大人の教養An Evening of Culture

第二幕Act II — True Romances

グラント将軍とジュリア「勇敢でさっそうとした軍人と結婚する」と言っていた少女。1844年春、ホワイトヘイブンのポーチでプロポーズ、戦争で待つこと4年。破産と病の最後の年、夫は回想録を書きあげて妻に財産をのこした

No.1682026年10月22日

南北戦争の北軍の将軍で、のちの大統領ユリシーズ・S・グラントと、妻ジュリア・デント・グラントの実話です。ジュリアは学生のころ「勇敢でさっそうとした軍人と結婚する」と言っていました。陸軍士官学校で兄と同室だったグラントが家をたずねるようになり、1844年春、セントルイスのホワイトヘイブンの玄関ポーチでプロポーズ。米墨戦争のため結婚は1848年8月22日まで待ちました。農園の暮らし、戦地への訪問、ホワイトハウス、世界一周、詐欺による破産、のどのがん、そして夫が死の直前に書きあげた回想録まで。ホワイトヘイブンが奴隷のいる農園だったことも含めて、米国国立公園局(NPS)の解説でまとめました。

目次
  1. プロフィール
  2. ホワイトヘイブンの少女
  3. ポーチでのプロポーズ、そして4年
  4. 「すばらしい農夫の妻」
  5. 戦地をたずねた妻
  6. ホワイトハウスと、世界一周
  7. 破産と病、そして回想録
  8. ファーストレディ初の回想録
  9. まとめ

メル美南北戦争のグラント将軍って、のちに大統領になった人だよね。奥さんはどんな人だったの?

プレ男子どものころから「軍人と結婚する」って言ってたんだって。

こんにちは、Dr. Taro です。 「男女の実話」、今回はユリシーズ・S・グラントと妻ジュリア・デント・グラントです。グラント夫妻が暮らしたセントルイスの家を管理する米国国立公園局(NPS)の人物解説「Julia Dent Grant」で確かめました。グラントが北軍で戦った南北戦争の時代は、奴隷解放宣言やリンカーンとメアリーの記事もどうぞ。

プロフィール

項目 内容
ジュリア 1826年1月26日、ミズーリ州セントルイス生まれ。1902年12月14日、ワシントンD.C.で死去
実家 父のデント大佐が持つ、セントルイス郡の850エーカーの地所「ホワイトヘイブン」
夫 ユリシーズ・S・グラント(南北戦争の北軍の将軍、のちの大統領)
プロポーズ 1844年春、ホワイトヘイブンの玄関ポーチで
結婚 1848年8月22日(米墨戦争のため延期)
子ども 4人(フレデリック、ユリシーズ・ジュニア、エレン、ジェシー)
眠る場所 ニューヨークのグラント将軍国立記念館(グラントの墓)で、夫の隣に

ホワイトヘイブンの少女

ポーチでのプロポーズ、そして4年

プレ男プロポーズから結婚まで4年待ったんだ。そのうえ、何十年たっても「いちばんハンサム」って言ってもらえるなんて。

「すばらしい農夫の妻」

戦地をたずねた妻

ホワイトハウスと、世界一周

破産と病、そして回想録

ファーストレディ初の回想録

NPSによると、グラントは家族を養う最後の手として回想録を書きあげ、その収益でジュリアは裕福になりました。ジュリア自身の回想録は、ファーストレディが書いた最初の回想録とされています。

まとめ


参考文献

  1. U.S. National Park Service. Julia Dent Grant. https://www.nps.gov/people/julia-dent-grant.htm (閲覧日:2026年10月22日)

この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。