
プレ男札幌のすすきのって、いつから繁華街なんだろう。

メル美明治のはじめに、役所がつくった遊郭が始まりなんだって。
こんにちは、Dr. Taro です。 「色街の歴史」、今回は札幌のすすきのです。札幌市白石区の歴史の案内板や、すすきの観光協会の資料をもとにまとめました。
※この記事は歴史の紹介です。お店の案内や、利用をすすめるものではありません。
1万人の働き手と「官許遊廓」(1871年)
- 明治4年(1871年)、北海道開拓の役所・開拓使は、札幌の町(札幌本府)をつくるため、本州各地から大工や職人、人夫など1万人もの人を集めました
- それを目当てに、飲食店や売女屋(遊女を置く店)が増え、開拓使は対応に追われます
- そこで、開拓使の判官・岩村通俊は、政府に遊女屋の設置を求め、認められました
- 町は、大通から北を官庁街、南を一般の住宅地、さらに南を接客の地帯と決め、開拓使が直接経営する妓楼「東京楼」までつくりました
- その後、民営の妓楼や飲食店が次々に開業し、妓楼30軒、遊女300人にもなりました

プレ男役所が直営の妓楼まで!町づくりの一部だったんだ。
- すすきの観光協会によると、岩村判官は、開拓に来た男性たちを札幌に引きとめておくための方策として、南4・5条西3・4丁目の一画に、貸座敷・旅館・飲食店を集めたとされています
「すすきの」の名前の由来は2説
- 通説では、場所を選んだ工事の担当者「薄井龍之(うすい たつゆき)」の名字から「薄野遊廓」と名づけられたとされます
- 一方で、このあたりがススキ(茅)の野原だったからという「自然地名説」もあり、本当のところははっきりしません
解放令と「札幌遊郭」
- 1872年の芸娼妓解放令(吉原の歴史)で、開拓使は北海道の事情を理由に実施の延期を求めましたが、認められませんでした
- しかし、取り締まっても効果が上がらず、解放された女性たちの生活も苦しかったため、政府は翌1873年に再び許可します
- 開拓使は1877年(明治10年)に規則を定め、薄野に正式に「札幌遊郭」を発足させました
- 札幌市の案内板には、経営者には東北出身者が多く、娼妓にも東北の貧しい農村や漁村の出身者が多かったと記されています
白石への移転と、その後のすすきの
- 明治の終わりには、町が広がって、郊外だった薄野が都心の一部になり、移転を求める声が大きくなりました
- 候補地に手をあげた地域のひとつが、病害虫でリンゴ園が壊滅状態だった白石村でした。リンゴ園主らが土地を寄付して遊郭を誘致し、大正7〜9年(1918〜1920年)に移転が進みました
- 移転後も名前は「札幌遊郭」でしたが、一般には「白石遊郭」と呼ばれました
- 遊郭が去ったすすきのには、カフェやバーなどの飲食店が並び、昭和5年(1930年)には約450軒に。これが、いまのすすきののネオン街の基礎になりました

メル美遊郭が移ったあとに、飲み屋街として育ったんだね。
- 遊郭の制度は、戦後の1958年、売春防止法で終わりました(赤線と売春防止法)
まとめ
- すすきのの始まりは、1871年に開拓使が町づくりの一環で区画した官許遊廓
- 開拓使直営の妓楼まであり、妓楼30軒・遊女300人に
- 名前の由来は、担当者薄井龍之の名字説と、ススキの原説
- 1918〜1920年に遊郭は白石へ移転。跡地にはカフェ・バーが並び、いまの繁華街の基礎に
参考文献
- 札幌市白石区. 歴史の標示板 54 札幌遊郭(通称白石遊郭)跡(PDF). https://www.city.sapporo.jp/shiroishi/shokai/history/rekishirube/documents/reki54_55.pdf (閲覧日:2026年9月28日)
- すすきの観光協会. すすきのの歴史. http://www.susukino-ta.jp/history/index2.html (閲覧日:2026年9月28日)
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