
プレ男鎌倉に「腹切りやぐら」って場所があるんだって。名前だけでもうこわいんだけど…。

メル美鎌倉幕府が終わった場所なんだって。何があったのか、ちゃんと知りたいな。
今回は、神奈川県鎌倉市の「腹切りやぐら」と、その一帯の東勝寺跡(とうしょうじあと)です。文化庁の「文化遺産オンライン」(国指定文化財等データベース)の解説をもとにまとめました。このサイトでは、「出る」とは言いません。
プロフィール
| 場所 | 神奈川県鎌倉市小町。鶴岡八幡宮の南東、滑川(なめりがわ)を渡った「葛西ケ谷(かさいがやつ)」の谷戸 |
| 指定 | 「東勝寺跡」として1998年(平成10年)7月31日に国の史跡。管理団体は鎌倉市 |
| できごと | 元弘3年(1333年)5月22日、北条高時が一族郎党以下870余人とともに自害し、鎌倉幕府が滅亡(『太平記』) |
| 腹切りやぐら | 文化庁の解説では「高時腰切やぐら」と通称される「880余人首塚」。史跡の範囲に含まれる |
東勝寺は、北条得宗家の寺だった
- 東勝寺は「青龍山」と号し、開基は鎌倉幕府3代執権の北条泰時、開山は栄西の弟子の退耕行勇(たいこうぎょうゆう)です
- もとは北条氏の本家にあたる得宗家(とくそうけ)の氏寺でした。正確な創建年はわかっていませんが、開山の退耕行勇は仁治2年(1241年)に東勝寺で亡くなっています
- 東勝寺は北条得宗家の邸宅のすぐ東にありました。文化庁は、得宗家を守ることが建てられた目的の一つだったことは明らかだ、と書いています
- 滑川を前の堀にして、丘陵に崖を切り落とした「切岸」や平らに削った平場を配置した、城のような造りのお寺だったことも、地形調査で確かめられています
元弘3年5月22日、鎌倉幕府の最期
- 元弘3年(1333年)、新田義貞らが鎌倉に攻めこみました。屋敷を焼かれた北条高時は、葛西ケ谷に引きこもります
- 『太平記』によると、高時は東勝寺の伽藍に火をかけ、一族郎党以下870余人とともに自害しました。こうして鎌倉幕府は滅亡しました
- 滑川の西岸には、後醍醐天皇が、高時一族の菩提を弔うために高時の屋敷の跡に建てた宝戒寺があります。宝戒寺のある町と葛西ケ谷を結ぶ橋は「東勝寺橋」と呼ばれています

メル美870人以上が一度に…。名前が残っていない家来の人たちも、たくさんいたんだろうね。
そのあとの東勝寺
- 東勝寺はすぐに再興され、室町時代には「関東十刹」の第三位に数えられる名刹でした
- ところが元亀4年(1573年)には、もとの東勝寺の領地が建長寺の僧に与えられていたことが文書からわかり、このころには廃絶していたと考えられています
- 江戸時代、貞享2年(1685年)に出た地誌『新編鎌倉志』には、この地が東勝寺の旧跡だと書かれています
発掘でわかったこと
- 昭和50・51年と平成8・9年に、谷の北側と中央を中心に発掘調査が行われました
- 元弘3年にはあったと推定される、鎌倉石の切石を積んだ石垣、切石を敷いた坂道、岩盤を掘った溝、門の跡と推定される石の列、礎石の建物や掘立柱の建物の跡が、良い状態で残っていました。年代は、出土品と、炭になったものの層や火を受けたあとから推定されています
- 北条氏の家紋「三鱗文(みつうろこもん)」の瓦が出土し、ここが言い伝えどおり東勝寺跡の重要な一画であることがわかりました
- 中国産の青磁や褐釉の香炉、天目茶碗、国産の古瀬戸の壺など、ふつうの寺院跡では見られない優品も多く出ています。文化庁は、流通と対外貿易を握っていた北条得宗家の氏寺ならではの品だと説明しています

プレ男「心霊スポット」っていうより、鎌倉時代の終わりを伝える遺跡なんだね。三鱗の瓦、見てみたいな。

東勝寺跡は、北条泰時が開いた得宗家の氏寺の跡で、鎌倉幕府と北条高時一族の最期の地です。発掘で北条氏の家紋・三鱗文の瓦が出土し、1998年に国の史跡に指定されました。
訪れるときのマナーと法律
- ここは、多くの人が最期をむかえた場所であり、国の史跡です。供養の気持ちをもって、大声・騒ぐ・ふざけた撮影はやめましょう
- 柵・ロープ・立入禁止の表示があるところより先には入らないでください。現地の状況や見学できる範囲は変わることがあるので、行く前に鎌倉市に確かめると安心です
- 文化財保護法第196条は、史跡の現状を変えたり、保存に影響する行為をして、史跡を滅失・毀損させた人を、5年以下の拘禁刑または100万円以下の罰金としています。石や土を持ち帰る、やぐらの岩肌を傷つける、といったことはしないでください
- 夜の「肝試し」はやめましょう。まわりは人が暮らす町でもあるので、夜の話し声や路上駐車で迷惑をかけないように

メル美昼間に、鶴岡八幡宮や宝戒寺といっしょに、鎌倉時代の歴史をたどってみようかな。
まとめ
- 「腹切りやぐら」は、東勝寺跡(国の史跡、1998年指定)の一画。文化庁の解説では「高時腰切やぐら」と通称される首塚
- 東勝寺は、北条泰時が開いた北条得宗家の氏寺。城のような造りのお寺だった
- 元弘3年(1333年)5月22日、北条高時が一族郎党以下870余人とともに自害し、鎌倉幕府が滅亡(『太平記』)
- 発掘で、石垣・門・建物の跡と、北条氏の家紋三鱗文の瓦が見つかった
- 「心霊スポット」ではなく、歴史の終わりを伝える史跡。立入禁止の先には入らず、昼に静かに
- 近くの鶴岡八幡宮、山城の最期を伝える八王子城跡、将門塚もどうぞ
参考文献
- 文化庁. 文化遺産オンライン「東勝寺跡」(国指定文化財等データベース、史跡、指定年月日1998年7月31日). https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/207063 (閲覧日:2026年10月22日)
- 文化財保護法(昭和25年法律第214号)第196条. e-Gov法令検索. https://laws.e-gov.go.jp/law/325AC0100000214 (閲覧日:2026年10月22日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。
