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プレ男アメリカの憲法って、240年近く前にできたんでしょ?どうやってつくったんだろう。

メル美ドアを閉めて、秘密で議論したんだって。米国立公文書館の記事を読んでみよう。
今回は、アメリカ合衆国憲法です。原本を保管・展示する米国立公文書館(National Archives)の「Constitution of the United States」「Constitution of the United States—A History」「The Constitution of the United States: A Transcription」の原文で確認しました。本文中の「」の言葉は、英語の原文から Claude が訳したものです。独立までの流れはアメリカ独立宣言の記事で紹介しています。
「We the People」——前文
憲法は、こう始まります。
We the People of the United States, in Order to form a more perfect Union, establish Justice, insure domestic Tranquility, provide for the common defence, promote the general Welfare, and secure the Blessings of Liberty to ourselves and our Posterity, do ordain and establish this Constitution for the United States of America.
- 「われら合衆国の人民は、より完全な連邦をつくり、正義を確立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫に自由の恵みを確保するために、アメリカ合衆国のためにこの憲法を定め、確立する」
- 米国立公文書館は、憲法は、利害も法も文化もちがう州をひとつにまとめる「巨大な合併」のようなものだった、と書いています。最初の国の政府(連合規約)のもとでは、州は特定の目的のためにしか協力しませんでしたが、憲法は、連邦の力を人民にゆだねたのです
なぜ新しい憲法が必要だった?(米国立公文書館より)
- 1781年からの「連合規約」のもとでは、中央の政府は商業を規制する力が足りず、税をとることもできず、州どうしのあらそいをおさめる力もほとんどありませんでした
- 紙幣があふれてひどいインフレになり、借金で牢に入れられる農民もいました。1786年には、ダニエル・シェイズひきいる農民たちが武器をとって立ちあがります
- ヴァージニアのジェームズ・マディソンは、強い中央政府が必要だと考えていました
1787年、フィラデルフィアの会議(米国立公文書館より)
| 日付 | できごと |
|---|---|
| 1787年5月25日 | フィラデルフィアのペンシルヴェニア州会議事堂で会議が始まる。馬車の音をふせぐため、前の石畳の道に土がまかれていた。ジョージ・ワシントンが議長に全会一致で選ばれる |
| 5月29日 | ヴァージニアのエドマンド・ランドルフが、立法・行政・司法の三権がたがいにおさえあう、強い中央政府の案(ヴァージニア案)を出す |
| 6月13日 | 小さな州の代表が、ニュージャージーのウィリアム・パターソンの案(連合規約の手直し)に集まる。3日の議論のすえ否決 |
| 6月18日 | アレクサンダー・ハミルトンが、英国の政府を「世界で最もよい」とよび、それによく似た案を出すが、支持は得られない |
| 9月17日 | 最後の会議。署名して、午後4時に閉会 |
- 任命された代表は74人で、実際に出席したのは55人。ロードアイランドは、ただ一つ代表を送らなかった州です
- パトリック・ヘンリーは「ネズミのにおいがする」と言って出席を拒みました。強い中央政府をつくって州の力を弱めようとしている、と疑ったのです
- 最年長は81歳のベンジャミン・フランクリン、最年少は27歳のジョナサン・デイトン。平均年齢は42歳でした
- 会議は秘密で、記者も見物人も入れませんでした。パリにいたジェファーソンは、議員の口をしばるのは「忌まわしい前例」だと書いています
- 議論の記録がほぼ残っているのは、マディソンのおかげです。議長の前の席にすわり、1日も、大事な演説も一つも欠かさずにメモをとりつづけました。夏のフィラデルフィアの暑い部屋にこもりきりで、「死ぬところだった」とあとで語っています

プレ男マディソンのメモがなかったら、どんな議論があったか、わからなかったんだね。
大きな州と小さな州(米国立公文書館より)
- 6月の終わりには、議会の議席の配分をめぐって、人口で決めたい大きな州と、連合規約のときの平等を守りたい小さな州の議論が、脅しや非難の言いあいになっていきます
- フランクリンは、毎日の祈りを提案しましたが、実現しませんでした。会議には説教師に払うお金がなかった、と記録されています
- 議席と直接税の配分では、「自由人の数」に、「そのほかの人」の5分の3を加えて数える、という妥協がされました(第1条第2節)。米国立公文書館は、7月12日にオリバー・エルスワースがこの数え方を提案したこと、「そのほかのすべての人」は奴隷を遠まわしに言う言葉だったことを書いています。奴隷制が国全体で廃止されたのは、1865年の憲法修正第13条で、奴隷解放宣言の記事で紹介しています
最後の日、9月17日(米国立公文書館より)
- フランクリンが書いた演説を、同僚のジェームズ・ウィルソンが読みあげ、憲法のもとでの団結をうったえました
- ジョージ・メイソン、エルブリッジ・ゲリー、エドマンド・ランドルフの3人は、うったえにもかかわらず署名を拒み、ほかの代表が正式に署名しました
- その後、各州で批准(承認)が進み、ニューハンプシャーが9番目に批准した州になりました
権利章典(1791年)
- 憲法の修正第1条から第10条は「権利章典」(Bill of Rights)とよばれます
- 1791年12月15日までに、4分の3の州がこの10の修正を批准しました
憲法のしくみの例(第1条より)
- 立法の権限は、上院と下院からなる合衆国議会にあたえられる
- 下院議員は2年ごとに人民がえらぶ。25歳以上で、7年以上合衆国の市民であること
- 上院議員は各州2人、任期6年。30歳以上で、9年以上合衆国の市民であること
- 弾劾の裁判は上院が行い、出席議員の3分の2の賛成がなければ有罪にできない
原本はいまどこに?
- 原本は4ページ。米国立公文書館は、4ページすべてを常設展示しています
- 公文書館の書き起こし(Transcription)は、ジェイコブ・シャラスが羊皮紙に清書したものにもとづき、つづりや句読点も原本のままにしています

米国立公文書館によると、合衆国憲法は1787年5月25日に始まった秘密の会議でつくられ、9月17日に署名されました。議論の記録が残っているのは、マディソンが毎日メモをとりつづけたおかげです。
まとめ
- アメリカ合衆国憲法は、1787年のフィラデルフィアの憲法制定会議でつくられ、9月17日に署名された
- 前文は「We the People(われら合衆国の人民は)」
- 議長はワシントン。代表74人のうち55人が出席、ロードアイランドは不参加、パトリック・ヘンリーは「ネズミのにおいがする」
- 会議は秘密。記録が残ったのはマディソンのメモのおかげ
- 大きな州と小さな州の対立。議席の配分には奴隷とされた人を「5分の3」と数える妥協もあった
- 3人が署名を拒んだ。1791年、修正第1〜10条の権利章典
- 原本の4ページは、米国立公文書館で常設展示
- 米国の文書はアメリカ独立宣言、奴隷解放宣言、女性参政権の修正第19条、法の歴史はマグナ・カルタもどうぞ
参考文献
- U.S. National Archives. Constitution of the United States. https://www.archives.gov/founding-docs/constitution (閲覧日:2026年10月12日)
- U.S. National Archives. Constitution of the United States—A History. https://www.archives.gov/founding-docs/more-perfect-union (閲覧日:2026年10月12日)
- U.S. National Archives. The Constitution of the United States: A Transcription. https://www.archives.gov/founding-docs/constitution-transcript (閲覧日:2026年10月12日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。