
メル美900年も前の恋が、本人の書いた本で残ってるんだって。アベラールとエロイーズ。

プレ男本人が書いた恋の記録って、ちょっと読んでみたいかも。
今回は、12世紀フランスのアベラールとエロイーズです。ピエール・アベラールが自分で書いた『わが災厄の記(Historia Calamitatum)』の英訳(ヘンリー・アダムズ・ベロウズ訳)を、プロジェクト・グーテンベルクで読みました。以下は、アベラールの側から書かれた記録です。本文中の「」の言葉は、英訳から Claude が訳したものです。
※この話には、暴力の場面があります。この記事では、くわしい描写はひかえています。
プロフィール
| アベラール | エロイーズ | |
|---|---|---|
| どんな人 | 1079〜1142年(英訳の序文による)。ナント近くのパレ出身。パリで学校をひらく、名高い学者 | パリの聖堂参事会員フュルベールの姪 |
| とくちょう | 名声があり、若く、見た目にも自信があった(本人の言葉) | 美しいうえに、学問の知識が豊かなことで、王国じゅうに知られていた |
| 後半生 | サン=ドニ修道院の修道士、のちに修道院長 | アルジャントゥイユの修道女、のちにパラクレートスの修道院へ |

アベラールとエロイーズをえがいた写本の挿絵。コンデ美術館(シャンティイ)所蔵、MS 482/665。ウィキメディア・コモンズ(パブリックドメイン)
恋のはじまり:家庭教師として
- アベラールによると、エロイーズの叔父フュルベールは、姪をとても愛し、できるかぎりよい教育を受けさせたいと願っていました
- アベラールは、エロイーズに近づくために、友人の助けをかりてフュルベールを説きふせ、少しのお金をはらって、その家に住まわせてもらいます。フュルベールは、姪の勉強が進むことをよろこび、アベラールにエロイーズの教育をすっかりまかせました
- 二人は、勉強をよそおって、恋の時間をすごすようになります。アベラールは学問への熱を失い、講義はおざなりに。哲学ではなく恋の歌を作るようになり、その歌は多くの土地で歌われた、と書いています

プレ男先生と教え子、しかも住みこみ…。いまだったら大問題だね。
- アベラール自身、のちにこれを「わたしが行ったいつわり」とよび、フュルベールに苦しみをあたえたことを、きびしく自分をせめています
子どもの誕生と、ひみつの結婚
- やがてエロイーズは妊娠し、アベラールは叔父のいない夜、エロイーズをひそかに連れ出して、自分の故郷の姉のもとにあずけます。生まれた男の子は、アストロラーブと名づけられました
- アベラールはフュルベールのもとへ行ってゆるしをこい、名声をそこなわないよう、ひみつにすることを条件に、エロイーズと結婚すると申し出ます。フュルベールは承知しました
- ところが、エロイーズは結婚にはげしく反対します。結婚は、アベラールにとって不名誉で重荷になる、というのです。聖書の言葉もひいて、結婚生活の苦労を説きました
- それでも説得できないとわかると、エロイーズは、なげきと涙のなかで、こう言って反対をやめました
- 「それなら、のこるのはこれだけ。わたしたちの運命の中で、これから来る悲しみは、わたしたちがもう知ってしまった愛より、小さくはないでしょう」
- アベラールは「そのとおりになったことは、いまでは世界じゅうが知っている」と書いています。二人は、子どもを姉にあずけてパリにもどり、ある教会で、叔父と数人の友人だけが立ちあうなか、ひみつに結婚しました
引きさかれた二人
- ところが、フュルベールの家の人たちは、約束をやぶって結婚のことを言いふらしはじめます。エロイーズは「それはうそです」と否定し、怒った叔父は、エロイーズを何度もこらしめました
- アベラールは、エロイーズを、パリに近いアルジャントゥイユの女子修道院(エロイーズが子どものころ育った場所)へ送ります
- フュルベールの一族は、アベラールがエロイーズを修道女にしてすてたのだと思いこみ、はげしく怒りました。ある夜、買収された召使いの手引きで、一族はアベラールの部屋にしのびこみ、体をひどく傷つける、残酷な仕返しをしたのです
- アベラールは、体の痛みよりもはじに苦しみ、修道士になる道をえらびます。エロイーズは、アベラールのすすめで、すでに修道女になる決心をしていました

メル美ひみつの結婚が、かえって二人を引きさくことになっちゃったんだね…。
修道女としてのエロイーズ
- 若いエロイーズが修道女になろうとすると、友人たちはとめようとしました。エロイーズは泣きながら、古代ローマの詩人ルカヌスの詩の一節(コルネリアの言葉)をとなえ、祭壇からヴェールをとって、みなの前で誓いを立てました
- のちに、エロイーズがいたアルジャントゥイユの修道院から、修道女たちが追い出されることになります。エロイーズは、そのとき修道院の副院長でした
- アベラールは、自分が建てた礼拝堂「パラクレートス(なぐさめ主)」に、エロイーズと修道女たちをよび、礼拝堂をすべてゆずりました。この寄進は、教皇インノケンティウス2世の命令で、いつまでも彼女たちのものと認められました
- アベラールが近くに通うようになると、「いまも恋人への気持ちにとらわれている」と悪口を言われたとも書いています

アベラールの『わが災厄の記』によると、エロイーズは結婚がアベラールにとって不名誉で重荷になるとして、はげしく反対していました。
まとめ
- アベラールは12世紀パリの名高い学者。エロイーズは学問の知識で知られた女性
- アベラールは家庭教師としてエロイーズの叔父の家に住みこみ、二人は恋に落ちた(アベラールは、のちにそれを「いつわり」と自分をせめている)
- 息子アストロラーブが生まれ、エロイーズの反対をおしてひみつに結婚
- 叔父の一族の残酷な仕返しのあと、二人は修道士と修道女に
- アベラールは、礼拝堂「パラクレートス」をエロイーズたちにゆずった
- 手紙でむすばれた詩人の夫婦はブラウニング夫妻、ほかの実話の夫婦はナポレオンとジョゼフィーヌ、ヴィクトリア女王とアルバート、キュリー夫妻もどうぞ
参考文献
- Peter Abélard. Historia Calamitatum: The Story of My Misfortunes(英訳:Henry Adams Bellows、序文:Ralph Adams Cram). Introduction, Chapters I, VI–VIII, XIII–XIV. Project Gutenberg. https://www.gutenberg.org/ebooks/14268 (閲覧日:2026年10月7日)
- Abelard and Heloise(Musée Condé, Chantilly, MS 482/665). Wikimedia Commons(パブリックドメイン). https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Abelard_and_Heloise.jpeg (閲覧日:2026年10月7日)
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