
メル美キュリー夫人って、ノーベル賞を2回もらった人だよね。夫婦で研究してたんでしょ?

プレ男夫婦で同じ仕事って、どんな感じなんだろう。けんかしなかったのかな。
こんにちは、Dr. Taro です。 「大人の教養」の男女の実話シリーズ、今回はキュリー夫妻です。ノーベル財団の公式サイトの資料をもとにまとめました。
2人の出会い
- マリー(本名マリア・スクウォドフスカ)は、1867年、ポーランドのワルシャワで、中学校の先生の娘として生まれました。当時のポーランドはロシアの支配下にあり、学生の運動にかかわったマリーは、ワルシャワを離れます
- 1891年、パリへ。ソルボンヌ大学で物理学と数学の資格をとりました
- ピエール・キュリーは1859年、パリの医師の家に生まれた物理学者。兄と一緒に「圧電効果」を発見し、磁石の性質が変わる温度(今でいう「キュリー点」)も見つけていました
- 2人は1894年に出会い、翌1895年に結婚しました

メル美出会って1年で結婚したんだ!
貧しい実験室で、2人の発見
- ノーベル財団の資料によると、2人の研究は、実験室の設備が不十分で、生活費をかせぐためにたくさん教えなければならない、という苦しい条件の中で行われました
- 1896年にベクレルが放射線(放射能)を発見したことに刺激され、2人は研究を進めます
- 1898年、ポロニウムとラジウムの発見を発表。ポロニウムは、マリーのふるさとポーランドにちなんだ名前です
- 1903年、2人はベクレルとともに、ノーベル物理学賞を受けました
突然の別れ
- 1906年4月19日、ピエールはパリの路上の事故で亡くなりました
- マリーは、ピエールの跡を継いで、ソルボンヌの一般物理学の教授に。女性がこの職についたのは初めてでした
- 1911年、マリーはラジウムとポロニウムの発見などで、ノーベル化学賞を受けました。2つめのノーベル賞です

プレ男夫を亡くしたあとも、2人の研究を続けたんだね…。
家族に受けつがれたもの
- マリーは、ラジウムを病気の苦しみをやわらげるために使うことに力をつくし、第一次世界大戦中は、娘のイレーヌとともに、その仕事に身をささげました
- 長女イレーヌは、夫のフレデリック・ジョリオとともに、1935年のノーベル化学賞を受けました。親子2代の夫婦が、ノーベル賞を受けたことになります
- 次女エーヴは、母の伝記『キュリー夫人伝』を書きました。エーヴの夫は、国連児童基金(ユニセフ)の代表として、1965年のノーベル平和賞を受けています
- マリーは1934年7月4日、短い病気のあと、フランスで亡くなりました

キュリー夫妻は、苦しい条件の中で2人で研究を続け、1903年にノーベル物理学賞を受けました。マリーは夫の死後も研究を続け、1911年に化学賞も受けています。
まとめ
- マリーとピエールは1894年に出会い、1895年に結婚
- 設備の足りない実験室で、ポロニウムとラジウムを発見(1898年)
- 1903年、2人でノーベル物理学賞(ベクレルと共同)
- 1906年、ピエールが事故で死去。マリーは女性初の教授となり、1911年にノーベル化学賞
- 娘イレーヌ夫妻も1935年にノーベル化学賞
参考文献
- NobelPrize.org. Marie Curie – Biographical. https://www.nobelprize.org/prizes/physics/1903/marie-curie/biographical/ (閲覧日:2026年9月29日)
- NobelPrize.org. Pierre Curie – Biographical. https://www.nobelprize.org/prizes/physics/1903/pierre-curie/biographical/ (閲覧日:2026年9月29日)
- NobelPrize.org. The Nobel Prize in Physics 1903. https://www.nobelprize.org/prizes/physics/1903/summary/ (閲覧日:2026年9月29日)
- NobelPrize.org. The Nobel Prize in Chemistry 1911. https://www.nobelprize.org/prizes/chemistry/1911/summary/ (閲覧日:2026年9月29日)
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