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プレ男リンカーンの「奴隷解放宣言」で、アメリカの奴隷はみんな自由になったんだよね?

メル美それが、そう単純じゃないんだって。米国立公文書館の説明を読んでみよう。
今回は、奴隷解放宣言(Emancipation Proclamation)です。原本を保管する米国立公文書館(National Archives)の解説ページ、宣言の全文(Transcript)、憲法修正第13条のページの原文で確認しました。本文中の「」の言葉は、英語の原文から Claude が訳したものです。同じ米国の建国の文書はアメリカ独立宣言の記事で紹介しています。
いつ、だれが?
- 1863年1月1日、エイブラハム・リンカーン大統領が出しました。国が、血みどろの南北戦争の3年目に入ろうとしていたときです
- その100日前の1862年9月22日には、「1863年1月1日に反乱している州の奴隷は自由になる」と予告する宣言(予備宣言)が出されていました。本文はその予告を引用するところから始まります
何と宣言した?(全文より)
- リンカーンは、「陸海軍の最高司令官」としての権限により、反乱を鎮めるための「適切で必要な戦争の手段」として、反乱している州と地域を指定します:アーカンソー、テキサス、ルイジアナ(一部を除く)、ミシシッピ、アラバマ、フロリダ、ジョージア、サウスカロライナ、ノースカロライナ、バージニア(一部を除く)
- そして、こう宣言しました。それらの州と地域で「奴隷とされているすべての人は、自由であり、今後も自由である」。合衆国の行政府は、陸海軍をふくめて、その自由を認め、守る
- 自由になった人には、自衛のための場合を除いて暴力をつつしみ、許される場合には適正な賃金のために誠実に働くことをすすめています
- さらに、ふさわしい人は、砦や陣地の守備、あらゆる船の乗組員として、合衆国の軍隊に受け入れられるとも宣言しました
- 最後にリンカーンは、この行為を「正義の行為」だと心から信じ、「人類の思慮深い判断」と全能の神の恵みを願う、と結んでいます

プレ男「戦争の手段として」っていうのが、ちょっと意外だね。
「多くの点でかぎられていた」(米国立公文書館より)
米国立公文書館は、その広い言葉にもかかわらず、宣言は「多くの点でかぎられていた」と書いています。
- 合衆国から離脱した州だけに適用され、合衆国に残った「境界州」の奴隷制には手をつけなかった
- 南部連合の中でも、すでに北軍の支配下に入っていた地域は、はっきり除かれていた
- そして何より、宣言が約束した自由は、北軍の軍事的な勝利しだいだった
それでも、戦争を変えた(米国立公文書館より)
- 宣言は国全体の奴隷制を終わらせたわけではありませんが、何百万人ものアメリカ人の心をつかみ、戦争の性格を根本から変えた、と米国立公文書館は書いています
- 1863年1月1日のあと、北軍が一歩進むごとに、自由の領域が広がりました
- 宣言は、黒人の男性が合衆国の陸軍と海軍に入ることを認めました。解放された人が、解放する人になったのです。終戦までに、約20万人の黒人の兵士と水兵が、合衆国と自由のために戦いました
- 戦争の初めから、奴隷とされた人々は自分たちの自由を求めて行動していた、とも書かれています

メル美宣言だけで終わったんじゃなくて、戦った人たちがいて、自由が広がっていったんだね。
奴隷制を終わらせたのは「憲法修正第13条」
- 米国立公文書館によると、リンカーンは、奴隷制の廃止を確かなものにするには、宣言のあとに憲法の修正が必要だと考えていました
- 修正第13条は、上院では1864年4月に可決されたものの、下院では最初は通りませんでした。リンカーンが積極的に動き、1865年1月、下院で119対56で可決されます
- 議会は1865年1月31日に可決し、1865年12月6日に必要な数(4分の3)の州が批准しました
- 条文:「奴隷制も、本人の意に反する苦役も、正当に有罪とされた犯罪への罰としての場合を除いて、合衆国またはその管轄に属するいかなる場所にも存在してはならない」
原本はいまどこに?(米国立公文書館より)
- 原本は、ワシントンD.C.の米国立公文書館にあります
- 本文は5ページ。もとは細い赤と青のリボンで結ばれ、署名のページに合衆国の印章でとめられていました。リボンはほとんど残っていますが、印章は一部がすり減っています
- 長いあいだ国務省がほかの布告とともに大きな本にとじて保管していて、右上には、国務省がずっとあとにつけた番号「95」が赤インクで書かれています。1936年に国立公文書館に移されました

米国立公文書館によると、奴隷解放宣言は反乱している州だけが対象で、多くの点でかぎられていました。奴隷制が国全体で廃止されたのは、1865年12月6日に批准された憲法修正第13条です。
まとめ
- 奴隷解放宣言は、1863年1月1日、南北戦争のさなかにリンカーンが出した
- 反乱している州の奴隷は「自由であり、今後も自由である」。戦争の手段として、最高司令官の権限で出された
- ただし、境界州や北軍支配下の地域は対象外で、自由は北軍の勝利しだい——「多くの点でかぎられていた」
- それでも戦争の性格を変え、約20万人の黒人の兵士・水兵が合衆国のために戦った
- 奴隷制を国全体で廃止したのは、1865年12月6日批准の憲法修正第13条
- 原本は5ページ、赤と青のリボン。米国立公文書館が保管
- 米国の文書はアメリカ独立宣言、自由の文書はマグナ・カルタもどうぞ
参考文献
- U.S. National Archives. The Emancipation Proclamation. https://www.archives.gov/exhibits/featured-documents/emancipation-proclamation (閲覧日:2026年10月12日)
- U.S. National Archives. Transcript of the Proclamation. https://www.archives.gov/exhibits/featured-documents/emancipation-proclamation/transcript.html (閲覧日:2026年10月12日)
- U.S. National Archives. 13th Amendment to the U.S. Constitution: Abolition of Slavery (1865). https://www.archives.gov/milestone-documents/13th-amendment (閲覧日:2026年10月12日)
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