
プレ男5年住めば土地がもらえる法律があったの?夢みたいだ!

メル美19世紀のアメリカのホームステッド法だね。でも、思ったとおりにはいかなかったみたい。
この記事は、米国立公文書館(National Archives)の解説ページ「Homestead Act (1862)」と、そこに掲載された法律のトランスクリプトで確かめた内容です。英文の訳は、この記事で訳したものです。
1862年5月20日
- ホームステッド法は、南北戦争中の1862年5月20日に成立しました
- 解説によれば、この法律は、一家の長である成人に、測量ずみの公有地160エーカーを、わずかな登録料と5年間の継続した居住で与えることで、西部の入植を加速させました
- 160エーカーは、およそ65ヘクタールにあたります(1エーカー=約0.4ヘクタールで計算)
だれが申請できたか(第1条・第2条)
- 条文によれば、申請できたのは、一家の長か21歳以上の人で、合衆国の市民、または市民になる意思を宣言した人。そして「合衆国政府に対して武器をとったことがなく、その敵に援助を与えたこともない」人です
- 申請者は、土地事務所で、自分だけの使用と利益のためであること、実際に住んで耕すためであることなどを宣誓し、10ドルを払うと、土地に入ることを認められました
- 申請は、1863年1月1日からできるようになりました

プレ男「武器をとったことがない人」って条件、南北戦争中だからなんだね。
5年住んで、耕して
- 申請から5年がたつまで、権利の証書は出されません(第2条)
- 5年がたったら、2人の信頼できる証人によって、5年間そこに住み、耕してきたことを証明し、土地の一部も手ばなしていないと宣誓すれば、土地の権利を得られました
- 5年のあいだに、住まいを移したり、6か月をこえて土地をはなれたりしたことが証明されると、土地は政府にもどる(第5条)
- ひとりが得られるのは、4分の1セクション(160エーカー)まで(第6条)
- 解説によれば、6か月住んでわずかな改良をし、1エーカーあたり1.25ドルを払って権利を得ることもできた。南北戦争後は、北軍の兵士は、従軍した期間を居住の期間から差しひくことができました
「貧困の万能薬」にはならなかった
- 解説は、こう書いています。この法律は「貧困の万能薬」にはならなかった
- 農場をつくり、必要な道具、種、家畜を手に入れる余裕のある労働者や農民は、比較的少なかった
- 結局、この法律で土地を手に入れた人の多くは、新しい土地にかなり近いところから来た人でした(アイオワの人はネブラスカへ、ミネソタの人はサウスダコタへ、など)
- 条文があいまいだったため、不正をまねくようなところがあり、議会による初期の修正は問題を大きくしただけだった
- 土地の多くは、投機家、牧畜業者、鉱山業者、林業者、鉄道にわたりました。1862年から1904年までに一般土地局が分配した約5億エーカーのうち、入植者にわたったのは8,000万エーカーだけ
- じっさい、小さな農家がこの法律で得た土地は、19世紀より20世紀のほうが多かった、と解説は書いています

メル美土地があっても、道具や種を買うお金がないと、農場ははじめられないんだね。

米国立公文書館によれば、ホームステッド法は5年間住んで耕せば160エーカーの公有地を与えるものでしたが、1862年から1904年までに分配された約5億エーカーのうち、入植者にわたったのは8,000万エーカーだけでした。
まとめ
- ホームステッド法は、南北戦争中の1862年5月20日に成立
- 21歳以上か一家の長で、合衆国に武器をとったことのない市民(または市民になる意思を示した人)が申請できた
- 手数料10ドル、5年住んで耕せば160エーカーが自分のものに。6か月をこえて離れると政府にもどる
- 西部の入植を早めたが、「貧困の万能薬」にはならなかった
- 約5億エーカーのうち、入植者にわたったのは8,000万エーカー
- 米国の土地の歴史はルイジアナ買収、アラスカ購入の小切手、南北戦争中の奴隷解放宣言もどうぞ
参考文献
- U.S. National Archives. Homestead Act (1862). https://www.archives.gov/milestone-documents/homestead-act (閲覧日:2026年10月12日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。