大人の教養An Evening of Culture

第三幕Act III — The Pleasure Quarters

金沢「ひがし茶屋街」の歴史1820年、加賀藩が城下に散らばっていたお茶屋を集めてできた町。いちど廃止され、1867年に再び公認。琴・三味線・舞から和歌・俳諧まで求められた「芸どころ金沢」の礎と、江戸の建物が残るお茶屋「志摩」

No.1432026年10月22日

金沢のひがし茶屋街は、文政3年(1820年)に茶屋町として設けられ、卯辰茶屋町・浅野川茶屋町とも呼ばれました。天保2年(1831年)にいったん廃止され、慶応3年(1867年)に再び公認、明治以降は「東新地」「ひがし」と呼ばれて市内随一の茶屋町になります。2001年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれ、2008年には近くの主計町も選ばれました。文政3年に建てられたお茶屋「志摩」の建物も公開されています。文化庁の保存地区の資料、金沢市のまちづくり協定、志摩の公式サイトをもとにまとめました。

目次
  1. 1820年、茶屋町の誕生
  2. いちど廃止、1867年に再び公認
  3. 求められたのは「芸と教養」
  4. 江戸時代そのままのお茶屋「志摩」
  5. 2001年、重要伝統的建造物群保存地区に
  6. 浅野川の対岸「主計町」
  7. いまの町を守るルール
  8. デートで話すなら
  9. まとめ

プレ男金沢の「ひがし茶屋街」って、着物で歩く観光地のイメージだけど、もともとは何の町なの?

メル美江戸時代に、藩がお茶屋を集めてつくった町なんだって。

こんにちは、Dr. Taro です。 「色街の歴史」、今回は金沢のひがし茶屋街です。いまは格子戸の町家が並ぶ観光地として知られていますが、その始まりは、江戸時代に加賀藩が設けた「茶屋町」でした。文化庁の重要伝統的建造物群保存地区の資料(金沢市作成)、金沢市の「東山ひがし地区まちづくり協定」、お茶屋「志摩」の公式サイトをもとにまとめました。

※この記事は歴史の紹介です。お店の案内や、利用をすすめるものではありません。

1820年、茶屋町の誕生

いちど廃止、1867年に再び公認

年 できごと
文政3年(1820年) 茶屋町が設けられる
天保2年(1831年) いったん廃止される
慶応3年(1867年) 再び公認される
明治以降 「東新地」「ひがし」と呼ばれ、市内随一の格式とにぎわいの茶屋町に

文化庁の資料は、ひがしが「今日に至るまで金沢の茶屋文化を受け継いできて」いると書いています。

プレ男できてから11年でいったん廃止されて、また30年以上あとに復活したんだ。

求められたのは「芸と教養」

江戸時代そのままのお茶屋「志摩」

メル美ふすまが開くと、目の前で舞が始まる…。部屋のつくりそのものが「舞台」なんだね。

2001年、重要伝統的建造物群保存地区に

浅野川の対岸「主計町」

すぐ近くの主計町(かずえまち)も、平成20年(2008年)6月9日に重要伝統的建造物群保存地区(種別「茶屋町」、約0.6ヘクタール)に選ばれています。

いまの町を守るルール

金沢市の「東山ひがし地区まちづくり協定」は、茶屋町の文化的な連続性と、保存地区としての価値を守ることを目標にしています。たとえば、こんな決まりがあります。

ひがし茶屋街は、文政3年(1820年)に加賀藩が城下のお茶屋を集めてつくった茶屋町です。お茶屋の遊びは琴・三味線・舞から和歌・俳諧にまで及び、「芸どころ金沢」の礎になったと紹介されています。

デートで話すなら

京都の花街の歴史は、京都・島原の歴史と京都の五花街、長崎の花街は長崎・丸山の歴史で紹介しています。

まとめ


参考文献

  1. 文化庁. 重要伝統的建造物群保存地区 金沢市東山ひがし・主計町・卯辰山麓・寺町台(石川県) (1)保存地区の概要(金沢市作成、令和8年更新・PDF). https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/hozonchiku/pdf/94428201_24.pdf (閲覧日:2026年10月22日)
  2. 金沢市. 東山ひがし地区まちづくり協定(PDF). https://www4.city.kanazawa.lg.jp/material/files/group/70/10_naiyou.pdf (閲覧日:2026年10月22日)
  3. 金沢ひがし 志摩. 「志摩」について. http://www.ochaya-shima.com/shima/shima_f.html (閲覧日:2026年10月22日)

この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。