目次

メル美京都の花街って、祇園だけじゃなくて5つあるんだって。

プレ男え、5つも?それぞれ何がちがうんだろう。
こんにちは、Dr. Taro です。 「色街の歴史」、今回は京都の五花街(ごかがい)です。京都の花街の芸能を支える公益財団法人 京都伝統伎芸振興財団(おおきに財団)が、公式サイト「京の五花街」で、それぞれの花街の沿革と、舞妓・芸妓の修業を紹介しています。それをもとにまとめました。
※この記事は歴史の紹介です。お店の案内や、利用をすすめるものではありません。
5つの花街
おおきに財団によると、いま京都には5つの花街があり、まとめて「五花街」と呼んでいます。
| 花街 | 場所 | 舞踊の流派 | 春の公演 | 紋章 |
|---|---|---|---|---|
| 祇園甲部 | 東山区。八坂神社の門前 | 京舞井上流 | 都をどり | 八個のつなぎ団子に「甲」の字 |
| 宮川町 | 東山区。鴨川の東岸 | 若柳流 | 京おどり | 三つ輪 |
| 先斗町 | 中京区。鴨川の西岸の細い通り | 尾上流 | 鴨川をどり(5月) | 千鳥 |
| 上七軒 | 上京区。北野天満宮の近く | 花柳流 | 北野をどり | 五つ団子 |
| 祇園東 | 東山区。四条通の北側 | 藤間流 | (秋に「祇園をどり」) | 八個のつなぎ団子 |
北野天満宮のそば・上七軒
- 上七軒は、室町時代中期(15世紀半ば)に、北野天満宮の再建で使った余材で7軒の茶屋が建てられたのが起源とされています
- 天正15年(1587年)、北野大茶会を開いた豊臣秀吉が、名物の御手洗団子を大いに気に入り、茶屋株を公許して以降、茶屋街になったとされています
- 紋章の「五つ団子」は、この秀吉のエピソードにちなんだものです
- 京都を代表する絹織物の産地・西陣と結びつきながら、ほかの花街とはちがう落ち着いた雰囲気の花街として発展してきました

プレ男秀吉が団子を気に入ったから、紋章が団子なんだ!
祇園甲部と祇園東:明治14年に2つに
- 祇園甲部は、江戸の寛永年間から、八坂神社の門前で茶屋街として栄えてきました
- 明治14年(1881年)、当時の京都府知事によって祇園町が2つに分けられ、祇園甲部として新しくスタートしました。重要伝統的建造物群保存地区の「祇園白川地区」を含む、京都で最も大きな花街です
- 春の「都をどり」は、明治5年(1872年)、第1回京都博覧会に関連する事業として、三世井上八千代が始めたものです
- 祇園東は、同じ明治14年に分けられたもう一方で、膳所藩の京屋敷の跡から再出発し、「祇園東新地」を経て祇園東になりました。「祇園をどり」は、京都の花街で唯一秋に行われる舞台公演です
宮川町:出雲阿国の時代から
- 地名の由来は、四条より南の鴨川が、八坂神社の神輿洗いの神事が行われることから「宮川」と呼ばれていたことなどにちなむと伝わっています
- 江戸時代初期の慶長年間、四条河原で始まった出雲阿国の歌舞伎踊りの時代に始まり、歌舞伎などの芸能と深くかかわりながら茶屋街として発展しました
- 紋章の「三つ輪」は、明治時代に、寺社と町家と花街の三者の結びつきをイメージして定められたといいます
先斗町:鴨川の大普請のあとに
- 先斗町は、四条通から三条通の一筋南まで、鴨川の西岸にそって500メートルほど続く細い通りです。名前の語源には諸説あります
- 正徳2年(1712年)ごろ、鴨川の大普請で鴨川と高瀬川のあいだにつくられた新しい通りに、高瀬舟の船頭や旅客をあてにした旅籠屋などができたのが始まりとされています
- 幕末から、いまのような花街として栄えてきました。紋章は、鴨川に接する花街らしく、舞い飛ぶ千鳥です

メル美同じ京都でも、神社の門前、歌舞伎、川の工事…始まりがぜんぜんちがうんだね。
舞妓の修業:「仕込み」「見習い」「見世出し」
おおきに財団によると、舞妓は、本来は芸妓になるために修業中の少女のことです。
- 以前は10歳や13歳も珍しくなかったのですが、いまは中学校卒業後からに限られています
- 置屋(屋形)に住みこみ、1年ほどは「仕込み」として、置屋での手伝い、行儀作法、京の花街言葉、舞踊などを学びます
- そのあと約1か月、「見習い」として、お姉さん芸妓といっしょにお座敷などで実習します
- そして「見世(店)出し」=舞妓デビューとなります
芸妓:「立方」と「地方」
- 舞踊、三味線、お囃子、唄などの芸や茶道、行儀作法を5〜6年修業し、お座敷でのふるまいも適性があると認められた舞妓が芸妓になります
- 芸妓になると、置屋にたよらず、自分の芸で自前(一本立ち)にならなければなりません。自前の芸妓に定年はなく、生涯続けることができます
- 芸妓には、舞踊を専門にする「立方(たちかた)」と、三味線や鳴り物、唄を担当する「地方(じかた)」の2つの役割があります
- 地方はかなりの年季と才能・技術を必要とするため、近年は減少傾向にあり、祇園甲部では、最初から地方をめざす女性を受け入れているそうです

京都の五花街は、上七軒・祇園甲部・宮川町・先斗町・祇園東の5つで、それぞれ始まりも舞踊の流派もちがいます。舞妓はいま、中学校卒業後から置屋に住みこみ、「仕込み」「見習い」を経てデビューします。
まちを歩くときのマナー
おおきに財団は、五花街のまちを楽しむときのお願いとして、次のような迷惑行為を控えるよう呼びかけています。
- 芸妓・舞妓の写真を撮る
- 横に広がって歩く、大きな声を出す
- ごみ・吸い殻のポイ捨て
- 私有地に立ち入る
デートで話すなら
- 「上七軒の紋章が団子なのは、秀吉が御手洗団子を気に入ったから」は、北野天満宮を歩くときにぴったりの話です
- 「都をどりは明治5年の京都博覧会から始まった」も、春の京都で使える豆知識です
江戸時代の京都の花街は京都・島原の歴史、金沢の茶屋町はひがし茶屋街の歴史で紹介しています。
まとめ
- 京都の五花街は、祇園甲部・宮川町・先斗町・上七軒・祇園東
- 上七軒は室町時代中期、北野天満宮の再建の余材で建てた7軒の茶屋が起源。秀吉が御手洗団子を気に入ったとされる
- 祇園は明治14年(1881年)に甲部と東に分けられた。都をどりは明治5年(1872年)から
- 宮川町は出雲阿国の歌舞伎踊りの時代から、先斗町は正徳2年(1712年)ごろの鴨川の大普請のあとから
- 舞妓はいま中学校卒業後から。「仕込み」約1年、「見習い」約1か月を経てデビュー
参考文献
- 公益財団法人京都伝統伎芸振興財団(おおきに財団). 京都花街オフィシャルサイト 京の五花街 五花街の紹介・沿革. https://www.ookinizaidan.com/kagai/ (閲覧日:2026年10月22日)
- 公益財団法人京都伝統伎芸振興財団(おおきに財団). 舞妓について. https://www.ookinizaidan.com/kagai/maiko/ (閲覧日:2026年10月22日)
- 公益財団法人京都伝統伎芸振興財団(おおきに財団). 芸妓について. https://www.ookinizaidan.com/kagai/geiko/ (閲覧日:2026年10月22日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。