大人の教養An Evening of Culture

第六幕Act VI — The Archive

国宝「金印」(漢委奴国王)1784年、志賀島の田んぼの溝から農民が見つけた、一辺わずか2.3cm・108gの金のはんこ。『後漢書』には、西暦57年に光武帝が倭の奴国の使いに「印綬」を与えたとある。どう使った?なぜ蛇のつまみ?

No.0922026年10月12日

教科書にも出てくる国宝「金印」(印文「漢委奴国王」)。福岡市博物館によると、江戸時代の1784年(天明4年)2月23日、いまの福岡市東区志賀島で、田んぼに水を引く溝を直していた農民が見つけました。印面は一辺約2.35cm、高さ約2.24cm、重さ108.729g(金の含有率95.1%)。つまみは、とぐろを巻いた蛇の形です。福岡藩の儒学者・亀井南冥は、『後漢書』東夷伝の「建武中元二年、倭奴国奉貢朝賀…光武賜以印綬」を根拠に、西暦57年に光武帝が贈ったものと考え、いまも定説になっています。もとは粘土の封に押すはんこで、材質やつまみの形が持ち主の立場を示していました。福岡市博物館の解説と『後漢書』の原文で紹介します。

目次
  1. 金印のプロフィール(福岡市博物館より)
  2. 発見と鑑定(福岡市博物館より)
  3. 『後漢書』には何と書いてある?
  4. 金印はどう使われた?(福岡市博物館より)
  5. なぜ「金」で「蛇」なの?(福岡市博物館より)
  6. 見に行くなら(福岡市博物館より)
  7. まとめ

プレ男社会の教科書に出てきた「金印」って、どれくらいの大きさなの?

メル美じつは一辺2.3cmくらい。指先にのるくらいの、小さなはんこなんだって。

今回は、国宝「金印」(印文「漢委奴国王」)です。所蔵している福岡市博物館の解説ページ「金印」と、中国の歴史書『後漢書』東夷列伝の原文(ウィキソースの『後漢書』巻85)で確認しました。

金印のプロフィール(福岡市博物館より)

項目 内容
名前 国宝 金印(印文「漢委奴国王」)
出土地 福岡県福岡市志賀島
印面の大きさ 右2.345cm、左2.349cm、平均2.347cm
高さ(総高) 2.236cm
重さ 108.729g(金の含有率95.1%)
つまみ 蛇がとぐろを巻き、頭を印の中央に向ける形。ひもを通す孔がある
所蔵 福岡市博物館(常設展示室で公開)

プレ男2.3cmで108g!小さいのに、ずっしり重いんだね。

発見と鑑定(福岡市博物館より)

『後漢書』には何と書いてある?

『後漢書』東夷列伝(巻85)には、こうあります(ウィキソースの本文より)。

建武中元二年,倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫,倭國之極南界也。光武賜以印綬。

メル美2000年近く前の中国の本に、日本の使いのことが書いてあって、そのときのはんこが田んぼから出てきたかもしれない…ロマンだね。

金印はどう使われた?(福岡市博物館より)

なぜ「金」で「蛇」なの?(福岡市博物館より)

見に行くなら(福岡市博物館より)

福岡市博物館によると、金印は1784年に志賀島で見つかり、福岡藩の亀井南冥が『後漢書』東夷伝をもとに、西暦57年に光武帝が贈ったものと考えました。これはいまも定説になっています。

まとめ


参考文献

  1. 福岡市博物館. 金印. https://museum.city.fukuoka.jp/gold/ (閲覧日:2026年10月12日)
  2. 范曄. 後漢書 巻85 東夷列伝. ウィキソース(中国語). https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%BC%A2%E6%9B%B8/%E5%8D%B785 (閲覧日:2026年10月12日)

この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。