舟和:1902年、浅草の芋問屋だった小林和助が「羊羹司舟和」を創業。高価な煉ようかんの代わりに、庶民が食べられる「芋ようかん」を考案。1903年に「みつ豆ホール」を開き、会社は「みつ豆の元祖」と説明
舟和の公式サイト「舟和の歴史」「芋ようかんと舟和」によると、浅草寿町で芋問屋を営んでいた創業者の小林和助が、当時は高価で庶民の口に入らなかった煉ようかんの代わりにと芋ようかんを考え、明治35年(1902年)10月、浅草1丁目に「羊羹司舟和」を創業しました。明治36年(1903年)には「みつ豆ホール」を開き、子どものおやつだったみつ豆に色あざやかなフルーツを盛りつけて出しました。会社は、喫茶店で初めてみつ豆を出したことを「舟和がみつ豆の元祖」たる理由と説明しています。1945年の戦災で約1年間閉店したあと、1946年5月に本店を再開し、1952年には芋ようかんが東京都観光協会の観光土産品に推奨されました。芋ようかんは、さつま芋と砂糖と少量の食塩で作り、着色料・保存料・香料は使っていないと説明しています。

メル美浅草のおみやげといえば、舟和の芋ようかんだよね。

プレ男芋ようかんって、どうして生まれたんだろう?
今回は、浅草の和菓子店「舟和」です。公式サイトの「舟和の歴史」「芋ようかんと舟和」(2026年10月10日閲覧)で確認した内容をまとめました。
芋問屋が考えた「芋ようかん」
- 創業者の小林和助は、浅草寿町で芋問屋を営んでいました
- 当時は高価で庶民の口に入らなかった煉ようかんの代わりにと考え、完成したのが芋ようかんです
- 1902年(明治35年)10月、いまの本店の場所(台東区浅草1丁目)に「羊羹司舟和」を創業しました。芋ようかん、あんこ玉、栗むしようかん、煉ようかんを売る店でした

プレ男高いようかんの代わりに、みんなが食べられるお菓子を作ったんだ。
「みつ豆ホール」
- 1903年(明治36年)11月、「みつ豆ホール」を開きました
- 子どものおやつとされていたみつ豆に、色あざやかなフルーツを盛りつけて出したといいます
- 会社は、喫茶店で初めてみつ豆を出したことが「舟和がみつ豆の元祖」たる理由だと説明しています
震災・戦災をこえて
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1923年 | 関東大震災などの困難をこえ、浅草の復興とともに成長 |
| 1933年 | 支店が4店に |
| 1945年 | 戦災で本店・支店が約1年間閉店 |
| 1946年5月 | 本店を再開 |
| 1950年 | 個人営業から法人に |
| 1952年4月 | 芋ようかんが東京都観光協会の観光土産品に推奨される |
| 1953年 | 日本橋白木屋(のちの東急百貨店日本橋店)に出店。その後、多くの店に広がる |
| 1956年 | 浅草聖天町に工場を完成 |

メル美戦争で1年閉めても、また本店を開いたんだね。
芋ようかんの作り方
- 原料のさつま芋を1本1本手で皮をむき、さつま芋と砂糖と少量の食塩で作っているといいます
- 着色料・保存料・香料は使っていないと説明しています

舟和の公式サイトによると、1902年に浅草の芋問屋だった小林和助が、高価な煉ようかんの代わりに芋ようかんを考えて創業しました。1903年にはみつ豆ホールを開いています。
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浅草の甘味処の老舗は、浅草 梅園もどうぞ
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亀戸のくず餅の老舗は、船橋屋もどうぞ
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浅草みやげの縁起菓子は、浅草の「雷おこし」常盤堂もどうぞ
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戦後の上野で始まったあんみつの店は、あんみつ みはしもどうぞ
まとめ
- 舟和は1902年、浅草で創業
- 芋問屋の小林和助が、煉ようかんの代わりに芋ようかんを考案
- 1903年に「みつ豆ホール」
- 1952年、芋ようかんが東京都観光協会の観光土産品に推奨
参考文献
- 舟和. 舟和の歴史. https://funawa.jp/fr/1 (閲覧日:2026年10月10日)
- 舟和. 芋ようかんと舟和. https://funawa.jp/fr/83 (閲覧日:2026年10月10日)
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