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プレ男教科書の「飛鳥美人」の絵って、古墳の中に描いてあったんだよね?

メル美うん。でも、見つかってからカビとのたたかいがすごくて、最後は石室ごと取り出したんだって。
今回は、奈良県明日香村の「高松塚古墳壁画」です。管理している文化庁の資料「高松塚古墳の保存管理の経緯と壁画修理後の当分の間の保存の在り方について」(古墳壁画の保存活用に関する検討会、2014年・2025年9月一部改正)、修理作業室の公開の案内ページ、「高松塚古墳壁画保存管理公開活用施設(仮称)文化庁エリア展示方針」(2026年3月)で確かめました。
プロフィール(文化庁より)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 場所 | 奈良県高市郡明日香村大字平田 |
| 古墳 | 下段の直径約23m、上段の直径約18mの二段の円墳 |
| つくられた時期 | 7世紀末から8世紀初め |
| 石室の中 | 奥行2.6m、幅1.0m、高さ1.1m |
| 壁画 | 星宿図・日月像・四神図・人物群像(女子群像・男子群像) |
| 発見 | 1972年(昭和47年)3月21日 |
| 指定 | 古墳は特別史跡(1973年)、壁画は国宝(1974年)、出土品は重要文化財 |
- 文化庁によると、高松塚古墳壁画は、1983年に見つかったキトラ古墳壁画とともに、日本に2例しかない極彩色の古墳壁画です
- 「高松塚」の名は、墳丘のてっぺんに1本の松が生えていたことによると伝えられています。江戸時代には文武天皇の陵と考えられた時期もありましたが、ほうむられた人はいまもわかっていません。鎌倉時代には盗掘にあっていて、その痕跡が残っています
発見:村の歴史の本づくりから(文化庁より)
- 1969年(昭和44年)4月、地元の人が古墳の南側でたまたまほった穴の底に、凝灰岩の切石(30cm四方)を見つけ、この丘が古墳であることがあらためて意識されました
- 1972年3月、『明日香村史』をつくる事業の一つとして、明日香村が中心になり、明日香村教育委員会と橿原考古学研究所が発掘しました。凝灰岩の石室が確かめられ、3月21日、中に描かれた大陸風の極彩色の壁画が見つかりました
- この発見は「世紀の大発見」と大きく報じられ、考古学ブームの火つけ役になりました。明日香村に大勢の観光客がおとずれ、飛鳥を守ろうという動きも高まりました
- 発見の翌月から、古墳の管理は文化庁にゆだねられています

プレ男村の歴史の本をつくるための発掘で、国宝が出てきたんだ!
何が描いてある?(文化庁の展示方針より)
石室は、壁と天井の石を組んだつくりで、それぞれの石に次の絵があります。
| 場所 | 絵 |
|---|---|
| 天井 | 星宿図(星座の図。南半分に天極と東・南・西の七宿、北半分に北方七宿) |
| 東壁 | 男子群像、青龍と日像(太陽)、女子群像 |
| 西壁 | 男子群像、白虎と月像(月)、女子群像 |
| 北壁 | 玄武 |
| 南壁 | 壁画なし。盗掘の痕跡が残る |
- 「飛鳥美人」として有名なのは、西壁の女子群像です(文化庁の公開案内より)
- 文化庁の展示方針は、人物群像や四神、日月像を、国内外の古墳壁画とくらべることで、東アジアとの文化交流の歴史や、高松塚古墳壁画ならではの繊細なタッチを示す、としています
カビとのたたかい(文化庁より)
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1973年 | 壁画を現地で保存して修理する方針が決まる。イタリアやフランスの専門家の意見も参考にした |
| 1976年 | 石室の南側に保存施設をつくる。本格的な修理がはじまる |
| 1980年ごろ | 石室の湿度の変化、修理に使った樹脂や薬剤、人の出入りなどからカビが大量に発生(昭和のカビの大発生)。その対応の中で白虎の色があせたと考えられている |
| 2001年 | 保存施設と石室をつなぐ「取合部」の天井の崩落止め工事。カビ対策が不十分で、ふたたびカビが大量に発生(平成のカビの大発生) |
| 2002年 | 作業者が壁画を傷つける事故。当時は公表されず、2006年に報道されて、文化庁はきびしい批判を受けた |
| 2004年 | 写真集の写真から、白虎の線がうすくなるなどの劣化が報道機関に指摘される |
- ダニやムカデなどの虫が石室に出入りしてカビを持ちこみ、その死がいがまた新しいカビの栄養になる、というカビを中心とした食物連鎖もできていました
- 文化庁の検討会は、のちに、発見後の壁画の劣化はカビなどの生物被害によるところが大きいと結論づけ、チェック体制の不備も遠因だった可能性を指摘しています

メル美1300年もった絵が、見つかってから急に傷んでしまったなんて…。守るのって本当にむずかしいんだね。
苦渋の決断:石室ごと取り出す(文化庁より)
- 2005年6月、墳丘の中で現地保存を続けるのでは劣化を食い止めるのは極めてむずかしいと判断され、「苦渋の選択」として、壁画を石室の石ごと墳丘から取り出し、安全な施設で修理する方針が決まりました。将来は、カビなどの影響を受けない環境をつくったうえで現地にもどすことが「恒久保存方針」とされています
- 検討では、そのまま保存する案、墳丘ごと管理する案、石室だけ管理する案、壁の漆喰だけをはがす案なども比べられましたが、漆喰がもろくなっていてはがすのはむずかしいなどの理由で、石室を取り出す案が選ばれました
- 2007年4〜8月に石室を解体し、壁画と石材は、国営飛鳥歴史公園の中の仮設修理施設に運ばれました。墳丘は2009年に、もとの姿を推定して復元されています
- 修理は令和元年度に終わりました。ただ、石材にはひびが多く強度も低いこと、漆喰の劣化、カビの再発の心配などから、当分のあいだは墳丘にもどさず、古墳の外で保存・公開することになりました。いまの修理施設の近くに新しい施設をつくり、壁画と石材をうつす計画です
見られるの?(文化庁より)
- 文化庁は2008年から、仮設修理施設(奈良県明日香村大字平田540、国営飛鳥歴史公園内)の修理作業室を公開しています。見学用の通路からガラス窓ごしに見るもので、事前申しこみ制です。拡大鏡の貸し出しもあります
- 文化庁の案内ページでは、2026年1月17日〜23日に、西壁女子群像(飛鳥美人)、北壁玄武、西壁男子群像、天井の星宿図を公開する予定と案内されていました。次の公開は、文化庁の案内ページで確かめてください

文化庁によると、高松塚古墳壁画は1972年に見つかった日本初の極彩色の古墳壁画で、カビなどの劣化から、2007年に石室ごと取り出して修理されました。
まとめ
- 奈良・明日香村、7世紀末〜8世紀初めの二段の円墳
- 1972年3月21日、『明日香村史』のための発掘で、日本初の極彩色の古墳壁画を発見。考古学ブームに
- 天井に星宿図、壁に男子・女子群像、青龍・白虎・玄武、日月。西壁の女子群像が「飛鳥美人」
- 昭和・平成のカビの大発生などで劣化。2005年、石室ごと取り出す方針、2007年に解体
- 修理は令和元年度に終了。いまは修理施設で保存し、ときどきガラスごしに公開。新しい施設を計画中
- 日本の古代の遺物は金印、稲荷山古墳の金錯銘鉄剣もどうぞ
参考文献
- 文化庁(古墳壁画の保存活用に関する検討会). 高松塚古墳の保存管理の経緯と壁画修理後の当分の間の保存の在り方について(平成26年3月27日、令和7年9月1日一部改正). https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/takamatsu_kitora/pdf/94268601_01.pdf (閲覧日:2026年10月22日)
- 文化庁. 『国宝高松塚古墳壁画修理作業室の公開』事務局 公式ホームページ. https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/takamatsu_kitora/sagyoshitsu_kokai/oubo/about.html (閲覧日:2026年10月22日)
- 文化庁. 高松塚古墳壁画保存管理公開活用施設(仮称)文化庁エリア展示方針(令和8年3月). https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/takamatsu_kitora/pdf/94353601_01.pdf (閲覧日:2026年10月22日)
- 文化庁. 高松塚古墳・キトラ古墳. https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/takamatsu_kitora/ (閲覧日:2026年10月22日)
- 文化庁. 国宝高松塚古墳壁画修理作業室の公開について. https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/takamatsu_kitora/sagyoshitsu_kokai/ (閲覧日:2026年10月22日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。