
プレ男品川の「鈴ヶ森」って、ネットで心霊スポットって言われてるよね。夜に行ってみたら…。

メル美いまはお寺の境内で、亡くなった人を供養している場所なんだって。まずは歴史を知ろうよ。
今回は、品川区南大井の鈴ヶ森刑場跡です。刑場跡がある大経寺(だいきょうじ)の公式サイトの説明をもとにまとめました。このサイトでは、「出る」とは言いません。
プロフィール
| 場所 | 東京都品川区南大井2-5-6(日蓮宗 大経寺の境内) |
| 刑場があった期間 | 慶安4年(1651)〜明治4年(1871) |
| 指定 | 昭和29年(1954)に「鈴ヶ森刑場跡」として東京都の史蹟に指定。品川百景のひとつ |
| 残っているもの | 処刑に使われた台石、題目供養塔などの供養塔、「首洗いの井」 |
| アクセス | 京浜急行「大森海岸」駅から徒歩8分、「立会川」駅から徒歩10分、JR「大森」駅から徒歩13分(大経寺) |
なぜここに刑場ができたのか
- 大経寺によると、刑場は慶安4年(1651)、大井村浜川の東海道往還の西側の土地を召し上げてつくられました
- それまで江戸の刑場は、北の浅草と南の芝にありました。幕府ができて50年近くたって人口がふえ、刑場の近くまで家が立ちならぶようになったため、より人目につかないところへ移されたのです。北は浅草から千住(小塚原)へ、南は芝からこの鈴ヶ森へ
- 当時は目の前に海岸線が広がっていて、刑場は波打ちぎわの1本の老松にちなんで「一本松」と呼ばれていました。となりの不入斗(いりやまず)村に鈴ヶ森八幡があったことから、いつのまにか「鈴ヶ森」と呼ばれるようになったといわれます
ここで最期をむかえた人たち
- 大経寺によると、最初に処刑されたのは、由井正雪の乱に加わった丸橋忠弥だといわれます
- 平井権八(歌舞伎では白井権八)、天一坊、八百屋お七など、歌舞伎や講談でおなじみの人物もここで処刑されました
- 八百屋お七は、天和2年(1682)の火事のあとに出会った吉三郎にもう一度会いたい一心で放火し、天和3年(1683)、ここで火あぶりの刑を受けました。くわしくは八百屋お七の記事で
- ただし大経寺は、処刑された人の大部分は、記録にも残らない無名の人たちだったようだ、と書いています。決まった家をもたない「無宿人」が、無実の罪で犯人に仕立てあげられることもあった、とも説明しています

メル美名前も残っていない人がたくさんいたんだね…。

勝川春好「白井権八に扮する三代目沢村宗十郎」1788年。木版画。メトロポリタン美術館所蔵(パブリックドメイン)
歌舞伎の名場面「鈴ヶ森」
- 四世鶴屋南北の歌舞伎『浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)』の「鈴ヶ森の場」は、この刑場が舞台です
- 侠客幡随院長兵衛が、白井権八の立ち回りを見て「お若けえの、お待ちなせえやし」と呼び止める場面が名高く、大経寺によると、何度もくり返し上演されてきました
- 舞台に必ず出てくるのが、境内に残る題目供養塔です。高さ3メートルをこえる御影石に「南無妙法蓮華経」の文字。裏には元禄11年(1698)に建てたと彫られています
- 歌舞伎の楽しみ方は歌舞伎の記事もどうぞ
刑場の廃止と「お首さま」
- 江戸時代が終わり、刑場は明治4年(1871)に閉鎖されました
- 大経寺によると、最後の処刑者として知られる元幕臣の渡辺健蔵は、ここに墓が残る唯一の人物です。地元の人たちが、民衆のために直訴して処刑された健蔵の死をいたんで墓をつくりました
- この墓にお参りすると首から上の病気が治ると言い伝えられ、「お首さま」と呼ばれてきました。ご利益があるかどうかは、ここでは断定しません

大経寺は、鈴ヶ森刑場で処刑された人たちを供養するために建てられたお寺です。刑場跡は昭和29年に東京都の史蹟に指定されています。
訪れるときのマナーと法律
- ここは亡くなった人を供養するお寺の境内です。大声・騒ぐ・ふざけた撮影はやめましょう。供養塔や台石に触ったり、のぼったりしない
- 「肝試し」で夜にしのびこむのはやめましょう。刑法第130条(住居侵入等)は、正当な理由なく、人が管理する建造物などに入ったり、出ていくよう言われても出なかったりした人を、3年以下の拘禁刑または10万円以下の罰金としています。閉まった門や柵をこえて入らないこと
- 参拝できる時間などは、行く前に大経寺に確かめてください
- 近くに住む人の迷惑(深夜の話し声、路上駐車など)にならないように。大経寺は、車の場合は近くのコインパーキングを使うよう案内しています

プレ男夜にこっそりはやめて、昼間に歴史を知りに行くことにするよ。
まとめ
- 鈴ヶ森刑場は、慶安4年(1651)に東海道ぞいにつくられ、明治4年(1871)に廃止された江戸の刑場
- 丸橋忠弥、平井権八、天一坊、八百屋お七のほか、記録に残らない多くの人がここで処刑された
- 処刑の台石と供養塔は大経寺の境内に集められ、昭和29年に東京都の史蹟に
- 歌舞伎「鈴ヶ森の場」の舞台。境内の題目供養塔は元禄11年(1698)
- 「心霊スポット」ではなく、供養の場。夜の侵入はせず、昼に静かに
- 江戸のもう1つの刑場は小塚原刑場跡、東京の史跡は将門塚、八王子城跡もどうぞ
参考文献
- 日蓮宗 大経寺. 【公式】大経寺(トップ「東京都史蹟 鈴ヶ森刑場跡」). https://daikyoji.jp/ (閲覧日:2026年10月4日)
- 日蓮宗 大経寺. 大経寺について. https://daikyoji.jp/about.html (閲覧日:2026年10月4日)
- 日蓮宗 大経寺. ゆかりの人物. https://daikyoji.jp/character.html (閲覧日:2026年10月4日)
- 日蓮宗 大経寺. アクセス. https://daikyoji.jp/access.html (閲覧日:2026年10月4日)
- 刑法(明治40年法律第45号)第130条. e-Gov法令検索. https://laws.e-gov.go.jp/law/140AC0000000045 (閲覧日:2026年10月4日)
- メトロポリタン美術館. Katsukawa Shunkō, The Third Sawamura Sojuro in the Role of Shirai Gonpachi, 1788(JP277、パブリックドメイン). https://www.metmuseum.org/art/collection/search/36749 (閲覧日:2026年10月4日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。

