根岸の豆富料理「笹乃雪」:1691年(元禄4年)、上野の宮様のお供で京都から江戸に来た初代が、江戸で初めて絹ごし豆富をつくり根岸に豆富茶屋を開いたと説明。「笹の上に積もりし雪」から店名に。「豆富」と書くわけも
笹乃雪の公式サイト「いわれ」によると、同店は元禄4年(1691年)、上野の宮様(後西天皇の親王)のお供をして京都から江戸に移った初代の玉屋忠兵衛が、江戸で初めて絹ごし豆富をつくり、根岸に豆富茶屋を開いたのが始まりだと説明しています。宮様がその豆富を「笹の上に積もりし雪の如き美しさよ」とほめて「笹乃雪」と名づけ、それが屋号になり、そのとき賜った看板がいまも店内にあるとしています。また、元禄15年の赤穂浪士の討ち入りのあと、浪士が預けられた細川家の屋敷に、上野輪王寺の宮の心づかいで同店の豆富が届けられたという話も伝えています。豆腐を「豆富」と書くのは、約80年前に9代目が、料理店に「腐る」という字はふさわしくないとしたことによるといいます。

プレ男台東区の根岸に、300年以上続く豆腐料理のお店があるんだって。

メル美「笹乃雪」だね。お店では「豆腐」じゃなくて「豆富」って書くらしいよ。
今回は、根岸の豆富料理の店「笹乃雪」です。公式サイトの「いわれ」(2026年10月10日閲覧)で確認した内容をまとめました。
1691年、京都から江戸へ
- 元禄4年(1691年)、上野の宮様(後西天皇の親王)のお供をして京都から江戸に移った初代玉屋忠兵衛が、
- 江戸で初めて絹ごし豆富をつくり、根岸に豆富茶屋を開いたのが始まりだと説明しています
店名は「笹の上に積もりし雪」
- 宮様はこの豆富をとても好み、「笹の上に積もりし雪の如き美しさよ」とほめて「笹乃雪」と名づけ、それが屋号になったといいます
- そのときに賜った看板は、いまも店内にかかげていると説明しています

プレ男白い豆腐を、笹にのった雪にたとえたんだ。
赤穂浪士と豆富
- 元禄15年12月14日の赤穂浪士の討ち入りのあと、大石内蔵助ら17人が預けられた細川家の屋敷に、上野輪王寺の宮の心づかいで、同店の豆富が届けられたと伝えています
- 店では、初代の娘と浪士の一人にまつわる話も「伝説」として紹介しています
なぜ「豆富」と書く?
- いまから約80年前、9代目の当主が、料理店に「腐る」という字はふさわしくないとして、「豆富」と書くようにしたと説明しています

メル美「腐る」より「富」のほうが縁起がいいもんね。

笹乃雪の公式サイトによると、1691年に京都から来た初代が根岸に豆富茶屋を開き、宮様が「笹の上に積もりし雪」とほめたことから店名になったそうです。
まとめ
- 1691年(元禄4年)、京都から来た初代が根岸に豆富茶屋を開く
- 宮様の「笹の上に積もりし雪」から笹乃雪
- 赤穂浪士のもとに豆富が届けられたと伝える
- 「腐」をさけて「豆富」と書く
参考文献
- 笹乃雪. いわれ(トップページ). https://www.sasanoyuki.com/ (閲覧日:2026年10月10日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。