大人の教養An Evening of Culture

第二幕Act II — True Romances

左に赤い服で冠をかぶった男性、右に黒い修道服の女性が向かいあい、手ぶりをまじえて話している中世の写本の絵

アベラールとエロイーズ12世紀のパリ、有名な学者と、知性で知られた若い女性の恋。ひみつの結婚、引きさかれた二人、修道士と修道女として生きた後半生。アベラール自身が書いた『わが災厄の記』で読む

No.0572026年10月7日

中世フランスの哲学者ピエール・アベラールと、エロイーズの恋は、本人が書き残した自伝『わが災厄の記(Historia Calamitatum)』で知られています。パリで名高い学者だったアベラールは、学問にすぐれたエロイーズの家庭教師として、その叔父の家に住みこみ、二人は恋に落ちます。子どもが生まれ、結婚を「あなたの名を落とす」と反対するエロイーズを説きふせて、ひみつに結婚。しかし叔父の一族の怒りにふれ、二人はそれぞれ修道士と修道女になりました。英訳(H.A.ベロウズ訳)から紹介します。

目次
  1. プロフィール
  2. 恋のはじまり:家庭教師として
  3. 子どもの誕生と、ひみつの結婚
  4. 引きさかれた二人
  5. 修道女としてのエロイーズ
  6. まとめ

メル美900年も前の恋が、本人の書いた本で残ってるんだって。アベラールとエロイーズ。

プレ男本人が書いた恋の記録って、ちょっと読んでみたいかも。

今回は、12世紀フランスのアベラールとエロイーズです。ピエール・アベラールが自分で書いた『わが災厄の記(Historia Calamitatum)』の英訳(ヘンリー・アダムズ・ベロウズ訳)を、プロジェクト・グーテンベルクで読みました。以下は、アベラールの側から書かれた記録です。本文中の「」の言葉は、英訳から Claude が訳したものです。

※この話には、暴力の場面があります。この記事では、くわしい描写はひかえています。

プロフィール

アベラール エロイーズ
どんな人 1079〜1142年(英訳の序文による)。ナント近くのパレ出身。パリで学校をひらく、名高い学者 パリの聖堂参事会員フュルベールの姪
とくちょう 名声があり、若く、見た目にも自信があった(本人の言葉) 美しいうえに、学問の知識が豊かなことで、王国じゅうに知られていた
後半生 サン=ドニ修道院の修道士、のちに修道院長 アルジャントゥイユの修道女、のちにパラクレートスの修道院へ

左に赤い服で冠をかぶった男性、右に黒い修道服の女性が向かいあい、手ぶりをまじえて話している中世の写本の絵

アベラールとエロイーズをえがいた写本の挿絵。コンデ美術館(シャンティイ)所蔵、MS 482/665。ウィキメディア・コモンズ(パブリックドメイン)

恋のはじまり:家庭教師として

プレ男先生と教え子、しかも住みこみ…。いまだったら大問題だね。

子どもの誕生と、ひみつの結婚

引きさかれた二人

メル美ひみつの結婚が、かえって二人を引きさくことになっちゃったんだね…。

修道女としてのエロイーズ

アベラールの『わが災厄の記』によると、エロイーズは結婚がアベラールにとって不名誉で重荷になるとして、はげしく反対していました。

まとめ


参考文献

  1. Peter Abélard. Historia Calamitatum: The Story of My Misfortunes(英訳:Henry Adams Bellows、序文:Ralph Adams Cram). Introduction, Chapters I, VI–VIII, XIII–XIV. Project Gutenberg. https://www.gutenberg.org/ebooks/14268 (閲覧日:2026年10月7日)
  2. Abelard and Heloise(Musée Condé, Chantilly, MS 482/665). Wikimedia Commons(パブリックドメイン). https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Abelard_and_Heloise.jpeg (閲覧日:2026年10月7日)

この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。