チェーン店2026年10月3日

千疋屋:1834年(天保5年)、槍術の師範が「水くわし安うり処」の露店から始めた果物屋。明治元年の「果物食堂」がフルーツパーラーの原点。京橋・銀座の千疋屋は「のれん分け」した別の会社

高級果物の代名詞、千疋屋。千疋屋総本店の公式サイトによると、1834年(天保5年)、武蔵国埼玉郡千疋村(いまの埼玉県越谷市)で槍術の道場を開いていた大島弁蔵が、日本橋人形町の親父橋のたもとに「水くわし安うり処」の露店を構えたのが始まり。明治元年には「果物食堂」(のちのフルーツパーラー)を開きました。京橋千疋屋(1881年)と銀座千疋屋(1894年)は、のれん分けで独立した、それぞれ別の会社です。

目次
  1. 1834年、槍術の師範が果物を船で運んだ
  2. 高級果物の店へ
  3. 明治元年、「果物食堂」がフルーツパーラーの原点
  4. 京橋千疋屋・銀座千疋屋は「のれん分け」
  5. いまの千疋屋総本店
  6. まとめ

メル美千疋屋のフルーツパフェ、一度でいいからデートで食べてみたいな。

プレ男「千疋屋総本店」「京橋千疋屋」「銀座千疋屋」って、ぜんぶ同じお店なの?

こんにちは、Dr. Taro です。 「私が、喰らう飯」、今回は千疋屋です。千疋屋総本店の公式サイト(「千疋屋の歴史」)をもとにまとめました。チェーン店とは少しちがう、190年以上つづく果物屋さんの物語です。

1834年、槍術の師範が果物を船で運んだ

プレ男はじまりは「安うり処」!しかも創業者は槍の先生だったんだ。

高級果物の店へ

明治元年、「果物食堂」がフルーツパーラーの原点

メル美フルーツサンドもショートケーキも、明治の千疋屋にあったんだ!

京橋千疋屋・銀座千疋屋は「のれん分け」

誕生 なりたち(公式サイトより)
千疋屋総本店 1834年 大島弁蔵が日本橋人形町で創業
京橋千疋屋 1881年(明治14年) 3代目の妹キヨが、番頭だった谷治郎吉にとつぎ、のれん分けで中橋広小路店を開いた
銀座千疋屋 1894年(明治27年) 番頭の齋藤義政が、27歳でのれん分けを許され、新橋(銀座)に出店

いまの千疋屋総本店

千疋屋総本店の公式サイトによると、千疋屋は1834年(天保5年)に日本橋人形町で「水くわし安うり処」として始まりました。京橋千疋屋と銀座千疋屋は、のれん分けで独立した別の会社です。

まとめ


参考文献

  1. 千疋屋総本店. 千疋屋の歴史. https://www.sembikiya.co.jp/touch-2 (閲覧日:2026年10月3日)
  2. 千疋屋総本店. 沿革. https://www.sembikiya.co.jp/touch-2/history (閲覧日:2026年10月3日)

この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。