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プレ男金沢の「ひがし茶屋街」って、着物で歩く観光地のイメージだけど、もともとは何の町なの?

メル美江戸時代に、藩がお茶屋を集めてつくった町なんだって。
こんにちは、Dr. Taro です。 「色街の歴史」、今回は金沢のひがし茶屋街です。いまは格子戸の町家が並ぶ観光地として知られていますが、その始まりは、江戸時代に加賀藩が設けた「茶屋町」でした。文化庁の重要伝統的建造物群保存地区の資料(金沢市作成)、金沢市の「東山ひがし地区まちづくり協定」、お茶屋「志摩」の公式サイトをもとにまとめました。
※この記事は歴史の紹介です。お店の案内や、利用をすすめるものではありません。
1820年、茶屋町の誕生
- 文化庁の資料によると、茶屋町が設けられたのは文政3年(1820年)です。「卯辰(うたつ)茶屋町」とも「浅野川茶屋町」とも呼ばれました
- 志摩の公式サイトは、ひがし茶屋街を「文政三年(1820)に加賀藩がこの近辺に点在していたお茶屋をここに集めて町割りしたもの」と説明しています
- このとき、それまでの町割りがまったく改められたことが、前後の町割図をくらべるとわかるそうです(文化庁の資料)
いちど廃止、1867年に再び公認
| 年 | できごと |
|---|---|
| 文政3年(1820年) | 茶屋町が設けられる |
| 天保2年(1831年) | いったん廃止される |
| 慶応3年(1867年) | 再び公認される |
| 明治以降 | 「東新地」「ひがし」と呼ばれ、市内随一の格式とにぎわいの茶屋町に |
文化庁の資料は、ひがしが「今日に至るまで金沢の茶屋文化を受け継いできて」いると書いています。

プレ男できてから11年でいったん廃止されて、また30年以上あとに復活したんだ。
求められたのは「芸と教養」
- 志摩の公式サイトによると、お茶屋での遊びは「琴、三弦、舞、謡曲、茶の湯から、和歌、俳諧に及ぶもの」でした
- そのため、はば広く高い技能と教養が求められ、それが「芸どころ金沢」の礎になった、と説明しています
- 京都の島原にも、江戸中期に俳句の会(島原俳壇)ができていました(京都・島原の歴史)
江戸時代そのままのお茶屋「志摩」
- 「志摩」は、文政3年(1820年)に建てられたお茶屋の建物です。公式サイトは、これまで手を加えることなく、江戸時代そのままに残っていて、学術的にも貴重な文化遺産として高く評価されている、と紹介しています
- お茶屋は2階を客間とし、押し入れや物入れなどは作らず、あくまでも遊興を主体とした造りになっています
- 客が床の間を背にして座ると、その正面がかならず「ひかえの間」になります。ふすまが開くと同時に、舞や遊芸が披露されるしくみです
- 町並みは、格子戸と大戸、それに2階の造りが高いのが特徴で、藩政時代の面影を残している、と公式サイトは書いています

メル美ふすまが開くと、目の前で舞が始まる…。部屋のつくりそのものが「舞台」なんだね。
2001年、重要伝統的建造物群保存地区に
- ひがしは平成13年(2001年)11月14日、国の重要伝統的建造物群保存地区(種別「茶屋町」)に選ばれました。面積は約1.8ヘクタールです
- 地区の中には、江戸時代後期から明治初期にかけての茶屋建築がまとまって残っています(文化庁の資料)
浅野川の対岸「主計町」
すぐ近くの主計町(かずえまち)も、平成20年(2008年)6月9日に重要伝統的建造物群保存地区(種別「茶屋町」、約0.6ヘクタール)に選ばれています。
- 文化庁の資料によると、主計町が茶屋町として始まった時期ははっきりしません
- 文化・文政期から天保期(1804〜1844年)の文献から、茶屋町に近い性格の場所として形成されてきたと考えられています
- 明治期以降の資料では、茶屋町として公式の免許地だったことはないものの、実質的には茶屋町として成り立っていたことがうかがえるそうです
- 1階を出格子とし、正面全体を開け放つ背の高い2階をもつ茶屋建築が軒を連ねています
いまの町を守るルール
金沢市の「東山ひがし地区まちづくり協定」は、茶屋町の文化的な連続性と、保存地区としての価値を守ることを目標にしています。たとえば、こんな決まりがあります。
- 風俗営業法で定める一部の営業(キャバレー、低照度の飲食店、ゲームセンターなど)や、ナイトクラブなどの建物は建てない
- 屋外広告は屋根に設置しない。点滅灯・回転灯・ネオン管を使わない。あんどん型の広告を設置するよう努める
- 屋外に自動販売機や商品陳列ワゴンを置かない。コインパーキングを設置しない

ひがし茶屋街は、文政3年(1820年)に加賀藩が城下のお茶屋を集めてつくった茶屋町です。お茶屋の遊びは琴・三味線・舞から和歌・俳諧にまで及び、「芸どころ金沢」の礎になったと紹介されています。
デートで話すなら
- 「ひがし茶屋街は、藩が1820年にお茶屋を集めてつくった町」「いちど廃止されて、幕末に復活した」は、歩きながら話せる豆知識です
- 「お茶屋の2階には押し入れがない。遊芸のための造りだから」も、建物を見るときの楽しいポイントです
京都の花街の歴史は、京都・島原の歴史と京都の五花街、長崎の花街は長崎・丸山の歴史で紹介しています。
まとめ
- ひがし茶屋街は文政3年(1820年)、加賀藩が城下に点在していたお茶屋を集めてつくった茶屋町
- 1831年にいったん廃止、1867年に再び公認。明治以降は「東新地」「ひがし」と呼ばれ、市内随一の茶屋町に
- お茶屋の遊びは琴・三味線・舞・謡曲・茶の湯・和歌・俳諧。「芸どころ金沢」の礎に
- 2001年に国の重要伝統的建造物群保存地区。近くの主計町も2008年に選ばれた
- 文政3年に建てられたお茶屋「志摩」の建物が残っている
参考文献
- 文化庁. 重要伝統的建造物群保存地区 金沢市東山ひがし・主計町・卯辰山麓・寺町台(石川県) (1)保存地区の概要(金沢市作成、令和8年更新・PDF). https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/hozonchiku/pdf/94428201_24.pdf (閲覧日:2026年10月22日)
- 金沢市. 東山ひがし地区まちづくり協定(PDF). https://www4.city.kanazawa.lg.jp/material/files/group/70/10_naiyou.pdf (閲覧日:2026年10月22日)
- 金沢ひがし 志摩. 「志摩」について. http://www.ochaya-shima.com/shima/shima_f.html (閲覧日:2026年10月22日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。