塩瀬総本家:1349年(貞和5年)創業。初代の林浄因が中国から来日し、甘い小豆餡の饅頭をつくったと説明。紅白饅頭の始まり、足利義政の「日本第一番饅頭所」の看板、明治に菓子商で初めての宮内省御用とも
塩瀬総本家の公式サイト「塩瀬と和菓子の物語」「会社概要」によると、同社の創業は貞和5年(1349年)です。初代の林浄因は、京都・建仁寺の龍山徳見の帰国にともなって1349年に中国から来日し、肉を食べられない僧侶のために小豆を甘葛煎の甘みで煮詰め、甘い小豆餡と、餡の入った饅頭をつくったと説明しています。宮中との結婚の際に配った紅白の饅頭が、お祝いに紅白饅頭を贈る文化の始まりになったとしています。子孫の林紹絆は応仁の乱を避けて三河の塩瀬村に移り「塩瀬」を名乗り、足利義政から「日本第一番饅頭所林氏塩瀬」の看板を与えられたと紹介しています。江戸幕府の設立とともに江戸に移り、明治時代には菓子商として初めて宮内省御用を命じられたとしています。本社は中央区明石町で、売店は築地本店と都内の百貨店です。

プレ男お祝いでもらう紅白饅頭って、いつからあるんだろう?

メル美670年以上前に中国から来た人が始めた、と説明しているお店があるんだって。
今回は、築地に本店がある和菓子の塩瀬総本家です。公式サイトの「塩瀬と和菓子の物語」と「会社概要」(2026年10月10日閲覧)で確認した内容をまとめました。
1349年、林浄因の来日
- 会社概要では、創業は貞和5年(1349年)です
- 初代の林浄因は、京都・建仁寺の龍山徳見の中国からの帰国にともなって、1349年に来日したと説明しています
- 肉を食べられない僧侶のために、小豆を甘葛煎(あまづらせん)という植物からとった甘みで煮詰め、甘い小豆餡と、餡の入った饅頭をつくったとしています

プレ男もとは、お坊さんのための肉なしの饅頭だったんだ。
紅白饅頭と「日本第一番饅頭所」
- 浄因の饅頭は宮中に献上され、宮中の女性との結婚を許されたといいます。その結婚で配った紅白の饅頭が、お祝いに紅白饅頭を贈る文化のもとになったと説明しています
- 子孫の林紹絆は、大和芋を使った薯蕷(じょうよ)饅頭を開発し、応仁の乱を避けて三河の塩瀬村に移って「塩瀬」を名乗ったとしています
- 足利義政から、直筆の「日本第一番饅頭所林氏塩瀬」の看板を与えられたと紹介しています

メル美「塩瀬」って、移り住んだ村の名前なんだね。
江戸、そして明治
- 一族の林宗味は千利休に茶を学び、茶器を包む塩瀬袱紗を考えたと説明しています
- 江戸幕府ができたときに江戸に移ったとしています
- 明治時代には、菓子商として初めて宮内省御用を命じられ、有楽町で商いをしたと紹介しています
- 戦後は「東都のれん会」の設立に力をつくしたとしています
いまの塩瀬
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 社名 | 株式会社 塩瀬総本家 |
| 本社 | 東京都中央区明石町 |
| 創業 | 貞和5年(1349年) |
| 売店 | 築地本店、松屋銀座店、大丸東京店、日本橋高島屋店 |

塩瀬総本家の公式サイトによると、創業は1349年で、初代の林浄因が中国から来日して餡入りの饅頭をつくったと説明しています。いまは築地に本店があります。
まとめ
- 塩瀬総本家の創業は1349年(貞和5年)
- 初代林浄因が甘い小豆餡の饅頭をつくったと説明
- 紅白饅頭の始まり、「日本第一番饅頭所」の看板の話も
- 本店は築地(中央区明石町)
参考文献
- 塩瀬総本家. 塩瀬と和菓子の物語. https://www.shiose.co.jp/pages/about-history (閲覧日:2026年10月10日)
- 塩瀬総本家. 会社概要. https://www.shiose.co.jp/pages/company-info (閲覧日:2026年10月10日)
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