
プレ男アラスカって、もとはロシアの土地だったの?

メル美そう。アメリカが「買った」んだって。そのときの小切手が、いまも残っているの。
この記事は、米国立公文書館(National Archives)の解説ページ「Check for the Purchase of Alaska (1868)」と、そこに掲載された割譲条約の原文(トランスクリプト)で確かめた内容です。英文の訳は、この記事で訳したものです。
720万ドルの小切手
- 米国立公文書館には、1868年8月1日に振りだされた、720万ドルの、使用済みの小切手が保管されています。アラスカ購入のための小切手です
- 「この小切手で、アメリカはロシアからアラスカを720万ドルで購入した」と解説は書いています
- 小切手の受取人は、ロシア側で交渉にあたった、ロシアの駐米公使エドゥアルト・デ・ストックルでした
交渉
- 1866年、ロシア政府はアラスカの領土をアメリカに売ることをもちかけます
- アメリカの領土拡大に熱心だった国務長官ウィリアム・H・スワードが、アメリカ側の交渉にあたりました
- 1867年3月30日、両者は、アメリカがアラスカの領土に対してロシアに720万ドルを支払うことで合意しました
1エーカーあたり2セント足らず
- 解説によれば、アメリカは「1エーカーあたり2セント足らずで、60万平方マイル近くを手に入れた」
- けれど、アラスカ購入に反対した人々は、これを「スワードの愚行」(Seward’s Folly)、「スワードの冷蔵庫」(Seward’s Icebox)と呼びつづけました

プレ男「冷蔵庫を買ってどうするんだ」って笑われたんだ!
ゴールドラッシュ
- その呼び名は、1896年までつづきます。この年の、クロンダイクの大きな金の発見が、もっともきびしい批判者にさえ、アラスカはアメリカの領土の価値ある一部だと納得させた、と解説は書いています
割譲条約
- 米国立公文書館には、皇帝アレクサンドル2世が署名した割譲条約のトランスクリプトも掲載されています。正式名は「全ロシア皇帝陛下による北アメリカのロシア領のアメリカ合衆国への割譲に関する条約」
- 条約は、1867年3月30日に締結、5月28日にアメリカが批准、6月20日に批准書を交換し、同じ日にアメリカが公布しました。条約は英語とフランス語で書かれていた
- 第6条には、割譲の対価として、アメリカは批准書の交換から10か月以内に、ワシントンの財務省で、ロシア皇帝の正式な代表者などに「金貨で720万ドル」(seven million two hundred thousand dollars in gold)を支払う、と書かれています

メル美「愚行」と笑われた買い物が、およそ30年後にはゴールドラッシュ。歴史の評価って変わるものだね。

米国立公文書館によれば、アメリカは1867年3月30日の合意で、アラスカを720万ドルでロシアから購入しました。1エーカーあたり2セント足らずで、60万平方マイル近くの土地です。
まとめ
- 米国立公文書館に残る、1868年8月1日の720万ドルの小切手。アラスカ購入の代金
- 1866年にロシアが売却を提案、国務長官スワードが交渉し、1867年3月30日に合意
- 1エーカーあたり2セント足らずで60万平方マイル近く
- 反対派は「スワードの愚行」「スワードの冷蔵庫」
- 1896年、クロンダイクの金の発見で評価が一変
- 割譲条約第6条:「金貨で720万ドル」を10か月以内に
- もっと大きな土地の買い物はルイジアナ買収、米国の文書はエジソンの電灯の特許、ツィンマーマン電報もどうぞ
参考文献
- U.S. National Archives. Check for the Purchase of Alaska (1868). https://www.archives.gov/milestone-documents/check-for-the-purchase-of-alaska (閲覧日:2026年10月12日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。