神楽坂梅花亭:1935年(昭和10年)、新潟出身の初代井上松蔵が柳橋の梅花亭からのれん分けして淀橋の十二社で創業。シベリア抑留中に思った母の「かきもち」から「鮎の天ぷらもなか」が生まれたと説明
神楽坂梅花亭の公式サイト「梅花亭について」によると、同店は1935年(昭和10年)に創業しました。初代の井上松蔵は新潟県南魚沼の六日町出身で、若くして上京して菓子屋で修行し、柳橋の梅花亭からのれんを分けてもらって独立し、いまの都庁のあたりにあった淀橋区十二社で開業したと説明しています。第二次世界大戦で招集され、シベリアに抑留されましたが生還しました。抑留中に、子どものころ母がつくってくれた「かきもち」をもう一度食べたいと思ったことから、もなかの皮を揚げてかきもちの味を再現し、ふるさとの魚野川の鮎の形にした「鮎の天ぷらもなか」が生まれたとしています。戦後は池袋を拠点に約60年商いをし、のちに神楽坂に移りました。餡は豆から炊き、和菓子の皮に合わせて何種類も炊き分けていると紹介しています。

メル美神楽坂の和菓子屋さんに「鮎の天ぷらもなか」っていうお菓子があるんだって。

プレ男天ぷらのもなか!? どうしてそんなお菓子ができたの?
今回は、神楽坂梅花亭です。公式サイトの「梅花亭について」(2026年10月10日閲覧)で確認した内容をまとめました。
1935年、十二社で創業
- 創業は1935年(昭和10年)です
- 初代の井上松蔵は、新潟県南魚沼の六日町の出身で、若くして上京し、菓子屋で修行しました
- 柳橋の梅花亭からのれんを分けてもらって独立し、いまの東京都庁のあたり(当時は淀橋浄水場があった)の先にあった、淀橋区十二社(じゅうにそう)で開業したと説明しています
シベリアで思った「かきもち」
- 第二次世界大戦で松蔵は招集され、終戦を迎えたあとシベリアに抑留されました。厳しい強制労働から、なんとか生還したといいます
- 抑留中に考えたのは食べ物のことで、とくに子どものころ母がつくってくれた「かきもち」をもう一度食べたいと思っていたそうです
- そこで生まれたのが「鮎の天ぷらもなか」だと紹介しています
- もなかの皮はもともとお餅が原料なので、皮を揚げてかきもちの味を再現
- 形は、ふるさと新潟の魚野川の鮎をモチーフにしたと説明しています

メル美ふるさとと、お母さんへの思いがこもったお菓子なんだね。
池袋から神楽坂へ
- 戦後は池袋を拠点に、約60年商いをし、有楽町・神楽坂にも店を出しました
- その後、長く根を張れる土地として神楽坂に移ったと説明しています
和菓子づくり(お店の説明)
- 餡は豆から炊き、和菓子の皮に合わせて何種類も炊き分けていると紹介しています
- 小豆は北海道十勝産、白あんの豆も北海道産、黒砂糖は波照間島産など、材料の産地を公式サイトで紹介しています
- 本店では、ガラス越しに和菓子をつくる様子が見られるとしています

神楽坂梅花亭の公式サイトによると、1935年に十二社で創業し、初代がシベリア抑留中に思った母の「かきもち」から「鮎の天ぷらもなか」が生まれたそうです。
まとめ
- 1935年、柳橋の梅花亭からのれん分けして十二社で創業
- シベリア抑留中に思った母のかきもちから「鮎の天ぷらもなか」
- 戦後は池袋で約60年、のちに神楽坂へ
- 餡は豆から炊き分けると説明
参考文献
- 神楽坂梅花亭. 梅花亭について. https://www.baikatei.co.jp/concept.html (閲覧日:2026年10月10日)
- 神楽坂梅花亭. トップページ. https://www.baikatei.co.jp/ (閲覧日:2026年10月10日)
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