カプリチョーザ:1978年、渋谷の外れの6坪のイタリア料理店から。創業者はイタリアで修業し、1970年の大阪万博のイタリア館のシェフを務めた本多征昭。名前はイタリア語で「きまぐれ」、看板は「トマトとニンニクのスパゲティ」(公式)
カプリチョーザ公式ホームページの「創業ストーリー」と「カプリチョーザとは」によると、創業者の本多征昭は1962年に単身イタリアに渡り、イタリア国立エナルクホテル学校を1967年に最優秀卒業生として卒業し、1970年3月の大阪万博ではイタリア館のシェフを務めました。1978年、34歳の春に渋谷の外れに6坪のイタリアレストランを開いたのがカプリチョーザの始まりで、たちまち行列のできる店になったとしています。本多は1988年7月に44歳で亡くなりましたが、レシピは受け継がれているとしています。「カプリチョーザ」はイタリア語で「きまぐれ」という意味で、南イタリアのトラットリア(大衆食堂)タイプのレストランです。メニューは全店共通のレシピで調理し、イタリア産のトマトを使ったトマトソースが自慢で、創業以来の定番「トマトとニンニクのスパゲティ」を不動のNo.1としています。

メル美カプリチョーザって、どこで始まったお店なの?

プレ男公式サイトによると、1978年に渋谷の6坪のお店から始まったんだって。
今回は、カプリチョーザです。カプリチョーザ公式ホームページの「創業ストーリー」と「カプリチョーザとは」(2026年10月12日閲覧)で確認した内容をまとめました。
創業者・本多征昭
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1962年 | イタリアに魅せられ、単身で海を渡る |
| 1967年 | イタリア国立エナルクホテル学校を最優秀卒業生として卒業 |
| 1970年3月 | 大阪万博のイタリア館のシェフを務める |
| 1978年 | 34歳の春、渋谷の外れに6坪のイタリアレストランを開店。これが「カプリチョーザ」の始まり |
| 1988年7月 | 44歳で亡くなる |
- 会社は、店はたちまち行列のできる店になったとしています
- 本多のレシピは受け継がれ、いまもその味は生き続けているとしています

メル美大阪万博のイタリア館のシェフだった人が始めたお店なんだね。
どんなお店?
- 「カプリチョーザ(Capricciosa)」は、イタリア語で「きまぐれ」という意味です
- 大勢でワイワイ食べる、南イタリアのトラットリア(大衆食堂)タイプのレストランだとしています
- メニューは全店共通のレシピで調理しているとしています
会社が紹介する代表メニュー
- イタリア産のトマトで仕込むトマトソースが自慢だとしています
- いちばん人気はパスタで、創業以来の定番「トマトとニンニクのスパゲティ」を「不動のNo.1」としています
- ほかに「カルボナーラ」「なすとホウレン草のミートソース」などがあります

プレ男40年以上、同じスパゲティが看板なんだ。

カプリチョーザ公式ホームページによると、カプリチョーザは1978年に渋谷の外れの6坪のイタリアレストランとして始まりました。
まとめ
- 1978年、渋谷の6坪の店から
- 創業者は大阪万博のイタリア館のシェフ
- 名前はイタリア語で「きまぐれ」
- 看板は「トマトとニンニクのスパゲティ」
参考文献
- カプリチョーザ公式ホームページ. 創業ストーリー. https://capricciosa.com/about/story/ (閲覧日:2026年10月12日)
- カプリチョーザ公式ホームページ. カプリチョーザとは. https://capricciosa.com/about/ (閲覧日:2026年10月12日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。