
メル美第二次世界大戦のとき、アメリカで日系の人たちが収容所に入れられたことを知ってる?

プレ男聞いたことはあるけど、くわしくは知らないな…。
この記事は、米国立公文書館(National Archives)の解説ページ「Executive Order 9066: Resulting in Japanese-American Incarceration (1942)」で確かめた内容です。英文の訳は、この記事で訳したものです。
大統領令9066号
- 1942年2月19日、フランクリン・ルーズベルト大統領が出した命令です
- 米国立公文書館によれば、この命令は、国家の安全への脅威とみなされたすべての人を、西海岸から内陸の「転住センター」へ強制的に移すことを認め、その結果、日系アメリカ人の収容がおこなわれました
それまでの日系の人々
- 1861年から1940年までに、およそ27万5,000人の日本人が、ハワイとアメリカ本土に移住しました。その多くは1898年から1924年のあいだに来ています。1924年には、アジアからの移民を終わらせる割り当て制度ができた
- ハワイのサトウキビ畑で契約労働者として働いた人、西海岸で土地を耕し、果樹園や漁業、小さな商売をいとなんだ人。1940年、日系アメリカ人がもっていたカリフォルニアの農地は4%に満たなかったのに、州の農産物の総額の10%以上を生産していた、と解説は書いています
- 一方で、不動産業者が日系人の地区の外では土地を売らなかったこと、1913年のカリフォルニア州の法律が土地の所有を市民権をもてる人に限ったこと、1922年に連邦最高裁が日本からの移民に市民権を認めない政府の権利を支持したこと(オザワ対合衆国)も記されています
真珠湾攻撃のあとで
- 1941年12月7日、日本はハワイの真珠湾を攻撃しました。この攻撃は、とくに西海岸で、国家の安全への恐れを広げます
- 解説は、こう書いています。その恐れが、経済的な競争、文化のちがいへの不信、そして長くつづいてきた反アジア人の人種差別と結びつき、日系アメリカ人にとっての災いになった
- 西部の州のロビイストたちは、外国生まれの一世も、生まれながらのアメリカ市民である二世も、日系の人々を西海岸から移すよう議会と大統領に圧力をかけました。議会の委員会の公聴会では、司法省の代表が憲法上・倫理上の反対を述べたため、かわりに陸軍がその任務をおこなった
命令の文言には、民族の名はなかった
- 西海岸は軍事区域に分けられ、大統領令9066号は、軍の司令官が軍事区域から民間人を排除することを認めました
- 解説によれば、「命令の文言は、特定の民族集団を名指ししていなかった」。けれど、西部防衛軍のジョン・L・デウィット中将は、日系アメリカ人だけを対象にした夜間外出禁止令を出します
- 1942年3月29日、デウィットは布告第4号を出し、西海岸の日系の住民を、48時間の予告で強制的に退去させ、拘束しはじめました。その数日前の3月21日には、議会が、大統領令9066号への違反を最高1年の刑と5,000ドルの罰金とする法律を通していた

プレ男48時間で、家も仕事も置いて出ていかなきゃいけなかったんだ…。
12万2,000人
- その後の6か月で、およそ12万2,000人の男性、女性、子どもが「集合センター」へ強制的に移され、さらに、人里はなれた場所の、柵で囲まれ見張りのいる「転住センター」(「収容所」とも呼ばれる)に閉じこめられました
- 収容所は、6つの西部の州とアーカンソー州の10か所。ワイオミング州のハートマウンテン、カリフォルニア州のトゥーリーレイクとマンザナー、ユタ州のトパーズ、アリゾナ州のポストンとヒラリバー、コロラド州のグラナダ、アイダホ州のミニドカ、アーカンソー州のジェロームとローワー
- 収容された人の約7万人はアメリカ市民でした。政府は彼らを罪に問わず、彼らは収容に不服を申し立てることもできなかった。すべての人が自由を失い、ほとんどの人が家と財産も失いました
- 何人かの日系アメリカ人が裁判で政府の行為を争いましたが、連邦最高裁はその合法性を支持しました
- それでも二世は軍に入るよう勧められ、徴兵された人もいました。3万人以上の日系アメリカ人が、第二次世界大戦で、隔離された部隊で功績をあげて従軍した、と解説は書いています
1988年の謝罪
- 戦後、多くの人や団体が、収容された人々への補償を求めました。急な「退去」で家や店を手ばなさざるをえず、財産の損失は推計13億ドル、所得の損失は27億ドル(議会の委員会の調査にもとづく、1983年のドル換算)
- 1948年の法律(1951年と1965年に改正)は、財産の損失の一部にわずかな支払いをしただけでした
- 1980年代のはじめ、議会が設けた委員会が調査と勧告をおこない、1984年から1988年にかけて法案が出されます
- 1988年、公法100-383号は、収容の不正義を認め、謝罪し、収容されたひとりひとりに2万ドルの現金を支払う、部分的な補償をおこないました

メル美恐れや差別が、市民の自由をうばってしまった。そして、国がそれをまちがいだったと認めるまでに、40年以上かかったんだね。

米国立公文書館によれば、大統領令9066号の文言は特定の民族を名指ししていませんでしたが、約12万2,000人の日系の人々が強制的に移され、そのうち約7万人はアメリカ市民でした。1988年の法律は、収容の不正義を認めて謝罪しています。
まとめ
- 大統領令9066号は、1942年2月19日、ルーズベルト大統領が出した命令
- 軍事区域から民間人を排除する権限を軍に与え、日系アメリカ人の強制収容につながった。文言に民族の名はなかった
- 背景には、真珠湾攻撃後の恐れ、経済的な競争、長くつづいた反アジア人の人種差別
- 約12万2,000人が、10か所の柵と見張りのある収容所へ。約7万人はアメリカ市民で、罪に問われず、不服申し立てもできなかった
- 1988年、法律が不正義を認めて謝罪し、一人2万ドルの補償
- 米国の文書はツィンマーマン電報、修正第19条、奴隷解放宣言もどうぞ
参考文献
- U.S. National Archives. Executive Order 9066: Resulting in Japanese-American Incarceration (1942). https://www.archives.gov/milestone-documents/executive-order-9066 (閲覧日:2026年10月12日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。