大人の教養An Evening of Culture

第六幕Act VI — The Archive

イーライ・ホイットニーの綿繰り機の特許(1794年)1台で1日50ポンドの綿から種を取りのぞき、綿は初めて「もうかる作物」に。けれど、いちばん大きな影響は「奴隷制の拡大」だった——米国立公文書館で読む、便利な発明のもうひとつの顔

No.0782026年10月12日

1794年3月14日、イーライ・ホイットニーは綿繰り機(コットン・ジン)の特許を受けました。米国立公文書館によれば、綿の繊維から種を取りのぞく機械は何世紀も前からありましたが、ホイットニーの機械は短繊維の綿を初めてきれいにでき、1台で1日に50ポンドまでの綿を処理できました。これで綿は初めてもうかる作物になり、1800年以降、原綿の収穫は10年ごとに倍増、19世紀半ばにはアメリカが世界の綿の4分の3を育てるようになります。けれど解説は、綿繰り機のもっとも大きな影響は奴隷制の拡大だったと書いています。種を取る手間はへっても、綿を育て、つみとるために働かされる人の数はへらず、むしろふえたのです。

目次
  1. 1794年3月14日の特許
  2. 何が新しかったのか
  3. 綿の国へ
  4. もっとも大きな影響は
  5. まとめ

プレ男機械で仕事が楽になれば、働く人も楽になる…はずだよね?

メル美綿繰り機の歴史は、そうはならなかった例なんだって。米国立公文書館の解説を読んでみよう。

この記事は、米国立公文書館(National Archives)の解説ページ「Patent for Cotton Gin (1794)」で確かめた内容です。英文の訳は、この記事で訳したものです。

1794年3月14日の特許

何が新しかったのか

プレ男手でやってた作業が、機械で一気に進むようになったんだ。

綿の国へ

もっとも大きな影響は

メル美機械が便利になったぶん、もうけのために、もっと多くの人が働かされた…。発明がだれのためのものだったのか、考えさせられるね。

米国立公文書館によれば、ホイットニーの綿繰り機は綿を初めてもうかる作物にしましたが、そのもっとも大きな影響は奴隷制の拡大でした。種を取る労働はへっても、綿を育てつみとるために働かされる人の数は、へらずにふえたのです。

まとめ


参考文献

  1. U.S. National Archives. Patent for Cotton Gin (1794). https://www.archives.gov/milestone-documents/patent-for-cotton-gin (閲覧日:2026年10月12日)

この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。