銀座菊廼舎:1890年(明治23年)、井田銀次郎が銀座尾張町で「歌舞伎煎餅」を売り出したのが始まり。大正後期に二代目が干菓子をもとに「冨貴寄(ふきよせ)」を考案。本店はギンザコアの地下1階
銀座菊廼舎の公式サイト「菊廼舎の歴史」によると、同店は明治23年(1890年)に、井田銀次郎が銀座尾張町で歌舞伎煎餅を売り出したのが始まりです。大正後期には、二代目が茶の席の干菓子を糸口に、登録商標「冨貴寄(ふきよせ)」を考案しました。戦争の時代をしのいだ三代目は銀座5丁目のあづま通りで商いをし、ギンザコアの建設以降は、その地下1階に本店を構えています。現在は五代目で、創業以来約130年になると説明しています。理念は「心やすらぐ おいしいものを」で、伝統に甘んじず革新を恐れないことが、百年以上商いを続けられた理由だとしています。

メル美銀座の和菓子で「冨貴寄(ふきよせ)」っていうお菓子、知ってる?

プレ男名前は聞いたことある! どんなお店がつくってるの?
今回は、「銀座菊廼舎(きくのや)」です。公式サイトの「菊廼舎の歴史」(2026年10月10日閲覧)で確認した内容をまとめました。
1890年、「歌舞伎煎餅」から
- 明治23年(1890年)、井田銀次郎が、銀座尾張町で「歌舞伎煎餅」を売り出しました
- これが銀座菊廼舎の始まりだと説明しています
大正後期、「冨貴寄」
- 大正後期に、二代目が、茶の席の干菓子を糸口に、登録商標「冨貴寄(ふきよせ)」を考案しました

プレ男お茶の席のお菓子がヒントになったんだ。
戦後から、いまへ
| 代 | できごと |
|---|---|
| 三代目 | 戦争の時代をしのぎ、銀座5丁目あづま通りで商いを続ける |
| その後 | ギンザコアができてから、その地下1階に本店を構える |
| いま | 五代目。創業以来約130年 |
- 理念は「心やすらぐ おいしいものを」です
- 伝統に甘んじず、革新を恐れないことが、百年以上銀座で商いを続けられた理由だとしています

メル美煎餅のお店から始まって、いまは冨貴寄で知られているんだね。

銀座菊廼舎の公式サイトによると、1890年に銀座尾張町で歌舞伎煎餅を売り出したのが始まりで、大正後期に二代目が「冨貴寄」を考案しました。
まとめ
- 1890年、銀座尾張町で歌舞伎煎餅を売り出す
- 大正後期、二代目が「冨貴寄」を考案
- 本店はギンザコアの地下1階
- いまは五代目、創業から約130年
参考文献
- 銀座菊廼舎. 菊廼舎の歴史. https://www.ginza-kikunoya.co.jp/history (閲覧日:2026年10月10日)
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