あんみつ みはし(上野):1948年3月、戦後の上野公園前にあんみつ屋として創業。店名は寛永寺の参道に架かっていた3つの橋「三橋」から。小豆は十勝産、黒みつは波照間島の黒砂糖、寒天は伊豆諸島などの天草と説明
あんみつ みはしの公式サイト「みはしの紹介」「素材のこだわり」によると、同店は昭和23年(1948年)3月、戦後の混乱が残る上野公園前にあんみつ屋として創業しました。食糧不足で砂糖や小豆の入手に苦労した時代だったと説明しています。店名は、寛永寺への参道を不忍池からの川が横切り、3つの橋が架かっていたことによる「三橋(みはし)」で、旧町名でもあるとしています。素材については、小豆は北海道十勝地方のものだけを使い、銅釜で直火で煮ていること、みつは黒みつと白みつの中間で、黒砂糖は沖縄の波照間島のものを使っていること、寒天は伊豆諸島や静岡県の海岸でとれた天草をブレンドしていることを紹介しています。会社は有限会社みはしで、本店は台東区上野4丁目です。

メル美上野駅の近くに、あんみつのお店「みはし」があるよね。

プレ男「みはし」って、ひらがななのはなんでだろう?
今回は、上野の「あんみつ みはし」です。公式サイトの「みはしの紹介」「素材のこだわり」(2026年10月10日閲覧)で確認した内容をまとめました。
1948年、戦後の上野で創業
- 昭和23年(1948年)3月、戦後の混乱が残る上野公園前にあんみつ屋として創業しました
- 戦後すぐの東京は食糧不足が深刻で、砂糖や小豆の入手に大変苦労したようだと説明しています
- そのぶん、お汁粉やあんみつはお客さんに喜ばれ、大繁盛だったようだとしています
店名は「三橋」から
- 上野広小路は、江戸時代に開かれた東叡山寛永寺の領地でした
- お寺への参道を不忍池からの川が横切っていて、3つの橋が架かっていました
- 3つの橋で「三橋(みはし)」。旧町名でもあると説明しています

プレ男3つの橋があったから「みはし」なんだ!
素材について(お店の説明)
| 素材 | 公式サイトの説明 |
|---|---|
| 小豆 | 北海道十勝地方の小豆だけを使い、銅釜で直火でじっくり煮る |
| みつ | 黒みつと白みつの中間。黒砂糖は沖縄の波照間島のもの |
| 寒天 | 伊豆諸島や静岡県の海岸でとれた天草(テングサ)をブレンド |
- 公式サイトは、赤えんどう豆に蜜をかけたものに寒天が入って「みつ豆」になり、そこにあんこを入れた「あんみつ」が広まった、という流れを紹介しています

メル美寒天の材料が伊豆諸島の天草なんて、東京つながりだね。
いまのみはし
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 会社 | 有限会社みはし(1948年6月設立) |
| 本店 | 東京都台東区上野4丁目(JR上野駅 不忍口から徒歩3分) |
| 事業 | 甘味喫茶、和菓子の製造・販売 |
| 従業員数 | 159人(パート・アルバイトをふくむ、2025年12月末) |
- 上野本店のほか、東京駅一番街など都内にも店があります

みはしの公式サイトによると、1948年3月に上野公園前で創業し、店名は寛永寺の参道に架かっていた3つの橋「三橋」からとったそうです。
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まとめ
- 1948年3月、上野公園前であんみつ屋として創業
- 店名は寛永寺の参道の3つの橋「三橋」から
- 小豆は十勝産、黒砂糖は波照間島、寒天は伊豆諸島などの天草と説明
- 本店は上野4丁目
参考文献
- あんみつ みはし. みはしの紹介. https://www.mihashi.co.jp/about/ (閲覧日:2026年10月10日)
- あんみつ みはし. 素材のこだわり. https://www.mihashi.co.jp/about/material.html (閲覧日:2026年10月10日)
- あんみつ みはし. トップページ. https://www.mihashi.co.jp/ (閲覧日:2026年10月10日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。