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プレ男社会の教科書に出てきた「金印」って、どれくらいの大きさなの?

メル美じつは一辺2.3cmくらい。指先にのるくらいの、小さなはんこなんだって。
今回は、国宝「金印」(印文「漢委奴国王」)です。所蔵している福岡市博物館の解説ページ「金印」と、中国の歴史書『後漢書』東夷列伝の原文(ウィキソースの『後漢書』巻85)で確認しました。
金印のプロフィール(福岡市博物館より)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 国宝 金印(印文「漢委奴国王」) |
| 出土地 | 福岡県福岡市志賀島 |
| 印面の大きさ | 右2.345cm、左2.349cm、平均2.347cm |
| 高さ(総高) | 2.236cm |
| 重さ | 108.729g(金の含有率95.1%) |
| つまみ | 蛇がとぐろを巻き、頭を印の中央に向ける形。ひもを通す孔がある |
| 所蔵 | 福岡市博物館(常設展示室で公開) |
- 印面には「漢」「委奴」「国王」の5文字が3行で刻まれていて、「かんのわのなのこくおう」と読みます

プレ男2.3cmで108g!小さいのに、ずっしり重いんだね。
発見と鑑定(福岡市博物館より)
- いまから約240年前の江戸時代、1784年(天明4年)2月23日、いまの福岡市東区志賀島で見つかりました
- 記録によると、島に住む農民が、田んぼに水をひく溝を修理していたところ、偶然見つけたようです
- 金印は役所に届けられ、福岡藩の儒学者・亀井南冥(かめいなんめい)が鑑定しました。南冥は研究論文『金印辨』をあらわしています
- 南冥は、中国の歴史書『後漢書』東夷伝を根拠に、皇帝光武が西暦57年(弥生時代後期)に「倭奴国王」に贈ったものと考えました。これは、いまも金印を理解する定説になっています
- その後、金印は福岡藩主の黒田家におさめられ、昭和6年(1931年)に国宝に指定。昭和53年(1978年)に黒田家から福岡市に寄贈されました
『後漢書』には何と書いてある?
『後漢書』東夷列伝(巻85)には、こうあります(ウィキソースの本文より)。
建武中元二年,倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫,倭國之極南界也。光武賜以印綬。
- 建武中元2年(西暦57年)、倭の奴国が貢ぎ物をささげ、朝廷にお祝いを申しあげた。使いは自ら大夫と名のった。(奴国は)倭国の最も南のはてである。光武帝は印綬(印と、それを下げるひも)を与えた——という意味です
- すぐあとには、「安帝永初元年,倭國王帥升等獻生口百六十人,願請見」(安帝の永初元年=西暦107年、倭国王の帥升らが生口160人を献じ、お目にかかりたいと願った)という記事も続きます

メル美2000年近く前の中国の本に、日本の使いのことが書いてあって、そのときのはんこが田んぼから出てきたかもしれない…ロマンだね。
金印はどう使われた?(福岡市博物館より)
- 金印がつくられたころ、中国では文字を木や竹の板に書いていました。でも、それは削れば簡単に書きかえられてしまいます
- そこで大切な文書は、板をひもでしばり、結び目を粘土で封をして、そこに印を押しました。発信者のほかにだれも開けていないことを示すためです
- だから金印の印面は、いまのふつうのはんことちがって、文字の部分が溝になっています。粘土に押すと、文字が浮き出るようにつくられているのです
なぜ「金」で「蛇」なの?(福岡市博物館より)
- 中国の古代の印は、材質(玉・金・銀・銅)、つまみの形(龍・亀・駱駝・蛇)、ひもの色(黄・紫・緑・青・黒)で、持つ人の立場を示していました
- 中国の皇帝は、そうした印を授けることで、皇帝を頂点とするピラミッド型の秩序をつくろうとしたのです
- 材質やひもの色は地位を、つまみの形は地域や民族を示しました。金でできていて蛇のつまみの印を贈られた奴国王は、後漢王朝から見て、南方の異民族の国王と位置づけられていたことがわかります
- つまり金印は、1世紀ごろ(弥生時代後期)の日本の外交のようすや、東アジアでの立場を示す、とても貴重な資料なのです
見に行くなら(福岡市博物館より)
- 福岡市博物館(福岡市早良区百道浜3丁目1-1)の常設展示室で、常時公開されています
- 開館は9時30分〜17時30分(入館は17時まで)。休館日は毎週月曜日(祝休日の場合は翌平日)。夜間開館の日や年末年始の休館は、公式サイトで確かめてください

福岡市博物館によると、金印は1784年に志賀島で見つかり、福岡藩の亀井南冥が『後漢書』東夷伝をもとに、西暦57年に光武帝が贈ったものと考えました。これはいまも定説になっています。
まとめ
- 国宝「金印」(漢委奴国王)は、一辺約2.35cm・108.729g、金の含有率95.1%、蛇のつまみの小さなはんこ
- 1784年(天明4年)、志賀島で、田んぼの溝を直していた農民が見つけた
- 亀井南冥が『後漢書』東夷伝の「光武賜以印綬」をもとに、西暦57年に光武帝が贈ったと考え、いまも定説
- 粘土の封に押すため、文字が溝になっている。金と蛇は、南方の異民族の国王という位置づけを示す
- 福岡市博物館で常時公開
- 世界の文書と遺物はロゼッタストーン、ハンムラビ法典、死海文書もどうぞ
参考文献
- 福岡市博物館. 金印. https://museum.city.fukuoka.jp/gold/ (閲覧日:2026年10月12日)
- 范曄. 後漢書 巻85 東夷列伝. ウィキソース(中国語). https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%BC%A2%E6%9B%B8/%E5%8D%B785 (閲覧日:2026年10月12日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。