日本橋弁松総本店:1810年、日本橋の魚河岸の食事処「樋口屋」で、食べきれない料理を経木や竹の皮に包んで持ち帰ってもらったのが折詰弁当の始まりと説明。三代目のとき「弁当屋の松次郎」で「弁松」に
日本橋弁松総本店の公式サイト「歴史と味」によると、文化7年(1810年)、越後生まれの樋口与一が日本橋の魚河岸に食事処「樋口屋」を開きました。時間のない魚河岸の人たちが食べきれなかった料理を、経木や竹の皮に包んで持ち帰ってもらったところ評判になり、これが弁松の折詰弁当の始まりだと説明しています。二代目のときに最初から竹皮で包んだ弁当を売るようになり、三代目の樋口松次郎のときに「弁当屋の松次郎」略して「弁松」と呼ばれ、食事処をやめて折箱料理専門店「弁松」を創業しました。同社は、現存する中では日本でいちばん古い弁当屋だとしています。弁当の味は江戸から続く甘辛の濃い味つけだと紹介し、玉子焼は毎日職人が手で焼いていると説明しています。折箱には、いまでは珍しい経木の折を使っています。

プレ男お弁当屋さんで、いちばん古いお店ってどこだろう?

メル美日本橋の「弁松」は、魚河岸の食べ残しを包んだのが始まりなんだって。
今回は、「日本橋弁松総本店」です。公式サイトの「歴史と味」(2026年10月12日閲覧)で確認した内容をまとめました。
魚河岸の食事処から
- 文化7年(1810年)、越後生まれの樋口与一が、日本橋の魚河岸に食事処「樋口屋」を開きました
- 盛りのよさで評判でしたが、時間のない魚河岸の人たちは、料理を食べきる前に席を立たなければなりませんでした
- そこで、残った料理を経木(きょうぎ)や竹の皮に包んで持ち帰ってもらったところ大好評になり、これが弁松の折詰弁当の始まりだと説明しています

プレ男忙しい魚河岸の人のための「持ち帰り」から始まったんだ!
「弁当屋の松次郎」で「弁松」
| 代 | できごと |
|---|---|
| 二代目 竹次郎 | 最初から竹皮で包んだ弁当を売るようになる |
| 三代目 松次郎 | 「弁当屋の松次郎」略して「弁松」と呼ばれるようになり、食事処をやめて折箱料理専門店「弁松」を創業 |
- 同社は、現存する中では日本でいちばん古い弁当屋だと説明しています
- 徳川御三家の家令が人力車で注文に来たり、日本橋から埼玉まで大八車で弁当を届けたりした記録もあるとしています
- 公式サイトのタイトルでは「ペリーが来る3年前から毎日つくってきたお弁当」と紹介しています
弁当の特徴(お店の説明)
- 味つけは、江戸から続く甘辛の濃い味だと説明しています
- 玉子焼は、毎日、職人が手で焼いているとしています
- 折箱には、いまでは珍しい経木の折を使い、原料はおもに北海道のエゾ松だと紹介しています

メル美折箱も、木の薄い板でできているんだね。

日本橋弁松総本店の公式サイトによると、1810年に日本橋の魚河岸の食事処で、食べきれない料理を包んで持ち帰ってもらったのが折詰弁当の始まりだそうです。
まとめ
- 1810年、日本橋の魚河岸の食事処「樋口屋」から
- 食べきれない料理を経木や竹の皮に包んだのが折詰弁当の始まり
- 三代目のとき「弁当屋の松次郎」で「弁松」に
- 会社は「現存する中で日本最古の弁当屋」と説明
参考文献
- 日本橋弁松総本店. 歴史と味. https://www.benmatsu.com/history (閲覧日:2026年10月12日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。