9月にフランチャイズ1号店。1997年に47都道府県へローソンの公式サイト「ローソンの歴史」によると、ローソンの名前と青地に白のミルク缶マークは、1939年に米国オハイオ州でJ.J.ローソン氏が営んでいた牛乳販売店から来ています。日本では、当時の親会社ダイエーがローソンミルク社のノウハウをもとに独自のフランチャイズシステムをつくり、1975年6月14日に1号店「桜塚店」(大阪府豊中市)を開きました。アメリカンテイストのパーティーフーズを並べる店で、同年9月にフランチャイズ1号店の「桃山店」を開店。創業50年記念サイトによると、1978年にコンビニ初の揚げたて商品、1986年に「からあげクン」、1997年に沖縄県に出店して47都道府県を達成しました。国内のローソングループは14,697店(2026年2月末)です。2026年10月6日コンビニ飯セブン‐イレブンの歴史とサンドイッチ:1974年5月、江東区豊洲に日本初の本格的なフランチャイズのコンビニ。1号店はサンドイッチやハンバーガーも並べていた。2年で100店、2019年に沖縄へセブン‐イレブンの沿革と50周年記念サイトによると、1973年11月にヨークセブン(いまのセブン‐イレブン・ジャパン)を設立して米国サウスランド社と契約し、1974年5月に江東区豊洲に「日本初の本格的なフランチャイズシステムによるコンビニエンスストア」の1号店を開きました。開店当初は朝7時から夜11時までの営業で、スーパーの売れ筋商品や、アメリカで人気のファストフード(サンドイッチやハンバーガー)を並べていたそうです。1975年に24時間営業、1976年に100店舗、1979年に上場、1980年に1,000店舗、2003年に10,000店舗、2018年に20,000店舗を超え、2019年7月に沖縄県に出店しました。1993年には初のオリジナルパン「焼きたて直送便」シリーズを発売しています。2026年10月6日コンビニ飯ファミマのおむすび:「おにぎり」ではなく「おむすび」と呼ぶのは「人と人を結ぶ」から。SPAMむすびは累計1,400万食(2022年)、2023年から「ふわうま製法」、2025年には大谷翔平選手がおむすびアンバサダーにファミリーマートの公式サイト(ファミマの物語、ニュースリリース)によると、ファミリーマートは「人と人を結ぶ」という意味を込めて、おにぎりを「おむすび」と呼んでいます。「SPAMむすび」シリーズは2022年2月に販売累計1,400万食を突破。2023年10月の手巻おむすびから「ふわうま製法」への刷新を始め、いまは全体の6割以上をこの製法にしました(2026年6月取材時点)。2025年3月には、おにぎり専門店「ぼんご」監修のおむすびと、定番手巻の1.5倍サイズの「大きなおむすび」を発売し、大谷翔平選手が「ファミリーマートおむすびアンバサダー」に就任しています。2026年10月4日コンビニ飯ローソンのおにぎり:20年以上販売数1位の「シーチキンマヨネーズ」を一時上回ったのが、2018年10月発売の「悪魔のおにぎり」。シリーズ累計8,000万個以上。2002年にはブランド「おにぎり屋」ローソンの創業50年記念サイトとニュースリリースによると、ローソンは2002年11月にオリジナルブランド「おにぎり屋」を始めました。2018年10月に発売した「悪魔のおにぎり」は、天かす・天つゆ・青のりの組み合わせが「悪魔的にやみつきになる美味しさ」として人気になり、ローソンのおにぎりで20年以上販売数1位を守っていた「シーチキンマヨネーズ」の販売数を一時上回りました。シリーズ累計販売数は8,000万個以上(2024年10月のリリース)。2020年3月には全国の学童保育施設におにぎりを無償で配り、2023年8月には「冷凍おにぎり」の実験販売も始めています。2026年10月4日コンビニ飯セブン‐イレブンのおにぎり:1978年、「パリッコフィルム」を考えて業界で初めてパリッとした海苔の手巻きおにぎりを発売。最初は1日2〜3個しか売れなかったのが、年間17億個のヒット商品にセブン‐イレブンの50周年記念サイトとセブン&アイ・ホールディングスの記事によると、1970年代は、おにぎりは家でつくるもので、店で買うものではない時代でした。セブン‐イレブンは1978年、食べる直前に自分で海苔を巻く「パリッコフィルム」を考え、業界で初めてパリッとした海苔の食感の手巻きおにぎりを発売。最初は1日2〜3個ほどしか売れませんでしたが、パリパリの食感が話題になり、年間17億個(2013年の記事)が売れるヒット商品になりました。工場から店まで20℃前後で温度管理し、2020年2月には手巻おにぎりを全面リニューアルしています。2026年10月4日コンビニ飯デイリーヤマザキ:パンの山崎製パンがつくったコンビニ。1977年に雑司が谷の「サンエブリー」から。1994年に焼きたてパン、2000年に店内調理の「デイリーホット」パンでおなじみの山崎製パンが運営するコンビニ、デイリーヤマザキ。公式サイトの「歩み」によると、1977年に子会社サンエブリーの1号店を東京・雑司が谷に開店、翌1978年に「ヤマザキデイリーストアー」1号店(板橋区)。1994年に焼きたてパンのしくみ、2000年に店内調理システム「デイリーホット」を導入しました。いまは「デイリーヤマザキ」「ニューヤマザキデイリーストア」「ヤマザキショップ」の3つの業態があります。2026年10月3日コンビニ飯ファミマの「ファミチキ」:2006年に生まれた「骨なしフライドチキンの先駆け」。2026年5月に累計26億食、ファミマの売上No.1。史上いちばん売れた味は「濃厚チーズinファミチキ」ファミリーマートのニュースリリースによると、「ファミチキ」は2006年に誕生した「骨なしフライドチキンの先駆け」で、2026年で20周年。2025年12月に累計販売数25億食、2026年5月に26億食を突破し、「ファミリーマートで売上No.1の代表商品」と紹介されています。シリーズで史上いちばん売れたフレーバーは「濃厚チーズinファミチキ」。20周年の2026年には、ファミチキ袋のデザインを新しくし、記念の「オトナ★ファミチキ」を3週連続で発売しました。2021年には、はさむだけでファミチキバーガーになる「ファミチキバンズ」も登場しています。2026年10月3日コンビニ飯からあげクンの歴史:1986年4月15日に発売。アメリカでナゲットをつまんで歩く若者をヒントに、構想から約6年。40年でフレーバーは430種類以上、2026年8月に累計50億食を突破ローソンのニュースリリース(2026年8月6日)によると、「からあげクン」は1986年4月15日に発売されました。開発担当者がアメリカで、若者がチキンナゲットを指でつまみながら街を歩く姿を見たことがヒントで、構想から発売まで約6年かかりました。1988年に手作業から機械化、2003年に冷凍調理へ、2014年に国産の若鶏むね肉100%に。フレーバーは430種類以上、2026年8月5日に累計50億食を突破し、ギネス世界記録にも認定されました。2026年10月3日コンビニ飯ミニストップ:1980年にジャスコ(いまのイオン)が設立、1号店は横浜・大倉山。ソフトクリームと、1995年から続く夏の看板「ハロハロ」はフィリピン生まれのデザートがルーツソフトクリームとハロハロでおなじみのコンビニ、ミニストップ。公式の沿革によると、1980年5月にジャスコ(いまのイオン)の100%出資で設立され、同年7月に1号店「大倉山店」を横浜市に開店しました。ハロハロは、タガログ語で「混ぜこぜ」という意味のフィリピンの代表的なかき氷デザートで、ミニストップは1995年から「パフェ感覚で氷を食べるスイーツ」として発売、2025年に30周年を迎えました。2026年10月3日コンビニ飯セイコーマート(セコマ):1971年に札幌で1号店、日本で現存する最も古いコンビニのひとつ。北海道に1,087店、店内で調理する「ホットシェフ」は1994年に足寄で始まった北海道で暮らす人の生活を支えるコンビニ、セイコーマート。運営するセコマの公式サイトによると、1971年8月に札幌で1号店が開店し、日本で現存する最も古いコンビニエンスストアのひとつ。2026年9月末現在の店舗数は1,189店(北海道1,087店、茨城県92店、埼玉県10店)で、北海道の人口カバー率は99%以上。店内調理の「ホットシェフ」や、原料生産から物流まで自前でになう独自のしくみを、公式の「あゆみ」からまとめました。2026年10月3日コンビニ飯ななチキ・揚げ鶏・ザクチキのちがい:3つともセブン‐イレブンのフライドチキン。ななチキはドラム(下モモ)に11種のスパイス、揚げ鶏はもも肉に塩中心の薄衣、ザクチキは2024年11月に登場したザクザク衣のうま辛セブン‐イレブンの公式サイトとニュースリリースによると、レジ横の定番フライドチキンは「ななチキ」(ドラム(下モモ)を使い、11種のスパイスで味付け、衣は軽い食感)と「揚げ鶏」(もも肉、塩を中心にしたシンプルな和風の味付け、パリッとした薄衣)の2つでした。2024年11月に、ザクザクした衣とうま辛い味付けの「ザクチキ(魅惑のうま辛)」が加わりました。ニュースリリースでは、ななチキを「人気定番商品」、揚げ鶏を「大人気商品」と紹介しています。2026年10月3日コンビニ飯スリーエフ:1979年に横浜・磯子で生まれた神奈川のコンビニ。2018年に「スリーエフ」の看板は消えたが、いまも「ローソン・スリーエフ」で店内焼きのやきとりと「もちぽにょ」が喰える「まる・ハート・星」のマークでおなじみだった横浜生まれのコンビニ、スリーエフ。公式の沿革によると、1979年に富士スーパーのコンビニエンス事業部としてスタートし、同年11月に直営1号店(栗木店)を横浜市磯子区に開店。2016年にローソンとのダブルブランド「ローソン・スリーエフ」を始め、2018年1月に「スリーエフ」ブランドでの店舗運営を終えました。2026年2月末現在、ローソン・スリーエフ325店とgooz3店を運営しています。2026年10月3日

チェーン店

チェーン店浅草のすき焼「ちんや」:1880年(明治13年)に浅草で料理屋として創業し、1903年にすき焼きの専門店に。2021年8月に一時休業し、2022年3月18日(浅草の誕生日)に浅草で再開。黒毛和牛の雌牛だけを使うと説明すき焼「ちんや」の公式サイト「ちんやSTORY」によると、ちんやは1880年(明治13年)に東京・浅草で料理屋として創業し、1903年(明治36年)にすき焼きの専門店になりました。店舗の老朽化や世界情勢の影響などで2021年8月に一時休業し、2022年3月18日、会社のいう「浅草の誕生日」に、浅草の新しい場所で再開しています。牛肉は黒毛和種(黒毛和牛)の雌牛だけを使い、交雑種や去勢牛は使わず、30か月ほど肥育した牛を約1か月熟成させていると説明しています。サシが細かい「小ザシ」、脂肪の量が4等級など5つの条件の「適度な霜降肉」として商標登録しているとしています。割下は甘みの強さが特徴だと紹介し、ネギは千住のネギ市場の業者から、豆腐は地元浅草の豆腐屋から仕入れていると説明しています。2026年10月12日チェーン店ビアードパパ:1999年に「パイシュークリーム」が生まれ、福岡県のトリアス久山店が1号店。注文を受けてからクリームを詰める実演販売で、2001年の香港から海外へ。いまは14の国と地域に出店、いちばん多いのはインドネシア(会社公式)シュークリーム専門店ビアードパパを運営する株式会社DAY TO LIFE(旧・株式会社麦の穂、本社大阪市北区)の沿革によると、会社は1997年12月22日に設立され、1999年に「パイシュークリーム」が生まれて、福岡県粕屋郡の「トリアス久山店」が1号店になりました。2000年に愛知県豊田市でフランチャイズ1号店、2001年に香港で海外1号店を開き、韓国・台湾・シンガポール・中国・アメリカなどへ広がりました。2013年に永谷園ホールディングスの傘下に入り、2023年9月1日に社名をDAY TO LIFEに変えました。海外事業展開のページでは、インドネシア78店、台湾33店、アメリカ31店など14の国と地域の店舗数を示しています。ビアードパパの紹介ページによると、シュー生地はお店のオーブンで焼き、クリームは毎日お店で手づくりし、注文を受けてから1つずつクリームを詰める実演販売のスタイルです。パイ生地は、食べやすい「練り込み型」を独自に開発したとしています。2026年10月12日チェーン店日本橋弁松総本店:1810年、日本橋の魚河岸の食事処「樋口屋」で、食べきれない料理を経木や竹の皮に包んで持ち帰ってもらったのが折詰弁当の始まりと説明。三代目のとき「弁当屋の松次郎」で「弁松」に日本橋弁松総本店の公式サイト「歴史と味」によると、文化7年(1810年)、越後生まれの樋口与一が日本橋の魚河岸に食事処「樋口屋」を開きました。時間のない魚河岸の人たちが食べきれなかった料理を、経木や竹の皮に包んで持ち帰ってもらったところ評判になり、これが弁松の折詰弁当の始まりだと説明しています。二代目のときに最初から竹皮で包んだ弁当を売るようになり、三代目の樋口松次郎のときに「弁当屋の松次郎」略して「弁松」と呼ばれ、食事処をやめて折箱料理専門店「弁松」を創業しました。同社は、現存する中では日本でいちばん古い弁当屋だとしています。弁当の味は江戸から続く甘辛の濃い味つけだと紹介し、玉子焼は毎日職人が手で焼いていると説明しています。折箱には、いまでは珍しい経木の折を使っています。2026年10月12日チェーン店ブルーシール:1948年、アメリカとの契約のもとで沖縄で創業したアイスクリーム。1963年に浦添市で会社を設立し「BigDip牧港店」を開店。1978年に沖縄県外への事業拡大が認められ、2013年からサッポログループ(会社公式)フォーモスト ブルーシール株式会社の公式サイトの会社案内と沿革によると、ブルーシールは1948年にアメリカ合衆国との契約のもとで、現在の沖縄県具志川市で創業しました。1963年2月9日に、カリフォルニアに本拠を置くインターナショナルデイリーズ社の関連会社として沖縄県浦添市に会社を設立し、「ブルーシールBigDip牧港店」を開店しました。1972年に日本政府から株式取得の認可を受け、1976年に社名をフォーモスト・ブルーシールに変え、1978年に沖縄県外での事業拡大が日本政府に認可されました。その後、オランダの会社の傘下、1996年にポッカコーポレーションの傘下を経て、2013年のサッポロ飲料とポッカの経営統合でサッポログループの一員になり、直営店の名前を「ブルーシール」に統一しました。本社は沖縄県浦添市牧港で、事業はアイスクリームの販売、アイスクリームパーラーの経営、フランチャイズ店舗の展開などです。2026年10月12日チェーン店カプリチョーザ:1978年、渋谷の外れの6坪のイタリア料理店から。創業者はイタリアで修業し、1970年の大阪万博のイタリア館のシェフを務めた本多征昭。名前はイタリア語で「きまぐれ」、看板は「トマトとニンニクのスパゲティ」(公式)カプリチョーザ公式ホームページの「創業ストーリー」と「カプリチョーザとは」によると、創業者の本多征昭は1962年に単身イタリアに渡り、イタリア国立エナルクホテル学校を1967年に最優秀卒業生として卒業し、1970年3月の大阪万博ではイタリア館のシェフを務めました。1978年、34歳の春に渋谷の外れに6坪のイタリアレストランを開いたのがカプリチョーザの始まりで、たちまち行列のできる店になったとしています。本多は1988年7月に44歳で亡くなりましたが、レシピは受け継がれているとしています。「カプリチョーザ」はイタリア語で「きまぐれ」という意味で、南イタリアのトラットリア(大衆食堂)タイプのレストランです。メニューは全店共通のレシピで調理し、イタリア産のトマトを使ったトマトソースが自慢で、創業以来の定番「トマトとニンニクのスパゲティ」を不動のNo.1としています。2026年10月12日チェーン店お好み焼 千房:1973年、大阪・千日前で開業。名前は豊臣秀吉の「千成瓢箪」から、「千」の「房」になるように。1981年に百貨店、1985年に高級ホテルに出店し、2018年に台湾で初の海外直営店。2013年には「職親プロジェクト」(公式)千房の公式サイトの「千房とは」によると、千房は1973年に大阪・千日前で開業したお好み焼の店です。社名は、豊臣秀吉の馬印で戦に勝つたびに瓢箪が増えた「千成瓢箪」になぞらえ、大阪発祥のお好み焼で一店舗ずつ大きくなり「千」の「房」になるようにという願いをこめたとしています。会社は、お好み焼チェーン店として世界で初めての取り組みとして、1981年5月に百貨店、1981年10月に駅ビル、1985年10月に高級ホテル(ぷれじでんと)への出店、1997年の冷凍食品の製造・販売、2013年のPeach Aviationの機内食への採用、2016年のお好み焼の小麦粉の国産化などを挙げています。2018年8月には台湾・高雄に初の海外直営店を開きました。開業当初に始めた絵馬の代金は、先天性の心臓病の子どもを救う「あけみちゃん基金」に寄付しています。また、出所者の就労を支える「職親プロジェクト」を2013年2月に日本財団と7社で設立し、いまは約60社が参加しているとしています。2026年10月12日チェーン店コロンバン:1924年、パリの菓子店「コロンバン」で学んだ門倉國輝が、屋号の使用を許されて創業。会社は門倉が「ショートケーキ」を考案したと説明。1931年に銀座6丁目に「銀座コロンバン」、天井には藤田嗣治の壁画コロンバンの公式サイト「社長メッセージ」によると、創業者の門倉國輝は1915年に宮内省大膳寮員となり、1921年に渡仏して、パリの一流菓子店「コロンバン」で最新の製法を学び、日本での屋号の使用許可を得ました。関東大震災の復興が始まったころの1924年(大正13年)3月、純フランス菓子店「コロンバン」を創業しています。会社は、門倉が白いクリームをスポンジに重ね、イチゴをのせた「ショートケーキ」を考案し、上から見た形は「日の丸」をかたどったと言われていると説明しています。1931年には銀座6丁目に「銀座コロンバン」を開き、ケーキや軽食と飲み物を楽しむ「サロン・ド・テ」の形で、会社のいう日本初の冷房設備などを取り入れ、藤田嗣治による6枚の天井壁画を飾りました(戦後に迎賓館へ寄贈)。戦時中は東京大空襲で工場が焼けて休業し、1946年に再開しました。2024年には「原宿サロン」を復活させています。2026年10月12日チェーン店ドミノ・ピザ(日本):1985年9月30日、東京・恵比寿に宅配ピザ店を開いたのが日本での始まり。狭い道のために3輪スクーターを改造した宅配バイク。1994年「マヨじゃが」、2023年に1000店舗。2025年8月末は773店舗株式会社ドミノ・ピザ ジャパンの公式サイト「沿革」「会社概要」によると、ドミノ・ピザは1985年9月30日、東京・恵比寿に、会社のいう「日本初の宅配ピザ店」を開きました(創業者はアーネスト・M・比嘉)。都内の道路が狭く渋滞が多いことから、3輪スクーターを改造した宅配専用バイクを開発し、30分保障のサービスを始めたと説明しています。1986年に日本独自の「ツナ・スペシャル」、1992年に初の和風ピザ「炭火焼チキテリ」、1994年に「マヨじゃが」を発売しました。2021年に大手宅配ピザチェーンとして初めて全国47都道府県に出店し、2023年に1000店舗を達成したとしています。会社概要では、本社は品川区上大崎、店舗数は2025年8月末時点で773店舗です。2026年10月12日チェーン店ドンク:1905年、神戸で「藤井パン」として創業。1954年に来日したカルヴェル教授の講習会で本格的なバゲットやクロワッサンが紹介され、1966年の東京・青山店のあとフランスパンがブームにドンクの公式サイト「ドンクのあゆみ」によると、同社は1905年(明治38年)8月8日、初代の藤井元治郎が長崎から職人を招いて神戸市兵庫区柳原に「藤井パン」を開いたのが始まりです。1951年に株式会社に改め、商号を「株式会社ドンク」としました。1954年には、フランス国立製粉学校のレイモン・カルヴェル教授が初めて来日して国際パン技術講習会が開かれ、日本に初めて本格的なバゲット、クロワッサン、ブリオッシュなどが紹介されたと説明しています。1965年の東京国際見本市でフランスパンの製造を担当し、実演者として来日したフィリップ・ビゴ氏が入社、1966年8月に東京・青山店を開くと、秋ごろからフランスパンがブームになったとしています。1994年にはミニクロワッサンが大ヒットし、2005年に創業100周年を迎えました。2026年10月12日チェーン店とんかつ銀座梅林:1927年(昭和2年)創業、店は銀座で初めてのとんかつ専門店だとしている。創業者は「ひと口カツ」や、とんかつに合う独自の「中濃ソース(とんかつソース)」を考案。愛称は「珍豚美人(ちんとんしゃん)」。羽田空港・ハワイ・ソウルにも(公式)とんかつ銀座梅林の公式サイトの「銀座梅林のご紹介」と会社概要によると、銀座梅林は1927年(昭和2年)2月22日に、銀座で初めてのとんかつ専門店として開店したとしています。創業者の澁谷信勝は、それまで一枚に開いて揚げていたヒレカツを一口サイズにした「ひと口カツ」や、とんかつに合った独自の「中濃ソース(とんかつソース)」を考案し、カツ丼のタレには豚肉とたまねぎからとった特製スープを使ったとしています。その後も、食パンにカツをはさんだ「ヒレカツサンド」や、卵でとじたうえにもう1つ卵をのせた「スペシャルカツ丼」などを広めました。初代と親交のあった講談師の五代目一龍斎貞丈から贈られた色紙の「珍豚美人(ちんとんしゃん)」が愛称です。2005年12月に羽田空港第1ターミナルのフードコートに、2007年5月にハワイ・ワイキキに出店し、その後ソウルにも進出しました。本店は東京都中央区銀座7丁目です。2026年10月12日チェーン店銀座千疋屋:1894年に銀座八丁目で「新橋千疋屋」として創業。1913年に「果物食堂フルーツパーラー」を開業、1923年に「フルーツポンチ」を考案したと説明。1938年のメニューには「フルーツサンド」銀座千疋屋の公式サイト「銀座千疋屋グループ 会社沿革」によると、同社は1894年(明治27年)12月11日に、銀座八丁目で果物専門店「新橋千疋屋」として創業しました(千疋屋総本店からののれん分け)。1913年(大正2年)4月7日には、会社のいう「日本初のフルーツパーラー」を開き、「果物食堂フルーツパーラー」と名づけました。1923年12月に「銀座千疋屋」に改名し、関東大震災で被災したあと店舗を再建、同じ年に「フルーツポンチ」を考案したと説明しています。1929〜1930年にはポスターや広報誌の表紙絵を竹久夢二が手がけました。1937年に株式会社銀座千疋屋を設立し、1938年には、いま残る最古のピクチュアメニューに「フルーツサンド」がのっているとしています。2026年10月12日チェーン店ゴンチャ:2006年に台湾・高雄で1号店、2015年に原宿で日本1号店。2021年に国内100店舗、2025年の日本上陸10周年で国内200店舗以上・世界約30か国2,000店舗以上。甘さ・氷・トッピングを選んでカスタマイズ(ゴンチャ ジャパン公式)ゴンチャ ジャパンの公式サイトのブランドストーリーによると、ゴンチャ(貢茶)は、古来中国で皇帝に最高品質のお茶を献上した「貢茶」のしきたりにちなむ名前で、2006年に台湾・高雄市で第1号店を開きました。2009年に香港で初の海外店舗、2015年に日本1号店を原宿に開き、2018年に大阪・名古屋・福岡へ進出、2021年に国内100店舗を達成しました。2025年の日本上陸10周年の時点で、国内200店舗以上、世界で約30か国・2,000店舗以上を展開しているとしています。注文では、ドリンク、甘さ(シロップの量)、氷の量、トッピングを好みに合わせて選べます。会社によると、お茶は毎日お店で淹れていて、阿里山ウーロンティーは枝先の芽と2枚の葉(一芯二葉)だけを使っています。運営する株式会社ゴンチャ ジャパンは2015年3月25日設立で、本社は東京都港区新橋です。2026年10月12日チェーン店アンリ・シャルパンティエ:1969年、兵庫県芦屋の「スイーツも食べられる喫茶店」から。名前の由来はクレープ・シュゼットの青い炎。1975年発売のフィナンシェは年間販売個数でギネス世界記録に。東京には2015年に「銀座メゾン」(公式)シュゼット・ホールディングスの企業情報とアンリ・シャルパンティエのブランドストーリーによると、アンリ・シャルパンティエは1969年に兵庫県芦屋市で「スイーツも食べられる喫茶店」として創業しました。創業者の蟻田尚邦は、オレンジ果汁で煮たクレープをリキュールでフランベするデザート「クレープ・シュゼット」の青い炎に魅せられ、社名(シュゼット)もこのデザートに由来するとしています。1975年に百貨店1号店を神戸に出し、同じ年に発売したフィナンシェが代表商品になりました。1985年に横浜そごうで関東1号店、2014年にシンガポールで海外1号店、2015年4月に東京・銀座に旗艦店「銀座メゾン アンリ・シャルパンティエ」を開きました。フィナンシェは2012年度の年間販売個数第1位としてギネス世界記録に認定され、その後も認定を重ねています。店舗数は国内95・海外11の計106店(2026年10月1日現在)です。2026年10月12日チェーン店上野の鰻割烹「伊豆榮」:八代将軍・吉宗の時代に上野池之端で、小さな蒲焼屋として始まったと言い伝えられる店。「江戸前」はもともと鰻のことだったと説明。上野戦争や震災、戦災をこえて約300年伊豆榮の公式サイト「伊豆榮とは」によると、同店は八代将軍・徳川吉宗の時代に、いまの本店がある上野池之端で生まれたと説明しています。良い鰻がとれた上野のあたりには、簡単な造りの蒲焼屋が建ち並び、伊豆榮もそんなささやかな蒲焼屋の一つだったと言い伝えられているとしています。江戸時代には「江戸前」といえば鰻の代名詞だったと紹介し、それから約300年、幕末の上野戦争、関東大震災、太平洋戦争、東日本大震災をこえてのれんを守ってきたと説明しています。会社は株式会社伊豆榮で、法人の設立は1950年9月22日、本店は台東区上野2丁目、いまは9代目の女将が社長をつとめています。2026年10月12日チェーン店駅ナカの NewDays・駅そば・駅弁はどこの会社?:JR東日本クロスステーション(2021年設立、JR東日本の100%子会社)。2026年3月現在、NewDays 512店、NewDays KIOSK 160店、駅そば(いろり庵きらく・そばいち)97店、BECK'S COFFEE SHOP 72店、おむすびの「ほんのり屋」21店(会社概要)株式会社JR東日本クロスステーションの会社概要によると、同社は2021年(令和3年)4月1日設立で、東日本旅客鉄道(JR東日本)が100%の株主です。2026年3月現在の店舗数(催事を除く)は1,977店(小売・サービス店1,427店、飲食店550店)で、自動販売機は13,494台です。主なオリジナルブランドは、コンビニの NewDays 512店と NewDays KIOSK 160店、駅そばの「いろり庵きらく」「そばいち」97店、カフェの BECK'S COFFEE SHOP 72店、おむすび専門店の「ほんのり屋」21店、駅弁の「駅弁屋 祭」「大増」「大船軒」34店などです。食品工場は、サンドイッチ・弁当・麺類の戸田工場(埼玉県戸田市)、おにぎり・炊飯米の浦和工場(さいたま市桜区)などがあります。営業収益は2025年度に2,830億円でした。2026年10月12日チェーン店らあめん花月嵐:1992年創業、東京・杉並区上荻のグロービート・ジャパンが運営。看板は「嵐げんこつらあめん」、毎月新しい期間限定ラーメンが出る。店舗数228、台湾・タイ・ドイツにも出店(会社公式)グロービート・ジャパン株式会社の公式サイトによると、らあめん花月嵐は1992年の創業以来、日本全国と海外で約200店舗を展開していて、会社概要の店舗数は228店舗です。運営するグロービート・ジャパンは1994年6月8日設立で、本社は東京都杉並区上荻、年商は73億2,000万円(2025年12月期)です。看板メニューは「嵐げんこつらあめん」で、毎月新しい期間限定ラーメンが出るのが人気の企画だとしています。公式サイトの「花月嵐ミュージアム」には、これまでの期間限定ラーメンがNo.241まで並んでいます。海外では、2007年12月に台湾・台北市に初の海外店舗、2022年12月にタイ・バンコクに花月嵐の1号店、2025年3月7日にドイツ・ケルンに店舗を開きました。ケルンの店舗ではヴィーガンラーメンも出しています。グループでは、麻辣湯の「芳香麻辣湯」や、京都発の「札幌味噌ラーメン 岳」なども運営しています。2026年10月12日チェーン店ラーメン魁力屋:2005年に京都・北白川で創業。看板は「京都背脂醤油ラーメン」。麺は全国の指定提携製麺所でつくる低加水の中細ストレート麺、チャーシューは京都らしく薄切り、背脂の量は選べると説明ラーメン魁力屋のブランドサイトによると、魁力屋は京都・北白川で誕生し、2005年に創業しました。創業者は、子どものころ家の近くにあった屋台のラーメンがきっかけで店を始めたと紹介しています。看板商品は「京都背脂醤油ラーメン」で、数種類の醤油をブレンドして熟成させた醤油だれ、低加水の中細ストレート麺、赤身の部位を醤油だれで煮込んで京都らしく薄く切ったチャーシュー、背脂を組み合わせています。麺は全国の指定提携製麺所で魁力屋専用の自家製麺としてつくり、毎日店に配送しているとしています。背脂の量は好みで選べます。企業情報では、本社は京都市中京区、東京本部は千代田区神田松永町で、従業員はパート・アルバイトを含め3,483名(2026年6月末現在)です。2026年10月12日チェーン店どうとんぼり神座:1986年に大阪・道頓堀で1号店。創業者はフレンチレストランのオーナーシェフで、1年半かけてスープを研究。スープとタレのレシピは門外不出、店では社内資格の「スープソムリエ」だけがスープをつくる(公式)株式会社どうとんぼり神座の公式サイトの会社概要と「神座について」によると、1949年に鹿児島県で生まれ、フレンチレストランのオーナーシェフだった創業者の布施正人が、だれも真似できない未体験の味をめざして1年半スープの研究を重ね、1986年に大阪・道頓堀で1号店の道頓堀店を開きました。会社は1995年3月設立で、本社は大阪市北区中之島です。会社によると、スープとタレのレシピはオーナー一族の限られた人たちが管理する門外不出で、厳しい試験に合格した社内資格「スープソムリエ」だけが店でスープづくりにかかわり、注文を受けてから1杯ずつつくっているとしています。麺は中太ストレートのたまご麺で、野菜と米は国産を使っているとしています(一部の季節メニュー・薬味を除く)。神座はお客様に「できません」と言わない「SAY YES」を掲げ、店で子ども食堂を開いたり、食事の無料券を配ったりする取り組みもしているとしています。2026年10月12日チェーン店日本橋天丼 金子半之助:浅草生まれの和食職人・金子半之助の孫が、受け継いだ「閻魔帳(レシピ帳)」の門外不出の丼たれで始めた天丼店。穴子・海老・烏賊・半熟玉子の「江戸前天丼」、丼は底が空洞の有田焼の特注。海外はアメリカ・台湾・香港などにも(公式)日本橋天丼 金子半之助の公式サイトの「金子半之助とは」によると、金子半之助は浅草生まれの実在の人物で、「日本の文化は食にあり」と和食を愛した和食界の重鎮で、戦前に庶民が愛した江戸前の天丼を残すため、若い職人に技術を教え続けたといいます。その孫が受け継いだ閻魔帳(レシピ帳)には門外不出の「秘伝の江戸前の丼たれ」の作り方が書かれていて、この丼たれを使い、試行錯誤のすえにできた天丼で「日本橋 天丼 金子半之助」が誕生しました。天丼のタネは、市場(いまは豊洲)で毎朝仕入れる穴子・海老・烏賊・半熟玉子に野菜などを合わせた「江戸前天丼」で、高温の胡麻油で揚げているとしています。丼は保温のため底に空洞をつくった有田焼の特注品です。カウンターで揚げたてを食べる「天ぷらめし」や、天むす、稲庭うどんの店もあり、海外ではアメリカ、台湾、香港、フィリピン、カナダ、タイなどに店があります。2026年10月12日チェーン店小僧寿し:1964年の「スーパー寿司・鮨桝」から。1972年にフランチャイズ本部を設立し、1977年に1,000店、1981年に2,000店、1979年には加盟店の年間総売上が外食産業の1位に。いまはKOZOホールディングスのグループで、タコベルも(会社公式)KOZOホールディングス株式会社の沿革によると、小僧寿しチェーンの前身は1964年(昭和39年)に出店した「スーパー寿司・鮨桝」で、1968年にフランチャイズ方式を採用しました。1972年に「株式会社小僧寿し本部」を設立して加盟店27店でスタートし、翌年8月に100店、1975年に500店、1977年に1,000店、1981年に2,000店、1987年に2,300店を達成しました。1979年には加盟店の年間総売上が外食産業で1位になり、1991年にはチェーン総売上が1,000億円を突破したとしています。その後、2006年にすかいらーくの連結子会社になり、2012年に商号を株式会社小僧寿しに変更、2022年にメキシカン・ファストフード「Taco Bell」を展開する会社を子会社にし、2024年に持株会社のKOZOホールディングス株式会社を設立しました。本社は東京都中央区日本橋蛎殻町で、東京証券取引所スタンダード市場に上場しています。2026年10月12日チェーン店クリスピー・クリーム・ドーナツ:本社は米国ノースカロライナ州シャーロット、40以上の国と地域で展開。日本は2006年12月に1号店を開き、2026年に20周年。20年間で1,000種以上のドーナツを販売、看板は「オリジナル・グレーズド」(日本法人公式)クリスピー・クリーム・ドーナツ・ジャパンの公式サイトの会社概要によると、クリスピー・クリーム・ドーナツは米国ノースカロライナ州シャーロットに本社を置き、直営店のほか大手小売店とのパートナーシップやデリバリーで40以上の国と地域で事業を展開しています(2025年7月現在)。ブランドを代表するドーナツは「オリジナル・グレーズド」です。日本では2006年12月に1号店を開き、日本法人は2006年6月設立で、本社は東京都渋谷区千駄ヶ谷です。20周年の特設ページによると、日本では20年間で1,000種以上のドーナツを販売してきました。20周年の取り組みとして、日本独自に開発した「クルーラー生地」の商品や、フードロス削減サービス「Too Good To Go」の導入、北海道・東京・名古屋・大阪・福岡の「ご当地クリスピー・クリーム」などを紹介しています。東京国際フォーラム店と渋谷シネタワー店には、ドーナツをつくるようすを見られる「ドーナツシアター」があります。2026年10月12日チェーン店麺屋武蔵:1996年5月創業の東京のラーメン店。総本店は1998年6月に開いた新宿の「創始 麺屋武蔵」で、動物系と魚介系のダブルスープ。店ごとに「二天」「武骨」「虎洞」「鷹虎」など名前と味がちがう(公式)株式会社麺屋武蔵の公式サイトによると、麺屋武蔵は1996年5月に創業したラーメン専門店で、本社は東京都新宿区西新宿です。武蔵グループの総本店は1998年6月に開いた新宿の「創始 麺屋武蔵」で、鶏ガラと豚骨の動物系スープと、かつお節・煮干しの魚介系スープを合わせたダブルスープだとしています。店ごとに屋号と味がちがい、御徒町の「武骨」(2003年12月、豚骨スープの黒・白・赤の3色)、吉祥寺の「虎洞」(2005年2月、自家製チャーシューソーセージ)、高田馬場の「鷹虎」(2007年2月、つけ麺)、神田の「神山」(2009年2月、蒲焼きチャーシュー)、秋葉原の「武仁」(2009年6月)や「巌虎」(2010年3月、チャーシューベーコン)、六本木の「虎嘯」(2011年9月、閉店した創業の店「青山」の1996年のレシピをもとにした店)、池袋の「二天」(2012年9月、豚天・鶏天)などがあります。2025年8月には田町(三田)に家族向けの「道貫」を開きました。2026年10月12日チェーン店ミカド珈琲:1948年、戦争の傷跡が残る東京・日本橋で創業。豆をドラム缶で炒り、高価だったコーヒーを立ち飲みで広めた。名前はオペラから。軽井沢にも直営店、工場は埼玉県三郷市(会社公式)株式会社ミカド珈琲商会の公式サイトの「ミカド珈琲について」と会社概要によると、ミカド珈琲は1948年(昭和23年)4月1日に、創業者の金坂景助が東京・日本橋で開業しました。金坂は銀座の輸入商社に勤めていた関係でコーヒーと出会い、仕入れた豆をドラム缶で炒ってコーヒーをつくりはじめると、当時は珍しい作業で見物客が集まったといいます。当時コーヒーは高価な飲み物でしたが、広く飲んでほしいという思いから立ち飲み方式を始め、会社は「スタンドコーヒーの元祖」としています。社名は、日本人がつくるコーヒーが世界に通用する味をつくる会社という志のもと、金坂がかつて見たオペラから着想した「MIKADO」です。会社はコーヒーの味のなかでも特に「酸味」を大切にしているとしています。会社の設立は1958年、本社は東京都港区三田、焙煎工場は埼玉県三郷市で、日本橋本店や軽井沢の直営店があります。2026年10月12日チェーン店モロゾフ:1931年8月、神戸トアロードのチョコレートショップから。チーズケーキは1969年に当時の社長がベルリンで食べた「ケーゼクーヘン」から生まれ、1970年代のチーズケーキブームの火付け役に。ガラス容器のカスタードプリンは誕生から60年(公式)モロゾフ株式会社の公式サイトによると、モロゾフは1931年8月、神戸トアロードのチョコレートショップから始まりました。看板のひとつのチーズケーキは、1969年春に当時の社長の葛野友太郎が視察先のベルリンのカフェで食べた「ケーゼクーヘン(ドイツ語でチーズケーキ)」がきっかけで、デンマーク産のクリームチーズを使い、レモンでさわやかに仕上げたものが発売後しばらくして大ヒットし、会社は1970年代にモロゾフが火付け役となってチーズケーキブームが起きたとしています。2004年にはクリームチーズを増やし、商品名を「デンマーククリームチーズケーキ」に変えました。カスタードプリンは誕生から60年で、牛乳・卵・砂糖とわずかなバニラの香料で、保存料を使わずにガラス容器で蒸し焼きにしているとしています。焼き菓子の「ファヤージュ」は1986年発売のロングセラーです。海外では香港・台湾・カンボジアに店舗があります。2026年10月12日チェーン店ピザハット(日本):1958年にアメリカ・カンザス州で誕生。看板に8文字しか入らず、山小屋のような建物から「Pizza Hut」に。日本は1973年に進出し、1号店は東京・茗荷谷のレストラン形式の店日本ピザハットの公式サイト「ピザハットの歴史」「会社概要」によると、ピザハットは1958年、フランクとダンのカーニー兄弟がアメリカ・カンザス州ウィチタで始めました。看板に8文字しか入らず、「Pizza」のあと3文字しか使えなかったため、建物が山小屋に似ていたことから「Hut」を加えて「Pizza Hut」にしたと説明しています。いまは世界100以上の国と地域に約2万店舗があるとしています。日本には1973年に進出し、1号店は東京の「茗荷谷店」で、当時はパスタやピラフも出すレストラン形式の店でした。会社は、「特うまプルコギ」は世界のピザハットで日本が初めて発売した商品で、生地の「みみ」にチーズやソーセージを入れたメニューを日本で最初に展開したのもピザハットだと説明しています。運営会社の日本ピザハット・コーポレーションは1973年9月創業、本社は横浜市西区みなとみらいです。2026年10月12日チェーン店ポンパドウル:1969年11月29日、横浜・元町に1号店。売り場のコンセプトは「思い切り高級で優雅な欧風ベーカリー」。赤い「ポンパドウル・レッド」の袋で知られ、売り場にパン工房を併設ポンパドウルの公式サイト「企業情報」によると、ポンパドウルの1号店は1969年(昭和44年)11月29日、横浜・元町に開きました。西洋文化が最初に入ってくる、おしゃれでエキゾチックな街として元町を選んだと説明しています。売り場のイメージは「思い切り高級で優雅な欧風ベーカリー」で、1号店は初日から大盛況になり、元町の通りには“ポンパドウル・レッド”の袋を持つ人々があふれたと紹介しています。売り場に併設したパン工房、粉から仕込む製法、ヨーロッパの職人から受け継いだフランスパンとデニッシュの技術といった「上質へのこだわり」を表したのが、赤いパッケージだとしています。本社は横浜市中区元町で、グループには株式会社東京ポンパドウルなどがあります。2026年10月12日チェーン店ポムの樹:オムライス専門店。1990年に会社を設立、1994年10月から創作オムライス「ポムの樹」を展開し、2004年に100店舗。オムライスだけで200種類以上。いまの本社は鹿児島県姶良市(ポムフード公式)株式会社ポムフードの公式サイトの沿革と社長メッセージによると、ポムフードは1990年4月16日に設立され、1994年4月にフランチャイズ事業を始め、1994年10月から創作オムライスの「ポムの樹」などを順次展開しました。2001年に株式会社ポム・ド・テールを吸収合併し、2004年10月に直営店とフランチャイズ店をあわせて100店舗を達成しました。本社は大阪市内を移ったあと、2009年11月に鹿児島県姶良市加治木町に移りました。会社は、半熟卵でライスを包む「巻き」の技術、ライスとソースの組み合わせでオムライスだけで200種類をこえるバリエーション、卵を厳選する素材へのこだわりの3点を特徴に挙げ、オムレツ・オムライスのレストラン業界で国内トップのシェアだとしています。2018年4月には東京大学本郷キャンパスの中央食堂に「ポムの樹 EXPRESS いちょう」を出店しました。2026年10月12日チェーン店来来亭:1997年3月に滋賀県野洲市で1号店。ラーメンは「京都風醤油味の鶏ガラスープ」に背脂を浮かせ、細麺。麺の堅さ・醤油の濃さ・背脂の量・ネギの量・チャーシューの赤身か脂身まで、注文のときに選べる来来亭の公式サイト「会社概要」によると、来来亭は1997年(平成9年)3月に1号店の野洲店を開き、1999年12月に有限会社やる気を、2002年11月に株式会社来来亭を設立しました。本社は滋賀県野洲市です。「来来亭について」では、ラーメンは京都風醤油味の鶏ガラスープに背脂をたっぷり浮かせているのが特徴で、麺はコシのある細麺だと説明しています。注文のときに、麺の堅さ、醤油の濃さ、背脂の量、一味唐辛子を抜くかどうか、ネギの量、チャーシューの赤身・脂身を好みで選べます。はじめての客には、まず醤油味のラーメンをすすめています。2026年10月12日チェーン店ロイズ:1983年に札幌市東区で創業した北海道のチョコレート会社。1995年に生チョコレートを通年販売、2002年にポテトチップチョコレート。直営店は北海道内だけで、道外はオンラインショップや百貨店の催事。2011年に新千歳空港に「チョコレートワールド」(公式)ロイズ(株式会社ロイズコンフェクト)の公式サイトの「ロイズのお話」によると、ロイズは「北海道の地で本場・ヨーロッパに負けないチョコレートをつくりたい」という思いから、1983年に札幌市東区で創業しました。1985年に第1号商品の板チョコレート、1992年に直営1号店(東苗穂店)とクッキー、1993年に通信販売を始め、1995年に看板商品の生チョコレートの通年販売を始めました。1999年に工場を当別町に移し、2001年にシンガポールで海外1号店、2002年にポテトチップチョコレートを発売、2011年に新千歳空港に工場・ミュージアム・ショップをそなえた「ロイズ チョコレートワールド」を開き、2012年にニューヨーク1号店を出しました。2014年にはコロンビアに自社のカカオ農園をつくりました。直営店は北海道内だけで、道外へはオンラインショップなどの通信販売と、期間限定の百貨店催事で届けているとしています。2026年10月12日チェーン店シェイクシャック:ニューヨーク発のハンバーガー。日本1号店は2015年11月13日の「外苑いちょう並木店」。運営はサザビーリーグ系のアイビーカンパニーで、アフタヌーンティーやKIHACHIと同じグループ(会社公式)シェイクシャック日本公式サイトの「Stand For Something Good」によると、シェイクシャックの日本1号店は2015年11月13日に開いた「シェイク シャック 外苑いちょう並木店」で、当時はニューヨーク発の「黒船バーガー」と呼ばれて話題になったとしています。会社は、パティにホルモン剤を使わずに人の手で飼育されたアンガスビーフ100%を使い、店舗ごとの限定コンクリートの売上の5%をチャリティーパートナーに寄付するなどの取り組みを紹介しています。運営するアイビーカンパニー株式会社の沿革によると、原点は1972年創業の株式会社サザビー(現サザビーリーグ)で、1981年に「Afternoon Tea」、1987年にレストラン「KIHACHI」を始め、2015年に「Shake Shack」が加わりました。アイビーカンパニーは2023年12月にサザビーリーグから分社し、本社は東京都渋谷区千駄ヶ谷、店舗数は122店舗(2024年3月末、全ブランド)です。2026年10月12日チェーン店柴又・帝釈天参道の「高木屋老舗」:参道の両側に建つ木造瓦ぶきの建物は明治と大正の建築。名物は「草だんご」で、江戸時代の農家の娘たちの贈り物から生まれた風習と説明。店内には渥美清さんや山田洋次監督の写真高木屋老舗の公式サイト「高木屋老舗紹介」によると、同店は柴又帝釈天の参道の途中にあり、参道をはさんで両側に建つ木造瓦ぶきの建物は、明治と大正時代に建てられたものです。おみやげなどを売る店と喫茶店の2店舗があり、店内の壁には故・渥美清さんや山田洋次監督、歴代のマドンナの写真を飾っています。名物の「草だんご」について、江戸時代このあたりは武州葛西領と呼ばれる一面の田畑で、農家ではよもぎを団子につきこんで食べ、武家屋敷や大商家へ行儀見習いに行った農家の娘たちが主人の家への贈り物にしたという風習から生まれたと説明しています。高木屋では求肥餅や瓦せんべい、塩せんべいなどを売っていたころから草だんごも売り始め、百年あまりたったいまでは「東京唯一の名物」として親しまれているとしています。2026年10月12日チェーン店東京會舘:1922年11月1日に「誰もが利用できる社交場」として開業。1934年に会社のいう日本初の鮮魚介料理店「プルニエ」、1950年ごろに「マロンシャンテリー」、1956年に「ガトー」。2019年に三代目本舘東京會舘の公式サイト「ヒストリー」によると、東京會舘は1922年(大正11年)11月1日に、「世界に誇る施設ながら、誰もが利用できる人々が集う社交場」をめざして開業しました。1923年の関東大震災で休館し、営業再開まで4年かかりました。1934年には、会社のいう日本初の鮮魚介料理店「プルニエ」が生まれました。戦時中は「大東亜会館」と改称され、1945年からはGHQの接収を受けて1952年まで将校クラブとして使われました。1950年ごろには初代製菓長の勝目清鷹が、モンブランをもとに日本人向けにアレンジした「マロンシャンテリー」を生み出し、1956年には持ち帰り用のクッキー「ガトー」が生まれたと説明しています。1955年に日本初の本格フランス料理スクールを開いたとしています。1971年に谷口吉郎設計の二代目本舘、2019年に三代目本舘を新築し、2022年に100周年を迎えました。2026年10月12日チェーン店とんかつ和幸:1958年12月、川崎駅ビルの地下に1号店。1959年にみそ汁を「しじみのみそ汁」に、1960年に「ご飯」「キャベツ」のおかわりサービスを始めた。1996年に200店舗、社是は「誠実」和幸グループの公式サイト「会社情報」によると、とんかつ和幸は1958年(昭和33年)10月に神奈川県川崎市で和幸商事を設立し、同年12月に川崎駅ビルの地下に1号店を出しました。沿革では、1959年にみそ汁を「しじみの味噌汁」に変え、1960年に「ご飯」「キャベツ」のおかわりサービスを始めています。1970年の大阪万博に出店し、同じ年に社是「誠実」を定めました。1977年には藤沢の江ノ電百貨店にテイクアウトの1号店、1996年にグループの店舗数が200店舗、2001年に年間売上高が200億円をこえ、2008年には中国・成都に海外1号店を出しています。社長あいさつでは、首都圏を中心に駅ビル、百貨店、ショッピングセンターなどに出店し、定期的に調理技能検定試験を行っていると説明しています。本社は川崎市幸区です。2026年10月12日チェーン店築地玉寿司:1924年(大正13年)、関東大震災の翌年に築地で創業。東京大空襲で全焼した焼け跡から再開し、1967年に渋谷東急ビルに支店1号店。1971年に「末広手巻き」。2024年に創業100周年、いまは30店舗(公式)株式会社玉寿司の公式サイトの「玉寿司物語」と会社概要によると、築地玉寿司は1924年(大正13年)、初代の中野里栄蔵が関東大震災の翌年に築地で「玉寿司」を創業したのが始まりです。1945年に初代が亡くなり、妻のこと(2代目)が店を引き継ぎ、東京大空襲で全焼した焼け跡で食料品を売って1946年に営業を再開しました。1965年に株式会社玉寿司を設立し、1967年に渋谷東急ビル(のちの東急プラザ)に支店1号店を出して店名を「築地玉寿司」に変えました。1971年には「末広手巻き」が生まれ、銀座コアに均一料金の明瞭会計の店を出しました。2017年には社内教育の「玉寿司大学」を開校し、2024年3月15日に創業100周年を迎え、浅草に「にぎり体験専門店」を開きました。会社のマークは「たま」(円)の中にひらがなの「す」が4つで「たまずし」を表しているとしています。本社は東京都中央区築地で、店舗数は30店舗です。2026年10月12日チェーン店つるとんたん:1989年に大阪・宗右衛門町で誕生したうどん店。起源は香川出身の創業者が1978年に大阪で開いた手打ちうどん「本家さぬき」。名前は鶴・飩・啖から。2005年に六本木店、2016年にニューヨークへ(公式)つるとんたん公式サイトの「つるとんたんについて」によると、香川県で生まれ育った創業者の加藤精一が、当時大阪では一般的でなかったコシのある本格手打ちうどんの店「本家さぬき」を1978年に開業したのが起源で、讃岐うどんの製法を大阪文化と融合させた「つるとんたん」が1989年に大阪・宗右衛門町に誕生しました。名前は、お祝い事を表す瑞鳥の「鶴(つる)」、うどんの起源を思わせる温飩の「飩(とん)」、健康にたくさん食べる健啖家の「啖(たん)」の3つの意味からなるとしています。出汁は北海道利尻の昆布と鹿児島枕崎の鰹節で、麺は店ごとに打ちたて・切りたて・湯がきたてだとしています。東京では2005年に六本木店、2006年に新宿店、2010年に羽田空港店、2016年に銀座、2019年に渋谷に開き、海外では2016年にニューヨークのユニオンスクエア、2018年にハワイ、2020年にボストンに出店しました。2026年10月12日チェーン店ヴィ・ド・フランス:1983年、山崎製パンの事業部として東京に1号店。パン屋にカフェをつけた「ベーカリーカフェ」として始まり、いまは複数ブランドで約210店舗。2001年に分社、2007年に「デリフランス」も(会社公式)株式会社ヴィ・ド・フランスの公式サイトの会社概要と沿革によると、ヴィ・ド・フランスは1983年、フランスの製粉会社グラン・ムーラン・ド・パリ社との技術提携により、山崎製パンのヴィ・ド・フランス事業部として発足し、同じ年に東京都で1号店を開きました。会社は、日本でベーカリーにカフェスペースを併設した「ベーカリーカフェ」という新しい業態を始めたとしています。2001年に山崎製パンから分社して株式会社ヴィ・ド・フランスを設立し、2007年にはフランスのデリフランス社とのライセンス契約で「デリフランス」の1号店を開きました。2008年に年間売上高300億円、2009年に総店舗数200店舗を達成し、いまは複数のブランドで約210店舗です。山崎製パンが100%の株主で、本社は東京都江戸川区西葛西にあります。ブランド名は「フランスの生活」という意味で、毎月新商品を出しているとしています。2026年10月12日チェーン店A&W(沖縄):1919年にアメリカで生まれたルートビアの店。沖縄では日本復帰前の1963年11月1日、嘉手納の近くに屋宜原店をドライブインとして開店。ルートビアは全店で毎日おかわり無料エイアンドダブリュ沖縄の公式サイトの「HISTORY」によると、A&Wの始まりは1919年のアメリカ・カリフォルニア州で、薬局の店員だったロイ・アレンが薬草の樹脂や根のエッセンスを調合した飲み物が、1919年6月20日に街角のジューススタンドで売られるようになったことでした。禁酒法の時代にノンアルコールのルートビアは大人気となり、1922年に2人の名字の頭文字から「A&W ROOT BEER」と名づけて会社を設立しました。沖縄では、日本復帰前の1963年11月1日に嘉手納の近くに屋宜原店をドライブインレストランとして開き、1973年12月25日にいまのエイアンドダブリュ沖縄株式会社を設立しています。2026年10月10日チェーン店AFURI:名前は神奈川県の大山(通称・阿夫利山)から。ふもとの水をスープの仕込み水に使ったのが由来。スープやタレ、チャーシューは清川村のセントラルキッチンで仕込み、各店で調理。看板は柚子を使ったらーめんAFURIの公式サイト「AFURIとは?」によると、「AFURI」という名前は、神奈川県丹沢山系の東端にある大山(通称・阿夫利山)に由来し、阿夫利山のふもとで得られる清らかな水をスープの仕込み水に使ったことから名づけられました。会社は、阿夫利山は「雨降山(あめふりやま)」とも呼ばれ、五穀豊穣の願いを託される神の山で、江戸時代には年間数十万人もの参拝者が訪れたといわれると紹介しています。らーめんは、神奈川県愛甲郡清川村のセントラルキッチンで、国産の丸鶏、魚介、香味野菜などからスープを炊き、塩ダレ・醤油ダレやチャーシューも仕込み、各店舗で調理しています。英語の説明では、看板のらーめんに柚子(ゆず)を使っていると紹介しています。2026年10月10日チェーン店赤坂柿山:1971年設立のあられ・おかきの専門店。総本店は赤坂山王下、工場は富山県南砺市。富山特産の「新大正もち米」が主原料と説明。「おかき」と「あられ」はもち米、「お煎餅」はうるち米赤坂柿山の公式サイト「会社概要」「おかきのこと」「赤坂柿山のこだわり」によると、株式会社赤坂柿山は1971年2月に設立された、あられ・おかき(米菓)の専門店です。総本店は港区赤坂の山王下にあり、工場は富山県南砺市です。都内外の駅ビルや百貨店にも店があり、社員数は160人と紹介しています。主原料は富山県特産の「新大正もち米」で、全国のもち米生産量のわずか1%強という希少なものだと説明しています。「おかき」と「あられ」はもち米から、「お煎餅」はうるち米からつくったもので、業界では一般に、大きいものが「おかき」、小さくてコロコロしたものが「あられ」と言われているとしています。2026年10月10日チェーン店アンデルセン:1948年、広島市で4人で始めたパン屋から。1962年にデニッシュペストリーを発売、1967年に広島に「アンデルセン」を開き、パンのセルフサービス方式を導入。1970年に東京・南青山に青山アンデルセンアンデルセングループの公式サイト「アンデルセングループのあゆみ」によると、1948年に広島市比治山本町で高木俊介・彬子夫妻と従業員2人の4人で創業しました。1959年に創業者が初めて欧米を視察してデニッシュペストリーと出会い、1962年に株式会社タカキベーカリーに改名してデニッシュペストリーを発売。1967年に広島に、デンマークにアイデンティティを求めたベーカリーとレストランの複合店「アンデルセン」を開き、会社のいう「日本で初めて」のパンのセルフサービス方式を導入しました。1970年には東京都港区南青山に「青山アンデルセン」を開店(2017年7月閉店)。1972年には冷凍パン生地の製法に関する特許を取り、その後すぐに公開しています。2026年10月10日チェーン店浅草今半:1895年、岡山から上京した髙岡伴太郎が63歳で本所吾妻橋に牛鍋屋を開いたのが始まり。1913年に浅草雷門で「今半」、1928年に今の場所に「浅草今半」。1945年に牛肉佃煮を考案浅草今半の公式サイト「会社案内」の沿革によると、明治28年(1895年)4月、岡山から上京した創業者の髙岡伴太郎が、畜産の仕事に着目し、63歳で本所吾妻橋に牛鍋屋を開きました。大正2年(1913年)に二代目が浅草雷門で遠縁の人と共同経営で「今半」を開き、昭和3年(1928年)に分離独立して現住所に「浅草今半」を開店しました。昭和20年(1945年)には三代目が牛肉佃煮を考えて浅草みやげとして売り出し、昭和27年(1952年)に人形町支店(のちに分離独立)を開いています。昭和30年(1955年)には、すき焼のおみやげ用として「牛丼」が生まれました。いまは「株式会社今半」と「株式会社高伴」の2社で浅草今半グループをつくり、すき焼割烹と、佃煮・弁当などの製造販売を営んでいます。2026年10月10日チェーン店文明堂:1900年、長崎で創業。1922年に東京へ進出し、百貨店で目の前でカステラを詰める「実演販売」。1937年に「カステラ一番、電話は二番」が誕生。東京進出を進めたのは宮﨑甚左衛門文明堂東京の公式サイト「文明堂カステラヒストリー」によると、文明堂は1900年(明治33年)、中川安五郎が長崎で創業しました。弟の宮﨑甚左衛門は1916年に佐世保で独立し、1922年に東京の百貨店に出店。箱の中身が見えない不安をなくすため、お客さんの目の前でカステラを詰める「実演販売」を行い、会社は「日本で最初」と説明しています。1923年には電気釜を開発しましたが、同じ年の関東大震災で店が全焼。麻布で再び店を開き、1933年から新宿・神戸・横浜・銀座に自社の売店を出しました。1937年には「カステラ一番、電話は二番」のキャッチフレーズが生まれ、各地の電話局の「2番」をそろえたといいます。2026年10月10日チェーン店シャトレーゼ:1954年、山梨県甲府市の今川焼き風のお菓子「甘太郎」の店から。1964年にアイス、1967年に「シャトレーゼ」となりシュークリームの生産を始める。2024年に国内外1,000店舗シャトレーゼの公式サイトの沿革によると、創業は1954年(昭和29年)で、今川焼き風のお菓子「甘太郎」の店を山梨県甲府市に出し、山梨・長野で10店のチェーンにしました。1964年に「大和アイス株式会社」を設立してアイスクリームに参入し、主力商品となるシュークリームの研究開発を始めます。1967年に2社を合併して「株式会社シャトレーゼ」となり、シュークリームの生産を開始。1975年から首都圏でフランチャイズによる洋菓子専門店を展開し、1984年には甲府市に洋菓子の単独工場として「東洋一」とされる中道工場を完成させました。2024年に国内外1,000店舗目(国内820・海外180)を開いています。2026年10月10日チェーン店すし銚子丸:千葉市に本部がある回転寿司。1977年設立。目の前で職人がにぎる「劇場型」の回転寿司をかかげ、従業員を「劇団員」とよぶ。店舗は92店(2026年7月24日現在)株式会社銚子丸の公式サイト「会社概要」によると、銚子丸は1977年(昭和52年)11月に設立され、本部は千葉県千葉市美浜区にあります。会社は、豊洲市場や各地の漁場から店舗に直送された魚をさばき、お客さんの目の前で職人が寿司をにぎる「技術力と人財力」、回転寿司の中でも劇場型エンターテインメント性をもつ「ライブ型ビジネスモデル」を強みとしてあげ、従業員を「劇団員」とよんでいます。店舗数は92店舗(2026年7月24日現在)で、「すし銚子丸」のほか「すし銚子丸 雅」「江戸前すし百萬石」「鮨Yasuke」などのブランドがあります。2026年10月10日チェーン店榮太樓總本鋪:1818年(文政元年)、飯能の菓子商・細田徳兵衛が江戸の九段坂に「井筒屋」。日本橋の屋台の金鍔が評判になり、1857年(安政4年)に「榮太樓」を名のる。梅ぼ志飴や甘名納糖を生む榮太樓總本鋪の公式サイト「榮太樓の200年史」によると、文政元年(1818年)、埼玉県飯能で菓子商をしていた細田徳兵衛が孫を連れて江戸に出て、九段坂に「井筒屋」を構えました。徳兵衛の曾孫にあたる3代目の細田安兵衛(幼名・栄太郎)が日本橋のたもとに屋台を開き、焼いた金鍔が魚河岸の商人たちの評判になりました。安政4年(1857年)に日本橋西河岸町に独立した店を構え、幼名にちなんで屋号を「榮太樓」と改めました。安政年間に「梅ぼ志飴」、文久年間に「甘名納糖」、明治に「玉だれ」「黒飴」を作っています。東京大空襲で日本橋の店舗・工場が焼けましたが戦後すぐに再建し、1951年には東急東横のれん街の設立に力を尽くし、1962年に創業の地・日本橋に栄太楼ビルを建てました。2026年10月10日チェーン店不二家:1910年、横浜・元町の洋菓子店から。創業の翌月にクリスマスケーキ、1922年にショートケーキ、1950年にペコちゃん誕生、1951年にミルキー、1984年にカントリーマアム不二家の公式サイト「不二家の歴史」によると、1910年(明治43年)11月、藤井林右衛門(25歳)が横浜市元町に洋菓子店を開き、12月にクリスマスケーキを発売しました。1914年には隣に喫茶店「ソーダ・ファウンテン」を開き、1922年にはショートケーキを発売。1923年の関東大震災で元町・伊勢佐木町・銀座の店を失いましたが、1925年に再開しています。戦後は1950年にキャラクター「ペコちゃん」が生まれ、1951年に「ミルキー」、1962年に「ルック」、1964年に「ネクター」、1968年に「ホームパイ」、1984年に「カントリーマアム」を発売。1963年にフランチャイズ1号店、1978年にロードサイドレストランの1号店を開きました。2026年10月10日チェーン店船橋屋:1805年(文化2年)、下総国船橋出身の勘助が亀戸天神の参道で創業。関東の「くず餅」は葛ではなく小麦澱粉が原料で、船橋屋は15か月かけて乳酸菌で発酵させる。看板は吉川英治の書船橋屋の公式サイト「船橋屋について」「会社情報」「元祖くず餅について」によると、船橋屋は文化2年(1805年)、十一代将軍徳川家斉のころ、下総国(千葉県北部)の船橋出身の初代・勘助が亀戸天神の参道に創業しました。屋号は出身地の地名からとっています。勘助は、湯で練った小麦澱粉をせいろで蒸し、黒蜜ときな粉をかけた餅を作り、それが「くず餅」と呼ばれて江戸の名物になったと会社は説明しています。関東のくず餅は、葛を原料とする関西の葛餅とちがって小麦澱粉が原料で、船橋屋は小麦澱粉を15か月間、乳酸菌で発酵させて熟成させています。戦災で本店は焼けましたが、1952年に有限会社となり、1953年に亀戸天神前本店が完成しました。本店の看板は吉川英治が書いたものだと紹介しています。2026年10月10日チェーン店舟和:1902年、浅草の芋問屋だった小林和助が「羊羹司舟和」を創業。高価な煉ようかんの代わりに、庶民が食べられる「芋ようかん」を考案。1903年に「みつ豆ホール」を開き、会社は「みつ豆の元祖」と説明舟和の公式サイト「舟和の歴史」「芋ようかんと舟和」によると、浅草寿町で芋問屋を営んでいた創業者の小林和助が、当時は高価で庶民の口に入らなかった煉ようかんの代わりにと芋ようかんを考え、明治35年(1902年)10月、浅草1丁目に「羊羹司舟和」を創業しました。明治36年(1903年)には「みつ豆ホール」を開き、子どものおやつだったみつ豆に色あざやかなフルーツを盛りつけて出しました。会社は、喫茶店で初めてみつ豆を出したことを「舟和がみつ豆の元祖」たる理由と説明しています。1945年の戦災で約1年間閉店したあと、1946年5月に本店を再開し、1952年には芋ようかんが東京都観光協会の観光土産品に推奨されました。芋ようかんは、さつま芋と砂糖と少量の食塩で作り、着色料・保存料・香料は使っていないと説明しています。2026年10月10日チェーン店元気寿司・魚べい:1968年12月、栃木県の東武宇都宮駅前で1号店。1990年に「元気寿司」に、1993年のハワイを皮切りに海外へ。2009年に魚べい1号店(川越)、2012年には回転しない寿司の渋谷道玄坂店株式会社Genki Global Dining Concepts(旧・元気寿司株式会社)の沿革によると、創業は1968年12月で、東武宇都宮駅前に1号店を出しました。1979年に宇都宮市で会社を設立し、1990年に「元気寿司株式会社」に商号を変え、「元気寿司」の商標で営業を始めました。1993年にハワイ1号店、2008年に米国本土1号店を開き、2013年に海外100店舗、2020年に海外200店舗を達成しています。2009年9月には「魚べい」の1号店(川越店)、2012年7月には回転しない寿司の1号店「魚べい渋谷道玄坂店」を開きました。2024年8月1日に、社名をGenki Global Dining Conceptsに変えています。2026年10月10日チェーン店築地銀だこ:2026年3月14日に創業29周年。運営会社ホットランドの設立は1991年。外はパリッ、中はトロッ、たこはプリッの「ぜったいうまい!!たこ焼」が創業以来人気No.1。2009年からは「銀だこハイボール酒場」も築地銀だこの公式サイトによると、築地銀だこは2026年3月14日に創業29周年を迎え、毎年「大創業祭」を開いています。運営するホットランド(いまは持株会社のホットランドホールディングス)の設立は1991年6月です。看板は、外がパリッと、中がトロッと、たこはプリッと焼き上げた「ぜったいうまい!!たこ焼」で、公式の発表では「創業以来人気No.1」と書かれています。2004年には香港から海外に進み、2009年には東京・新宿歌舞伎町に「銀だこハイボール酒場」の1号店を開きました。2025年4月には持株会社の体制に移っています。2026年10月10日チェーン店銀座コージーコーナー:1948年、銀座六丁目に1号店。1963年に初めての大規模な洋菓子工場、1974年に全国の百貨店へ。1985年に「ジャンボシュークリーム」。2008年からロッテホールディングスのグループ会社銀座コージーコーナーの公式サイト「歴史・沿革」によると、1948年(昭和23年)に創業し、銀座六丁目に1号店を開きました。1955年に法人化し、1963年には初めての大規模な洋菓子工場が誕生。1974年に全国の有名百貨店に出店し、1980年には赤坂見附店や横浜店などを開いて首都圏に広がりました。1985年には「ジャンボシュークリーム」が、会社のいう「空前の大ヒット商品」となり、1989年には「ジャンボプリン」もヒット。2006年には「小犬サブレ」の姉妹品「小ねこサブレ」を発売しています。2008年に株式会社ロッテホールディングスのグループ会社となり、2023年に創業75周年を迎えました。2026年10月10日チェーン店銀座菊廼舎:1890年(明治23年)、井田銀次郎が銀座尾張町で「歌舞伎煎餅」を売り出したのが始まり。大正後期に二代目が干菓子をもとに「冨貴寄(ふきよせ)」を考案。本店はギンザコアの地下1階銀座菊廼舎の公式サイト「菊廼舎の歴史」によると、同店は明治23年(1890年)に、井田銀次郎が銀座尾張町で歌舞伎煎餅を売り出したのが始まりです。大正後期には、二代目が茶の席の干菓子を糸口に、登録商標「冨貴寄(ふきよせ)」を考案しました。戦争の時代をしのいだ三代目は銀座5丁目のあづま通りで商いをし、ギンザコアの建設以降は、その地下1階に本店を構えています。現在は五代目で、創業以来約130年になると説明しています。理念は「心やすらぐ おいしいものを」で、伝統に甘んじず革新を恐れないことが、百年以上商いを続けられた理由だとしています。2026年10月10日チェーン店銀座ライオン(サッポロライオン):1899年8月4日、銀座の新橋際に日本初のビヤホール「恵比壽ビヤホール」。1934年開店の「ビヤホールライオン銀座七丁目店」は現存する最古のビヤホールで、開業以来ほとんど変わらない姿サッポロライオンの沿革によると、創業日は1899年(明治32年)8月4日で、この日、銀座の新橋際(いまの銀座八丁目)に日本初のビヤホール「恵比壽ビヤホール」が開きました。1日の来客は平均800人に達したといいます。1911年には銀座尾張町角に「カフェー・ライオン」が開店。1934年4月には、菅原栄蔵の設計で建てられた大日本麦酒の本社ビルの1階に「銀座ビヤホール」が開き、いまの「ビヤホールライオン銀座七丁目店」として、現存する最古のビヤホールとなっています。1936年に大日本麦酒から外食部門が独立し、1979年に社名が「サッポロライオン」になりました。2026年10月10日チェーン店銀座天國:1885年(明治18年)、銀座3丁目の小さな屋台から。当時の天ぷらは指でつまむファストフード。1924年に銀座8丁目へ、マッチの「ギンブラニテンプラ」が合言葉に。1985年に創業100年銀座天國の公式サイト「天國の歴史」によると、天國は明治18年(1885年)、銀座3丁目に小さな屋台店として始まりました。当時の天ぷらはいまでいうファストフードで、揚げたてを並べるそばから客が指でつまんで食べたといいます。大正13年(1924年)2月に銀座通り沿いの8丁目角に出店し、「新橋天國」とも呼ばれ、魚河岸に通う人たちにボリュームのある天丼が評判になりました。店が配ったマッチの文句「ギンブラニテンプラ・テンクニノテンプラ」は銀ブラ族の合言葉になったと紹介しています。昭和5年(1930年)に木造2階建ての新店舗を建て、東京大空襲では焼け残り、1947年に再開しました。1984年に地上8階の本店ビルが完成し、1985年に創業100周年、2020年に本店が移転しています。2026年10月10日チェーン店ガスト:バブル崩壊後の不況の中、1992年3月に東京都小平市で1号店。すかいらーく再生の「戦略的ブランド」になり、2003年には直営レストランとして世界初の1,000店舗。いまは1,202店すかいらーくホールディングスの歴史・沿革によると、バブル経済が崩壊して不況という試練が訪れるなかで生まれたのが「ガスト」で、すかいらーくが再生するための大きな戦略的ブランドに成長しました。1号店は1992年3月の小平店(東京都小平市)。1998年に宅配の実験を始め、2001年12月に沖縄県の那覇新都心店で全国47都道府県に出店し、2003年11月に八王子寺町店で1,000店を達成、沿革は「直営レストランとしては世界初の1,000店舗」と書いています。2010年には「ステーキガスト」も生まれました。ガストの店舗数は1,202店(2026年9月30日現在)です。2026年10月10日チェーン店ぎょうざの満洲:1964年、埼玉県所沢市で「満洲里」として創業。1977年に屋号を「ぎょうざの満洲」に。合言葉は「うまい 安い 元気で 三割うまい!」。直営104店舗、餃子は自社工場で作る株式会社ぎょうざの満洲の会社概要によると、1964年に所沢市緑町で「満洲里」として創業し、1972年に有限会社満洲飯店を設立、1977年に屋号を「ぎょうざの満洲」にしました。1984年に餃子製造機と製麺機をそなえた製造工場を開き、2005年には坂戸工場で日産15万食が可能になりました。2012年に大阪に初出店、2015年には麺の小麦を国産にしています。直営店舗は104店舗(2026年4月現在)、年商102億円(2025年6月期)。こだわりのページには「うまい 安い 元気で 三割うまい!」という言葉が並んでいます。2026年10月10日チェーン店羽二重団子(日暮里・芋坂):1819年(文政2年)に初代庄五郎が「藤の木茶屋」を開き、きめ細かく羽二重のような団子が店名に。生醤油の焼き団子と漉し餡団子の2種類。漱石『吾輩は猫である』にも「芋坂の団子」羽二重団子の公式サイト「羽二重団子の由来」によると、文政2年(1819年)、初代庄五郎が音無川のほとりの芋坂(いまの場所)に「藤の木茶屋」を開き、街道を行き来する人々に団子を出しました。この団子がきめ細かく羽二重のようだとほめられ、それがそのまま菓子の名になり、いつしか店の名前も「羽二重団子」になったと説明しています。米の粉をついて丸め、平たく串にさした団子で、生醤油の焼き団子と、渋抜きの漉し餡団子の2種類を売っています。公式サイトは、夏目漱石の『吾輩は猫である』に「芋坂の団子屋」が出てくると紹介しており、青空文庫の本文でも「芋坂へ行って団子を食いましょうか」という台詞が確かめられます。本店は日暮里駅の近くで、駅前やエキュート日暮里にも店があります。2026年10月10日チェーン店箱根そば:小田急沿線を中心にした立ち食いの「スタンドそば店」。運営は小田急レストランシステムで、会社の始まりは1957年設立の「箱根開発」。看板は「不動の人気商品」のかき揚げ天そば小田急レストランシステムの公式サイトによると、「箱根そば」は小田急沿線を中心に展開するスタンドそば店で、そばは生麺を茹で上げ、だしの効いたやさしい味わいのつゆを使い、かき揚げはひとつひとつ手揚げしていると紹介されています。「箱根そばといえば、やはりかき揚げ天そば!不動の人気商品です」とも書かれています。運営会社の始まりは1957年1月に設立された「箱根開発株式会社」で、1990年10月に「小田急レストランシステム」に商号を変えました。小田急の特急の車内サービスなども手がけ、グループには「箱根そば本陣」「いまがわ食堂」「フォレスティコーヒー」などのお店があります。2026年10月10日チェーン店ほっかほっか亭:1976年、埼玉県草加市で当時26歳の創業者が1号店を開いた、持ち帰り弁当のパイオニア。2026年6月に創業50周年、全国714店舗。不動の人気No.1は「元祖のり弁当」株式会社ほっかほっか亭総本部のプレスリリース(2026年7月)によると、ほっかほっか亭は1976年に埼玉県草加市に1号店を出店し、2026年6月6日に創業50周年を迎えました。1号店を立ち上げた創業者は当時26歳で、「お店での手づくり」にこだわり続けているといいます。本社は大阪市で、全国714店舗を展開しています。創業以来の「不動の人気No.1メニュー」は「のり弁当」と紹介されています。50周年には、創業の地・草加市の市役所で「お弁当ってなんだ?展」を開き、オリジナルフォント「ほっかフォント」も作りました。プレナスの沿革によると、プレナスは1980年に「ほっかほっか亭」の九州地域本部として出発し、2008年に「ほっともっと」を立ち上げています。2026年10月10日チェーン店551蓬莱:1945年、大阪・難波の「蓬莱食堂」から。最初はカレーライスで、1946年に豚まんが誕生。「551」は電話番号「64-551」と「ここがいちばん」から。工場から150分圏内にしか出店しない551蓬莱の公式サイト「551HORAIの歴史」「会社概要」「ブランドストーリー」によると、1945年に羅邦強らが大阪・難波新地に「蓬莱食堂」を建て、創業当時はカレーライスを売っていました。1946年に豚まんが生まれ、1952年に豚まん・焼売の実演販売を始め、1957年にそごう大阪店に百貨店1号店を出しています。「551」は、当時の本店の電話番号が64-551だったことと、「味もサービスもここ(55)がいち(1)ばんを目指そう」という思いからつけたと説明しています。セントラルキッチンから店に1日2〜4回配送し、皮の生地の発酵状態を保つため、店は工場から150分圏内にしかなく、「地元関西以外には出店しません」としています。2026年10月10日チェーン店星乃珈琲店:2011年に埼玉県蕨市で1号店。洋麺屋五右衛門の日本レストランシステムとドトールコーヒーのノウハウを集めた店で、ハンドドリップのコーヒーと窯焼きスフレパンケーキが看板。3年後に100店舗日本レストランシステムの沿革によると、「星乃珈琲店」の1号店は2011年(平成23年)4月に埼玉県蕨市に出店し、2012年10月にシンガポールに海外1号店、2014年4月に100店舗を達成しました(星乃珈琲店のFCのページでは「2011年3月に蕨店をオープン」)。日本レストランシステムは「洋麺屋五右衛門」などの会社で、2007年にドトールコーヒーと共同で持株会社「ドトール・日レスホールディングス」をつくりました。星乃珈琲店は両社の「長年にわたるカフェ、飲食店舗のノウハウの結晶」と説明され、一杯ずつ淹れるハンドドリップのコーヒーと、窯で焼き上げるスフレパンケーキが看板です。2026年10月10日チェーン店一蘭:1960年創業の福岡の天然とんこつラーメン。仕切りのある「味集中カウンター」や「赤い秘伝のたれ」など「五つの元祖」をうたい、国内85店・海外8店はすべて直営。フランチャイズはしない一蘭の公式サイトによると、株式会社一蘭は1960年(昭和35年)創業、1993年設立で、本社は福岡市博多区中洲にあります。店舗数は93店(2026年6月時点、国内85店舗・海外8店舗)で、「国内・海外を問わず全店直営」で運営し、フランチャイズや合弁、のれん分けはしていないと書いています。一蘭は「赤い秘伝のたれ」「天然とんこつスープ」「味集中カウンター」「オーダー用紙」「替玉注文システム」を、一蘭が創った「五つの元祖」と紹介しています。赤い秘伝のたれは福岡県糸島市の「一蘭の森」で作り、国内外の全店に送っています。2026年10月10日チェーン店いせ源:1830年(天保元年)、京橋でどじょう屋「いせ庄」として創業。2代目が神田連雀町に移って「いせ源」に。大正時代にあんこう料理の専門店に。いまの店は1930年(昭和5年)の建物いせ源の公式サイト「いせ源の由来」「建造物紹介」によると、江戸末期の天保元年(1830年)、初代の立川庄蔵が中橋広小路(いまの京橋三丁目付近)でどじょう屋「いせ庄」を始めました。2代目の立川源四郎が店を神田連雀町に移し、「いせ庄」の「いせ」と「源四郎」の「源」を合わせて「いせ源」と名前を改めました。当時はあんこう鍋のほか、よせ鍋・かき鍋・白魚鍋・ねぎま鍋などを出していましたが、あんこう鍋に人気が集まり、大正時代の4代目・立川政蔵のときにあんこう料理の専門店になったといいます。店の建物は、1923年の関東大震災で全焼したあと、1930年(昭和5年)に建て直したもので、戦災をまぬがれ、会社は東京都選定歴史的建造物に選ばれていると説明しています。2026年10月10日チェーン店泉屋東京店:1927年に京都の自宅で泉伊助・園子夫妻がクッキーの「泉屋」を創業。宣教師夫人に教わった母の手づくりクッキーが始まり。1937年に赤坂へ、1952年に麹町で「株式会社泉屋東京店」。浮き輪のマーク泉屋東京店の公式サイト「泉屋について」によると、同社は日本で初めてクッキーを販売したと説明しています。1914年(大正3年)、和歌山に移り住んだ泉園子が、アメリカ人宣教師ロイド氏の夫人から、子どもたちに焼くクッキーのつくり方を学び、夫の泉伊助と日本人好みに改良を重ねました。1923年に京都に移ると評判になり、1927年(昭和2年)に自宅の軒先に「泉屋」の看板を掲げて創業しました。1937年に東京・赤坂に移り、戦後は西銀座、四谷坂町を経て、1952年に千代田区麹町に本社・工場を建て「株式会社泉屋東京店」を設立、浮き輪のシンボルマークの紺白の缶が登場しました。浮き輪のマークは、リングターツを見た子どもの「浮き輪に似ているね」という一言から生まれ、創業者の3人の息子と自分を表す4色の飾りがのっていると説明しています。本社・工場はいま川崎市高津区にあります。2026年10月10日チェーン店神楽坂梅花亭:1935年(昭和10年)、新潟出身の初代井上松蔵が柳橋の梅花亭からのれん分けして淀橋の十二社で創業。シベリア抑留中に思った母の「かきもち」から「鮎の天ぷらもなか」が生まれたと説明神楽坂梅花亭の公式サイト「梅花亭について」によると、同店は1935年(昭和10年)に創業しました。初代の井上松蔵は新潟県南魚沼の六日町出身で、若くして上京して菓子屋で修行し、柳橋の梅花亭からのれんを分けてもらって独立し、いまの都庁のあたりにあった淀橋区十二社で開業したと説明しています。第二次世界大戦で招集され、シベリアに抑留されましたが生還しました。抑留中に、子どものころ母がつくってくれた「かきもち」をもう一度食べたいと思ったことから、もなかの皮を揚げてかきもちの味を再現し、ふるさとの魚野川の鮎の形にした「鮎の天ぷらもなか」が生まれたとしています。戦後は池袋を拠点に約60年商いをし、のちに神楽坂に移りました。餡は豆から炊き、和菓子の皮に合わせて何種類も炊き分けていると紹介しています。2026年10月10日チェーン店浅草の「雷おこし」常盤堂:江戸時代から約200年、浅草寺の観音さまへの参拝のおみやげに。「家をおこす」「名をおこす」縁起菓子と説明。1946年に穂刈家がのれんを受け継ぎ、1950年に会社を設立常盤堂雷おこし本舗の公式サイトによると、同社の江戸銘菓「雷おこし」は、観音さま(浅草寺)への参拝のおみやげとして、家を「おこし」、名を「おこす」という縁起のよさから、創業以来200年以上親しまれていると説明しています。社長あいさつでは、雷おこしは江戸時代から約200年にわたり浅草の地で続き、1946年(昭和21年)に先々代社長が常盤堂ののれんを受け継いでから、戦後の焼け野原から立ち上がって全国に販売網を広げたとしています。会社の設立は1950年(昭和25年)1月10日で、本社は台東区浅草3丁目です。雷門の角に本店を再建し、東京駅名店街や東京タワーにも出店、製造はさいたま市の大宮工場で原料から一貫して行っていると紹介しています。2026年10月10日チェーン店木村屋總本店:1869年(明治2年)創業。1874年に酒種あんぱんを考案し、1875年に明治天皇に献上。1900年にジャムパン。いまは東京・有明の工場などでパンをつくる木村屋總本店の公式サイト「沿革」によると、1869年(明治2年)、木村安兵衛が東京・芝日陰町に「文英堂」を開業し、翌1870年に京橋区尾張町(いまの銀座付近)に移って屋号を「木村屋」に改めました。1874年(明治7年)には銀座4丁目に店舗が完成し、木村安兵衛が酒種あんぱんを考案・発売。1875年に明治天皇の水戸家への行幸の折、山岡鉄舟を通じて酒種あんぱんが献上されました。1882年ごろには「銀座名物」となり、1900年には3代目の儀四郎がジャムパンを発売しています。1930年に株式会社木村屋總本店となり、2001年には江東区有明に東京工場を新設しました。2026年10月10日チェーン店紀ノ国屋:1910年に青山で果物商として創業。1953年、客が自分で商品を選んでレジで精算する「セルフサービス・スーパーマーケット」を青山に開店し、会社は日本初と説明。1964年にフランスからナチュラルチーズを空輸紀ノ国屋の公式サイト「紀ノ国屋の歴史」によると、紀ノ国屋は1910年(明治43年)、東京・青山で果物商として創業しました。1953年には、お客さまが自分で商品を選びレジで精算する「セルフサービス・スーパーマーケット」を青山に開店し、会社はこれを日本初と説明しています。当時の一般的な商店にはレジスターがなく、「溜め銭」というザルで代金をやりとりしていたといいます。クラフト紙製のショッピングバッグや、ショッピングカートも導入しました。1956年にはインストアベーカリーを開き、1963年に外国フェア、1964年には日本で初めてフランスからナチュラルチーズを空輸したと説明しています。1995年には東京都の「マイバッグキャンペーン」としてエコロジーバッグの販売を始め、2010年に創業100周年を迎えました。2026年10月10日チェーン店木曽路:始まりは1950年、名古屋・大須の「喫茶まつば」。1966年に民芸風しゃぶしゃぶ「木曽路」を開業し、1982年に銀座五丁目店で関東へ。2006年に100店舗。焼肉「じゃんじゃん亭」や「素材屋」も同じ会社木曽路の公式サイト「沿革」によると、会社の始まりは1950年(昭和25年)、名古屋の大須赤門通りで創業した「喫茶まつば」です。1966年に民芸風しゃぶしゃぶ「木曽路」を瓦町店で開業し、1975年にセントラルキッチンを置きました。1982年に銀座五丁目店で関東に、1987年に北新地店で関西に、1990年に天神で九州に進出。1987年に名古屋証券取引所、2000年に東京証券取引所に上場し、2006年に「木曽路」は100店舗に達しました。居酒屋「素材屋」、焼肉「じゃんじゃん亭」、からあげ専門店「からしげ」なども展開し、2018年には天丼「てんや」のフランチャイズ契約も結んでいます。2026年10月10日チェーン店崎陽軒:1908年、初代横浜駅(いまの桜木町駅)で創業。1928年に横浜名物「シウマイ」を独自に開発し、冷めてもおいしく揺れる車内でも食べやすい一口サイズに。1954年に「シウマイ弁当」、1955年にしょう油入れ「ひょうちゃん」崎陽軒の公式サイト「崎陽軒の歩み」によると、崎陽軒は1908年(明治41年)、初代横浜駅(現在の桜木町駅)で創業しました。横浜駅は東京駅から近く駅弁の販売に不向きだったため、横浜名物をつくろうと、南京街(現在の中華街)で突き出しとして出されていた「シューマイ」に着目し、1928年(昭和3年)に車内で食べるため冷めてもおいしい、揺れる車内でもこぼさない一口サイズの「シウマイ」を独自に開発・販売しました。1950年に横浜駅のホームに「シウマイ娘」が登場し、1954年には「シウマイ弁当」が誕生。1955年には、しょう油入れを磁器にした「ひょうちゃん」が、漫画家の横山隆一の命名で生まれました。2026年10月10日チェーン店珈琲館:1970年、東京・神田神保町に1号店。1972年からフランチャイズを始め、ポリシーは「一杯のコーヒーに心をこめて。」。看板は炭火珈琲とトラディショナル・ホットケーキ。2021年にシャノアールと合併してC-UnitedにC-United株式会社の公式サイトによると、珈琲館の1号店は1970年に東京・神田神保町に開き、創業以来「一杯のコーヒーに心をこめて。」というポリシーで「珈琲文化の創造」に取り組んでいるといいます。1972年に「株式会社マナベ珈琲館」を設立し、同じ年にフランチャイズ1号店を東京都中央区に開きました。1999年に「珈琲館株式会社」に商号を変え、2008年にUCCグループ入り。2021年に、カフェ・ベローチェのシャノアールと合併して「C-United株式会社」になりました。看板は、発売以来受けつがれている炭火珈琲と、トラディショナル・ホットケーキです。ロードサイドには、蔵づくりの「珈琲館 蔵」もあります。2026年10月10日チェーン店駒形どぜう:1801年、武蔵国出身の初代・越後屋助七が浅草駒形にめし屋を開いたのが始まり。1806年の大火のあと、「どぢやう」の4文字は縁起が悪いと、3文字の「どぜう」と書いたのがのれんの由来駒形どぜうの公式サイト「200余年の歴史」によると、創業は1801年、徳川11代将軍家斉のころです。初代の越後屋助七は武蔵国(いまの埼玉県北葛飾郡)の出身で、18歳で江戸に出て奉公したあと、浅草駒形にめし屋を開きました。駒形は浅草寺への参詣ルートの大通りで、翌年に浅草寺のご開帳があったこともあり、店は繁盛したといいます。初代がどぜうなべ・どぜう汁を始め、三代目はくじらなべを売り出しました。1848年(嘉永元年)のグルメガイド『江戸名物酒飯手引草』にも店の名があると説明しています。「どじょう」の旧かなづかいは「どぢやう」または「どじやう」ですが、1806年(文化3年)の江戸の大火で店が類焼したとき、4文字では縁起が悪いと、看板書きに奇数の3文字で「どぜう」と書いてもらったのが始まりだといいます。関東大震災と戦争で店が全焼しましたが、いまは七代目に引き継がれています。2026年10月10日チェーン店クア・アイナ:1975年5月、ハワイ・オアフ島ノースショアの町ハレイワで誕生。ハワイ語で「田舎者」。開店初日に売れたのは12食だけだった。日本ではピザーラのフォーシーズがライセンス契約を結び、1997年に東京・青山で1号店株式会社フォーシーズのブランド紹介によると、「KUA`AINA(クア・アイナ)」は1975年5月、ハワイ・オアフ島ノースショアの小さな町ハレイワで生まれたハンバーガー店で、名前はハワイ語で「田舎者」という意味です。オープン初日に売れたのは12食だけでしたが、宣伝はせず、地元のサーファーたちの口コミで広まったと紹介されています。日本では、ピザーラを運営するフォーシーズの会長がオーナーのテリー・トンプソン氏のもとに通ってライセンス契約を結び、1997年に東京・青山に日本1号店を開きました。日本限定の商品以外は、ハワイのオリジナルの味を大切にしているといいます。2026年10月10日チェーン店串カツ田中:2008年12月、東京・世田谷に直営1号店。2015年に100店舗、2018年に「ほぼ全店禁煙化」、2021年に300店舗(FCふくむ)。運営会社は2026年3月に「ユニシアホールディングス」に社名変更運営会社の沿革によると、代表の貫啓二さんが1998年に個人事業として飲食業を始め、2002年に会社を設立、2008年12月に「串カツ田中 世田谷店」を直営1号店として開きました。2014年に関西・東海・九州沖縄、2015年に北海道へ初出店し、同じ年に100店舗(フランチャイズ店をふくむ)を達成。2016年に東証マザーズに上場、2018年にほぼ全店を禁煙にし、200店舗。2021年11月に300店舗に達しました。2022年にはアメリカ・ポートランドに「TANAKA」を出店。2025年に「脱・串カツ田中」をスローガンに掲げ、2026年3月に会社の名前を「株式会社ユニシアホールディングス」に変えています。2026年10月10日チェーン店ロッテリアとゼッテリア:1972年創業のロッテリアは、2007年に「絶品チーズバーガー」。2023年にゼンショーグループに入り、同年9月に「ゼッテリア」1号店(田町芝浦店)。会社名は2026年2月から「バーガー・ワン」ロッテリアの沿革によると、会社は1972年2月に設立され、同年7月に浦和でパイロットショップ、9月に1号店を開きました。1977年にえびバーガー、2007年に「絶品チーズバーガー」を先行48店舗で発売し、2008年に全店に広げています。ゼンショーホールディングスの発表では、子会社が2023年4月1日にロッテホールディングスからロッテリアの全株式を取得する予定で、当時のロッテリアは全国358店舗(2023年1月1日時点)でした。2023年9月20日にゼッテリアの田町芝浦店がグランドオープンし、2026年2月16日には運営会社の名前が「株式会社バーガー・ワン」に変わりました。ゼッテリアの名前は「絶品バーガー」と「カフェテリア」の組み合わせです。2026年10月10日チェーン店麻布十番「豆源」:1865年(慶応元年)創業の豆菓子の店。初代の駿河屋源兵衛は「豆やの源兵ヱ」さんと呼ばれ、煎り豆を肩に、屋台荷車を引いて江戸の下町を歩いた。店頭の大きな日傘で知られる豆源の公式サイト「豆源について」によると、同社は慶応元年(1865年)に創業した豆菓子の店です。初代の駿河屋源兵衛は「豆やの源兵ヱ」さんと呼ばれ、煎り豆を肩に、また屋台荷車を引いて江戸の下町の人々に親しまれていたようだと説明しています。麻布十番に店をかまえてからは、店頭に大きな日傘のある店として注目されたとしています。沿革では、1965年に有限会社豆源を設立、1982年に本店ビルを新築、1998年に株式会社に組織変更しています。本社と本店は港区麻布十番1丁目で、工場は川崎市多摩区にあります。都内の百貨店にも出店しています。2026年10月10日チェーン店銀座 松﨑煎餅:1804年(文化元年)、松﨑惣八が芝で創業し、1865年に銀座へ。関東大震災と戦災で店を2度失い、1948年に株式会社に。1953年に新宿伊勢丹へ百貨店1号店。いまは8代目銀座 松﨑煎餅の公式サイト「松﨑煎餅の歴史」によると、同店は1804年(文化元年)5月に松﨑惣八が芝で創業し、1865年(慶応元年)5月に銀座に店を移しました。1923年の関東大震災と1945年の戦災で店舗を失い、1948年に六代目が家業を継いで株式会社に改めました。1953年に新宿伊勢丹に百貨店1号店を出し、その後、各百貨店やターミナルにも出店しています。工場は佃、勝どきを経て、2001年に小松川に移りました。2017年に銀座5丁目に移転し、2018年に八代目の松﨑宗平さんが社長に就任、2021年には本店を移して「MATSUZAKI SHOTEN」を開いています。2026年10月10日チェーン店あんみつ みはし(上野):1948年3月、戦後の上野公園前にあんみつ屋として創業。店名は寛永寺の参道に架かっていた3つの橋「三橋」から。小豆は十勝産、黒みつは波照間島の黒砂糖、寒天は伊豆諸島などの天草と説明あんみつ みはしの公式サイト「みはしの紹介」「素材のこだわり」によると、同店は昭和23年(1948年)3月、戦後の混乱が残る上野公園前にあんみつ屋として創業しました。食糧不足で砂糖や小豆の入手に苦労した時代だったと説明しています。店名は、寛永寺への参道を不忍池からの川が横切り、3つの橋が架かっていたことによる「三橋(みはし)」で、旧町名でもあるとしています。素材については、小豆は北海道十勝地方のものだけを使い、銅釜で直火で煮ていること、みつは黒みつと白みつの中間で、黒砂糖は沖縄の波照間島のものを使っていること、寒天は伊豆諸島や静岡県の海岸でとれた天草をブレンドしていることを紹介しています。会社は有限会社みはしで、本店は台東区上野4丁目です。2026年10月10日チェーン店蒙古タンメン中本:1968年(昭和43年)開店の「中本」の味を、常連客だった白根誠さんが二代目として受けついだ辛いラーメンの店。運営会社の設立は1991年11月22日。暖簾分けで独立した店もある蒙古タンメン中本の公式サイトの「店主ご挨拶」によると、中本のラーメンは1968年(昭和43年)の開店以来、学生を中心に愛されてきました。店主の白根誠さんはもともと中本の常連客で、先代の中本正さんから味を受けつぎ二代目になったと書いています。二代目を継ぐときに誓ったのは、生涯をかけて「中本の味と看板を守る」ことだったといいます。会社概要では、会社の設立は1991年11月22日、代表取締役は白根誠さんで、上板橋本店などの直営店のほか、暖簾分け制度を利用した独立店舗があると紹介されています。今後の目標は「全国制覇」だそうです。2026年10月10日チェーン店白木屋・魚民・笑笑(モンテローザ):1975年、新宿歌舞伎町のパブレストランから。1983年に中野駅南口で「白木屋」1号店。2013年に総店舗数2,000店。いまは33ブランド・823店舗(2026年3月末)モンテローザの公式サイト「会社概要・沿革」によると、1975年10月20日、当時25歳の大神輝博が新宿歌舞伎町にパブレストラン「モンテローザ」を開いたのが始まりです。1983年5月に中野区で株式会社モンテローザを設立し、6月に中野駅南口に第1号店「白木屋」を出店しました。1993年に総店舗数100店舗、1997年に500店舗、2002年に1,000店舗、2013年に2,000店舗に達し、2000年には47都道府県すべてに出店。茨城県や山梨県での農業、鹿児島県などでの養鶏も手がけています。いまは白木屋、魚民、笑笑、目利きの銀次など計33ブランドで、グループ総店舗数は823店舗(2026年3月末現在)です。2026年10月10日チェーン店牛たん・とろろ・麦めし ねぎし:1981年、新宿歌舞伎町の1店舗から。牛タンに麦めし・テールスープ・とろろを組み合わせた「ねぎしセット」が始まり。牛タン不足で「ブラッキー」、BSEのあとは豚・鶏のメニューを開発ねぎしフードサービスの公式サイト「ねぎしの歩み」によると、ねぎしの誕生は1981年、新宿歌舞伎町の1店舗からです。当時の牛タンはお酒のおつまみとして食べられることが多く、客は男性ばかりだったため、女性にも知ってもらおうと、牛タンと麦めしとテールスープに「とろろ」を組み合わせた「ねぎしセット」を出したのが始まりで、会社はこの組み合わせを「ねぎしが初めて生み出したもの」と説明しています。1990年代後半の牛タン不足では「ブラッキー」を開発し、2001年・2003年のBSEで牛タンや牛肉が手に入りにくくなると、豚や鶏のメニューを加えました。2026年10月10日チェーン店にんべん(日本橋):1699年(元禄12年)、20歳の髙津伊兵衛が日本橋で戸板を並べて鰹節の商いを始めたのが創業。屋号「伊勢屋伊兵衛」の「イ」から「にんべん」。1969年に削りぶし「フレッシュパック」を発売にんべんの公式サイト「沿革」によると、創業者の初代髙津伊兵衛は1679年に伊勢国四日市で生まれ、12歳で江戸に出て奉公したのち、1699年(元禄12年)、20歳のときに日本橋四日市の土手蔵で戸板を並べて鰹節と塩干類の商いを始めました。これを創業年としています。1704年に小舟町に鰹節問屋を開き、1705年に屋号を「伊勢屋伊兵衛」とし、伊勢屋と伊兵衛の「イ(にんべん)」に曲尺の「¬(かね)」を合わせた「カネにんべん」を暖簾印にしたことから、江戸の町民が「にんべん」と呼ぶようになったと説明しています。1720年に瀬戸物町(いまの室町)に移り、1948年に社名を株式会社にんべんに変更しました。1964年に「つゆの素」、1969年に削りぶし「フレッシュパック」を業界に先駆けて発売し、1979年に農林水産祭の天皇杯を受賞しています。2010年にコレド室町に本店を移し、「日本橋だし場」を始めました。2026年10月10日チェーン店人形町今半:1895年に本所吾妻橋で牛鍋屋として創業したのが始まりと説明。1952年に今半の支店「今半人形町店」を開き、1956年に分離独立。「今半」の名は「今様」「今里の肉」と創業者「半太郎」からとされる株式会社人形町今半の公式サイト「沿革と今半の由来」によると、人形町今半は1895年に本所吾妻橋に牛鍋屋として創業したのが始まりで、1952年に合資会社今半の支店として「今半人形町店」を開き、1956年に人形町今半として分離独立しました。1967年に高島屋日本橋店に精肉の1号店を出し、江東区白河に食品工場を開いています。2007年に名古屋に出店し、2014年には人形町の老舗洋食店「芳味亭」を事業承継、2015年のミラノ国際博覧会の日本館にも出店しました。「今半」の名前は、当時最先端だった牛鍋を出していたことから「今様(現代風)」の「今」、政府公認の食肉処理場があった今里町(いまの港区白金)の肉を使っていたことからの「今」、創業者の「半太郎」の「半」からとったとされていますが、由来には諸説あると説明しています。2026年10月10日チェーン店オリジン弁当:始まりは1966年、世田谷・千歳船橋の中華料理店「東秀」。1994年に川崎で惣菜の量り売りと弁当の「オリジン弁当」1号店、2006年からイオングループ。2020年に量り売りをパック販売に、2023年に1000号店オリジン東秀の公式サイト「オリジン東秀のあゆみ」によると、会社は1966年に創業者の安澤英雄さんが「有限会社東秀」を設立し、東京都世田谷区千歳船橋に中華料理店「東秀」を開いたのが始まりです。1982年に持ち帰り弁当店「マミー弁当」を始め、1994年に神奈川県川崎市で惣菜の量り売りと弁当の併売店「オリジン弁当」の1号店を開きました。2004年に500号店、2006年にイオンの連結子会社となり、2014年に「キッチンオリジン」1号店(池袋店)を開店。2020年には、新型コロナによる衛生意識の高まりを受けて、惣菜・サラダの量り売りをパック販売に切りかえています。2023年にオリジン1000号店、2024年にオリジン誕生30周年を迎えました。2026年10月10日チェーン店ペッパーランチ:1994年7月3日、神奈川県・大船でフランチャイズの1号店から。特許の鉄皿と電磁調理器で、肉を自分で焼いて食べる。2003年に韓国で海外1号店、看板のペッパーライスは1日約2万食ペッパーフードサービスの沿革によると、「ペッパーランチ」は1994年7月、タイマー付き電磁調理器を入れたフランチャイズ1号店の大船店(神奈川県鎌倉市)から始まり、同年9月に直営1号店の浅草店を開きました。2003年11月には韓国ソウルに海外1号店。2020年に事業を子会社に分けて譲渡し、いまはペッパーフードサービスとは別の会社が運営しています。ペッパーランチの公式サイトによると、熱効率のよい特殊な鉄皿と電磁調理器(どちらも特許取得)で2〜3分で急加熱し、ブラックペッパーは毎朝店で挽いています。看板の「ペッパーライス」は1日約2万食食べられていると紹介されています。2026年10月10日チェーン店ピザーラ:1987年4月、東京・目白に1号店。創業者は映画『E.T.』のデリバリーピザの場面で思いつき、「ラ」は『ゴジラ』の「ラ」。コンセプトは「日本人が、毎日食べても飽きないピザ」株式会社フォーシーズの公式サイトによると、フォーシーズは1980年に輸入商社として設立され、1987年4月に「ピザーラ」を創業して、1号店を東京・目白に開きました。目白でレンタルビデオ店を営んでいた創業者の淺野秀則さんは、映画『E.T.』の最初の場面でデリバリーピザを食べる子どもたちを見て「これだ!」とひらめいたと紹介されています。海外から来た他社にフランチャイズを申し込んで断られ、日本人向けのオリジナルピザを作ることにしました。「ピザーラ」の「ラ」は映画『ゴジラ』の「ラ」です。1号店では「スペシャルカレーピザ」が注目を集め、テリヤキチキン・エビマヨなどのピザも広めてきました。2026年10月10日チェーン店PRONTO(プロント):1987年に新宿西口でテスト店、1988年に銀座8丁目に直営1号店。キーワードは「昼はカフェ、夜はサカバ。」。1997年に100店、2008年に200店、2016年に300店プロントコーポレーションの公式サイト「沿革」「ブランド紹介」「メッセージ」によると、プロントは1987年に新宿西口でテスト店を開き、1988年に株式会社ブレスとして会社を設立、銀座8丁目に直営1号店を開業しました。1989年にフランチャイズ加盟1号店を赤坂に開き、1995年に社名をプロントコーポレーションに変更しています。チェーンは1997年に100店、2008年に200店、2016年に300店に達しました。プロントは「昼はカフェ、夜はサカバ。」という「二面性」をキーワードにしていて、会社はイタリアのバール、フランスのカフェ、イギリスのパブのような、一日中いつ行っても居心地のよい場所を目指すと説明しています。ワイン酒場の「Di PUNTO」、「和カフェ Tsumugi」などのブランドもあります。2026年10月10日チェーン店サンマルクカフェ:1999年3月、東京都中央区に直営の1号店。岡山のベーカリーレストランから始まった会社のコーヒーショップで、主力は「全国的に有名となった」チョコクロサンマルクホールディングスの沿革によると、会社は1989年に岡山市で洋食レストラン「ベーカリーレストラン・サンマルク」の1号店を開いたのが始まりで、1999年3月に東京都中央区にコーヒーショップ「サンマルクカフェ」の1号店(直営店)を開きました。同じグループには、2004年の「生麺工房鎌倉パスタ」、2008年の「倉式珈琲店」などがあります。ブランド紹介では、サンマルクカフェを「全国的に有名となった『チョコクロ』を主力商品とするベーカリーカフェ」と説明しています。2026年5月には、商品開発などの部門を京都に移して「京都本社」を設けました。2026年10月10日チェーン店らーめん山頭火:1988年3月、北海道旭川市で9席、メニューは「しおらーめん」だけの店から。反りのない藍色の小ぶりのどんぶりに小梅を添える。スープは再沸騰させない。いまは海外にも店舗らーめん山頭火の公式サイト「山頭火物語」によると、創業者の畠中が家族に「俺が美味しいラーメンを作る」と宣言してから4か月後の1988年3月、北海道旭川市に座席数9席、メニューは「しおらーめん」だけの店を開いたのが始まりです。反りのない特注のどんぶりに小梅を添えたしおらーめんで注目を集め、スープは豚骨を長い時間煮出した白湯で、香りと旨みを大切にするため再沸騰させないと説明しています。運営する株式会社アブ・アウトは、「北海道の旭川から世界へ」をかかげ、海外にも店舗を広げています。2026年10月10日チェーン店根岸の豆富料理「笹乃雪」:1691年(元禄4年)、上野の宮様のお供で京都から江戸に来た初代が、江戸で初めて絹ごし豆富をつくり根岸に豆富茶屋を開いたと説明。「笹の上に積もりし雪」から店名に。「豆富」と書くわけも笹乃雪の公式サイト「いわれ」によると、同店は元禄4年(1691年)、上野の宮様(後西天皇の親王)のお供をして京都から江戸に移った初代の玉屋忠兵衛が、江戸で初めて絹ごし豆富をつくり、根岸に豆富茶屋を開いたのが始まりだと説明しています。宮様がその豆富を「笹の上に積もりし雪の如き美しさよ」とほめて「笹乃雪」と名づけ、それが屋号になり、そのとき賜った看板がいまも店内にあるとしています。また、元禄15年の赤穂浪士の討ち入りのあと、浪士が預けられた細川家の屋敷に、上野輪王寺の宮の心づかいで同店の豆富が届けられたという話も伝えています。豆腐を「豆富」と書くのは、約80年前に9代目が、料理店に「腐る」という字はふさわしくないとしたことによるといいます。2026年10月10日チェーン店炭焼きレストランさわやか:1977年7月、静岡県菊川市で「コーヒーショップさわやか」として創業。看板の「げんこつ・おにぎりハンバーグ」の名前には「父母の無償の愛」への感謝がこめられている。お店は静岡県内だけさわやか株式会社の公式サイトによると、会社は1976年9月24日に「グリーン観光株式会社」として設立され、1977年7月5日に「コーヒーショップさわやか」菊川本店を開いて創業しました。主力商品は当時から牛肉100%の炭焼きハンバーグです。1989年に社名を「さわやか株式会社」に、店名を「炭焼きレストランさわやか」に変えました。看板の「げんこつハンバーグ」「おにぎりハンバーグ」の名前は、お父さんの丸く大きなげんこつとお母さんの握ってくれたおにぎりからで、闘病生活を送った創業者の「父母の無償の愛」への感謝がこめられています。会社概要では、店舗は静岡県内35店舗です。2026年10月10日チェーン店銀座 清月堂本店:1907年(明治40年)8月27日、いまの銀座7丁目(当時の京橋区木挽町7丁目)で創業した和菓子店。「代々一つの菓子を守るのではなく、自分の代に自分の菓子を作る」という「一代一菓」の言葉清月堂本店の公式サイトによると、同店は1907年(明治40年)に、いまも本店がある銀座7丁目(当時の京橋区木挽町7丁目)で創業しました。創業記念日は8月27日で、2026年に創業119年を迎えています。創業者からは「菓子は見るものではなく、食べておいしいもの」「味覚は時代とともに変わるもの」という考え方が伝えられ、その集大成として、時代に合った菓子をつくるよう「一代一菓」という言葉を残したと説明しています。代々一つの菓子を守るのではなく、自分の代に自分の菓子をつくるよう言い伝えられているといいます。いまは四代目の水原康晴さんが継いでいます。2026年10月10日チェーン店成城石井:1927年2月、東京・世田谷区成城の食料品店として創業。1976年にスーパーマーケットに、1996年に自社のセントラルキッチンを稼働。1997年にエキナカ1号店(アトレ恵比寿)、2013年に100店舗株式会社成城石井の企業情報によると、成城石井は1927年2月に東京都世田谷区成城で食料品店として創業し、1976年12月に成城店の新店舗でスーパーマーケットとして営業を始めました。1988年に2号店(青葉台店)、1996年10月に自社の食品工場であるセントラルキッチンを稼働、1997年10月に初のエキナカ店舗「アトレ恵比寿店」を開いています。2003年からは鉄道会社グループなどとのFC店も広がり、2013年3月に100店舗を達成。社長あいさつでは「200店舗を超えるスーパーマーケットチェーン」になったと書かれています。自社輸入とセントラルキッチンを強みにしているとされます。2026年10月10日チェーン店新宿中村屋:1901年、本郷の東京帝大正門前のパン屋を買い取って創業。1904年にクリームパン、1927年に「純印度式カリー」と中華まん(当時は「天下一品支那饅頭」)。カリーはインド独立運動のボースが伝えた新宿中村屋の公式サイト「中村屋の歴史」「商品の歴史」によると、中村屋は1901年(明治34年)12月30日、相馬愛蔵・黒光夫妻が、東京・本郷の東京帝国大学正門前にあったパン屋「中村屋」を居抜きで買い取って始まりました。1907年に新宿に支店を出し、1909年に本店を新宿の現在地に移しています。1904年には、シュークリームのクリームをあんぱんの餡のかわりに使ったクリームパンを発売し、会社は「クリームパンの元祖は中村屋」と説明しています。1927年6月12日には喫茶部(レストラン)を開き、インド独立運動のラス・ビハリ・ボースの提案で「純印度式カリー」を発売。同じ1927年に、中華まんを「天下一品支那饅頭」の名で発売しました。2026年10月10日チェーン店とんかつ新宿さぼてん:1966年12月1日、西新宿で1号店。運営のもとは、慶應義塾の学生食堂から始まった給食会社「グリーンハウス」。荒めの特製生パン粉と100%植物油、ごまを擦って食べるソースが特徴グリーンハウスの沿革によると、創業者の田沼文蔵さんは1947年に慶應義塾大学の予科食堂の経営を始め、1954年に塾生から公募した名前で「グリーンハウス」を設立しました。1966年12月、レストランの1号店としてとんかつ「さぼてん」新宿店を開き、1972年にレストラン部門を独立させて株式会社さぼてん(いまのグリーンハウスフーズ)を設立しました。新宿さぼてんの公式サイトでは、創業日は1966年12月1日、西新宿の1号店としています。こだわりのページでは、ヒレとロースを使い、荒めの特製生パン粉で、オレイン酸の多い100%植物油で揚げると説明しています。台湾、香港、中国、シンガポールなどにも会社があります。2026年10月10日チェーン店新宿高野・タカノフルーツパーラー:1885年、新宿駅のあたりで繭の仲買と中古道具、副業に果物の「高野商店」として創業。1920年にマスクメロン販売、1926年にフルーツパーラーを設立し、2026年に100周年新宿高野の公式サイト「歴史」によると、1885年(明治18年)に初代の髙野吉太郎が、現在の新宿駅ビルのあたりで、繭の仲買・中古道具を本業とし、果物を副業とする商店を創業しました。1900年に果実問屋「高野商店」の看板を掲げて果物の専門店となり、1920年にマスクメロンの販売を開始。1921年に現在の本店の場所に移ってフルーツパーラーの前身「縁台サービス」を始め、1926年に洋風建築に改装してフルーツパーラーを設立しました。1945年の大空襲で本店ビルが被災しましたが、1947年に果実部門から営業を再開し、1963年に都内1号支店を出しています。2026年10月には、タカノフルーツパーラー設立100周年の感謝祭を開いています。2026年10月10日チェーン店塩瀬総本家:1349年(貞和5年)創業。初代の林浄因が中国から来日し、甘い小豆餡の饅頭をつくったと説明。紅白饅頭の始まり、足利義政の「日本第一番饅頭所」の看板、明治に菓子商で初めての宮内省御用とも塩瀬総本家の公式サイト「塩瀬と和菓子の物語」「会社概要」によると、同社の創業は貞和5年(1349年)です。初代の林浄因は、京都・建仁寺の龍山徳見の帰国にともなって1349年に中国から来日し、肉を食べられない僧侶のために小豆を甘葛煎の甘みで煮詰め、甘い小豆餡と、餡の入った饅頭をつくったと説明しています。宮中との結婚の際に配った紅白の饅頭が、お祝いに紅白饅頭を贈る文化の始まりになったとしています。子孫の林紹絆は応仁の乱を避けて三河の塩瀬村に移り「塩瀬」を名乗り、足利義政から「日本第一番饅頭所林氏塩瀬」の看板を与えられたと紹介しています。江戸幕府の設立とともに江戸に移り、明治時代には菓子商として初めて宮内省御用を命じられたとしています。本社は中央区明石町で、売店は築地本店と都内の百貨店です。2026年10月10日チェーン店資生堂パーラー:1902年、銀座の資生堂薬局の中にソーダ水とアイスクリームの「ソーダファウンテン」。1928年に「資生堂アイスクリームパーラー」として西洋料理のレストランに。創業の地は今の東京銀座資生堂ビル資生堂パーラーの公式サイト「資生堂パーラーの歴史」によると、1872年に福原有信が東京・銀座に民間の洋風調剤薬局(のちの資生堂)を創業し、1902年に薬局の中に、ソーダ水と当時めずらしかったアイスクリームを製造販売する「ソーダファウンテン」を設けました。会社は日本で初めてのソーダファウンテンと説明しています。福原有信は1900年のパリ万博を見学したあとアメリカ経由で帰国し、アメリカのドラッグストアにならって開設したといいます。創業の地は出雲町1番地、いまの東京銀座資生堂ビル(銀座8-8-3)です。1923年の関東大震災で全壊しましたが2か月後に営業を再開し、1928年に「資生堂アイスクリームパーラー」として本格的な西洋料理のレストランを開業しました。2026年10月10日チェーン店庄や(大庄):1968年、大田区池上の6坪の若鳥焼「とき」から。1973年に千代田区で「庄や」1号店。社内に料理の学院や職業訓練校、食品衛生研究所もつくった。1989年に本店を大田区へ大庄の公式サイト「沿革」によると、1968年4月に大田区池上で6坪の若鳥焼「とき」を開いたのが創業です。1971年に千代田区三崎町で株式会社朱鷺を設立し、1973年3月に千代田区で「庄や本家店(庄や1号店)」を開店しました。1978年に社内研修センター「日本料理専門学院」、1985年に「東京都調理高等職業訓練校」をつくり、1989年に株式会社大庄となって本店を大田区に移しています。1990年には衛生管理・食材検査などのための「食品衛生研究所」、2003年に「大庄総合科学新潟研究所」を開設。1997年に東京証券取引所に上場し、2008年には「築地寿司岩」の事業を譲り受けています。2026年10月10日チェーン店ステーキ宮:1975年に栃木県庁前で1号店、2025年に50周年。看板は創業の味「宮のたれ」で、来店客の約8割が注文。原材料は生たまねぎ・おろしにんにく・醤油・酢だけで、非加熱・保存料不使用コロワイドグループの株式会社アトムの発表によると、ステーキ宮は、なじみのなかった牛肉のおいしさを多くの人に知ってほしいという思いから、1975年に栃木県庁前に1号店を開きました(いまは宇都宮店に移転)。2025年5月24日に50周年を迎えています。創業当時から愛される「宮のたれ」は、2025年4月に来店客の約8割が注文したソースで、原材料は生たまねぎ、おろしにんにく、醤油、酢だけ。非加熱・保存料不使用で、約3週間冷蔵で熟成させます。アトムのブランド紹介では「おいしい、たのしいを合言葉に」安心安全なステーキと自家製ハンバーグを出すステーキ専門レストランと説明しています。2026年10月10日チェーン店スガキヤ:1946年、名古屋の「甘党の店」から。1948年にラーメンを加えて「寿がきや」1号店。1973年に直営100店舗、1978年にラーメンフォーク誕生。キャラクターは「スーちゃん」スガキコシステムズの公式サイト「スガキヤの歴史」によると、スガキヤは1946年に名古屋で、ぜんざい・パン・焼き芋などを売る「甘党の店」として創業しました。1948年にメニューにラーメンが加わり、店名を「寿がきや」として日活スタジアム横に「甘党とラーメンの店」の1号店を開いています。1962年には即席スープの素の研究を進め、日本で初めてスープの粉末化に成功したと紹介しています。1969年にショッピングセンターへの出店でチェーン化を始め、1973年に直営店100店舗(当時、直営店で日本一の記録)を達成。1978年にはオリジナルの「ラーメンフォーク」がデビューしました。1994年に社名をスガキコシステムズに改めています。2026年10月10日チェーン店すしざんまい:運営の喜代村は1985年、築地で創業。最初は弁当の販売から始まり、2001年4月18日に「すしざんまい本店」をオープン。寿司店は44店(2026年3月現在)すしざんまいを運営する喜代村の公式サイト「会社概要」によると、喜代村は1985年9月に創業し、翌10月に弁当販売の事業を始めました。1993年にコミュニティストア、1996年に漬物の製造・販売、1997年に「喜よ寿司」を始め、2001年4月に寿司事業部を立ち上げて、4月18日に「すしざんまい本店」をオープンしました。その後、2002年に亀戸、2003年に錦糸町・銀座7丁目などに出店し、2003年には「廻るすしざんまい築地店」も開店。本社は東京都中央区築地で、寿司店は44店(2026年3月現在)です。2026年10月10日チェーン店たいめいけん:1931年、茂出木心護(本名・眞太郎)が中央区新川に「泰明軒」を開店。1948年に日本橋に移って「たいめいけん」に。1977年に「凧の博物館」、2021年から再開発で仮設ビルで営業たいめいけんの公式サイトの会社概要と沿革によると、昭和6年(1931年)4月1日、先代の茂出木心護(本名・眞太郎)が中央区新川に「泰明軒」を開店しました。昭和23年(1948年)に中央区日本橋に移り、店名を「たいめいけん」に改め、昭和26年(1951年)に株式会社たいめいけんを設立しています。昭和35年(1960年)には電話による料理相談「お料理110番」を始め、昭和52年(1977年)にはビルの5階に「凧の博物館」を開きました。2001年には三越日本橋本店に惣菜店「デリカテッセン・ヒロ」を開店。日本橋地区の再開発のため、2021年4月から日本橋室町の仮設ビルでレストランを営業しています。2023年に株式会社三代目たいめいけんを設立し、レストランの経営を引き継ぎました。2026年10月10日チェーン店サーティワン アイスクリーム:1945年にアメリカで生まれた「バスキン・ロビンス」。日本では1973年に不二家との合弁で会社ができ、1974年4月に東京・目黒に1号店。「31」は1か月31日、毎日違う味を楽しんでほしいという願いB-R サーティワン アイスクリームの公式サイトによると、サーティワンは1945年にアメリカ・カリフォルニア州の郊外で、バスキン氏とロビンス氏が創設した世界最大のアイスクリームチェーンで、海外では「バスキン・ロビンス」と呼ばれています。名前は、1か月(31日)毎日違うフレーバーを楽しんでほしいという願いからです。日本では1973年12月に不二家がバスキン・ロビンス社との合弁事業のために会社を設立し、1974年4月に東京・目黒に1号店とトレーニングセンターを開きました。1979年に静岡県小山町に自社工場、1983年に200店、2010年に1,000店。国内の販売拠点は約1,500か所を超え(2025年12月末現在)、世界では約7,700店以上です。2026年10月10日チェーン店東京ばな奈(グレープストーン):1978年に日本珈琲食器センターとして設立、1979年に皿盛りデザートの「ぶどうの木」。1991年11月に「東京ばな奈」を発売し、1992年に羽田空港・東京駅キヨスクへ。「ねんりん家」「シュガーバターの木」もグレープストーンの公式サイト「沿革」によると、同社は1978年7月に株式会社日本珈琲食器センターとして設立され、1989年にグレープストーンに社名を変えました。1979年4月に皿盛りデザート専門店「ぶどうの木」を開き、1980年に銀座店、1985年に百貨店に「銀のぶどう」を出店しています。1991年11月に「東京ばな奈」を発売し、1992年には羽田空港、同年12月には東京駅のキヨスクで売り出しました。2005年には「東京ばな奈」が日本国際知的財産保護協会から日本有名商標の認定を受けています。2007年に百貨店に「ねんりん家」、2010年に駅構内に「シュガーバターの木」を出店し、2013年には銀座西五番街に銀座本店ビルが完成しました。2026年10月10日チェーン店ひよ子(東京ひよ子):もとは1912年に福岡県飯塚市の「吉野堂」二代目が考えたお菓子。東京オリンピックの1964年に東京進出のため埼玉県草加市に工場を建て、1966年に「株式会社東京ひよ子」を設立ひよ子本舗吉野堂の公式サイト「沿革」「吉野堂物語 いざ、東京へ」によると、1897年(明治30年)に初代の石坂直吉が福岡県飯塚市で菓子舗「吉野堂」を開き、1912年(大正元年)12月に二代目の石坂茂がひよこをかたどった菓子「ひよ子」を考えて売り出しました。1957年に福岡市に進出し、東京オリンピックや東海道新幹線の開通があった1964年(昭和39年)5月に、東京進出のため埼玉県草加市に東京工場を建てました。1966年に「株式会社東京ひよ子」を設立し、1995年からは東日本地区の製造・販売会社になっています。公式サイトは、飯塚の高い湿度とくらべて関東は乾いた風土で、肌合いのしっとりした感じと焼き色に「東京らしさ」を工夫したと説明しています。2026年10月10日チェーン店東京ラスク(グランバー東京ラスク):1996年に「スイス亭」から「グランバー」に社名変更。2002年にシュガー・セサミ・ガーリックの3種で「東京ラスク」ブランドを立ち上げ、卸売から脱却。工場は岩手県釜石市東京ラスクの公式サイト「会社概要」によると、運営するのは株式会社グランバー東京ラスクで、設立は1996年(平成8年)3月です。年表では、1996年に社名を「スイス亭」から「グランバー」に変え、2000年に洋菓子工場をつくば市から岩手県釜石市に移し、2002年に山梨県甲府市にも工場を増やしました。2002年にはシュガー・セサミ・ガーリックの3つの商品を完成させて「東京ラスク」のブランドを立ち上げ、卸売業からの脱却をはかり、12月に通信販売を始めています。2004年に本郷店・松戸店・赤坂店を開き、その後、都内や近県の駅ビルなどに店を広げました。いまの工場「東京ラスクファクトリー」は岩手県釜石市にあります。2026年10月10日チェーン店とらや:室町時代後期に京都で創業し、五世紀にわたる和菓子屋。1586〜1611年の後陽成天皇の時代から御所の御用。1869年、東京遷都にともない東京へ。いまは全国80軒以上の店舗虎屋の公式サイト「とらやについて 歴史」によると、とらやは室町時代後期の京都で創業し、五世紀にわたり和菓子屋を営んできました。後陽成天皇の在位中(1586〜1611年)から御所の御用を勤め、明治2年(1869年)の東京遷都にともない、京都の店はそのままに東京にも進出しています。公式サイトによると、虎屋は全国で80軒以上の店舗を構え、東京・赤坂の直営店をはじめ、全国の商業施設や空港に店があります。代表的な商品として羊羹・最中などをあげ、和菓子の資料室「虎屋文庫」も設けています。2026年10月10日チェーン店つばめグリル:1930年創業の東京の洋食店。名前は新橋に停まっていた「特急つばめ」から。アルミホイルで包んだ「つばめ風ハンブルグステーキ」は1974年生まれ。店舗は25店舗(2025年4月現在)つばめグリルの公式サイト「つばめグリルの歴史」と「会社情報」によると、つばめグリルの創業は1930年です。名前は、1930年10月1日に東京駅から走り始めた「特急つばめ」にちなみます。当初は新橋にも停車していましたが、やがて停まらなくなり、新橋駅寄りにあった店は、惜しむ地元の人々の声に押されて「つばめ」の名を残すため「つばめグリル」と名付けられました。アルミホイルで包んだ「つばめ風ハンブルグステーキ」は1974年の誕生で、魚や肉を包んで蒸し焼きにするパピヨット料理をヒントに、当時の主力のビーフシチューとハンブルグステーキを組み合わせたものです。会社によると、全店で1日に6,500個売れるとしています。店舗は25店舗(2025年4月現在)で、品川駅前店が基幹店です。2026年10月10日チェーン店塚田農場:2001年、八王子で飲食店のプロデュース会社として設立。2006年に宮崎県日南市に自社農場をつくり「みやざき地頭鶏」を生産、2007年11月に「宮崎県日南市塚田農場」ブランドの出店を開始エー・ピーホールディングスの公式サイト「私たちの歩み」によると、同社は2001年10月、東京都八王子市に飲食店のプロデュースなどを目的とした有限会社エー・ピーカンパニーとして設立され、2004年8月に地鶏モデルの1号店「わが家八王子店」を開きました。2006年2月には宮崎県日南市に子会社と自社農場をつくり、みやざき地頭鶏(じとっこ)の生産を始めています。2007年11月に日南市に加工場を建設し、「宮崎県日南市塚田農場」ブランドの出店を開始しました。その後、北海道の新得地鶏(2011年)、鹿児島県の黒さつま鶏(2012年)の自社農場もつくり、鮮魚の「四十八漁場」(2011年)も展開しています。2012年にはシンガポールに塚田農場の海外1号店を出し、同年に東証マザーズ、2013年に東証一部に上場、2020年に持株会社のエー・ピーホールディングスになりました。2026年10月10日チェーン店天ぷら 新宿つな八:1922年の天ぷら屋「網八(あみはち)」が始まり。「あみ」を「つな」と読みまちがえた店名が広まった。1924年に「立食 天麩羅 綱八」、2024年に創業100年天ぷら新宿つな八の公式サイト「つな八の歴史」によると、初代の久蔵は寿司屋、とんかつ屋、おでん屋などを手がけたあと、1922年(大正11年)に天ぷら屋「網八(あみはち)」を開店しました。「あみ」を「つな」と読みまちがえた店名が広まり、1924年に「立食 天麩羅 綱八」を開店。1944年に強制疎開で店舗が取り壊され、終戦後の区画整理で今の場所に移り、饅頭やかき氷で生計を立てたのち、1948年に店舗を再建して天ぷら屋を再開しました。1964年に初の支店として新宿駅ビル店を開き、1978年には渋谷店など4店舗が別会社の「渋谷つな八」になっています。2024年に創業100年を迎えました。2026年10月10日チェーン店上野精養軒:1872年(明治5年)、西洋料理の草分けとして築地で創業。1876年に上野公園の開設にあわせて支店「上野精養軒」を開業。関東大震災で築地本店が焼け、上野が本店に上野精養軒の公式サイト「会社概要」によると、精養軒は明治5年(1872年)4月、西洋料理の草分けとして、三条実美・岩倉具視の支援を受けて東京・築地で創業しました。その後、創業者の北村重威は、欧米視察から帰国した岩倉具視の勧めで、上野公園の開設にともなう公園内の食事処・社交の場として、明治9年(1876年)に支店「上野精養軒」を開きました。大正12年(1923年)の関東大震災で築地本店が焼失したため、上野精養軒が本店の機能を担うようになりました。大正9年(1920年)には結婚式場の先駆けとして神殿を設けています。会社の設立は大正7年(1918年)1月21日で、所在地は台東区上野公園です。2026年10月10日チェーン店上島珈琲店とUCC:1933年に「上島忠雄商店」として創業したUCCは、1969年に世界で初めて缶コーヒーを開発。そのUCCグループの上島珈琲店は、ネルを2層にした「ダブルネルドリップ」と、コーヒー2:ミルク8の「ミルク珈琲」が看板UCC上島珈琲の沿革によると、UCCは1933年に「上島忠雄商店」として創業し、1951年に上島珈琲株式会社を設立、1969年に「缶コーヒー」を世界で初めて開発して製造販売を始めました。1981年にジャマイカでブルーマウンテンの直営農園、1989年にハワイでコナコーヒーの直営農園を開き、1987年には神戸に「UCCコーヒー博物館」を開館しています。UCCグループのカフェ「上島珈琲店」は、布のフィルター(ネル)を二層にして抽出する「ダブルネルドリップ」という手法と、独自開発のダブルネルドリップマシンを使い、ダブルネルドリップコーヒー2に対しミルク8の「ミルク珈琲」を紹介しています。2026年10月10日チェーン店梅丘寿司の美登利:1977年創業。職人時代に市場の売れ残りを買い取って大盤振る舞いし、「元祖穴子一本付」が生まれたと会社は説明。社名は「利他の精神」で「美しい寿司文化の代表まで登りつめたい」という思いから梅丘寿司の美登利総本店の公式サイト「歴史」のページによると、同店は1977年の創業以来、安さ・おいしさ・ネタの豊富さ・新鮮さで行列の絶えない店として続き、2022年1月現在、海外をふくめ30店舗に広がっています。2代目社長は、自身が板場に立っていたころ、寿司に「高級そう」というハードルを感じる人が多かったため、市場の売れ残りを全部買い取って大盤振る舞いしていたとふり返り、その当時に看板メニューの「元祖穴子一本付」が生まれたと説明しています。創業者は土屋菊雄さんで、「寿司を通じてお客様に驚きと感動を!」を掲げています。社名の「美登利」は、利他の精神を追求しながら、日本の美しい寿司文化を代表するまで登りつめたいという思いからつけたといいます。2026年10月10日チェーン店浅草 梅園:1854年(安政元年)、浅草寺の別院・梅園院の一角に茶屋を開いたのが始まりで、屋号もそのゆかり。名物の「あわぜんざい」は、あわではなく餅きびを使う。1948年に法人に浅草 梅園の公式サイト「梅園の由来」「あわぜんざい」によると、梅園は安政元年(1854年)、浅草寺の別院・梅園院(ばいおんいん。庭に梅の木がたくさんあった)の一角に茶屋を開いたのが始まりで、屋号の「梅園(うめぞの)」もそのゆかりです。会社は、初代が「元祖あわぜんざい」で評判をとって東京名物になり、以来170年あまり甘味専門の店として続いてきたと説明しています。梅園のあわぜんざいの餅は、あわではなく餅きびを半搗きにして練りあげて蒸したもので、こしあんと椀で合わせます。永井荷風の『踊子』にも梅園が出てくると紹介しています。昭和23年(1948年)8月に法人になりました。本店は台東区浅草1丁目です。2026年10月10日チェーン店焼肉きんぐ・丸源ラーメン:運営の物語コーポレーションの始まりは1949年、愛知県豊橋市のおでん割烹「酒房源氏」。1995年に焼肉一番カルビ、2001年に丸源ラーメン、2007年に焼肉きんぐ1号店(石川県)。2024年に国内700店舗物語コーポレーションの公式サイトの沿革によると、会社の始まりは1949年12月に愛知県豊橋市広小路で創業したおでん割烹「酒房源氏」です。1995年に「焼肉一番カルビ」1号店、1998年にフランチャイズ1号店、2001年に「丸源ラーメン」1号店(愛知県安城市)、2005年に「お好み焼本舗」1号店(神奈川県相模原市)、2007年3月に「焼肉きんぐ」1号店(石川県野々市市)を開きました。2012年には東京都町田市に「寿司・しゃぶしゃぶ ゆず庵」1号店、上海に海外初出店。国内グループ店舗数は2007年に100店、2024年8月に700店舗に達し、2026年2月には海外グループ店舗数が100店舗になりました。2026年10月10日チェーン店焼肉ライク:「1人で行ける焼肉屋」をめざした、1人1台の無煙ロースターの焼肉店。セットは焼肉とご飯、わかめスープ、キムチとシンプルで、部位・量・たれを選ぶ「焼肉のファストフード」。運営会社は2019年4月設立焼肉ライクの公式サイトのコンセプトによると、ぱっと焼肉を食べたいときに1人では行きにくいのが焼肉屋なので、1人1台のロースターの店をつくったと説明しています。無煙ロースターで、においや煙が気になる人も利用しやすいとしています。「焼肉のファストフード」として、セットのメニューは焼肉とご飯、わかめスープ、キムチだけとシンプルにし、部位・量・たれを自分で選べます。会社概要によると、運営する株式会社焼肉ライクの設立は2019年4月1日で、本社は東京都港区新橋。事業内容には飲食店の経営のほか、フランチャイズチェーンの加盟店の募集と経営指導がふくまれています。2026年10月10日チェーン店山田うどん:1935年、埼玉県所沢市の手打ちうどん専門店から。1965年に所沢で一号店、1966年にドライブイン型の店、1969年にフランチャイズ展開と「回転看板」。「かかしマーク」は1962年に商標登録山田うどんの公式サイト「会社沿革」(2021年3月末現在)によると、1935年に山田量輔が埼玉県所沢市日吉町で手打ちうどん専門店を創業しました。1953年に有限会社山田製麺所を設立し、1962年に「かかしマーク」を商標登録。1964年に所沢市上安松に製麺工場を建て、1965年1月に所沢市金山町に山田うどん一号店を開店しました。同じ1965年から学校給食への麺の提供も始め、全盛期には160校に提供したといいます。1966年に今の山田うどんの原形となるドライブイン型の店を開き、1969年にフランチャイズ展開を本格的に始めて、会社のいう「日本初の回転看板」を導入しました。1990年に直営店100店舗を達成しています。2026年10月10日チェーン店山本山(日本橋):1690年(元禄3年)、初代山本嘉兵衛が京都から江戸に下り日本橋で茶商を創業。1738年に永谷宗円の「青製煎茶」を売り出し、1835年に六代目が「玉露」を生んだと説明。1947年から海苔も山本山の公式サイト「山本山のこと」によると、同社は1690年(元禄3年)、初代山本嘉兵衛がおよそ15日かけて京都から江戸に下り、日本橋で茶商として商いを始めたのが創業です。創業時はお茶のほかに紙も売っていたといいます。1738年(元文3年)、宇治田原の茶師・永谷宗円が新芽を蒸して揉みながら乾かす「青製煎茶」(いまの煎茶の原型)をつくって江戸に持ち込んだとき、二代目嘉兵衛がその場ですべて買い取り、「天下一」と名づけて売り出すと江戸中に広まったと紹介しています。1816年には狭山の茶葉を広める手助けをし、1835年(天保6年)には六代目嘉兵衛が「玉露」を誕生させたと説明しています。1947年(昭和22年)からは、九代目が有明海産の海苔に感銘を受け、湿気をきらう点がお茶と共通することなどから海苔の販売を始めました。2026年10月10日チェーン店ラーメン山岡家:始まりは1980年の弁当のフランチャイズ店。1988年9月に茨城県牛久市で「ラーメン山岡家」を開店し、1992年に札幌へ。全店直営・24時間営業で、スープは水と豚骨だけを丸3日煮込む株式会社丸千代山岡家の公式サイトと決算説明資料(2026年3月16日)によると、会社の始まりは1980年に東京都で設立した「有限会社丸千代商事」で、弁当のフランチャイズ店を開業したのが出発点でした。近くに弁当屋が増えて競争が激しくなったこともあり、1988年9月に茨城県牛久市に「ラーメン山岡家」を開店しました。1992年に札幌・すすきのに出店し、1993年に札幌で株式会社山岡家を設立。2006年にジャスダックに上場し、2026年1月31日現在195店舗です。郊外のロードサイドで24時間営業し、セントラルキッチンを持たず、スープは水と豚骨だけを丸3日煮込んで店で仕込んでいます。2026年10月10日チェーン店ヨックモック:1942年に創業者が独立開業。1969年に株式会社ヨックモックを設立し、日本橋三越本店に1号店、同じ年に「シガール」を発売。1978年に南青山に本社ビル、1986年に海外1号店ヨックモックの公式サイト「沿革」によると、1942年に創業者の藤縄則一が独立開業し、1957年に東京都足立区梅島に東京工場が完成しました。1969年に百貨店向けの菓子販売会社として株式会社ヨックモックを設立し、日本橋三越本店に1号店を出店、同じ年にロングセラー商品「シガール」を発売しています。1978年に東京都港区南青山に本社ビルが完成して売店・喫茶を併設し、1986年にはアメリカの高級百貨店ニーマン・マーカスに海外1号店を出しました。2019年にグループ設立50周年、2020年にヨックモックミュージアムを開業し、2023年には自動販売機の1号機を設置しています。2026年10月10日チェーン店洋麺屋五右衛門:1976年、渋谷・公園通りに1号店。「お箸でいただくスパゲッティーの草分け」で、店名は麺を茹でる大きな「五右衛門釜」から。器はオリジナルの有田焼、お盆で出す日本レストランシステムの沿革によると、和風スパゲッティ専門店「洋麺屋五右衛門」の1号店は1976年9月、東京都渋谷区公園通りに開きました。公式サイトでは、日本人がおいしいと感じる独自の創作パスタを生み出す店として渋谷に誕生し、フォークではなくお箸で食べるスタイルにしたと紹介しています。スパゲッティーは、たっぷりのお湯で泳ぐように茹であげる大きな「五右衛門釜」で茹で、ドトール・日レスホールディングスのブランド紹介では「店名の由来となった五右衛門釜」と書かれています。器は有田の窯元に作ってもらったオリジナルの有田焼で、お盆にのせて出します。スパゲッティはイタリアから直輸入しています。2026年10月10日チェーン店養老乃瀧:1938年、長野県松本市で創業。1956年に横浜で「養老乃瀧」1号店、1966年に板橋区成増にフランチャイズ1号店。1977年に「養老牛丼」、2008年に「一軒め酒場」。いまの本社は豊島区西池袋養老乃瀧の公式サイト「会社概要」の沿革によると、1938年6月に長野県松本市で創業し、1956年12月に神奈川県横浜市で「養老乃瀧」の第1号店を開いて、本社を横浜に移しました。1966年4月には東京都板橋区成増にフランチャイズ第1号店を出店。1971年に「養老ビール」、1977年に「養老牛丼」の販売を始め(2017年に再販)、2002年に海鮮居酒屋「だんまや水産」、2008年に「一軒め酒場」の1号店を開きました。2006年にグループ本社を品川区五反田から豊島区西池袋に移し、2016年にチェーン展開60周年を迎えています。2026年10月10日チェーン店ゆで太郎:1994年10月、蕎麦職人だった創業者が開いた湊店から。「挽きたて・打ちたて・茹でたて」を、職人でなくてもできるようマニュアル化して、2004年からフランチャイズで全国へゆで太郎システムの公式サイトの会社沿革・ゆで太郎の歴史・会社概要によると、「ゆで太郎」の1号店は1994年10月の湊店で、信越食品株式会社が経営していました。もとは蕎麦職人で「ほっかほっか亭」のオーナーでもあった創業者が、自家製の生麺と店で作るつゆの本格的な立ち食いの店として始めたものです。2004年8月にフランチャイズチェーンを作るためゆで太郎システムが設立され、12月に品川区西五反田に直営1号店を開店、熟練の技をマニュアルにして、店をガラス張りにして製麺の様子を見せるなどの工夫をしました。2011年に「ゆで太郎」100店舗、2018年に200店舗を達成し、2020年からは「もつ次郎」との併設店も出しています。2026年10月10日チェーン店はなまるうどん:2000年5月に香川県高松市の木太店から。2年後にフランチャイズを始めて東京・渋谷へ、2003年には1年で150店に。2006年に吉野家グループ入り、2025年に本社を高松へ戻したはなまるうどんの公式サイト「概要・沿革・業績」によると、創業店舗の木太店は2000年5月に香川県高松市に開店しました。2002年4月に香川県外(岡山県倉敷市)へ、5月にフランチャイズ事業を始め、9月に東京・渋谷公園通り店を開店。2003年には50店・100店・150店を次々に突破しました。2004年に吉野家ディー・アンド・シー(いまの吉野家ホールディングス)と資本業務提携し、2006年5月に連結子会社に。2011年に上海で海外1号店、2019年に500店舗を達成し、2025年1月には本社を東京から創業の地・高松市に移しています。吉野家ホールディングスによると、国内のはなまるは426店(2026年8月)です。2026年10月8日チェーン店かつや:1998年8月、神奈川県相模原市の「かつや相模大野店」から。翌1999年にフランチャイズを始め、2002年に100号店。親会社アークランズの外食事業部から生まれ、いまは国内491店・海外71店アークランドサービスホールディングスの会社概要と沿革によると、とんかつ専門店「かつや」の1号店は1998年8月、神奈川県相模原市の「かつや相模大野店」です。運営会社は、親会社のアークランズが1986年に設けた外食事業部から生まれ、1993年3月に設立されました。1999年7月に「かつや」のフランチャイズ事業を始め、2002年8月に直営・FC合わせて100号店の「かつや瑞江店」(江戸川区)を開店。店舗数は「かつや」562店(国内491・海外71、2024年12月現在)で、からあげ定食の「からやま」なども運営しています。FC加盟店募集のページでは、看板メニューをカツ丼と紹介しています。2026年10月8日チェーン店くら寿司:1977年5月に大阪府堺市で創業。2000年に「ビッくらポン!」、2002年にタッチパネル、2011年に抗菌寿司カバー「鮮度くん」。回転寿司のしくみを次々に作り、2009年に米国、2014年に台湾へくら寿司の公式サイトの沿革によると、くら寿司は1977年5月に大阪府堺市で創業し、1995年11月に会社を設立しました。1987年にE型レーンとボックス席、1996年に水回収システム、1999年に自動廃棄システム、2000年12月に「ビッくらポン!」、2002年にタッチパネル、2008年に直前わさび、2009年にオーダーレーン、2011年に抗菌寿司カバー「鮮度くん」を取り入れました。2001年に上場、2009年9月に米国1号店、2014年12月に台湾1号店、2019年にくら寿司株式会社に社名変更し、米国の子会社はナスダックに上場。2021年からは道頓堀・原宿・銀座などに「グローバル旗艦店」を開いています。2026年10月8日チェーン店スシロー:1984年6月、大阪府豊中市の「すし太郎」から。1996年に一皿100円均一の店、2001年に関東へ、2009年に屋号を「スシロー」に統一。いまは国内659店舗(2025年9月末)あきんどスシローの公式サイトの沿革によると、スシローは1984年6月に大阪府豊中市で屋号「すし太郎」の1号店を出し、同年10月に株式会社すし太郎を設立しました。1988年に吹田市に同名の会社(屋号「あきんど」)ができ、1996年9月に一皿100円均一価格の店を出店、1999年に2社が合併、2000年に「あきんどスシロー」に社名を変えました。2001年に東京都葛飾区と福生市で関東に進出、2002年に「世界初の回転すし総合管理システム」を開発、2003年に上場。2008年までに中国・四国・東北・九州・北海道へ出店し、2009年に屋号を「スシロー」に統一、2011年に韓国ソウルに出店しました。国内の店舗は659店舗(2025年9月30日現在)で、採用サイトは「国内最多の店舗数を誇る回転すしブランド」と書いています。2026年10月8日チェーン店フレッシュネスバーガー:1992年12月14日、東大駒場キャンパス近くの元・劇団稽古場の木造一戸建てで1号店。1995年にフランチャイズ1号店、2000年に100店舗。「普通のハンバーガーチェーンにはなりたくない!」フレッシュネスバーガーの公式サイトのブランドストーリーによると、第1号店は1992年12月14日、東京大学駒場キャンパス近くの、劇団の稽古場として使われていた木造の一戸建てで誕生しました。アメリカで見た「テネシー州の鉄板だけで焼く手作りハンバーガー屋」のイメージにぴったりだったからだそうです。かぼちゃを練り込んだ特製バンズ、店内でカットして揚げるポテト、目の前で絞るジュースなど手作りにこだわり、口コミで広まりました。1995年にフランチャイズ1号店、2000年に100店舗。クラシックバーガーシリーズやスパムバーガー、ご当地バーガーなども生まれ、2015年には夜も楽しめる「フレバル」が登場しました。2026年10月5日チェーン店ほっともっと:プレナスは1980年に「ほっかほっか亭」九州地域1号店を福岡で開き、2004年に2,000店舗。2008年5月に持ち帰り弁当の新ブランド「ほっともっと」をつくったプレナスの沿革によると、プレナスは1980年4月にほっかほっか亭九州地域本部を設立し、7月に「ほっかほっか亭」九州地域1号店を福岡市に開きました。1999年に東京のほっかほっか亭を子会社にし、2002年に東証一部上場とほっかほっか亭チェーン1,000店舗、2004年に2,000店舗を達成。2008年5月に持ち帰り弁当の新ブランド「Hotto Motto(ほっともっと)」を創設しました。その後、中国・シンガポール・韓国・オーストラリア・台湾・米国などに会社を作り、2023年にMBOで非上場になっています。定食の「やよい軒」も同じプレナスの店です。2026年10月5日チェーン店松のやの歴史:松屋フーズのとんかつ業態は2001年に開業。2016年に100店舗、2025年4月に500店舗(松屋との併設店を含む)。人気の定番はロースかつ定食とチキンかつ定食松屋フーズホールディングスのお知らせと沿革によると、松屋フーズのとんかつ業態は2001年に開業し、「松屋フーズの第二の柱」として2016年6月末に東名阪を中心に91店舗、2016年10月に「松のや」100店舗を達成しました。2013年10月には「松乃家」が関西に初進出し、2025年4月に松屋併設店などを含めて国内500店舗を達成。2024年8月には中国・深圳に「松乃家」の広東1号店を開いています。500店舗記念のお知らせでは、ロースかつ定食とチキンかつ定食を「人気の定番商品」と紹介しています。2026年10月5日チェーン店松のやのかつ丼:店ではロースかつ丼、味噌ロースかつ丼、カキフライとじ丼などをそろえ、2026年10月には「松のや」監修の家で食べる「カツ丼の具」も発売松屋フーズの「松のや」公式メニュー(丼)には、ロースかつ丼、味噌ロースかつ丼、ロースと野菜の合い盛りタレかつ丼、カキフライとじ丼、超厚切りリブロースかつ丼などが並んでいます。松屋フーズホールディングスのお知らせによると、2026年10月9日には、とんかつ業態「松のや」が監修した冷凍の「カツ丼の具」(1袋195g、電子レンジで4分40秒)を松屋公式オンラインショップで先行発売し、10月12日から各ECモールで順次売り出します。2026年10月5日チェーン店松屋のカレー:1980年に本格カレーを導入。創業者の「ゴロゴロ感のあるカレーを」の一言から生まれた「ごろチキ」は2016年に登場し、2024年に「オリジナルカレー」とともにレギュラーに松屋フーズのお知らせによると、松屋は1980年に本格的なカレーの導入を始め、牛骨や牛バラ肉を手鍋で煮込み10種類のスパイスを調合したビーフカレーの味を追求してきました。2016年4月12日には、創業者の「チキンを入れてゴロゴロ感のあるカレーを作って欲しい」という一言から開発された「ごろごろチキンカレー」が登場。2019年12月にスタンダードカレーを「創業ビーフカレー」に変えたあとも「ごろチキ」は期間限定で復活をくり返し、2024年10月29日に「オリジナルカレー」とともにレギュラー発売になりました。2026年10月6日には、マイカリー食堂の人気カレーを松屋流にした「ネオカシミールカレー」も発売されています。2026年10月5日チェーン店松屋の朝定食:朝メニューは1985年にスタートし、最初は3種類。2002年に「選べる小鉢」へ。朝定食の人気No.1は「ソーセージエッグ定食」松屋フーズホールディングスのお知らせによると、松屋の朝メニューは1985年にスタートし、発売当初は3種類でした。2002年には「選ぶ、おいしさ松屋」のキャッチコピーのもと「選べる小鉢」の朝メニューに発展。朝定食の人気No.1は「ソーセージエッグ定食」です。朝定食は午前5時から11時の販売で、2021年には朝弁当、2024年には朝定食に安くサイドメニューを足せる「朝得プラスワン」が始まり、2026年1〜3月には埼玉県の99店舗で朝定食を午後に食べられる「午後の朝ごはん企画」も行われました。2026年10月5日チェーン店松屋の定食:看板の「牛焼肉定食」は創業当初からのロングセラー。2021年にアンガス牛100%の「新牛定」へ、2023年には鬼おろし・のりキム・ネギダレの薬味を選べる形に松屋フーズのお知らせによると、松屋の「牛焼肉定食」は創業当初から松屋の食卓に並ぶ「大人気ロングセラー」で、「定番主力メニュー」と紹介されています。2021年8月10日にはアンガス牛を100%使った「新」牛焼肉定食に一新され、2023年2月14日には鬼おろし・のりキム・ネギダレの薬味を選べる「選べる牛焼肉定食」にリニューアルしました。松屋は1968年に「牛めし・焼肉定食店」として開業しており、牛めしと定食が創業時からの柱です。いまの定食には、生姜焼き定食、豚ロース焼肉定食、カルビ焼肉定食、ハンバーグ定食、黒麻婆豆腐定食などが並びます。2026年10月5日チェーン店マイカリー食堂:松屋フーズのカレー専門店は2013年に誕生。トッピングで「自分だけのマイカリー」がコンセプト。松屋・松のやとの複合店で増え、2022年1月に100店舗目松屋フーズのお知らせによると、カレー専門店「マイカリー食堂」は、トッピングをプラスワンして「自分だけの“マイカリー”」を楽しむというコンセプトで2013年に誕生し、2022年1月に複合店の要町店で100店舗目を開きました。単独の専門店は少なく、2023年1月時点で9店舗。多くは「松屋」「松のや」との複合店です。定番は14種類の香辛料を使いココナッツミルクを使った「プレーンカレー」と、ビーフの旨味の「欧風カレー」で、ロースかつカレーは「看板メニュー」と紹介されています。2026年10月には、マイカリー食堂で人気だった「カシミールカレー」を松屋流にした「ネオカシミールカレー」が松屋で発売されました。2026年10月5日チェーン店サブウェイ:1965年、医者を目指す17歳が学費のために開いたサンドイッチ屋から。世界36,000店以上はすべてフランチャイズ。日本1号店は1992年3月の赤坂見附、いまはワタミのもとで2034年1,000店舗をめざすサブウェイの公式サイト(フランチャイズのページ)によると、サブウェイは1965年の夏、医者を目指していた17歳のフレッド・デルーカが学費を稼ぐために開いたサンドイッチ屋から始まりました。1974年にフランチャイズ展開を始め、1978年に100店舗、いまは約100か国・36,000店以上で、そのすべてをフランチャイズオーナーが運営しています。報道によると、日本1号店は1992年3月に開いた赤坂見附の店で、2013年に閉店しました。公式サイトでは、ワタミのメッセージとともに、2034年に1,000店舗という目標をかかげています。2026年10月5日チェーン店カフェ・ド・クリエ:1994年、名古屋・伏見に1号店。1996年からフランチャイズを募集し1998年に100店舗。もとはポッカのグループで、2022年にベローチェや珈琲館の会社(C-United)の仲間にC-Unitedの公式サイトの沿革によると、「カフェ・ド・クリエ」は1994年に名古屋・伏見に第1号店「カフェ・ド・クリエ伏見店」を出し、1996年に50店舗となって名古屋と関東の直営店を経てフランチャイズのオーナー募集を始め、1998年に100店舗を達成しました。2022年4月1日、カフェ・ベローチェや珈琲館を運営するC-Unitedが、ポッカクリエイトの全株式をサッポログループ食品から取得し、2023年に合併。2026年4月からはコロワイドグループの傘下です。看板のブレンドコーヒーは「コク深く甘い余韻のオリジナルブレンド」と紹介されています。2026年10月4日チェーン店デニーズ:1974年4月、横浜・上大岡のイトーヨーカドーの中に1号店。席への案内、コーヒーのおかわり無料、21種類から選べる卵の焼き方が新しかった。2026年秋は「スープハンバーグ」が復活報道によると、デニーズの1号店は1974年4月27日、横浜市の「イトーヨーカドー上大岡店」の中に開店しました(2017年3月閉店)。席までの案内、コーヒーのおかわり無料、21種類から選べる卵の焼き方などが当時は新しいサービスでした。運営はデニーズジャパンで、店舗数は316店舗(2025年2月末現在)。2023年から創業50周年のキャンペーンを行い、2026年9月16日のグランドメニュー改定では、人気のオニオンスープを使った「スープハンバーグ」が復活し、日清食品とのコラボ「完全メシ」の第3弾も登場しました。2026年10月4日チェーン店ドトール:1962年にコーヒー豆の焙煎・卸の会社として設立、1970年に銀座で直営1号店、1980年に「ドトールコーヒーショップ」。2004年に国内1000店舗、加盟店(フランチャイズ)も募集ドトールコーヒーの公式サイトの沿革によると、1962年にコーヒー豆の焙煎・卸売の会社として設立され、1970年に銀座で直営1号店「カフェ・ドトール」を開きました。創業者の鳥羽博道氏がヨーロッパ視察で新しい喫茶スタイルの着想を得て、1980年に「ドトールコーヒーショップ」を出店。1991年にハワイ島に直営農園、1999年に「エクセルシオール カフェ」、2004年にドトールコーヒーショップ国内1000店舗、2007年に日本レストランシステムとドトール・日レスホールディングスを設立しました。会社概要では、事業内容にフランチャイズチェーンの加盟店の募集と指導があり、直営店は435店舗(2026年2月末現在)です。2026年10月4日チェーン店吉野家とすき家の「牛すき鍋」:吉野家の「牛すき鍋膳」は2013年12月に登場し、2023年11月に累計1億食。すき家の「牛すき鍋定食」は野菜が1日の目安の半分、たまご付き吉野家のニュースリリースによると、「牛すき鍋膳」は2013年12月に、ひとり用のすき焼き鍋を五徳の火にかけて出す商品として登場し、コンセプトは「うまい、やすい、ごゆっくり」。2023年11月に累計販売数1億食を突破しました。すき家も毎年、秋が深まるころに「牛すき鍋定食」を販売しています。どちらも野菜は1日に必要な量の半分がとれると説明されています。2026年10月4日チェーン店はま寿司:2002年10月、すき家のゼンショーが回転寿司に参入して設立。まず北関東に店を集め、全国へ。店舗数は685店(2026年9月)ゼンショーホールディングスの沿革によると、はま寿司は2002年10月、ゼンショーが回転寿司事業に参入するために設立した会社です。はま寿司の会社案内では、資本金1,000万円でゼンショーホールディングスの100%出資、本社は東京都港区港南。事業ビジョンでは、まず北関東を中心に店を集め(ドミナントエリア)、次に全国、そして世界へ広げるとしています。原材料の仕入れから加工・物流・販売まで自社で管理するゼンショーグループの仕組み(MMD)を使っているのも特徴です。ゼンショーの月次資料では、店舗数は2026年9月で685店です。2026年10月4日チェーン店いきなり!ステーキ:2013年12月5日、銀座4丁目で「立ち食い」の量り売りステーキとして1号店。高級だった「ビフテキ」を前菜抜きで手軽に。2019年に500号店、一番人気はワイルドステーキいきなり!ステーキの公式サイトによると、1号店は2013年12月5日に銀座4丁目にオープンしました。高級料理だった「ビフテキ」を、前菜などを抜きにしてお腹いっぱい、手軽に食べられるようにしたいという創業者の想いから生まれた店です。運営するペッパーフードサービスの沿革では、立ち食いで量り売りの厚切りステーキを「炭焼ステーキくに」の半額で出す新業態として始まり、2016年に100号店、2018年に47都道府県へ出店し、2019年に500号店を出しました。公式サイトは一番人気を「ワイルドステーキ」と紹介しています。2026年10月4日チェーン店鎌倉パスタ:「鎌倉」なのに1号店は2004年10月の岡山市。ベーカリーレストランのサンマルクが始めた「生麺工房鎌倉パスタ」から。名物はパンの食べ放題サンマルクホールディングスの沿革によると、「鎌倉パスタ」の1号店は、2004年10月に株式会社サンマルクが岡山県岡山市に開いたスパゲティ店「生麺工房鎌倉パスタ」(直営店)です。サンマルクは1989年に岡山市で設立され、1991年に「ベーカリーレストラン・サンマルク」の営業を引き継いだ会社で、グループには「サンマルクカフェ」や「倉式珈琲店」もあります。公式の一覧表には、食べ放題のパン(ミニクロワッサン、シュガーロール、ガーリックロール、チーズボールなど)や、たらこクリーム・ボロネーゼ・カルボナーラ・ナポリタンなどのパスタが並びます。2026年10月4日チェーン店神戸屋:「神戸」屋なのに創業は1918年の大阪。1928年にイースト菌を使うパンづくりに日本で初めて成功。2023年に袋入りの「包装パン」の事業は山崎製パンへ。いまは駅のベーカリーとレストランの会社神戸屋の公式サイトの沿革によると、神戸屋は1918年(大正7年)に大阪・出入橋で創業し、1928年に従来のホップス種からイースト菌を使う製パン方法に日本で初めて成功しました。1939年には大手企業で初めてパンを包装して販売。1975年にレストラン事業に進出し、1980年には臭素酸カリウムの使用を自主的にやめました。2023年に包装パンの製造販売事業などを山崎製パンへ譲渡し、いまはパン・洋菓子・冷凍生地の製造販売と、ベーカリーやレストランの運営をしています。2026年10月4日チェーン店コメダ珈琲店:1968年に開店、名物「シロノワール」は1977年から。フランチャイズチェーンとして広がり、2007年に東京23区へ、いまは1,079店。開店から午前11時までドリンクを頼むとトーストが無料コメダホールディングスのグループ沿革によると、創業者の加藤太郎氏が1968年1月に喫茶店「コメダ珈琲店」を開き、1977年2月に名物の「シロノワール」を発売しました。2001年にはフランチャイズ(FC)本部の機能を広げるため本社を名古屋市東区に移し、2003年に関東、2007年に東京23区に初出店、2013年に国内500店舗。会社概要では事業内容を「コーヒーショップおよびフランチャイズチェーンの経営」とし、コメダ珈琲店は1,079店舗(2026年2月末)です。毎朝開店から午前11時までドリンクを頼むとトーストが無料でつく「モーニングサービス」も名物です。2026年10月4日チェーン店町田商店:2008年1月、東京都町田市で横浜家系ラーメンの店として創業。自社工場の特注中太麺、豚骨・鶏ガラの濃厚スープ。2020年に国内直営100店舗、ラーメン事業の「プロデュース」もギフトホールディングスの沿革によると、「横浜家系ラーメン 町田商店」は2008年1月、東京都町田市で個人事業として創業し、2009年12月に株式会社町田商店を設立しました。2010年にラーメン事業のプロデュースや製麺などを行う会社を作り、2013年に神奈川県平塚市に製麺工場を設け、2016年にシンガポールに海外直営1号店、2018年に上場、2020年9月に国内直営100店舗を達成。公式サイトによると、麺は自社工場の特注中太麺、スープは豚骨・鶏ガラを長時間炊きこんだ濃厚スープです。2026年10月4日チェーン店マクドナルドのバーガー人気ランキング:公式の「第1回マクドナルド総選挙」(2017年)の1位はダブルチーズバーガー、2位はてりやきマックバーガー。1回戦ではビッグマックと大接戦日本マクドナルドのニュースリリース(2017年2月1日)によると、レギュラーバーガー12種類からお客さまの投票で日本一を決める「第1回マクドナルド総選挙」(2017年1月6日〜31日)で、1位は「ダブルチーズバーガー」、決勝で敗れた2位は「てりやきマックバーガー」でした。1回戦ではダブルチーズバーガーとビッグマックが接戦をくりひろげ、Bブロックではえびフィレオやフィレオフィッシュも健闘しました。1位・2位の「公約」どおり、トリプルチーズバーガーとダブルてりやきマックバーガーが期間限定で売られました。2026年10月4日チェーン店ミスタードーナツ:1971年に大阪・箕面で1号店。掃除用品のダスキンが米国のミスタードーナツと提携して始めた。フレンチクルーラーは1973年、オールドファッションは1975年、ポン・デ・リングは2003年に発売ミスタードーナツの公式サイト「ミスタードーナツの歴史」とダスキンの沿革によると、ダスキンがミスタードーナツ・オブ・アメリカ社と提携し、1971年4月に大阪府箕面市に第1号店の箕面ショップを開きました。ダスキンはもともと、水を使わずに掃除ができるダストコントロール商品の会社です。1973年にフレンチクルーラー、1975年にオールドファッション、2003年にポン・デ・リングを発売。ダスキンの事業紹介によると、ミスタードーナツは国内1,065店(2026年3月末)で、モスバーガーとのコラボレーションショップもあります。2026年10月4日チェーン店大戸屋:1958年、池袋の「全品50円均一」の大戸屋食堂から。2003年にフランチャイズ1号店、2005年から海外へ。店で仕込み、魚や肉は炭火で焼く。創業時からの人気は「チキンかあさん煮」と「大戸屋ランチ」大戸屋ホールディングスの沿革によると、1958年に創業者の三森栄一氏が東京・池袋に「大戸屋食堂」を開き、「全品50円均一」の「50円食堂」として1日千人以上が来店しました。1983年に株式会社大戸屋を設立し、2003年に外部の会社によるフランチャイズ1号店、2005年のタイを皮切りに台湾・香港・インドネシア・シンガポール・ニューヨークなどへ出店。2020年にコロワイドの子会社になり、店舗数は461店舗(国内320・海外141、フランチャイズを含む、2026年3月31日現在)です。店で野菜を下ごしらえして鰹節を削り、魚や肉は炭火で焼きます。公式サイトは「チキンかあさん煮」と「大戸屋ランチ」を創業時から愛される人気メニューと紹介しています。2026年10月4日チェーン店喫茶室ルノアール:1964年、せんべい屋さんの喫茶部門から「ルノアール 日本橋店」が1号店。1983年に喫茶業で初めてPOSを導入、ブレンドはネルドリップを再現したマシンで、内装は大正ロマン銀座ルノアールの公式サイトの沿革によると、1964年10月、有限会社花見煎餅の喫茶部門を独立させて会社を設立し、「ルノアール 日本橋店」を1号店として開きました。1983年に喫茶業で初めてPOSシステムを導入、1995年にコーヒー豆の自家焙煎を始め、2009年に貸会議室専用の店舗、2013年にキーコーヒーと資本・業務提携。公式サイトでは、ネルドリップの技を再現した専用マシンで淹れるブレンドコーヒーと、大正ロマンをイメージした内装の「都会のオアシス」を紹介しています。2016年からは昭和モダンの店もあります。2026年10月4日チェーン店リンガーハット:1962年に長崎市でとんかつ「浜勝」として創業、1974年に「長崎ちゃんめん」の1号店。1981年に皿うどん、2009年から野菜はすべて国産、2019年に1000号店リンガーハットの沿革によると、創業は1962年に長崎市で開いたとんかつ「浜勝」で、1974年8月に「長崎ちゃんめん」(いまの長崎ちゃんぽん)とぎょうざのチェーン1号店(長崎宿町店)を開きました。1979年に関東1号店、1981年に「長崎皿うどん」の販売を始め、1982年に社名を「リンガーハット」に。2009年10月から全店で使う野菜を100%国産にし、麺の小麦は2010年、ぎょうざの主原料は2013年に国産化。2010年には日本初の麺業態のドライブスルー、2019年9月に羽田空港で1000号店を開きました。2026年10月4日チェーン店ロイヤルホスト:始まりは1951年、福岡空港の機内食と喫茶。1954年にはマリリン・モンローが来店。1971年に北九州市黒崎で1号店、1977年に三鷹で首都圏へ。看板は黒毛和牛と国産黒豚の「黒×黒ハンバーグ」ロイヤルホールディングスの沿革によると、ロイヤルは1951年に福岡空港で日本航空の機内食と喫茶を始め、1953年に福岡・中洲に本格フランス料理店を開業、1954年にはマリリン・モンローとジョー・ディマジオ夫妻が来店しました。1962年にセントラルキッチン方式を採用し、郊外型ファミリーレストラン「ロイヤルホスト」1号店を1971年12月に北九州市黒崎に、首都圏1号店を1977年に三鷹に開きました。グランドメニューには、黒毛和牛と国産黒豚の「黒×黒ハンバーグ」、コスモドリア、カシミールビーフカレーなどが並びます。2026年10月4日チェーン店しゃぶ葉:すかいらーくグループのしゃぶしゃぶ食べ放題。2007年5月に横浜で1号店、2015年に台湾、2020年にマレーシア、2021年に米国へ。いまは国内336店すかいらーくホールディングスの沿革によると、「しゃぶ葉」の1号店は2007年5月の横浜店で、2015年5月に台湾、2020年8月にマレーシア、2021年9月に米国にも1号店を出しました。店舗数は336店(2026年9月30日現在)です。公式のディナーメニューには、豚ロース・豚バラ・牛・九州黒豚と牛みすじ・鴨・黒毛和牛などの食べ放題コースが並び、時間制限は100分で、グループ全員が同じコースを注文します。だしは白だし・柚子塩だし・赤チゲ味噌だし・本格すき焼きだし・帆立豆乳だしなどから選べます。2026年10月4日チェーン店スターバックス:1971年にシアトルで1号店。日本1号店は1996年8月の銀座松屋通り店で、北米以外で初めての店。2005年に始めた「ライセンス店舗」を含め、いまは2,116店スターバックス コーヒー ジャパンの公式サイトの沿革によると、スターバックスは1971年にシアトルのパイク・プレイス・マーケットで1号店を開き、1995年10月にサザビーとの合弁で日本法人を設立、1996年8月に北米以外で初めての店として銀座松屋通り店を開きました。1999年に「キャラメル マキアート」、2001年度に「抹茶 クリーム フラペチーノ」を発売し、2001年10月に上場。2004年度に出店強化のため「ライセンス事業」を始め、2013年度に国内1,000店舗、2014年度に米国本社の完全子会社となって上場廃止、2015年5月の鳥取県出店で全都道府県へ。2026年3月末の店舗数は2,116店舗(うちライセンス店舗201店舗)です。2026年10月4日チェーン店天丼てんや:1989年9月、東京駅八重洲地下街に1号店。職人が揚げるのが当たり前だった天丼を手ごろにし、連日200mの行列。天ぷらは「オートフライヤー」で揚げ、たれの隠し味は「うなぎのエキス」天丼てんやの公式メニュー表とロイヤルホールディングスの沿革によると、てんやは1989年9月に東京駅八重洲地下街に1号店を開き、「天丼・天ぷら専門店」の大衆化をめざしてきました。職人が1つずつ揚げるのが当たり前だった天丼を手ごろな値段で食べられるとして、連日200mもの行列ができたそうです。天ぷらは「オートフライヤー(天ぷら自動揚げ機械)」で揚げ、「天丼のたれ」の隠し味は「うなぎのエキス」。運営会社は2006年にロイヤルグループの仲間入りをし、2013年には東南アジアにFC1号店を出しています。2026年10月4日チェーン店鳥貴族:1985年に大阪府東大阪市で創業、翌1986年に「全品均一価格」へ。2005年に関東へ、2016年に全フードメニューで国産基準を達成。焼鳥は国産鶏肉で1本1本串打ち、看板は「貴族焼」エターナルホスピタリティグループの沿革によると、「焼鳥屋 鳥貴族」は1985年に大阪府東大阪市で創業し、1986年に全品均一価格制(当時は250円)を導入しました。1995年に「焼鳥屋 鳥貴族」ひとつに集中し、2005年に関東1号店を中野区に、2007年に100号店、2012年に300号店、2016年に全フードメニューで国産基準を満たし500号店に。公式サイトによると、焼鳥は創業以来の国産鶏肉を1本1本串打ちし、看板の「貴族焼」は塩・たれ・スパイスから選べます。お通し代・席料・深夜料金はとりません。2026年10月4日チェーン店椿屋珈琲:1996年、「銀座七丁目花椿通り 椿屋珈琲店」から。コーヒーはサイフォンで抽出、2024年には自社の焙煎所。2026年4月に30周年、看板の「椿屋スペシャルティブレンド」を新しく運営する東和フードサービスの公式サイトの沿革によると、母体の東和産業は1974年に設立され、同年「コーヒーハウス」1号店を銀座に開きました。1996年に「銀座七丁目花椿通り 椿屋珈琲店」をオープン。公式サイトでは、生産地で厳選したスペシャルティコーヒー、自家焙煎、サイフォン抽出をこだわりとし、「脱日常的な古き良き時代の雰囲気」の中でコーヒーとケーキを楽しむ、というコンセプトを紹介しています。2024年に「椿屋珈琲 焙煎所」を竣工し、2026年4月に30周年を迎えました。2026年10月4日チェーン店タリーズコーヒー:1992年にシアトルで生まれ、1997年8月に銀座で日本1号店(約24坪・38席)。2001年に国内焙煎、2006年から伊藤園のグループ。ハニーミルクラテは2007年から定番にタリーズコーヒージャパンの公式サイトによると、タリーズは1992年にアメリカ・シアトルで生まれ、1997年8月に日本1号店を銀座に開きました(約24坪・38席)。1998年に会社を設立し、2001年に季節限定で「ハニーミルクラテ」を発売(2007年から定番)、同年9月にコーヒー豆の国内焙煎を始め、2002年に100号店、2006年11月に伊藤園のグループ企業に、2013年に500号店を出しました。いまはフランチャイズのオーナーも募集しています。2026年10月4日チェーン店カフェ・ベローチェ:前身は1965年に東京・福生で生まれた「珈琲館シャノアール」、黒ねこのマークはそこから。1986年に代々木でセルフサービスの1号店。「ベローチェ」はイタリア語で「迅速」運営するC-Unitedの公式サイトによると、カフェ・ベローチェの前身は1965年に東京・福生に誕生した「珈琲館シャノアール」で、シャノアールはフランス語で「黒ねこ」。その黒ねこが今もシンボルです。1986年に代々木にオープンしたセルフサービスのコーヒーショップから始まり、全国約170店舗を展開しています。「ベローチェ」はイタリア語で「迅速」。ブレンドコーヒーはブラジル・コロンビア・グアテマラなどの豆を配合し、サンドイッチは毎日店内で作っています。2026年10月4日チェーン店やよい軒:店名のルーツは1886年(明治19年)に東京・茅場町で開いた西洋料理店「彌生軒」。1989年に福岡で「めしや丼」として始まり、2006年に「やよい軒」に。ごはんはおかわり自由、漬物は食べ放題やよい軒の公式サイトによると、店名の由来は1886年(明治19年)5月に塩井民次郎が東京・南茅場町に開いた西洋料理店「彌生軒」で、陸軍大将・大山巌や勝海舟が客として名を残しているそうです。運営するプレナスの沿革では、1989年12月に定食と丼の店「めしや丼」1号店を福岡市に開き、2004年にやよい軒四谷4丁目店、2006年7月に屋号を「やよい軒」に変えました。定食のごはんはおかわり自由、非売品の「刻みごま白菜漬け」は食べ放題、焼魚や玉子焼きは注文が入ってから焼きます。2026年10月4日チェーン店ビッグボーイ:1978年、大阪・箕面に1号店。卓上コンロで焼き上げる「大俵ハンバーグ」と、16種類以上のサラダバー。2002年にダイエーからゼンショーグループへハンバーグとサラダバーのファミリーレストラン、ビッグボーイ。運営するビッグボーイジャパンの公式サイトによると、1977年に会社を設立し、1978年9月に大阪府箕面市で1号店を開店、1980年に東京・代々木に関東1号店を出しました。2000年にヴィクトリアステーションなどと統合して全国187店舗に。2002年には主要株主がダイエーからゼンショーグループの会社に変わりました。名物は、粗挽き牛肉100%の「大俵ハンバーグ」を卓上コンロで焼くスタイルです。2026年10月3日チェーン店びっくりドンキー:1968年、盛岡のわずか13坪の「ハンバーガーとサラダの店・べる」から。木の皿のハンバーグディッシュ、1986年に「びっくりドンキー」へ。いまは350店舗木の皿にハンバーグ・サラダ・ライスを盛ったハンバーグディッシュでおなじみのびっくりドンキー。運営するアレフの公式サイトによると、1968年12月15日、創業者の庄司昭夫さんが岩手県盛岡市に13坪の「ハンバーガーとサラダの店・べる」を開いたのが出発点。1986年に店名を「びっくりドンキー」に変えました。社名の由来はフェニキア文字の「アレフ」。2026年7月時点で350店舗です。2026年10月3日チェーン店ブロンコビリー:1978年、名古屋の喫茶店主が開いたステーキハウス。炭焼き・サラダバーをいったんやめて大赤字、2004年に「炭焼き・サラダバー・大かまど」で復活した炭火で焼くステーキとハンバーグ、サラダバー、大かまどで炊くごはん。ブロンコビリーの公式サイトによると、1969年に名古屋で喫茶店を開いた創業者・竹市靖公さんが、全国の繁盛店を研究して1978年にステーキハウス「ブロンコ」を創業。名前は「野生の馬」のブロンコと、少年の名前ビリーから。2000年の低価格競争で炭焼きとサラダバーをやめ、BSE問題も重なって2001年度に5億円の赤字。2004年に炭焼き・サラダバーを復活させ、大かまどのごはんを始めて業績をV字回復させました。2026年10月3日チェーン店CoCo壱番屋(ココイチ):1978年1月17日、名古屋郊外・西枇杷島町の田んぼの真ん中に1号店。カウンターだけの店から、ごはんの量・辛さ・トッピングを選べるカレーで国内外1,400店舗以上にごはんの量、カレーの辛さ、たくさんのトッピングから、自分好みの一皿を作れるカレーハウスCoCo壱番屋。公式通販サイトの「ココイチを知る」によると、1978年1月17日、愛知県西枇杷島町(いまの清須市)の田んぼの真ん中に、カウンターだけの1号店を開きました。メニューは絵の具のパレットをもとにした「パレットメニュー」。1994年5月に国内300店舗・47都道府県、2004年12月に1,000店舗を達成し、いまは国内外に1,400店舗以上です。2026年10月3日チェーン店ココス:「美食の地カリフォルニア」生まれのレストランが1980年に日本へ。茨城のスーパー「カスミ」の外食部門から始まり、いちばん店が多いのはいまも茨城県。2017年に47都道府県制覇ハンバーグやドリア、モーニングでおなじみのファミリーレストラン、ココス。運営するココスジャパンの公式サイトによると、レストランココスは「美食の地カリフォルニア」で生まれ、1980年に日本にやってきました。茨城県のスーパー「カスミ」の外食部門「ろびんふっど」が、カリフォルニアスタイルのレストランを茨城県土浦市に出したのが始まりで、2000年にゼンショーグループへ。2017年9月の鹿児島出店で47都道府県すべてに店ができました。2026年10月3日チェーン店ドムドムハンバーガーの歴史:1970年、東京・町田に1号店。日本で最初のハンバーガーチェーン。マスコットは象の「どむぞうくん」。2026年9月、スガキヤのグループに日本で最初のハンバーガーチェーン、ドムドムハンバーガー。公式サイトによると、昭和45年(1970年)に設立され、運営会社のプレスリリースでは1号店は東京都町田市にあったとされています。いまの運営会社は2017年設立の株式会社ドムドムフードサービス。2026年10月2日には、「スガキヤ」を運営するスガキコシステムズが、9月30日付で同社をグループ会社に迎えると発表しました。象のマスコット「どむぞうくん」にこめられた意味もふくめてまとめました。2026年10月3日チェーン店名代 富士そば:1966年に立ち食いそば店「そば清」から始まり、1972年から渋谷・新宿・池袋・西荻窪で24時間営業。毎朝届く生そばを茹でて水でしめ、2014年からは天ぷらを店内で揚げる富士そばの公式サイトによると、創業者の丹道夫氏が1966年に「名代 富士そば」の前身の立ち食いそば店「そば清」を始め、1972年にダイタンフード株式会社を設立して立ち食いそば業に専念し、渋谷・新宿・池袋・西荻窪で24時間営業を始めました。毎朝各店に届く生そばを茹でて水でしめ、つゆは防腐剤を使わず、2013年から挽きたて出汁の機械を導入、2014年からは天ぷらを店内で揚げています。かつ丼は一枚肉を使い注文後に作ります。2026年10月3日チェーン店ゴーゴーカレー:ステンレスの皿、ドロッと濃いルー、千切りキャベツ、カツにソース。「金沢カレー」のチェーン。55の工程を5時間煮込み、55時間寝かせる金沢カレーのチェーン、ゴーゴーカレー。公式サイトによると、運営するゴーゴーカレーグループは2003年12月に創立した「カレーの専門商社」で、本社は石川県金沢市。看板の「金沢カレー」は、ルーが濃厚でドロッとしている、千切りキャベツがのる、ステンレスの皿に盛る、フォークか先割れスプーンで食べる、カツの上にソース、という5つが定義。ルーは55の工程を5時間かけて煮込み、55時間寝かせて熟成させます。2026年10月3日チェーン店日高屋:1973年にさいたま市大宮の「来々軒」から始まり、1993年に都内進出、2002年に「日高屋」1号店を新宿東口に。麺と餃子は自社工場で作り、2026年にはフランチャイズで新潟へハイデイ日高の公式サイトの沿革によると、1973年2月にさいたま市大宮区で中華料理「来々軒」を創業し、1986年に子会社で麺と餃子の生産を始め、1993年に「らーめん日高」で都内に進出、2002年6月に「日高屋」1号店を新宿東口に開きました。2002年に総店舗数100店舗、2017年にFCを含めて400店舗、2023年に創業50周年。2026年4月にはFC契約で「日高屋 新潟駅万代口店」を開いています。公式メニューには中華そば、餃子、野菜たっぷりタンメン、チャーハン、野菜炒め定食などが並びます。2026年10月3日チェーン店ハングリータイガー:1969年、横浜・保土ヶ谷の丘に生まれたステーキとハンバーグの店。牛肉100%のラグビーボール型を炭火で焼き、熱々の鉄板で。33店から3店への縮小を乗りこえた神奈川の味神奈川県民に愛されるハンバーグ店、ハングリータイガー。公式サイトによると、1969年2月14日設立、1号店は横浜・保土ヶ谷の丘陵に建てた、西部劇に出てきそうな木造のレストラン。アメリカでレストラン経営を学んだ創業者が、日本にもクルマ社会が来ると予見して作った郊外型の店でした。牛肉100%を丸めて炭火で焼き、鉄板の上でソースをかける「ハンバーグステーキ」のスタイル。2000年の食中毒事故とBSE問題で店を大きく減らした歴史もふくめてまとめました。2026年10月3日チェーン店ジョイフル:はじまりは大分の焼肉屋。1979年に大分市萩原でファミレス1号店、「コンビニもないような町」にも出店する九州発のファミリーレストラン。674店舗九州を中心に、お手頃価格のハンバーグやサイコロステーキでおなじみのジョイフル。公式サイトによると、1976年5月に「株式会社焼肉園」として創業し、焼肉で培った肉のノウハウを生かして、1979年に大分市萩原でファミリーレストラン「ジョイフル」1号店を開店しました。車で行きやすい郊外のロードサイドに、中核都市だけでなく「コンビニもないような町」にまで出店。2026年8月末で連結674店舗です。2026年10月3日チェーン店かっぱ寿司の歴史:1979年に長野市で1号店。はじまりはミスタードーナツのフランチャイズと寿司の製造販売をしていた会社。埼玉・大宮に本社を移し、2014年にコロワイドグループへ回転寿司チェーン、かっぱ寿司。運営するカッパ・クリエイトの有価証券報告書の沿革によると、創業者が1973年8月に長野市で設立した会社は、スーパーなどへの寿司の製造販売とミスタードーナツのフランチャイズ店を営んでいました。1979年8月、長野市に「かっぱ寿司」第1号店。1984年に関東1号店(埼玉県八潮市)を開き、1988年に本社を大宮へ。2014年にコロワイドグループの子会社となり、いまの本社は横浜・みなとみらいです。2026年10月3日チェーン店ケンタッキー「オリジナルチキン」:1970年の大阪万博の実験店から始まり、同年11月に名古屋で1号店。1971年にフランチャイズ1号店、1974年に初のクリスマスキャンペーン、1992年に1,000号店日本ケンタッキー・フライド・チキンの沿革によると、1970年3月の日本万国博覧会に実験店を出し、同年7月に米国KFCと三菱商事の折半出資で会社を設立、11月に名古屋市西区で1号店「名西店」を開きました。1971年9月にフランチャイズ1号店の江の島店、1974年12月に初のクリスマスキャンペーン、1977年に日本のファストフード初のドライブスルー、1992年7月に1,000号店。1993年からはオリジナルチキンの調理を資格を持つ人に限定し、調理者をパッケージに書いています。2007年に三菱商事の子会社に、2024年9月にはクリスピーの100%子会社になりました。2026年10月3日チェーン店幻の牛丼チェーン「神戸らんぷ亭」:1993年にダイエーグループで生まれ、関東に最盛期約50店。2005年にIT企業の傘下へ、2015年7月に全店が姿を消した。最後に残った銀座店の看板の理由は「大家さんの希望」「神戸」なのに関東だけに店があった牛丼チェーン、神戸らんぷ亭。報道によると、1993年に大手スーパー・ダイエーの傘下で創業し、最盛期は関東に約50店。2005年12月にIT企業ミツイワが全株式を譲り受け、2015年春にマックグループ(いまのガーデングループ)の傘下に入ると家系ラーメン店への転換が進み、2015年7月末で「神戸らんぷ亭」の全店が閉店しました。いまはもう喰らえない牛丼チェーンの歴史を、当時の報道からたどります。2026年10月3日チェーン店小諸そば:1953年に食品小売店として創業した三ッ和が、1974年に京橋でスタンドそば1号店。1979年から社員の「のれん分け」でフランチャイズ。そば粉は更科粉、そばが2枚の「二枚もり」も小諸そばを運営する三ッ和の公式サイトによると、三ッ和は1953年に東京都中央区で食品小売店として始まり、1970年に製麺事業部を作り、1974年に小諸そば株式会社を設立してスタンドそば1号店を京橋に開きました。1979年には社員への「のれん分け」でフランチャイズ(パートナーチェーン)を始め、1993年に50号店の東京駅前店を出しています。そば粉はそばの実の中心だけを挽いた更科粉(御膳粉)で、江東区の自社工場でそば粉八割を超える生そばを作り、かえしは2週間以上寝かせます。2026年10月3日チェーン店幸楽苑:1954年に福島県会津若松市の6坪の「味よし食堂」から。らーめんは35円だった。「半ちゃんラーメン」は郡山の店の不振から生まれ、1980年にフランチャイズへ、2003年に東京23区へ幸楽苑の公式サイトの沿革によると、1954年に創業者が福島県会津若松市で6坪・従業員3人の「味よし食堂」を開き、当時のらーめんは35円でした。1967年に「幸楽苑」に改称、1975年に自家製麺とギョーザの工場、1977年に郡山駅前店の不振がきっかけで「半ちゃんラーメン」が誕生、1980年にフランチャイズ事業に進出しました。2000年に東京都、2003年に東京23区に初出店し、2012年にはタイに海外1号店。看板の中華そばは「創業当時から半世紀にわたり愛され続けている自慢の商品」と紹介されています。2026年10月3日チェーン店いま話題の「麻辣湯(マーラータン)」チェーン:具材を選んで重さで会計、スープと辛さを選ぶ1人1鍋。最大手の七宝麻辣湯は2007年に渋谷で創業、楊國福は中国・ハルビン発で世界7,000店以上野菜、きのこ、肉、練り物、春雨を自分で選んでボウルに入れ、重さで会計、スープと辛さを選ぶ「麻辣湯(マーラータン)」。ITmedia ビジネスオンラインの記事(2026年)によると、最大手の七宝麻辣湯は全国75店舗、楊國福麻辣湯は26店舗など、チェーンの出店が続き、外食大手の参入も相次いでいます。七宝麻辣湯は2007年に東京・渋谷で創業、楊國福は2003年に中国・ハルビンで創業し、2018年に池袋で日本1号店。注文のしかたと主なチェーンをまとめました。2026年10月3日チェーン店丸亀製麺:1号店は2000年、香川ではなく兵庫県加古川市。運営は焼鳥居酒屋から始まったトリドール。すべての店で毎日粉から打つ「打ち立て、茹でたて」。2011年にハワイへ、2018年に世界1,000店舗トリドールホールディングスの会社情報によると、運営会社は1985年に兵庫県加古川市で焼鳥居酒屋「トリドール三番館」として創業し、2000年に讃岐うどん専門店「丸亀製麺」の1号店を同じ加古川市に出しました。2011年に海外1号店を米国・ハワイに開き、中国・香港・台湾・インドネシア・ベトナム・カンボジア・フィリピン・アメリカ本土などへ広げ、2018年に「丸亀製麺」は世界1,000店舗を達成しています。公式サイトは、すべての店で毎日粉から打つ「打ち立て、茹でたて」のうどんで、国産小麦100%の釜揚げうどんを「丸亀製麺の代名詞」と紹介しています。2026年10月3日チェーン店松屋の歴史:1966年に練馬区のわずか4坪半の中華飯店から創業、1968年に江古田で牛めし・焼肉定食の店。店舗はほぼすべて直営で、グループは1,573店(2026年3月末)松屋フーズホールディングスの沿革と有価証券報告書によると、松屋は1966年6月16日、創業者が東京都練馬区羽沢に開いた中華飯店「松屋」から始まり、1968年7月に江古田で牛めし・焼肉定食店「松屋」を開業しました。1980年に株式会社松屋商事を設立、1989年に松屋フーズへ社名変更、2001年に東証一部、2013年に「松屋」1,000店舗、2014年に「プレミアム牛めし」を導入、2018年に持株会社の松屋フーズホールディングスへ。会社概要では店舗数は1,573店(2026年3月末、FC5店・海外24店を含む)で、店舗のほとんどが直営です。とんかつの「松のや」、カレーの「マイカリー食堂」、鮨など11ブランドを持ちます。2026年10月3日チェーン店マクドナルドとビッグマック:ビッグマックは1968年、米国ピッツバーグのフランチャイズオーナーが生んだ。日本1号店は1971年7月の銀座三越で、ビッグマックも最初から。日本の店の約7割はフランチャイズ日本マクドナルドの公式サイトによると、ビッグマックは1968年、米国ピッツバーグで10店舗以上を経営していたフランチャイズオーナーのジム・デリガッティ氏が、経営不振を打開しようと何度も本社に提案して生まれました。日本では、創業者の藤田田氏がマクドナルドの展開を決めた決め手もビッグマックだったと紹介されています。日本1号店は1971年7月、東京の銀座三越1階に開き、ビッグマックは最初のメニューのひとつでした。フランチャイズは1976年に沖縄県で始まり、いまは日本のマクドナルド全店舗の約7割をフランチャイジーが運営しています。2026年10月3日チェーン店モスバーガー:1972年に東京都板橋区の成増で1号店。1973年にテリヤキバーガー、1987年にモスライスバーガーが登場。国内1,307店のうち加盟店が1,269店モスフードサービスの公式サイトによると、モスバーガーは1972年3月に東京都板橋区成増で実験店を開き、同年6月に1号店「成増店」がオープンしました。1973年に「テリヤキバーガー」、1987年に「モスライスバーガー」を発売。1973年11月にフランチャイズ1号店を開き、1986年には外食産業で初めて全国47都道府県に出店。国内のモスバーガー1,307店のうち加盟店は1,269店、直営店は38店で、東京都は181店です(2026年8月31日現在)。公式サイトは看板のモスバーガーを「モスの代表作」と紹介し、ミートソースを85℃でかけていると書いています。2026年10月3日チェーン店なか卯:1969年、大阪・茨木の手作りうどんの店から。名前は創業者の「なか」と、「うどん」の「う」を縁起のいい「卯」に。親子丼は1994年から、2005年にゼンショーグループへ親子丼と京風うどんでおなじみのなか卯。公式サイトによると、1969年に大阪府茨木市で手作りうどんの店として創業し、1号店「なか卯茨木店」を開きました。社名は、創業者の名前の一字「なか」と、「うどん屋」の「う」を縁起のいい「卯」に変えたもの。1989年に関東へ進出し、1994年に「親子丼」を導入。2005年にゼンショーが親会社になり、2010年に完全子会社になりました。2026年10月3日チェーン店「餃子の王将」と「大阪王将」はちがう会社:王将は1967年に京都・四条大宮、大阪王将は1969年に大阪・京橋で創業。店舗数は王将728店、大阪王将をふくむイートアンド460店どちらも餃子が看板の中華チェーン、「餃子の王将」と「大阪王将」。じつは別の会社です。王将フードサービスの公式の沿革によると、餃子の王将は1967年12月24日に京都・四条大宮で1号店を開店。大阪王将を運営するイートアンドホールディングスの公式サイトによると、大阪王将は1969年9月に大阪・京橋で創業しました。創業の物語、店舗数、それぞれの看板の餃子をくらべました。2026年10月3日チェーン店サイゼリヤ:1967年に千葉県本八幡で開店。ミラノ風ドリアは従業員のまかないから生まれて1983年に商品化、1999年に大幅値下げ。オーストラリアの自社工場でソースを作り、国内外に1,682店サイゼリヤの公式サイトによると、1967年に千葉県本八幡で開店。看板の「ミラノ風ドリア」は従業員のまかないから生まれ、1983年に商品化されました。1999年には、いちばん売れているミラノ風ドリアを480円から290円に値下げしています。オーストラリアの自社工場で生乳のホワイトソースと牛肉のミートソースを作り、米は福島の工場で精米した国産米。店舗数は国内1,053・海外629の計1,682店(2025年8月期)。2020年8月には全店で「手書きオーダー」を始めました。2026年10月3日チェーン店千疋屋:1834年(天保5年)、槍術の師範が「水くわし安うり処」の露店から始めた果物屋。明治元年の「果物食堂」がフルーツパーラーの原点。京橋・銀座の千疋屋は「のれん分け」した別の会社高級果物の代名詞、千疋屋。千疋屋総本店の公式サイトによると、1834年(天保5年)、武蔵国埼玉郡千疋村(いまの埼玉県越谷市)で槍術の道場を開いていた大島弁蔵が、日本橋人形町の親父橋のたもとに「水くわし安うり処」の露店を構えたのが始まり。明治元年には「果物食堂」(のちのフルーツパーラー)を開きました。京橋千疋屋(1881年)と銀座千疋屋(1894年)は、のれん分けで独立した、それぞれ別の会社です。2026年10月3日チェーン店すかいらーくグループ:はじまりは1962年、ひばりが丘団地の小さな食品店。1970年に府中で「すかいらーく」1号店、1992年に「ガスト」。いまはガスト1,202店、バーミヤン、しゃぶ葉、資さんうどんなど3,219店ガスト、バーミヤン、ジョナサン、しゃぶ葉、夢庵…。どれもすかいらーくグループのお店です。すかいらーくホールディングスの公式サイトによると、前身の「ことぶき食品」は1962年、保谷市(いまの西東京市)のひばりが丘団地で小さな食品店として開業。1970年に府中市でファミリーレストラン「すかいらーく」1号店(国立店)を開きました。社名は「ひばり(SKYLARK)」から。2009年に「すかいらーく」ブランドの店はすべて閉じ、いまはグループで3,219店(2026年9月30日現在)です。2026年10月3日チェーン店資さんうどん:北九州のソウルフード。1976年に戸畑で1号店、鯖節と鰹節の「黄金の出汁」。常連のひとことから生まれた「肉ごぼ天うどん」。2024年にすかいらーくグループへ、関東にも進出北九州の人が「資さん」と呼んで愛するうどん店、資さんうどん。公式サイトの「資さんうどんの歴史」によると、創業者・大西章資さんが削り節の老舗と試作を重ねて鯖節と鰹節の出汁を完成させ、1976年1月に北九州市戸畑区で本店を開きました。看板の「肉ごぼ天うどん」は常連客のリクエストから生まれ、2012年に正式メニューに。2023年に大阪、2024年に関東へ進出。2024年9月には、すかいらーくホールディングスが全株式を取得しました。2026年10月3日チェーン店すき家の歴史:1982年に横浜・生麦の弁当店から出発したゼンショーが、同じ年に牛丼のすき家1号店。2007年に47都道府県へ出店し、いまは国内2,016店(2026年9月)と海外へゼンショーホールディングスの沿革によると、同社は1982年6月に横浜市鶴見区で設立され、7月に弁当店「ランチボックス」の1号店、11月にすき家(牛丼店)のビルイン1号店「生麦駅前店」を開きました。1987年に郊外型(フリースタンディング)の1号店、1999年に東証二部上場、2007年に沖縄県へ出店して47都道府県を達成。2005年の中国を皮切りに、ブラジル・タイ・メキシコ・マレーシア・台湾・インドネシア・ベトナムなどへすき家を広げています。すき家の月次資料では、2026年9月の店舗数は2,016店です。2026年10月3日チェーン店天下一品:1971年、京都の屋台から。創業者は持ち金3万7千円、初日は11杯。3年9か月の試行錯誤で生まれた「飲むスープ」ではなく「食べるスープ」、こってり濃厚な「こってり」でおなじみの天下一品。公式サイトによると、創業者の木村勉氏が1971年(昭和46年)、勤めていた会社の倒産をきっかけに、持ち金3万7千円で京都でラーメンの屋台を引き始めたのが始まり。初日の売り上げは11杯。3年9か月の試行錯誤の末に「こってり」スープが生まれました。工場で使う鶏がらは1日約16,000kg。いまは193店舗(2026年10月3日現在)。2026年10月3日チェーン店フォルクス:名前はドイツ語で「国民・民衆」。初任給2万円台、ステーキ1枚が数千円だった1970年に、1,000円を切るステーキで「サラリーマン家庭のごちそう」にサラダバーとスープバーでおなじみのステーキハウス、フォルクス。運営するアークミールの公式サイトによると、「フォルクス」はドイツ語で「国民・民衆」という意味。創業した1970年当時、牛肉は輸入が制限されて高価で、大卒の初任給が2万〜2万5千円、ステーキ1枚が数千円の時代に、1,000円を切るステーキを出しました。いまはステーキのどん・しゃぶしゃぶどん亭とともにアークミールが運営し、フォルクスは40店舗(2026年3月31日現在)です。2026年10月3日チェーン店吉野家の歴史:1899年に東京・日本橋の魚河岸で創業。1980年の会社更生法の申請、2004年の牛丼販売休止を乗り越え、国内1,287店・海外1,079店(2026年8月)に吉野家の公式サイト「吉野家の歴史」によると、吉野家は1899年(明治32年)、大阪から上京した松田栄吉が東京・日本橋の魚河岸で始めた牛丼屋です。関東大震災で築地へ移り、1968年に2号店の新橋店を開いてチェーン化へ。1975年に米国デンバーで海外1号店、1980年に会社更生法を申請、1991年に「特盛」を発売、1998年に47都道府県に出店しました。2004年には米国のBSE問題で牛丼の販売を休止し、2008年に24時間販売を再開。吉野家ホールディングスによると、2026年8月の店舗数は国内吉野家1,287店、海外吉野家1,079店です。2026年10月3日

喰らい方のコツ

喰らい方のコツ「牛乳」「低脂肪牛乳」「加工乳」「乳飲料」、「アイスクリーム」「アイスミルク」「ラクトアイス」のちがい:国の命令で、乳脂肪分や乳固形分の基準が決まっている国の「乳及び乳製品の成分規格等に関する命令」(乳等命令)によると、「牛乳」は無脂乳固形分8.0%以上・乳脂肪分3.0%以上、「成分調整牛乳」は生乳から乳脂肪分などの一部を取り除いたもの、「低脂肪牛乳」は乳脂肪分0.5%以上1.5%以下、「無脂肪牛乳」は乳脂肪分0.5%未満です。「加工乳」は生乳や牛乳などを原料にして加工したもの(無脂乳固形分8.0%以上)、「乳飲料」は生乳や牛乳などを主な原料にした飲料で、牛乳や加工乳などにあたらないものです。アイスクリーム類は、乳固形分15.0%以上(うち乳脂肪分8.0%以上)が「アイスクリーム」、10.0%以上(うち乳脂肪分3.0%以上)が「アイスミルク」、3.0%以上が「ラクトアイス」です。2026年10月12日喰らい方のコツロースハム・ボンレスハム・ベーコンのちがいは「豚のどこの肉か」:ロースハムはロース肉、ボンレスハムはもも肉、ベーコンはばら肉をくん煙したもの。肉のかたまり(10g以上)を集めて固めたのが「プレスハム」(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)の別表第3によると、ハム類は使う豚肉の部位で名前が決まります。骨付きハムは豚のももを骨付きのまま、ボンレスハムは豚のもも(骨を抜く、またはもも肉を分割)、ロースハムは豚のロース肉、ショルダーハムは豚の肩肉、ベリーハムは豚のばら肉を、それぞれ塩漬けして、くん煙・湯煮などしたものです。ラックスハムは肩肉・ロース肉・もも肉を塩漬けし、低温でくん煙または乾燥したものです。ベーコンは豚のばら肉、ロースベーコンはロース肉、ショルダーベーコンは肩肉を、塩漬けしてくん煙したものです。プレスハムは、10g以上の肉のかたまり(肉塊)を塩漬けし、つなぎ(20%以下)などと混ぜてケーシングに詰め、くん煙・湯煮などしたものです。2026年10月12日喰らい方のコツ食品に書いてはいけない言葉:しょうゆの「特選」「超特選」は基準より旨み成分が1.1倍・1.2倍以上のものだけ、「減塩」は100g中の食塩9g以下、みそやしょうゆの「天然醸造」は温めて醸造を早めず添加物を使わないものだけ、「黒酢」は米黒酢・大麦黒酢だけ(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)の別表第22には、食品ごとに表示してはいけない言葉(表示禁止事項)が決められています。しょうゆでは、日本農林規格(JAS)の特級のうち、全窒素分などが特級の基準の1.1倍以上のものだけが「特選」、1.2倍以上のものだけが「超特選」と表示できます。しょうゆの「減塩」は100g中の食塩が9g以下のものに限られます。みそとしょうゆの「天然」「自然」の用語は使えませんが、加温で醸造を早めず、決められた添加物を使っていないものは「天然醸造」と表示できます。食酢では「天然」「自然」は使えず、「黒酢」は米黒酢と大麦黒酢だけ、「静置発酵」は液の中に空気を送るなどして発酵を早めていないものだけです。乾燥わかめ・塩蔵わかめは天然わかめでなければ「天然」「自然」と書けず、「新鮮」など新しさを示す言葉も使えません。乾しいたけには「名産」の言葉や、品評会で受賞したように誤認させる言葉を使えません。2026年10月12日喰らい方のコツスープ・油・レトルトの書いてはいけない言葉:粉末スープで「〇〇たっぷり」のように原材料を強調できるのは基準量以上使ったときだけ。油は30%以上なら「〇〇入り」、60%以上なら「〇〇調合油」。肉のような植物性たん白を使ったレトルトを肉だけと誤解させる言葉はだめ(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)の別表第22の表示禁止事項によると、乾燥スープでは、原材料のうち特定のものを特に強調する言葉は使えませんが、できあがりのスープ1,000mLあたりの使用量が基準以上の原材料(たとえば乾燥ポタージュのとうもろこしは20g、ばれいしょは25g、乾燥コンソメの牛肉は1g)などの名前を商品名につける場合はかまいません。食用植物油脂では、「精製」など等級と紛らわしい言葉は使えず、原料の油の一部を特に強調する言葉は、その油が30%以上60%未満なら「〇〇入り」のような商品名で、60%以上なら油脂名に「調合」をつけた商品名で、どちらも含有率を容器の主要な面に表示した場合に限られます。レトルトパウチ食品では、肉様の植物性たん白(大豆などからつくる、肉のような食感のたん白)を使ったものについて、原材料がすべて肉や魚肉であるかのように誤認させる言葉は使えません。2026年10月12日喰らい方のコツアイスやガムに賞味期限がないのはなぜ?:食品表示基準では、アイスクリーム類・チューインガム・砂糖・食塩・酒類・氷などは期限の表示を省略できる。表示面がおおむね30cm²以下の小さな包装は原材料名なども省略可。文字は8ポイント以上(小さな包装は5.5ポイント)国のルールである食品表示基準(内閣府令)の第3条第3項によると、でん粉、チューインガム、冷菓、砂糖、アイスクリーム類、食塩・うま味調味料、酒類、ガラス瓶やポリエチレン容器入りの飲料水・清涼飲料水、氷は、消費期限・賞味期限の表示を省略できます。保存の方法も、これらと、常温で保存する以外に注意することがないものは省略できます。容器包装の表示できる面積がおおむね30平方センチメートル以下のもの(特定保健用食品と機能性表示食品をのぞく)は、原材料名、添加物、内容量、栄養成分の量と熱量の表示を省略できます。原材料が1種類だけのものも、原材料名を省略できます(缶詰や食肉製品などをのぞく)。表示の文字は、第8条で日本産業規格の8ポイント以上の大きさで、背景と対照的な色にすることとされ、表示できる面積がおおむね150平方センチメートル以下のものなどは5.5ポイント以上でよいとされています。2026年10月12日喰らい方のコツジャムとパンの表示:かんきつの皮が入ると「マーマレード」、しぼり汁でつくると「ゼリー」。果実の形を残すと「プレザーブスタイル」。糖度60度以下のジャムは「開封後は10℃以下で保存」。食パンは直方体か円柱の型で焼いたもの(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)によると、ジャム類は、果実・野菜・花弁を砂糖類・糖アルコール・蜂蜜とともにゼリー化するまで加熱したものなどです。そのうち、かんきつ類の果実を原料とし果皮が認められるものが「マーマレード」、果実などの搾汁を原料にしたものが「ゼリー」、それ以外が「ジャム」です。ジャムの名称は、1種類の果実なら「いちごジャム」などと果実の名前をつけ、2種類以上なら「ミックスジャム」と表示します。いちごは全形か二つ割り、ベリー類は全形、それ以外は厚さ5mm以上の果肉などで原形を保ったものは「(プレザーブスタイル)」と表示できます。糖用屈折計の示度が60ブリックス度以下のジャム類には、「開封後は、10℃以下で保存すること」などと表示します。パン類のうち、パン生地を食パン型(直方体または円柱状の焼型)に入れて焼いたものが「食パン」です。2026年10月12日喰らい方のコツ「ジュース」と「果汁入り飲料」のちがい:JASでは、果実をしぼった汁か「還元果汁」でつくるのが「果実ジュース」、果汁が基準の10%以上100%未満なのが「果汁入り飲料」。2種類以上なら「果実ミックスジュース」農林水産省の「果実飲料の日本農林規格」(JAS 1075、2023年5月25日改正)によると、果実飲料は、濃縮果汁、果実ジュース、果実ミックスジュース、果粒入り果実ジュース、果実・野菜ミックスジュース、果汁入り飲料の6つです。濃縮果汁は果実の搾汁を濃縮したもの、還元果汁は濃縮果汁を薄めて基準(糖用屈折計示度)以上の濃さにしたものです。果実ジュースは1種類の果実の搾汁か還元果汁(砂糖類・蜂蜜などを加えたものを含む)、果実ミックスジュースは2種類以上の果実の搾汁か還元果汁を混ぜたもの、果粒入り果実ジュースは果粒を加えたもの、果実・野菜ミックスジュースは野菜汁を加えたもので果汁の割合が50%を上回るものです。果汁入り飲料は、還元果汁や果実の搾汁を薄めたもので、基準の10%以上100%未満のものなどです。2026年10月12日喰らい方のコツうどん・ひやむぎ・そうめんのちがいは太さ:乾めんでは、長径1.7mm以上が「うどん」、1.3〜1.7mm未満が「ひやむぎ」、1.3mm未満が「そうめん」。そば粉が30%未満の干しそばは「2割」などと割合を書く(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)によると、乾めん類のうち、そば粉を使ったものが「干しそば」、それ以外が「干しめん」です(別表第3)。干しめんは名称を「干しめん」とし、長径1.7mm以上に成形したものは「干しうどん」または「うどん」、1.3mm以上1.7mm未満は「干しひやむぎ」「ひやむぎ」または「細うどん」、1.3mm未満は「干しそうめん」または「そうめん」、幅4.5mm以上で厚さ2.0mm未満の帯状のものは「干しひらめん」「ひらめん」「きしめん」または「ひもかわ」と表示できます(別表第4)。手作業で引き延ばした「手延べ」の定義もあります。そば粉の配合割合(食塩以外の原材料に占めるそば粉の重量の割合)が30%未満の干しそばは、「2割」「20%」などと割合を表示し、10%未満なら「1割未満」などと表示します(別表第19)。2026年10月12日喰らい方のコツ缶詰の表示:缶や瓶に密封して加熱殺菌したものが缶詰・瓶詰。内側を塗装していない缶には「開缶後はガラス等の容器に移し換えること」の表示。焼き鳥缶は鶏などをばい焼してしょうゆなどと詰めたもの(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)の別表第3・第19によると、農産物缶詰・瓶詰は、農産物やその加工品に充てん液を加えたり加えなかったりして、缶や瓶に密封し、加熱殺菌したものです。みかん缶詰はみかんの果粒状・さのう状の果肉や、皮を除いた全形のものを詰めたもの、もも缶詰は二つ割りなどの果肉を詰めたものなどと決まっています。畜産物缶詰は食肉や卵などを密封して加熱殺菌したもので、焼き鳥缶詰は家きんの肉などをばい焼し、しょうゆ・砂糖などの調味料と詰めたものです。調理食品缶詰には、カレー缶詰、シチュー缶詰、食肉野菜煮缶詰などがあります。内面塗装缶以外の缶を使った農産物・畜産物・調理食品の缶詰には、「開缶後はガラス等の容器に移し換えること」などと表示します。一種類の農産物を詰めた缶詰には、形状を表す用語(アスパラガスの「ロング」「スピアー」など)を表示します。2026年10月12日喰らい方のコツ「かつお削りぶし」と「かつおかれぶし削りぶし」のちがい:かびを付けた「かれぶし」だけなら「かれぶし削りぶし」。厚さ0.2mm以下が「薄削り」、こえると「厚削り」。2種類以上の魚なら「混合削りぶし」(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)の別表第3・第4によると、削りぶしは、ふし・かれぶし・煮干しなどを削ったものです。「ふし」は魚を煮てたんぱく質を固めたあと、水分26%以下までくん乾したもの(かつお・まぐろは頭や内臓を除く)、「かれぶし」はふし(かつおは表面を削ったもの)に二番かび以上のかび付けをしたものです。1種類の魚のかれぶしだけを使ったものは「かつおかれぶし削りぶし」(または「かれぶし削り」)、ふしや煮干しを使ったもの(かれぶしとの混合も)は「かつお削りぶし」「いわし削りぶし」など、2種類以上の魚を使ったものは「混合削りぶし」と表示します。厚さ0.2mm以下は「薄削り」、0.2mmをこえるものは「厚削り」、糸状は「糸削り」、薄削りを砕いたものは「砕片」で、名称のあとにかっこで書きます(「薄削り」は省略できます)。2026年10月12日喰らい方のコツお米の袋の表示の見方:名称は「玄米」「もち精米」「うるち精米(精米)」「胚芽精米」。産地・品種・産年がそろっていれば「単一原料米」、ちがえば「複数原料米」で国内産△割。精米したお米は「精米時期」を書く(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)の別表第24によると、袋に入った玄米・精米には、名称、原料玄米、内容量、調製時期・精米時期・輸入時期、表示に責任を持つ事業者の氏名(名称)・住所・電話番号を表示します。名称は「玄米」「もち精米」「うるち精米」または「精米」で、胚芽を含む精米が80%以上なら「胚芽精米」です。原料玄米は、産地・品種・産年が同じで根拠の資料を保管しているものは「単一原料米」と書いて産地・品種・産年を並べ、そうでないものは「複数原料米」などと書いて「国内産△割」のように産地と使用割合を書きます。精米には精米時期を、玄米には調製時期を、年月旬または年月日で書き、時期の異なるものを混ぜた場合はいちばん古い時期を書きます。内容量はグラムかキログラムで書きます。2026年10月12日喰らい方のコツマーガリンとファットスプレッドのちがいは「油の割合」:油脂含有率80%以上が「マーガリン」、80%未満が「ファットスプレッド」。チョコなどの風味を加えたら「風味ファットスプレッド」、甘みを加えたら「(加糖)」(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)の別表第3によると、マーガリンは、食用油脂に水などを加えて乳化し、急冷して練り合わせるなどしてつくった、可塑性(形を変えられる)または流動状のもので、油脂含有率(製品にしめる食用油脂の重量の割合)が80%以上のものです。ファットスプレッドは、同じようにつくったもので油脂含有率が80%未満のものと、果実・チョコレート・ナッツのペーストなどの風味原料を加えたもの(風味原料の割合が油脂含有率を下回るもの)です。名称は「マーガリン」「ファットスプレッド」で、流動状のものは「(流動状)」、風味原料を加えたものは「風味ファットスプレッド」、糖類や蜂蜜を加えたものは「(加糖)」と表示します(別表第4)。ファットスプレッドには、油脂含有率をパーセントで表示します(別表第19)。2026年10月12日喰らい方のコツマヨネーズとドレッシングのちがい:JASでは、マヨネーズは「半固体状ドレッシング」のなかま。卵黄か全卵を使い、植物油が65%以上。油が10〜50%未満で、でん粉や糊料を使うのが「サラダクリーミードレッシング」農林水産省の「ドレッシングの日本農林規格」(JAS 0955、2024年8月30日改正)によると、ドレッシングは、食用植物油脂と食酢またはかんきつ類の果汁に、食塩・砂糖類・香辛料などを加えてつくる、主にサラダに使う調味料です。粘度が30Pa・s以上の「半固体状ドレッシング」、乳化液状で30Pa・s未満の「乳化液状ドレッシング」、「分離液状ドレッシング」に分かれます。マヨネーズは半固体状ドレッシングのうち、卵黄または全卵を使い、決められた原材料・添加物だけを使い、食用植物油脂が65%以上のものです。サラダクリーミードレッシングは、卵黄とでん粉または糊料を使い、食用植物油脂が10%以上50%未満のものです。マヨネーズのJASの品質基準では、水分は30%以下、使える原材料は食用植物油脂、醸造酢・かんきつ類の果汁、卵黄・卵白、たん白加水分解物、食塩、砂糖類、蜂蜜、香辛料です。2026年10月12日喰らい方のコツみその種類:「米みそ」「麦みそ」「豆みそ」「調合みそ」。大豆に米こうじなら米みそ、麦こうじなら麦みそ、大豆そのものにこうじ菌を育てるのが豆みそ(みその日本農林規格)農林水産省の「みその日本農林規格」(JAS 0022、2022年3月31日制定、2025年7月15日改正)によると、みそは、大豆(または大豆と米・麦などの穀類)を蒸したものに、こうじ菌を育てたこうじと食塩を混ぜて、発酵・熟成させた半固体状のもの(砂糖類や風味原料を加えたものを含む)です。米みそは蒸した大豆に米こうじ、麦みそは麦こうじを加えて食塩を混ぜたもの、豆みそは蒸した大豆にこうじ菌を育てたものに食塩を混ぜたもの、調合みそはそれらを混ぜたものなどです。この規格は、みその生産方法についてのJASで、こうじ菌は日本の伝統的なみそに使われる「Aspergillus oryzae」でなければならないなどの基準があり、満たしたものにJASマークを付けることができます。2026年10月12日喰らい方のコツにんじんジュースと瓶詰のうにの表示:にんじんの搾汁に、かんきつ類・うめ・あんずや調味料を3%未満加えたものまでが「にんじんジュース」。ほかの果実・野菜はにんじんより少なければ「にんじんミックスジュース」。うにが50%以上なら「粒うに」「練りうに」(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)の別表第3・第4によると、にんじんジュースは、にんじんを破砕して搾汁したり裏ごししたりしたもの(濃縮したものを薄めて戻したものもふくむ)で、かんきつ類・うめ・あんずの搾汁や、食塩・蜂蜜・砂糖類・香辛料を加えた場合は、その割合が3%未満のものです。にんじんミックスジュースは、にんじんの搾汁に、ほかの果実や野菜の搾汁を、にんじんより少ない割合で加えたものなどです。濃縮にんじんを薄めてつくったものは、原材料名を「濃縮にんじん」または「にんじん(濃縮還元)」と書き、2種類以上の果実は「果実(りんご、レモン)」、2種類以上の野菜は「野菜(トマト、ほうれんそう)」のように多い順に書けます。うに加工品のうち、うにの生殖巣に食塩を加えたもの(塩うに)などで、うにの割合が50%以上のものが「粒うに」、それを練りつぶしたものが「練りうに」です。2026年10月12日喰らい方のコツ冷凍食品とレトルト食品の表示:冷凍食品には「加熱の必要はありません」「加熱してお召し上がりください」などの表示と、加熱用なら「凍結直前加熱」かどうかの表示。レトルトパウチ食品は、遮光性のある袋に詰めて加圧加熱殺菌したもの(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)の別表第19によると、製造・加工した食品を凍らせた冷凍食品には、「加熱の必要はありません」「加熱用」「加熱してお召し上がりください」など、食べるときに加熱が必要かどうかを表示します。食べるときに加熱が必要とされる冷凍食品には、「凍結直前加熱」の文字など、凍らせる直前に加熱したかどうかを表示します。調味した魚介の切り身・むき身を凍らせたものは、「生食用」か、「加工用」「フライ用」「煮物用」など生食用でない旨を表示します。別表第3によると、レトルトパウチ食品は、プラスチックフィルムや金属はくなどでつくった、光を通さず気体を通さない容器に調製した食品を詰め、熱で密封し、加圧加熱殺菌したものです。容器に密封され常温で流通する食品のうち、一定の条件で10℃以下での保存が必要なものには「要冷蔵」と表示します。2026年10月12日喰らい方のコツ冷凍野菜と食用油の表示:冷凍野菜は「ブランチング(軽い湯通し)」して凍らせたもの。多い順に上位3つ(5%以上)の野菜の原産地を書く。油は「食用なたね油」など「食用」をつけ、2種類以上なら「食用調合油」、ラー油は「香味食用油」(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)によると、野菜冷凍食品は、野菜に選別・洗浄・不可食部分の除去などの前処理と、変色などを防ぐための軽い湯通しなどの「ブランチング」を行ったものを凍らせて包装し、凍ったまま保持したものです(別表第3)。野菜冷凍食品は、重量の割合が上位3位までで5%以上の野菜について、原産地(国産は国産である旨、輸入品は原産国名)を、多い順にかっこで野菜の名前を添えて表示します(第3条)。食用植物油脂は、植物の種子や果肉などからとった油を食用に処理したもので、名称は「食用」をつけて内容を表す一般的な名前で書きます。2種類以上を調合したものは「食用調合油」、香辛料などの香味原料を加えたものは「香味食用油」で、「ラー油」などと表示できます(別表第3・第4)。2026年10月12日喰らい方のコツ魚の表示の見方:生の魚には「名称」と「原産地」。国産は水域名か養殖場の都道府県名、輸入は原産国名。凍らせたものを解凍したら「解凍」、えさを与えて育てたら「養殖」と書くルール(食品表示基準)食品表示基準(内閣府令)と消費者庁の「食品表示基準Q&A」によると、スーパーなどで売る生鮮の水産物には、名称と原産地を表示します。原産地は、国産品は水域名または地域名(主たる養殖場が属する都道府県名)、輸入品は原産国名で、水域名の表示が難しいとき(水域をまたがって漁をする場合など)は水揚げした港名や、その港が属する都道府県名で代えられます。凍らせたものを解凍した場合は「解凍」、養殖したものは「養殖」と表示します。養殖は「幼魚等を重量の増加又は品質の向上を図ることを目的として、出荷するまでの間、給餌することにより育成すること」で、えさを与えていなければ養殖の表示はいりません。凍ったマグロのさくを冷蔵ケースで売るときも「解凍」の表示が必要です。一方、うなぎの蒲焼きや、マグロとハマチの刺身の盛り合わせは加工食品にあたり、解凍・養殖の表示の義務はありません。2026年10月12日喰らい方のコツウスター・中濃・濃厚ソースのちがいは「とろみ」:粘度0.2Pa・s未満がウスター、0.2〜2.0Pa・s未満が中濃、2.0Pa・s以上が濃厚。油を使わないサラダ用は「ドレッシングタイプ調味料」(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)の別表第3によると、ウスターソース類は、野菜や果実の搾汁・煮出汁・ピューレなどに砂糖類・食酢・食塩・香辛料を加えてつくった、茶色または茶黒色の液体調味料(でん粉や調味料などを加えたものを含む)です。そのうち粘度が0.2パスカル・秒未満が「ウスターソース」、0.2以上2.0パスカル・秒未満が「中濃ソース」、2.0パスカル・秒以上が「濃厚ソース」です。無塩可溶性固形分が33%以上のウスターソースは「ウスターソース(こいくち)」と表示できます(別表第4)。原材料名は「野菜・果実(たまねぎ、トマト、りんご…)」のように表示できます。また、食酢かかんきつ類の果汁に食塩・砂糖類・香辛料などを加えた、主にサラダ用の調味料で、食用油脂を使っていないものは「ドレッシングタイプ調味料」です。2026年10月12日喰らい方のコツウインナー・フランクフルト・ボロニアのちがいは腸と太さ:羊腸か太さ20mm未満がウインナー、豚腸か20〜36mm未満がフランクフルト、牛腸か36mm以上がボロニア。スパゲッティは太さ1.2mm以上の棒状(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)の別表第3によると、クックドソーセージなどのうち、羊腸を使ったものか、製品の太さが20mm未満のもの(牛腸・豚腸を使ったものを除く)が「ウインナーソーセージ」、豚腸を使ったものか、太さ20mm以上36mm未満のもの(牛腸・羊腸を使ったものを除く)が「フランクフルトソーセージ」、牛腸を使ったものか、太さ36mm以上のもの(豚腸・羊腸を使ったものを除く)が「ボロニアソーセージ」です。ハム類の名称は「骨付きハム」「ボンレスハム」「ロースハム」「ショルダーハム」「ベリーハム」「ラックスハム」です(別表第4)。マカロニ類は、デュラム小麦のセモリナなどに水を加えて練り、機械で高圧で押し出して切断・熟成乾燥したもので、太さ2.5mm以上の管状などは「マカロニ」、太さ1.2mm以上の棒状か2.5mm未満の管状は「スパゲッティ」と表示できます。2026年10月12日喰らい方のコツ乾しいたけと漬物の表示:かさが7分開きになる前にとったのが「どんこ」、なってからが「こうしん」。原材料名には「しいたけ(原木)」「しいたけ(菌床)」。漬物は「たくあん漬」「ふくじん漬」「梅干」「キムチ」など名前が決まっている(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)によると、乾しいたけのうち、かさが7分開きにならないうちに採ったしいたけを使ったものが「どんこ」、7分開きになってから採ったものが「こうしん」です。名称は「乾しいたけ」で、薄切りは「(スライス)」と書き、ほかの乾しいたけの混入が重量で30%以下なら「乾しいたけ(どんこ)」「乾しいたけ(こうしん)」と表示できます。原材料名は「しいたけ」で、クヌギ・コナラなどの原木で育てたものは「しいたけ(原木)」、おが屑などを固めた培地で育てたものは「しいたけ(菌床)」と書きます。農産物漬物の名称は、「たくあん漬」「ぬか漬」「ふくじん漬」「しょうゆ漬」「なら漬」「わさび漬」「かす漬」「らっきょう酢漬」「梅漬」「梅干」「みそ漬」「べったら漬」「はくさいキムチ」(または「キムチ」)などと決まっていて、1種類の原材料を漬けたものは「きゅうりしょうゆ漬」などとも表示できます。2026年10月12日喰らい方のコツしらす干し・魚肉ソーセージ・こうや豆腐の表示:体長おおむね3cm以下の煮干魚類は「しらす干し」「ちりめん」と書ける。魚肉ソーセージは魚肉が50%をこえるもの。凍り豆腐は「こうや豆腐」「しみ豆腐」とも書ける(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)の別表第3・第4によると、煮干魚類は、魚を煮てたんぱく質を固め、乾燥したもので、名称は「煮干魚類」(かっこで魚種名を書いてもよい)ですが、体長がおおむね3cm以下(いかなごはおおむね5cm以下)のものは「しらす干し」「ちりめん」などと表示できます。魚肉ソーセージ(普通魚肉ソーセージ)は、魚肉のひき肉やすり身などを調味し、でん粉などと練り合わせて(脂肪2%以上)ケーシングに詰めて加熱したもので、魚肉の割合が50%をこえるものです。チーズやグリンピースなどの「種もの」を加えたものは「特種魚肉ソーセージ」です。凍り豆腐は、大豆だけを原料にした豆腐を凍らせ、熟成・解凍・脱水・乾燥したもので、名称は「凍り豆腐」「こうや豆腐」「しみ豆腐」と表示し、さいの目などの形や「調味料付き」をかっこで書きます。2026年10月12日喰らい方のコツお肉のパックの表示:「牛」「豚」「鶏」など動物の名前を書く。味をしみこませた肉や、肉のかけらをくっつけて成型した肉には「タンブリング処理」などの表示と、「中心部まで十分に加熱して」などの表示が必要(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)の別表第19によると、食肉(鳥獣の生肉)には、「牛」「馬」「豚」「めん羊」「鶏」などの動物名を表示します(名称で種類がわかる場合は省略できます)。内臓は「牛肝臓」「心臓(馬)」などと表示します。調味料に浸す処理や、ほかの食肉の断片を結着させて成型する処理など、病原微生物による汚染が内部に広がるおそれのある処理をした食肉には、「タンブリング処理」「ポーションカット」などの処理をした旨と、「あらかじめ処理してありますので中心部まで十分に加熱してお召し上がりください」などの、全体を十分に加熱する必要がある旨を表示します。生食用の牛肉(内臓を除く)には、「生食用」である旨や、と畜場・加工施設の都道府県名と名称などを表示します。2026年10月12日喰らい方のコツしょうゆの5種類:「こいくち」「うすくち」「たまり」「さいしこみ」「しろ」。つくり方は「本醸造」「混合醸造」「混合」の3方式、こいくちの等級は「特級」「上級」「標準」(しょうゆの日本農林規格)農林水産省の「しょうゆの日本農林規格」(JAS 1703、2021年1月25日改正、2025年11月10日確認)によると、しょうゆは、こいくちしょうゆ、うすくちしょうゆ、たまりしょうゆ、さいしこみしょうゆ、しろしょうゆの5種類です。こいくちは大豆にほぼ等量の麦を加えたものをしょうゆこうじの原料にし、うすくちは製造工程で色が濃くなるのを抑えたもの、たまりは大豆か大豆に少量の麦を加えたものを原料にし、さいしこみはもろみに食塩水のかわりに生揚げ(もろみをしぼったままの液体)を加え、しろは少量の大豆に麦を加えたものを原料にして色が濃くなるのを強く抑えたものです。つくり方は、もろみを発酵・熟成させる「本醸造方式」、もろみにアミノ酸液などを加えて発酵・熟成させる「混合醸造方式」、しょうゆや生揚げにアミノ酸液などを加える「混合方式」があります。こいくちしょうゆの等級は特級・上級・標準で、特級は本醸造方式であることが条件です。2026年10月12日喰らい方のコツ「乾燥コンソメ」と「乾燥ポタージュ」、「風味調味料」のちがい:つなぎを入れず澄んだスープになるのがコンソメ、つなぎで濃厚で不透明になるのがポタージュ。かつお節やこんぶの粉末などで風味をつける粉末・顆粒の調味料は「風味調味料」(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)の別表第3によると、乾燥スープは、肉や魚介、野菜などの煮出汁などに調味料・食用油脂・香辛料などを加え、粉末状・顆粒状・固形状に乾燥させたもので、水やお湯、牛乳などでスープになるものです。そのうち、肉や魚介の煮出汁を使い、つなぎを加えず、おおむね澄んだスープになるものが「乾燥コンソメ」、穀粉・でん粉・牛乳などのつなぎを加え、濃厚で不透明なスープになるものが「乾燥ポタージュ」、それ以外が「その他の乾燥スープ」です。スープに浮かせる乾燥した肉や卵、クルトンなどは「うきみ」です。また、調味料(アミノ酸等)と、かつおぶしなどの節類・煮干し・こんぶ・ほたて・乾しいたけなどの粉末や抽出物(風味原料)に、砂糖類・食塩などを加えて乾燥し、粉末状や顆粒状にした、調理のときに風味原料の香りと味をつけるものが「風味調味料」です。2026年10月12日喰らい方のコツお酢の種類:「醸造酢」と「合成酢」。穀類を1Lに40g以上で「穀物酢」、そのうち米40g以上で「米酢」、米180g以上で褐色〜黒褐色なら「米黒酢」。果実の搾汁300g以上で「果実酢」、りんごなら「りんご酢」(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)の別表第3・第4によると、食酢は「醸造酢」と「合成酢」に分かれます。醸造酢は、穀類・果実・野菜などやアルコールを原料に酢酸発酵させた液体調味料で、氷酢酸や酢酸を使っていないものです。合成酢は、氷酢酸や酢酸を薄めたものに砂糖類などを加えたものなどです。穀物酢は穀類の使用量が醸造酢1Lにつき40g以上のもので、そのうち米が40g以上のものが「米酢」、米(または米と小麦・大麦)だけを180g以上使い、発酵・熟成で褐色または黒褐色になったものが「米黒酢」、大麦だけで180g以上なら「大麦黒酢」です。果実酢は果実の搾汁が1Lにつき300g以上のもので、りんごの搾汁300g以上なら「りんご酢」、ぶどうなら「ぶどう酢」です。名称は「米酢」「穀物酢」「りんご酢」「果実酢」「醸造酢」「合成酢」などと表示します。2026年10月12日喰らい方のコツ卵とかきの表示:生で食べられる卵には「生食用」「10℃以下で保存することが望ましい」「賞味期限経過後は、十分に加熱調理する必要があります」。生食用でない卵は「加熱加工用」。かきは「生食用」か「加熱用」かを表示(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)の別表第24によると、鶏の殻付き卵のうち生食用のものには、「生食用」など生食用である旨、「10℃以下で保存することが望ましい」など10℃以下で保存することが望ましい旨、「賞味期限経過後は、十分に加熱調理する必要があります」など賞味期限を過ぎたら加熱殺菌が必要な旨を表示します。生食用でない卵には「加熱加工用」と、「飲食に供する際には加熱殺菌が必要です」などの文言を表示します。賞味期限は年月日で表示しますが、生食用でない卵は、産卵日・採卵日・選別日・包装日の表示で代えることができます。採卵や選別・包装をした施設の所在地と、その事業者の名前も表示します。生かきは、生食用か加工用かを表示し、生食用以外は「加熱調理用」「加熱加工用」「加熱用」など加熱が必要なことをはっきり表示し、生食用はとった水域も表示します。2026年10月12日喰らい方のコツ「〇〇産使用」と書くなら割合も:食品表示基準では、特定の産地のものや有機農産物など「特色のある原材料」を強調するときは、その原材料の重量の割合をそばか原材料名のあとのかっこに書く。100%なら省略できる。「〇〇控えめ」のように少ないことを示すときも割合を書く国のルールである食品表示基準(内閣府令)の第7条(任意表示)によると、加工食品の容器包装で、特定の原産地のもの、有機農産物・有機畜産物・有機加工食品など、使った原材料が特色のあるものであることを表示するとき、または商品名が特色のある原材料を使ったことを示すときは、その表示の近くか、原材料名のあとのかっこに、重量の割合を書きます。割合は、製品の原材料と添加物全体に占める割合か、同じ種類の原材料の中に占める割合(この場合はそのことも書く)のどちらかで、100%なら省略できます。原料原産地名を表示する場合は除かれます。また、特定の原材料の使用量が少ないことを表示するときも、その原材料の製品に占める重量の割合を書きます。酒類、製造した場所で売るもの、販売以外で配るものには、この決まりは適用されません。2026年10月12日喰らい方のコツトマトケチャップ・トマトソース・トマトピューレーのちがい:ケチャップは可溶性固形分25%以上、トマトソースは8%以上25%未満。濃縮トマトの無塩可溶性固形分24%未満がピューレー、24%以上がペースト(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)の別表第3によると、トマトケチャップは、濃縮トマトに食塩・香辛料・食酢・砂糖類と、たまねぎまたはにんにくを加えて調味したもので、可溶性固形分が25%以上のものです。トマトソースは、濃縮トマト(皮を除いて刻んだトマトを加えたものを含む)に食塩と香辛料を加えて調味したもので、可溶性固形分が8%以上25%未満のものです。チリソースは、種の大部分を残したまま皮を除いたトマトを濃縮して調味したもので、可溶性固形分25%以上です。濃縮トマトのうち、無塩可溶性固形分が24%未満がトマトピューレー、24%以上がトマトペーストです。トマトジュースはトマトの搾汁(またはこれに食塩を加えたもの)などで、トマト果汁飲料はトマトの搾汁が50%以上の飲料です。2026年10月12日喰らい方のコツ「豆乳」「調製豆乳」「豆乳飲料」のちがい:大豆固形分が8%以上で大豆をしぼったままが「豆乳」、砂糖や油などを加えて6%以上が「調製豆乳」、果汁などの風味を加えて4%以上(果汁5〜10%未満なら2%以上)が「豆乳飲料」(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)の別表第3によると、豆乳は、大豆から熱水などでたんぱく質などを溶け出させ、繊維質を取り除いた乳状の液体(大豆豆乳液)で、大豆固形分が8%以上のものです。調製豆乳は、大豆豆乳液に砂糖類・食塩などの調味料や大豆油などの植物油脂など、風味に影響しない原材料を加えたもので、大豆固形分が6%以上のものです(脱脂加工大豆からつくるものも含みます)。豆乳飲料は、豆乳などに果実の搾汁・野菜の搾汁・乳製品・穀類粉末などの風味原料を加えたものなどで、大豆固形分が4%以上(果実の搾汁が5%以上10%未満のものは2%以上)のものです。名称は「豆乳」「調製豆乳」「豆乳飲料」と表示し、大豆固形分を「8%以上」「6%以上」「4%以上」などと表示することができます(別表第4・第19)。2026年10月12日喰らい方のコツうなぎの蒲焼きとわかめの表示:国産のうなぎ加工品は原材料名に「うなぎ(国産)」、輸入なら原産国名。わかめは「乾燥わかめ」「塩蔵わかめ」「湯通し塩蔵わかめ」、塩蔵わかめを使った乾燥わかめはその旨を表示(食品表示基準)国のルールである食品表示基準(内閣府令)によると、うなぎ加工品は、うなぎ(ウナギ属)を開いて焼いたり蒸したりしたもの、またはしょうゆ・みりんなどの調味液を付けて焼いたもの(細かく切ったものを除く)です(別表第3)。原材料のうなぎの原産地は、うなぎの名称のあとにかっこで、国産品は国産である旨(水域名・養殖場の都道府県名などでもよい)を、輸入品は原産国名を表示します(第3条)。国産のうなぎ加工品の原材料名は、「うなぎ」「しょうゆ」「みりん」などと重量の多い順に書きます(別表第4)。わかめは、洗ったり湯通ししたりして乾燥したものが「乾燥わかめ」(「乾わかめ」も可)、水で戻して食塩を加え脱水したものが「塩蔵わかめ」、湯通しして冷やしたものに食塩を加えたものが「湯通し塩蔵わかめ」で、湯通し塩蔵わかめを塩抜きして乾燥した乾燥わかめは、その旨を原材料名に表示します。2026年10月12日喰らい方のコツ食品のアレルギー表示:表示が義務の「特定原材料」は2026年4月にカシューナッツが加わって9品目(えび・カシューナッツ・かに・くるみ・小麦・そば・卵・乳・落花生)。表示がすすめられる「準ずるもの」は20品目で、ピスタチオが追加消費者庁の「加工食品の食物アレルギー表示ハンドブック(令和8年4月)」と2026年4月1日の事務連絡によると、容器包装された加工食品などで表示が義務になっている「特定原材料」は、えび・カシューナッツ・かに・くるみ・小麦・そば・卵・乳・落花生(ピーナッツ)の9品目です。カシューナッツは全国実態調査の症例数などをふまえて2026年に新しく加わり、2年間の経過措置があります。表示がすすめられる「特定原材料に準ずるもの」は20品目で、2026年にピスタチオが加わりました。外食・中食については、消費者庁が事業者向けの手引きなどで情報提供をうながしています。2026年10月10日喰らい方のコツ栄養成分表示と「ゼロ」「オフ」「無添加」の見かた:熱量・たんぱく質・脂質・炭水化物・食塩相当量の5つは表示が義務。「ゼロ」「ノン」は基準値未満、「オフ」「カット」は比べる食品との差が条件。「糖類無添加」は糖類を加えていないこと消費者庁の「栄養成分表示について」のページによると、容器包装に入れられた一般用加工食品と添加物には、食品表示基準にもとづき栄養成分表示が義務づけられています。表示は熱量(エネルギー)、たんぱく質、脂質、炭水化物、ナトリウム(食塩相当量で表示)の順で、飽和脂肪酸と食物繊維は表示が推奨され、糖質・糖類・ミネラル・ビタミンなどは任意で表示されます。水や香辛料、小規模な事業者が売る食品などは省略されていることがあります。「高○○」「○○豊富」などの補給ができる旨の表示や、「無○○」「○○ゼロ」「低○○」「○○30%カット」などの適切な摂取ができる旨の表示は、決められた基準を満たした食品だけに使えます。「ゼロ」「ノン」は基準値未満、「低」「控えめ」は基準値以下、「カット」「オフ」は比べる食品との差が基準以上(相対差25%以上)で、比べた食品と量・割合を表示します。「糖類無添加」「食塩不使用」は、糖類やナトリウム塩を加えていないことなどが条件です。2026年10月10日喰らい方のコツ外食の原産地表示は「義務」ではない:農林水産省のガイドラインで、メニューの主な原材料・メニュー名の原材料・こだわりの原材料の産地を自主的に表示。国産なら「国産」、外国産なら国名、3か国以上は上位2か国と「その他」農林水産省の「外食における原産地表示に関するガイドライン」(2005年7月策定)の手引きによると、生産・流通段階では生鮮食品や一部の加工食品に原産地表示が義務づけられていますが、料理として提供する外食は表示義務の対象ではありません。ガイドラインは、外食事業者が自主的に原産地を表示するための指針です。表示の対象として、メニューの主たる原材料(例:ステーキの牛肉)、メニュー名に使われている原材料(例:チキンソテーの鶏肉)、こだわりの原材料(例:旬のさんま)をあげ、売れ筋や定番のメニューはそれ以外の原材料も積極的に表示するよう求めています。原産地は、国産なら「国産」、外国産なら原産国名で、都道府県名や一般に知られた地名なども使えます。原産国が複数なら重量の多い順に2か国を書き、3か国目以降は「その他」とまとめられます。一方、外食でも、米トレーサビリティ法のごはんや、牛トレーサビリティ法の焼き肉・ステーキなどは、法律で産地や個体識別番号を伝える必要があります。2026年10月10日喰らい方のコツ原料原産地表示の見方:2022年4月から、国内でつくるすべての加工食品で、いちばん多く使っている原材料の産地の表示が義務に。生鮮食品なら「国産」など、加工食品なら「国内製造」など。「国内製造」は原料が国産という意味ではない消費者庁のチラシ「全ての加工食品に原料原産地が必ず表示されます!」(2022年3月作成)によると、2017年9月1日から、すべての加工食品(輸入品を除く)で、重量の割合がいちばん高い原材料の原産地の表示が義務になり、準備期間は2022年3月31日まででした。2022年4月以降に製造・販売される加工食品には、原料原産地が表示されています。いちばん多い原材料が生鮮食品(ウインナーソーセージの豚肉など)なら「国産」などの産地を、加工食品(チョコレートケーキのチョコレートなど)なら「国内製造」などの製造地を書きます。「国内製造」は、その原材料の加工食品を国内でつくったという意味で、使われた生鮮食品が国産という意味ではありません。おにぎりなど一部の品目には個別のルールがあります。2026年10月10日喰らい方のコツ「GIマーク」は地域ブランドの証:地理的表示(GI)保護制度で、地域ならではの特性をもつ産品の名称を国が保護。夕張メロン・神戸ビーフ・八女伝統本玉露など、登録は第179号まで(2026年7月10日)。東京都は「東京しゃも」農林水産省の「地理的表示(GI)保護制度」のページによると、地理的表示保護制度は、その地域ならではの自然的・人文的・社会的な要因の中で育まれてきた品質や社会的評価などの特性をもつ産品の名称を、地域の知的財産として保護する制度です。国が登録し、GIマークという統一ロゴとあわせて、模倣品対策や名称・ブランドの保護をはかります。登録産品一覧(2026年7月10日現在)によると、2015年12月22日に登録された第2号「但馬牛」、第3号「神戸ビーフ」、第4号「夕張メロン」、第5号「八女伝統本玉露」などから始まり、2026年7月10日には第177号「浜名湖うなぎ」、第178号「加賀れんこん」、第179号「日本茶」が登録されました。東京都の登録産品は、2019年5月8日に登録された第77号「東京しゃも」です。2026年10月10日喰らい方のコツ国産牛肉の「個体識別番号」:牛は1頭ずつ番号で管理され、スーパーの牛肉にも、焼き肉・しゃぶしゃぶ・すき焼き・ステーキの店にも番号の表示が必要。番号をインターネットで調べると、生まれた日や育った場所の履歴がわかる農林水産省の「牛トレーサビリティ制度」のページによると、BSEのまん延防止措置を的確に実施するため、国内の牛は個体識別番号で一元管理され、生産から流通・消費までの各段階で番号を正確に伝えることで、消費者に個体識別情報が提供されています。牛の管理者は、牛の両耳に耳標をつけ、出生や異動を届け出る義務があります。枝肉・部分肉・ロースやモモなどの精肉(特定牛肉)を売る販売業者と、焼き肉・しゃぶしゃぶ・すき焼き・ステーキ(特定料理)を出す業者は、牛の個体識別番号の表示や帳簿の備え付けが必要です。ただし、コンビーフなど牛肉を原料に加工・調理したものや、舌(タン)、ひき肉、くず肉などは対象外です。インターネットで売る牛肉や、ふるさと納税の返礼品の牛肉にも表示が必要です。番号は、家畜改良センターのサイトで検索すると牛の生産履歴を調べられます。2026年10月10日喰らい方のコツトクホ・機能性表示食品・栄養機能食品のちがい:トクホは国の審査と消費者庁長官の許可、機能性表示食品は企業の責任で販売前に届出、栄養機能食品は基準を満たせば届出なし。どれも医薬品ではない消費者庁の「食品を安心して選ぶために」と「保健機能食品について」によると、保健機能食品には栄養機能食品、特定保健用食品(トクホ)、機能性表示食品の3種類があり、医薬品とは異なり、病気の治療や予防のために食べるものではありません。特定保健用食品は、効果や安全性について国の審査を経て消費者庁長官の許可を受けたもの。機能性表示食品は、企業などの責任で科学的根拠にもとづいて表示するもので、販売前に消費者庁長官へ届け出ますが、個別審査は受けていません。栄養機能食品は、ビタミン・ミネラルなどの補給のための食品で、基準を満たせば届出なしで国が決めた表現で表示できます。消費者庁は、1日の摂取目安量より多くとっても高い効果が得られるものではないとしています。2026年10月10日喰らい方のコツ「遺伝子組換えでない」表示の見かた:表示の対象は大豆・とうもろこしなど9つの農産物と33の加工食品群。しょうゆや油は表示義務なし。「遺伝子組換えでない」と書けるのは、分けて管理したうえで混入がないと認められるものだけ消費者庁の「食品表示基準Q&A」別添「遺伝子組換え食品に関する事項」(2026年4月1日版)によると、日本で流通する遺伝子組換え農作物は、食品安全基本法・食品衛生法とカルタヘナ法にもとづいて安全性が確認されたものだけです。表示が義務になるのは、大豆、とうもろこし、ばれいしょ、菜種、綿実、アルファルファ、てん菜、パパイヤ、からしなの9つの農産物と、それを原料にして加工後も組み換えたDNAなどが検出できる33の加工食品群です。油やしょうゆのように、加工でDNAなどが分解されて検出できない食品には表示義務がありません。遺伝子組換え農産物と分けて管理(分別生産流通管理)した原料を使ったときは、その旨を任意で表示でき、大豆ととうもろこしは5%以下の意図せざる混入が認められています。「遺伝子組換えでない」と表示できるのは、分別生産流通管理をしたうえで混入がないと認められるものに限られます。原材料の上位3位以内かつ重量の5%以上でない原料は、表示義務がありません。2026年10月10日喰らい方のコツ消費期限と賞味期限のちがい:お弁当やサンドイッチの「消費期限」は安全に食べられる期限、スナック菓子やカップめんの「賞味期限」はおいしく食べられる期限。どちらも開けずに表示どおり保存した場合の期限農林水産省の「消費期限と賞味期限」によると、消費期限は、袋や容器を開けないまま書かれた保存方法を守った場合に「安全に食べられる期限」で、お弁当・サンドイッチ・生めん・ケーキなどいたみやすい食品に表示されています。賞味期限は、同じ条件で「おいしく食べられる期限」で、スナック菓子・カップめん・チーズ・かんづめ・ペットボトル飲料など、いたみにくい食品に表示されています。どちらも開けずに表示どおり保存した場合の約束で、一度開けた食品は期限に関係なく早めに食べるよう呼びかけています。消費者庁の「食品期限表示の設定のためのガイドライン」(2025年3月)は、賞味期限を過ぎても必ずしもすぐに食べられなくなるわけではないと説明しています。2026年10月10日喰らい方のコツお米の産地は「米トレーサビリティ法」で伝えられる:おにぎり・弁当・せんべい・日本酒・みりんも対象。外食では「ごはん」の産地を伝える義務。国産なら「国産」、外国産なら国名農林水産省の「米トレーサビリティ法の概要」によると、米トレーサビリティ法は、お米や米加工品に問題が起きたときに流通ルートを速やかに特定するため、生産から販売・提供までの各段階で取引の記録を作り保存し、お米の産地情報を取引先や消費者に伝える制度です。対象は、もみ・玄米・精米などの米穀、米粉や米こうじ、弁当・おにぎり・ライスバーガー・赤飯・包装米飯などの米飯類(冷凍・レトルト・缶詰をふくむ)、もち・だんご・米菓・清酒・単式蒸留しょうちゅう・みりんです。取引の記録は2010年10月1日から、産地情報の伝達は2011年7月1日から義務になりました。消費者に売るときは産地情報を伝える必要があり、外食店では米飯類だけが対象です。国産米は「国内産」「国産」(都道府県名なども可)、外国産はその国名を書くか、産地を知ることができる方法で伝えます。記録は原則3年間保存します。2026年10月10日喰らい方のコツ食品の「+Aa」みたいな記号はなに?「製造所固有記号」:どこの工場でつくったかを記号で表す制度。同じ商品を2つ以上の工場でつくるときなどに使える。工場の場所は表示の問い合わせ先や消費者庁のデータベースで調べられる消費者庁の「食品表示基準Q&A」別添「製造所固有記号」(2026年10月1日版)によると、食品表示基準では製造所の所在地と製造者の氏名・名称の表示が義務ですが、あらかじめ消費者庁長官に届け出た「製造所固有記号」で代えることができます。使えるのは原則として同じ製品を2つ以上の製造所でつくる場合で、複数の自社工場でつくる食品に本社を表示する場合や、複数の他社工場に製造を委託している販売者が自社名を表示する場合です。牛乳・乳製品などは、販売者名と記号の組み合わせは認められていません。記号は事業者名などのあとに「+」をつけて表示します。記号を使う事業者は、問い合わせ先の電話番号、工場情報をのせたウェブサイトのアドレス、または記号の一覧のいずれかを表示しなければならず、消費者は消費者庁の製造所固有記号制度届出データベースでも調べられます。記号は5年ごとに更新の届出が必要です。2026年10月10日喰らい方のコツ食品の「3分の1ルール」とは:賞味期間の3分の1までに店に納品する慣例。期限がまだ残っていても行き場がなくなり食品ロスに。納品期限を緩和する小売は377事業者、賞味期限を「年月」表示にする製造業者は365事業者(2025年10月)農林水産省の「商慣習検討」のページによると、食品のサプライチェーンには、賞味期間の3分の1以内で小売店舗に納品する慣例、いわゆる「3分の1ルール」があり、この期限までに納品できなかった食品は、賞味期限まで多くの日数を残していても行き場がなくなり、廃棄される可能性があります。農林水産省は、毎年10月30日の食品ロス削減の日を「全国一斉商慣習見直しの日」とし、納品期限の緩和、賞味期限表示の大括り化(年月表示・日まとめ表示)、賞味期限の延長などを呼びかけています。2025年10月時点で、納品期限を緩和(予定をふくむ)している食品小売事業者は377事業者(前年339)、賞味期限表示の大括り化に取り組む食品製造事業者は365事業者(前年350)、賞味期限の延長に取り組む事業者は393事業者(前年359)、フードバンク・子ども食堂などへ食品を提供している事業者は529事業者(前年482)でした。2026年10月10日喰らい方のコツ食品ロス(2024年度):日本で食べられるのに捨てられた食品は約461万トン。家庭から224万トン、お店や工場から237万トン。家庭では「手つかずのまま捨てる」が43%、「食べ残し」が41%環境省の報道発表「我が国の食品ロスの発生量の推計値(令和6年度)の公表について」(2026年6月30日)と資料によると、2024年度の食品ロス(本来食べられるのに捨てられた食品)は約461万トンで、前年度から約3万トン減りました。内訳は事業系が約237万トン、家庭系が約224万トンです。事業系は食品製造業110万トン(46%)、外食産業70万トン(30%)、食品小売業48万トン(20%)、食品卸売業9万トン(4%)。家庭系は、未開封のまま捨てる「直接廃棄」96万トン(43%)、「食べ残し」93万トン(41%)、野菜の皮を厚くむきすぎるなどの「過剰除去」35万トン(16%)でした。国の目標は、家庭系を2000年度比で2030年度までに半減、事業系を60%削減です。2026年10月10日喰らい方のコツ食品の「自主回収(リコール)」は届出が義務:アレルゲンや消費期限の表示ミスで回収するとき、事業者は行政に届け出る。2021年6月から運用。回収情報は消費者庁の「食品表示リコール情報及び違反情報サイト」などで公表消費者庁の「食品表示法の一部を改正する法律の概要」(平成30年法律第97号)などによると、改正前は、食品関連事業者が食品の自主回収(リコール)をしても、食品表示法では行政機関への届出の決まりがありませんでした。改正で、食品の安全性に関する食品表示基準に従った表示がされていない食品(アレルゲンや消費期限の欠落・誤表示など)を自主回収するときは、行政機関への届出が義務になり、届け出た情報は行政機関が消費者に公表します。届け出なかったり、うその届出をした者には罰金があります。食品衛生法でも同じように食品リコール情報の届出が制度化され、両法の届出は一体で運用されています。消費者庁の通知によると、届出制度は2021年6月以降、厚生労働省の食品衛生申請等システムを使って行われています。消費者は、消費者庁の「食品表示リコール情報及び違反情報サイト」で回収情報を確認できます。2026年10月10日喰らい方のコツ食品添加物の表示の見方:原材料と「/」(スラッシュ)や改行で分けて、重い順に書く。保存料・甘味料などは「用途名(物質名)」、香料・乳化剤などはまとめた「一括名」でもよい。加工助剤などは表示しなくてよい消費者庁の「食品表示の内容を正しく理解するための“食品添加物表示に関するマメ知識”」によると、加工食品の食品添加物は、一括表示の枠の「添加物欄」か「原材料名欄」に、食品中の添加物に占める重量の割合の高いものから順に書かれます。原材料名欄に書くときは「/」(スラッシュ)や改行で原材料と分けます。原則は「物質名」で書きますが、甘味料・着色料・保存料・増粘剤(安定剤・ゲル化剤・糊料)・酸化防止剤・発色剤・漂白剤・防かび剤は「着色料(紅麹)」のように用途名もいっしょに書きます。香料・酸味料・乳化剤・調味料など14種類は「一括名」で書くことができ、加工助剤やキャリーオーバーなどは表示しなくてよいとされています。2026年10月10日喰らい方のコツ「有機」「オーガニック」と書けるのは有機JASマークつきだけ:登録認証機関の検査で認証された事業者のみ。有機農産物は、種まき前2年以上(多年生作物は収穫前3年以上)化学合成の肥料・農薬を原則使わない畑で育てる農林水産省の「有機食品の検査認証制度」のページによると、有機JASマークは、農薬や化学肥料などの化学物質に頼らないことを基本として自然界の力で生産された食品を表すマークで、農産物、加工食品、飼料、畜産物、藻類に付けられます。有機JASに適合した生産が行われていることを登録認証機関が検査し、認証された事業者だけがマークを付けられます。有機JASマークがない農産物・畜産物・加工食品に「有機」「オーガニック」などの表示や、まぎらわしい表示をすることは法律で禁止されています。資料「転換期間中有機農産物とは」によると、有機農産物は、多年生作物は最初の収穫前3年以上、それ以外は種まき・植え付け前2年以上、有機的な管理(有機の種苗を原則使用、遺伝子組換えの種苗は使わない、化学合成肥料・農薬は原則使わない)が必要です。2022年10月1日からは、有機酒類にも有機JASマークを付けられるようになりました。2026年10月10日喰らい方のコツお米とパン、家でどれくらい買っている?:お米の購入量は1980年から2010年で約半分に。2023年は1世帯あたり年にお米56.7kg・パン42.7kg。食費は「米からパンへ」、そして調理食品・外食へ総務省統計局の家計ミニトピックス「主食への支出」によると、二人以上の世帯の1世帯あたりのお米の購入数量は、2010年(平成22年)には1980年(昭和55年)の約半分になり、食料費の内訳では穀類が「米からパンにシフト」し、素材(穀類・魚介・肉・野菜など)の割合が62.8%から48.8%に下がって、調理食品や外食の割合が増えました。農林水産省が家計調査からまとめた資料では、1世帯あたりの年間購入量は、2019年がお米62.2kg・パン46.0kg・めん類33.2kg、2023年がお米56.7kg・パン42.7kg・めん類33.3kgでした。2026年10月7日

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