
プレ男結婚って、したほうがいいのかな…。自由もほしいし、お金も心配だし。

メル美同じことで悩んで、紙に書き出した有名な科学者がいるんだって。
こんにちは、Dr. Taro です。 「大人の教養」の男女の実話シリーズ、今回は『種の起源』で知られるチャールズ・ダーウィンと、妻のエマです。ダーウィンは結婚する前、結婚の良い点・悪い点を紙に書き出していました。その原本はケンブリッジ大学図書館のダーウィン・アーカイブにあり、ダーウィン書簡プロジェクト(ケンブリッジ大学)が翻刻を公開しています。
鉛筆で書いた2枚のメモ
- ダーウィン書簡プロジェクトによると、ダーウィンは婚約の直前の数か月に、結婚の良い点と悪い点を比べる2枚のメモを書きました
- 1枚目は1838年4月7日以降、届いた手紙の余白(空いた3ページ)に鉛筆で書いたもの。結婚した場合としない場合に、どこに住み、どんな研究ができるかを考えています
- 2枚目は1838年7月ごろのものとされ、いちばん上に「This is the Question(これが問題だ)」と書いて、鉛筆で丸で囲んであります
「結婚する」の列
2枚目のメモは、「Marry(結婚する)」と「Not Marry(結婚しない)」の2つの列に分かれています。「結婚する」の列には、たとえばこう書かれています。
- 子ども(神の思し召しがあれば)
- いつもそばにいる伴侶(年をとったときの友)。自分に関心をもってくれる人
- 「とにかく、犬よりはいい」(この一言は、あとから行間に書き足されています)
- 家と、家のことを見てくれる人。音楽や、おしゃべりの楽しさ。「こうしたことは健康にいい」――ただし「ひどい時間の損失」
- 「一生を、働きバチのように、働いて、働いて、結局なにも残らない――そんなことは考えるだけで耐えられない」
- ロンドンの煙っぽい家でひとりで暮らす毎日と、暖炉の前のソファに妻がいて、本と音楽がある光景を「くらべてみよ」
そして、この列の最後に書いた結論が、「Marry-Mary-Marry Q.E.D.(結婚する、結婚する、結婚する。証明終わり)」です。

メル美「犬よりはいい」って、あとから書き足したんだ…(笑)。
「結婚しない」の列
「結婚しない」の列には、こんな項目が並んでいます。
- 行きたいところへ行ける自由。つきあう相手を選べて、つきあいは少なくてすむ
- クラブでの、頭のいい男たちとの会話
- 親戚を訪ねなくていい。ささいなことで折れなくていい
- 子どもにかかるお金と心配。もしかしたらけんか。時間の損失。夜に本が読めない
- 太って、怠け者になる。本を買うお金が減る
- 「もしかしたら、妻はロンドンが気に入らないかもしれない」
ダーウィン書簡プロジェクトの注によると、この列のはじめには、いったん書いてから消した4行がありました。「子どもがいない(第二の人生がない)、年をとって世話をしてくれる人がいない…」という、結婚しない場合の悪い点だったため、書き直したと考えられています。
「いつ?」――すぐか、あとか
メモの裏には、「結婚が必要だと証明されたので」と書いたうえで、「いつ? すぐか、あとか」という続きがあります。
- 「父上(the Governor)は、早いほうがいいと言う」。結婚が遅いと、たくさんの「よい、純粋な幸せ」を逃してしまう
- いっぽうで、明日結婚したら、家さがしや家具そろえの手間とお金、毎日の時間の損失…と、また心配が続きます
- 最後は「気にするな、元気を出せ」「年をとって、友もなく、子もなく、ひとりで寒いなんて暮らしはできない」「運にまかせよう」と、自分を励まして終わっています

プレ男結論を出したあとも、ずっと迷ってる!なんだか親近感がわくな。
「その日の中の日!」――エマへの求婚
- 1838年11月11日、ダーウィンは日記に「The day of days!(その日の中の日!)」と書きました。いとこのエマ・ウェッジウッドに求婚し、受け入れられた日です
- 2人は1839年1月29日に結婚しました
- 婚約中、エマはダーウィンにこう書いています。「あなたは私について理論を組み立てるのでしょうね。私が不機嫌になっても、『これは何を証明しているか』と考えるだけなのでしょう」
結婚のあと
- 1842年、2人はケント州のダウン・ハウスに移りました。ダーウィン書簡プロジェクトは、妻・子ども・使用人をふくむ家族全員が、それぞれのかたちで彼の研究を支えたと紹介しています
- 長男ウィリアムが生まれた1839年12月27日から、ダーウィンは子どもの成長をノートに記録しました。のちの著書『人及び動物の表情について』(1872年)につながる研究です。途中からはエマも記録を書いています
- 1844年7月5日、ダーウィンはエマに「もし私が死んだら、種の理論の草稿を出版してほしい」と頼む手紙を書いています。いちばん大事な仕事を、妻に託したのです
- 1851年には、10歳の娘アン(アニー)を亡くしています。ダーウィンが妻にあてて書いた手紙が残っています

ダーウィンは結婚の損得を紙に書き出し、「結婚する、結婚する、結婚する。証明終わり」と結論を出しました。1844年には、自分が死んだら種の理論を出版してほしいと、妻のエマに託しています。
デートで話すなら
- 「ダーウィンは結婚の損得をリストにした」「『犬よりはいい』と書き足した」は、笑える話のタネになります
- いっぽうで、メモの最後が「ひとりで年をとるのはいやだ。運にまかせよう」で終わっているのは、今の私たちにも通じる迷いかもしれません
ほかの男女の実話は、キュリー夫妻や、ヴィクトリア女王とアルバート公もどうぞ。
まとめ
- 1838年、ダーウィンは結婚する・しないの良い点と悪い点を、鉛筆でメモに書き出した
- 「結婚する」の列には子ども・伴侶・年をとったときの友、「しない」の列には自由・時間・お金
- 結論は「Marry-Mary-Marry Q.E.D.」
- 1838年11月11日にいとこのエマに求婚(「その日の中の日!」)、1839年1月29日に結婚
- 1844年、種の理論の草稿の出版をエマに託す手紙を書いた
参考文献
- Darwin Correspondence Project (University of Cambridge). Darwin on marriage. https://www.darwinproject.ac.uk/tags/about-darwin/family-life/darwin-marriage (閲覧日:2026年10月22日)
- Darwin Correspondence Project (University of Cambridge). Family life. https://www.darwinproject.ac.uk/people/about-darwin/family-life (閲覧日:2026年10月22日)
- Darwin Correspondence Project (University of Cambridge). Darwin’s observations on his children. https://www.darwinproject.ac.uk/people/about-darwin/family-life/darwin-s-observations-his-children (閲覧日:2026年10月22日)
- Darwin Correspondence Project (University of Cambridge). My most solemn request: To Emma Darwin, 5 July 1844. https://www.darwinproject.ac.uk/letters/favourite-letters/my-most-solemn-request-emma-darwin-5-july-1844 (閲覧日:2026年10月22日)
- Darwin Correspondence Project (University of Cambridge). Our poor dear dear child: To Emma Darwin, [23 April 1851]. https://www.darwinproject.ac.uk/letters/favourite-letters/our-poor-dear-dear-child-emma-darwin-23-april-1851 (閲覧日:2026年10月22日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。