
プレ男大阪の「飛田新地」って、名前だけは聞いたことがある。いつからあるの?

メル美大正時代の建物が、文化財になってるって聞いたよ。
こんにちは、Dr. Taro です。 「色街の歴史」の第3回は、大阪の飛田新地(とびたしんち)です。できるまでのいきさつと、いまも残る大正の建物の話をまとめました。
※この記事は歴史の紹介です。お店の案内や、利用をすすめるものではありません。
きっかけは「南の大火」(1912年)
- 1912年(明治45年)1月16日、大阪・ミナミで大きな火事が起き、難波新地の遊廓が焼けてしまいました(「南の大火」)
- 焼け跡に遊廓を建て直すことは許されず、代わりの土地が探されました
1916年に遊廓の指定、1918年に開く
- 1916年(大正5年)、当時の天王寺村の一帯が、遊廓の指定を受けました
- 指定にあたっては、女性の団体による反対運動も起きました
- 1918年(大正7年)12月、遊廓が開かれました。はじめは約58軒でしたが、昭和の初めには200軒を超えたとされます

プレ男火事がきっかけで、別の場所に遊廓ができたのか。吉原の移転と似てるね。
- 江戸の吉原も、明暦の大火(1657年)をきっかけに移転しています(吉原の歴史)
1958年、売春防止法のあとは「料亭」の街に
大正の建物「鯛よし百番」
- 飛田には、遊廓だったころの建物が残っています。そのひとつが「鯛よし百番」です
- 木造2階建てで、玄関に唐破風(からはふ)をつけ、部屋の中は日光東照宮の陽明門を模すなど、部屋ごとに趣向をこらしています
- 文化庁の解説では、「大阪歓楽街の殷賑(いんしん:にぎわい)を色濃く今に伝える」とされ、2000年に国の登録有形文化財になりました
- 大阪市の資料によると、建物は大正の末から1928年(昭和3年)までに建てられたと推定され、売春防止法の施行を前に、1954年ごろから観光旅館として営業するようになりました。大阪市の「生きた建築ミュージアム・大阪セレクション」にも選ばれています

メル美建物そのものが、街の歴史を伝えてるんだね。
小説の舞台に
- 直木賞作家の黒岩重吾(1924〜2003年、大阪市生まれ)は、昭和30年代に、大阪・西成を舞台にした短編を書き続けました
- 短編集『飛田ホテル』は、社会からこぼれ落ちた人々が集まるアパート「飛田ホテル」を舞台にしたミステリで、出所したヤクザ者が、姿を消した妻の足取りを追う物語です
- 続く『西成山王ホテル』では、飛田に近い山王町で水商売をする女性など、西成で懸命に生きる男女の姿が描かれています
- 作家自身も大阪の「どん底」を経験したといわれ、昭和の飛田・西成の空気を知る手がかりになります(いずれも筑摩書房の紹介より)
まとめ
- 1912年の「南の大火」で難波新地の遊廓が焼け、その代わりとして
- 1916年に遊廓の指定、1918年に開かれた。反対運動もあった
- 1958年の売春防止法のあとは「料亭」の街に
- 大正の建物「鯛よし百番」は、国の登録有形文化財
参考文献
- 文化庁. 鯛よし百番(文化遺産オンライン). https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/114607 (閲覧日:2026年9月27日)
- 大阪市. 生きた建築ミュージアム・大阪セレクション 鯛よし百番. https://www.city.osaka.lg.jp/toshiseibi/page/0000647106.html (閲覧日:2026年9月27日)
- Wikipedia. 飛田遊廓. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E7%94%B0%E9%81%8A%E5%BB%93 (閲覧日:2026年9月27日)
- コトバンク(日本大百科全書(ニッポニカ)ほか). 売春防止法. https://kotobank.jp/word/%E5%A3%B2%E6%98%A5%E9%98%B2%E6%AD%A2%E6%B3%95-112841 (閲覧日:2026年9月27日)
- 筑摩書房. 飛田ホテル/黒岩重吾(ちくま文庫). https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480434975/ (閲覧日:2026年9月28日)
- 筑摩書房. 西成山王ホテル/黒岩重吾(ちくま文庫). https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480435378/ (閲覧日:2026年9月28日)
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