
メル美アメリカは「移民の国」って言われるけど、特定の国の人だけ入国を禁じた法律もあったんだって。

プレ男えっ、それはいつのこと?
この記事は、米国立公文書館(National Archives)の解説ページ「Chinese Exclusion Act (1882)」で確かめた内容です。英文の訳は、この記事で訳したものです。
1882年5月6日
- 米国立公文書館によれば、中国人排斥法は、1882年5月6日に承認されました。それは、アメリカへの移民を制限する初めての重要な法律でした
- 1882年の春、議会が可決し、チェスター・A・アーサー大統領が署名しました
ひとつの民族の労働者を、10年間
- この法律は、中国人労働者のアメリカへの移民を、10年間、絶対的に禁止するものでした
- 解説によれば、連邦の法律が、ある地域の秩序をおびやかすという前提のもとで、ひとつの民族の労働者集団の入国を禁じたのは、これが初めてでした
- 外交官など、労働者でない少数の人々は、中国政府から移民の資格があるという証明を受けることが求められました。けれど、法律は労働者を「熟練・非熟練の者……および鉱山で雇われる中国人」と定めていたので、自分が労働者でないことを証明するのはますますむずかしく、この法律のもとで入国できた中国人はごくわずかでした

プレ男「労働者」の定義が広すぎて、ほとんどだれも入れなかったんだ…。
すでに住んでいた人にも
- この法律は、すでにアメリカに入国していた中国人にも、新しい条件を課しました。アメリカを出国したら、再入国のための証明を得なければならない
- さらに議会は、州と連邦の裁判所が、アメリカに住む中国人に市民権を与えることを認めませんでした。一方で、裁判所は彼らを国外退去させることはできました
延長、恒久化
- 法律は1892年に期限をむかえましたが、議会はギアリー法で、さらに10年延長しました
- この延長は1902年に恒久的なものになり、中国人の住民ひとりひとりに登録と居住証明書を求めるという制限が加わりました。証明書がなければ、国外退去の対象になったのです
出身国別のわく
- 第一次世界大戦のあと移民がふえると、議会は、割り当て(クオータ)と出身国にもとづく規制という新しい手段をとります。南ヨーロッパや東ヨーロッパの多くの国、そしてアジアのすべての国からの移民を制限する方向へ向かいました
- 1924年の移民法は、1890年の国勢調査を基準にして、それぞれの国籍の移民の上限を、すでにアメリカに住んでいたその国籍の人数の2%としました
1943年の廃止、そして
- 第二次世界大戦中の1943年、中国が連合国の一員だったとき、議会はすべての排斥法を廃止しました
- けれど、割り当ては残り、中国人の移民は年に105人までとされました。外国生まれの中国人も、帰化を申請する権利を得ました
- 出身国にもとづくしくみは、手直しを重ねながら、1965年の移民法までつづきました。1968年7月1日からは、西半球以外からの移民は年17万人、1か国あたり最大2万人とされ、技能や政治的庇護の必要性で入国が決まるようになった、と解説は書いています

メル美1882年から1943年まで、60年以上…。廃止されても、すぐに自由になったわけじゃなかったんだね。

米国立公文書館によれば、1882年の中国人排斥法は、アメリカへの移民を制限する初めての重要な法律で、中国人労働者の入国を10年間禁止しました。排斥法がすべて廃止されたのは1943年で、その後も年105人の割り当てが残りました。
まとめ
- 中国人排斥法は、1882年5月6日に承認された、アメリカで初めての重要な移民制限法
- 中国人労働者の入国を10年間、絶対的に禁止。ひとつの民族の労働者集団の入国を禁じた初めての連邦法
- すでに住んでいた人にも再入国の証明、市民権を認めない
- 1892年のギアリー法で延長、1902年に恒久化、居住証明書がなければ国外退去
- 1924年の移民法で出身国別のわく。1943年に廃止されたが、年105人のわくが残った
- アメリカの移民と差別の歴史は大統領令9066号、ホームステッド法、公民権法もどうぞ
参考文献
- U.S. National Archives. Chinese Exclusion Act (1882). https://www.archives.gov/milestone-documents/chinese-exclusion-act (閲覧日:2026年10月12日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。