
メル美アメリカでは、学校が人種で分けられていた時代があったんだよね。

プレ男「分けても、設備が同じなら平等」って考え方があったって聞いたことがある…。それを変えた裁判があるんだ。
この記事は、米国立公文書館(National Archives)の解説ページ「Brown v. Board of Education (1954)」と、そこに掲載された判決文のトランスクリプトで確かめた内容です。英文の訳は、この記事で訳したものです。判決文には当時の人種の呼び方が使われていますが、この記事では言いかえています。
1954年5月17日の判決
- 1954年5月17日、連邦最高裁のアール・ウォーレン首席判事は、ブラウン対トピーカ教育委員会(カンザス州)裁判で、全員一致の判決を言いわたしました
- 解説によれば、州が認める公立学校の人種分離は、合衆国憲法修正第14条に違反し、違憲とされました
- この判決は、約60年前の1896年、プレッシー対ファーガソン裁判で最高裁が示した「分離すれども平等」(separate but equal)という先例の終わりをしるすもので、1950年代に広がる公民権運動のきっかけにもなった、と解説は書いています
子どもたちの訴え
- 判決文によれば、どの事件でも、黒人の子どもたちが、法定代理人をとおして、分離されていない形で地域の公立学校に入学できるよう、裁判所にもとめました
- 子どもたちは、人種による分離を求めたり認めたりする法律のもとで、白人の子どもたちが通う学校への入学をこばまれていました。この分離は、修正第14条が保障する「法の平等な保護」を彼らからうばうものだ、と主張されたのです
判決の言葉
- 判決は、教育について、こう述べています。「教育は、いまや、おそらく州と地方政府のもっとも重要な仕事である」
- そして、子どもたちを分けることについて——
To separate them from others of similar age and qualifications solely because of their race generates a feeling of inferiority as to their status in the community that may affect their hearts and minds in a way unlikely ever to be undone.
- 「同じ年ごろで同じ資格をもつほかの子どもたちから、人種だけを理由に彼らを分けることは、地域のなかでの自分の地位について劣等感を生み、それは、もとにもどることのないかもしれない形で、彼らの心と精神に影響する」
We conclude that, in the field of public education, the doctrine of “separate but equal” has no place. Separate educational facilities are inherently unequal.
- 「われわれは、公教育の分野において、『分離すれども平等』の原則には、その居場所がないと結論する。分離された教育施設は、本質的に不平等である」

プレ男「設備が同じでも、分けること自体が不平等」って言ったんだ。
「慎重な速さで」
- 判決をどう実行するかは、次の開廷期に審理されることになりました。1年あまりあとの1955年5月31日、ウォーレンは、ふたたび全員一致の判決(ブラウン第2判決)を読みあげ、州に人種分離の撤廃の計画を「慎重な速さで」(with all deliberate speed)はじめるよう指示しました
反発と、支持
- 解説によれば、2つの全員一致の判決と、慎重な(けれどあいまいな)言葉づかいにもかかわらず、判決にはかなりの抵抗がありました
- 人種分離を支持する人々の反対に加え、判決が先例や確立した法よりも社会科学者のデータにたよったことを、法の伝統に反すると考える憲法学者もいました。司法の自己抑制を支持する人々は、最高裁が新しい法をつくって権限をこえた、と考えました
- 一方で、少数者の人々や公民権運動の人々は、具体的な実行の指示がなくても、この判決に勇気づけられました。司法積極主義を支持する人々は、最高裁が、新しい時代の新しい問題に憲法をあてはめた、と考えました
- ウォーレン・コートは、その後15年にわたり、人種の関係だけでなく、刑事司法、政治のしくみ、政教分離にも大きく影響する判決を出しつづけた、と解説は結んでいます

メル美子どもの心にどんな影響があるか、を判決が真正面から書いているのが印象的だね。

米国立公文書館によれば、1954年5月17日、連邦最高裁は全員一致で、公立学校の人種分離を憲法修正第14条違反としました。判決は「分離された教育施設は、本質的に不平等である」と述べています。
まとめ
- 1954年5月17日、連邦最高裁が全員一致で、公立学校の人種分離は違憲と判決(ウォーレン首席判事)
- 根拠は、合衆国憲法修正第14条の「法の平等な保護」
- 1896年のプレッシー対ファーガソン以来の「分離すれども平等」は、公教育には「居場所がない」
- 「分離された教育施設は、本質的に不平等である」
- 1955年のブラウン第2判決は「慎重な速さで」の撤廃を指示。判決には反発も、支持も
- 公民権法(1964年)、奴隷解放宣言、修正第19条もどうぞ
参考文献
- U.S. National Archives. Brown v. Board of Education (1954). https://www.archives.gov/milestone-documents/brown-v-board-of-education (閲覧日:2026年10月12日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。