山本山(日本橋):1690年(元禄3年)、初代山本嘉兵衛が京都から江戸に下り日本橋で茶商を創業。1738年に永谷宗円の「青製煎茶」を売り出し、1835年に六代目が「玉露」を生んだと説明。1947年から海苔も
山本山の公式サイト「山本山のこと」によると、同社は1690年(元禄3年)、初代山本嘉兵衛がおよそ15日かけて京都から江戸に下り、日本橋で茶商として商いを始めたのが創業です。創業時はお茶のほかに紙も売っていたといいます。1738年(元文3年)、宇治田原の茶師・永谷宗円が新芽を蒸して揉みながら乾かす「青製煎茶」(いまの煎茶の原型)をつくって江戸に持ち込んだとき、二代目嘉兵衛がその場ですべて買い取り、「天下一」と名づけて売り出すと江戸中に広まったと紹介しています。1816年には狭山の茶葉を広める手助けをし、1835年(天保6年)には六代目嘉兵衛が「玉露」を誕生させたと説明しています。1947年(昭和22年)からは、九代目が有明海産の海苔に感銘を受け、湿気をきらう点がお茶と共通することなどから海苔の販売を始めました。

プレ男「山本山」って、海苔の会社だと思ってた。

メル美もとは江戸時代からのお茶屋さんなんだって。海苔は戦後から始めたらしいよ。
今回は、日本橋の山本山です。公式サイトの「山本山のこと」(2026年10月10日閲覧)で確認した内容をまとめました。
1690年、日本橋で創業
- 1690年(元禄3年)、初代山本嘉兵衛が、およそ15日かけて京都から江戸に下り、日本橋で茶商として商いを始めました
- 創業のころは、お茶のほかに紙も売り、茶入袋も扱っていたといいます
1738年、「青製煎茶」を売り出す
- 1738年(元文3年)、宇治田原の茶師・永谷宗円が、茶葉の新芽だけを摘んで蒸し、揉みながら乾かす「青製煎茶」(いまの煎茶の原型)をつくりました
- 宗円が江戸に持ち込んだとき、二代目嘉兵衛がその場ですべて買い取り、翌年の購入まで約束したといいます。明治時代の「茶業通鑑」にその話が記されていると紹介しています
- 「天下一」と名づけて売り出すと、たちまち江戸中に広まったと説明しています

プレ男いまの緑色の煎茶は、江戸時代の中ごろに広まったんだ。
狭山茶と玉露
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1816年 | 狭山の人々がつくった茶葉を五代目が評価し、狭山茶を広める礎になったと紹介 |
| 1835年(天保6年) | 六代目嘉兵衛が「玉露」を誕生させたと説明。甘露のような玉の茶葉から「玉露」と名づけた |
1947年、海苔の販売を始める
- 1947年(昭和22年)、有明海産の海苔に感銘を受けた九代目が、海苔の販売を始めました
- お茶も海苔も湿気をきらうので保管の方法が似ていること、お茶と海苔は旬がちがうので1年を通じて売れることが理由だと説明しています

メル美お茶と海苔は、どちらも湿気が苦手なんだね。

山本山の公式サイトによると、1690年に日本橋で茶商として創業し、1947年から海苔の販売も始めたそうです。
まとめ
- 1690年、初代山本嘉兵衛が日本橋で茶商を創業
- 1738年、永谷宗円の青製煎茶を「天下一」として売り出す
- 1835年、六代目が玉露を誕生させたと説明
- 1947年から海苔の販売
参考文献
- 山本山. 山本山のこと. https://yamamotoyama.co.jp/about/ (閲覧日:2026年10月10日)
- 山本山. 企業情報. https://yamamotoyama.co.jp/company/ (閲覧日:2026年10月10日)
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