駒形どぜう:1801年、武蔵国出身の初代・越後屋助七が浅草駒形にめし屋を開いたのが始まり。1806年の大火のあと、「どぢやう」の4文字は縁起が悪いと、3文字の「どぜう」と書いたのがのれんの由来
駒形どぜうの公式サイト「200余年の歴史」によると、創業は1801年、徳川11代将軍家斉のころです。初代の越後屋助七は武蔵国(いまの埼玉県北葛飾郡)の出身で、18歳で江戸に出て奉公したあと、浅草駒形にめし屋を開きました。駒形は浅草寺への参詣ルートの大通りで、翌年に浅草寺のご開帳があったこともあり、店は繁盛したといいます。初代がどぜうなべ・どぜう汁を始め、三代目はくじらなべを売り出しました。1848年(嘉永元年)のグルメガイド『江戸名物酒飯手引草』にも店の名があると説明しています。「どじょう」の旧かなづかいは「どぢやう」または「どじやう」ですが、1806年(文化3年)の江戸の大火で店が類焼したとき、4文字では縁起が悪いと、看板書きに奇数の3文字で「どぜう」と書いてもらったのが始まりだといいます。関東大震災と戦争で店が全焼しましたが、いまは七代目に引き継がれています。

プレ男浅草の「駒形どぜう」って、「どじょう」じゃなくて「どぜう」って書くんだよね。

メル美その書き方には、江戸の大火にまつわる理由があるんだって。
今回は、浅草の「駒形どぜう」です。公式サイトの「200余年の歴史」(2026年10月10日閲覧)で確認した内容をまとめました。
1801年、駒形のめし屋から
- 創業は1801年、徳川11代将軍家斉のころです
- 初代の越後屋助七は、武蔵国(いまの埼玉県北葛飾郡)の出身で、18歳で江戸に出て奉公したあと、浅草駒形にめし屋を開きました
- 駒形は、浅草寺へお参りする道の大通りで、翌年に浅草寺のご開帳があったこともあり、店は大勢のお客さんでにぎわったといいます

プレ男浅草寺にお参りする人の通り道にあったんだ。
どぜうなべ、くじらなべ
- 初代がどぜうなべ・どぜう汁を始め、三代目はくじらなべを売り出しました
- 1848年(嘉永元年)のグルメガイド『江戸名物酒飯手引草』に、店の名がのっていると説明しています
「どぜう」の3文字は縁起かつぎ
- 「どじょう」は、旧かなづかいでは「どぢやう」または「どじやう」と書くのが正しいとされています
- 1806年(文化3年)の江戸の大火で店が類焼したとき、初代は「どぢやう」の4文字では縁起が悪いと考え、有名な看板書きに頼んで、奇数の3文字で「どぜう」と書いてもらいました
- これが評判になって店は繁盛し、江戸の末には、ほかの店もまねて看板を「どぜう」に書きかえたといいます

メル美「4」は縁起が悪いから、3文字にしたんだね。
震災と戦争をこえて
- 関東大震災と第二次世界大戦で、店は全焼しました
- お客さんの支えと先代の努力で、江戸の味と建物は七代目に引き継がれていると説明しています
- 本店は台東区駒形1丁目にあります

駒形どぜうの公式サイトによると、1801年に初代・越後屋助七が浅草駒形にめし屋を開いたのが始まりです。「どぜう」の3文字は、1806年の大火のあとの縁起かつぎから生まれたといいます。
-
同じくどじょう屋から始まった神田のあんこう料理店は、いせ源もどうぞ
-
江戸から続く鰻の老舗は、上野の鰻割烹「伊豆榮」もどうぞ
まとめ
- 駒形どぜうは1801年、浅草駒形のめし屋から
- どぜうなべ・どぜう汁、三代目のくじらなべ
- 「どぜう」の3文字は、1806年の大火のあとの縁起かつぎ
- 震災・戦災をこえて七代目に
参考文献
- 駒形どぜう. 200余年の歴史. https://dozeu.com/history/ (閲覧日:2026年10月10日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。