いせ源:1830年(天保元年)、京橋でどじょう屋「いせ庄」として創業。2代目が神田連雀町に移って「いせ源」に。大正時代にあんこう料理の専門店に。いまの店は1930年(昭和5年)の建物
いせ源の公式サイト「いせ源の由来」「建造物紹介」によると、江戸末期の天保元年(1830年)、初代の立川庄蔵が中橋広小路(いまの京橋三丁目付近)でどじょう屋「いせ庄」を始めました。2代目の立川源四郎が店を神田連雀町に移し、「いせ庄」の「いせ」と「源四郎」の「源」を合わせて「いせ源」と名前を改めました。当時はあんこう鍋のほか、よせ鍋・かき鍋・白魚鍋・ねぎま鍋などを出していましたが、あんこう鍋に人気が集まり、大正時代の4代目・立川政蔵のときにあんこう料理の専門店になったといいます。店の建物は、1923年の関東大震災で全焼したあと、1930年(昭和5年)に建て直したもので、戦災をまぬがれ、会社は東京都選定歴史的建造物に選ばれていると説明しています。

プレ男神田に、あんこう鍋だけの古いお店があるって聞いたんだけど。

メル美「いせ源」だね。最初はどじょう屋さんだったんだって。
今回は、神田のあんこう料理店「いせ源」です。公式サイトの「いせ源の由来」「建造物紹介」(2026年10月10日閲覧)で確認した内容をまとめました。
1830年、京橋のどじょう屋から
- 天保元年(1830年)、11代将軍徳川家斉のころ、初代の立川庄蔵が、中橋広小路(いまの京橋三丁目付近)で、どじょう屋「いせ庄」を始めました
- 2代目の立川源四郎が、店を神田連雀町に移し、「いせ庄」の「いせ」と「源四郎」の「源」を合わせて「いせ源」と改めました

プレ男「いせ源」は、お店の名前と2代目の名前を合わせたんだ。
大正時代、あんこうの専門店に
- 当時はあんこう鍋のほか、よせ鍋、かき鍋、白魚鍋、ねぎま鍋など、いろいろな鍋料理を出していたといいます
- あんこう鍋に人気が集まり、大正時代の4代目・立川政蔵のときに、あんこう料理の専門店になりました
- 会社は「東京で唯一のあんこう料理専門店」と説明しています
1930年の建物
- 店の建物は、1923年の関東大震災で全焼したあと、1930年(昭和5年)に建て直したものです
- 戦災をまぬがれ、いまも当時の風情を残していると説明しています
- 会社は、東京都選定歴史的建造物に選ばれていると紹介しています
- 昭和初期のお品書きには「あんこう鍋 50銭」「ビール 80銭」とあったそうです

メル美昭和5年の建物で、いまも営業しているんだね。

いせ源の公式サイトによると、1830年に京橋でどじょう屋「いせ庄」として始まり、2代目が神田に移って「いせ源」になりました。大正時代にあんこう料理の専門店になっています。
まとめ
- いせ源は1830年、京橋のどじょう屋「いせ庄」から
- 2代目が神田連雀町に移り「いせ源」に
- 大正時代にあんこう料理の専門店に
- いまの建物は1930年築
参考文献
- いせ源. いせ源の由来. https://isegen.com/history/ (閲覧日:2026年10月10日)
- いせ源. 建造物紹介. https://isegen.com/build/ (閲覧日:2026年10月10日)
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