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プレ男「ドゥームズデイ」って、終末とか世界の終わりって意味だよね?こわい本なの?

メル美中身は、ぜんぜんこわくない「土地台帳」なんだって。あだ名の理由がおもしろいの。
今回は、イギリスの「ドゥームズデイ・ブック」です。原本を保管するイギリス国立公文書館(ザ・ナショナル・アーカイブズ)の調べ方ガイドと教材ページ、12世紀の『財務府についての対話』(イェール大学ロースクールのアヴァロン・プロジェクトの英訳)で確かめました。
プロフィール(国立公文書館より)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 何の記録? | 11世紀末のイングランドの土地と財産の、くわしい調査と評価 |
| 命じた人 | ウィリアム1世(征服王)、1085年のクリスマス |
| 調べた年 | 翌1086年 |
| 言葉 | ラテン語 |
| 冊数 | 大ドゥームズデイと小ドゥームズデイの2つ |
| 地名 | 1万3000をこえる。その多くはいまも残る |
| 保管 | イギリス国立公文書館(ロンドンのキュー)。目録番号は E 31 |
- 国立公文書館は、これは人口調査ではないと注意しています。名前が出てくるのは、ほとんどが土地を持つ人です
なぜ調べた?(国立公文書館の教材より)
- 1066年1月5日、イングランド王エドワード懺悔王が亡くなり、ハロルドが王になります。10月14日のヘースティングズの戦いでハロルドが死に、ノルマンディー公ウィリアムが、1066年のクリスマスに王になりました(この戦いを描いた刺しゅうはバイユーのタペストリーにまとめています)
- ウィリアムは、土地や大切な役職をサクソン人からとりあげ、ノルマン人の仲間に分けました
- 1085年になると、ウィリアムはお金が足りなくなり、もらった土地をめぐってノルマン人どうしの争いもおきていました。争いを決着させ、土地からいくら税をとれるかを知るために、調査を決めました
何を聞いた?(国立公文書館の調べ方ガイドより)
調査では、役人(委員)が地方の法廷で、誓いを立てさせて地元の人に決まった質問をしました。
- 荘園の名前は?
- エドワード王の時代に持っていたのは? いま持っているのは?
- 広さは何ハイド?(土地の単位)
- すきを引く牛の組はいくつ?
- 自由民・ソークマン・農民・小屋住み・奴隷は何人?
- 森・牧草地・放牧地はどれだけ?
- 水車と漁場はいくつ?
- 全体の価値は、1066年にいくらで、いま(1086年)はいくら?
ひとつの土地について、同じ質問を3回ずつ聞きました。エドワード懺悔王が亡くなった日(1066年1月5日)、ウィリアム王が土地を与えたとき、1086年の調査のとき、という3つの時点についてです。
- 教材ページによると、住民はサクソンの英語を、ノルマンの役人はフランス語とラテン語を話していました。そこで、村の司祭や役人など、両方のことばがわかる地元の主だった人たちが陪審となり、近所の人の答えが本当かどうかを判断しました

プレ男水車の数まで!900年以上前に、国じゅうでこんな調査をしてたんだ。
大ドゥームズデイと小ドゥームズデイ
- イングランドの大部分の州は「大ドゥームズデイ」にまとめられました。教材ページによると、1人の書記が書き、もう1人が確かめています
- ノーフォーク・サフォーク・エセックスの3州は、小さい別の巻「小ドゥームズデイ」に入っています。こちらはおそらく先に書かれ、少なくとも6人の書記の仕事です。調べ方ガイドは、もとの報告からつくった、より詳しい下書きの一部が残ったものらしい、としています
- どちらも州ごと、州の中は土地の持ち主ごとに並び、持ち主には赤いローマ数字の番号がついています。各州のはじめには、王から始まる持ち主の目次があります(索引はなく、のちの編者がつくりました)
調べなかったところ
- ロンドン(シティ)、ウィンチェスター、ノーサンバーランドとダラム、北西イングランドの多くは入っていません。ウェールズは国境近くの一部だけです(調べ方ガイドより)
- それでも、教材ページによると、1066年の侵攻で多くの財産がこわされたことや、もとは約2000人のサクソン人が持っていた土地の大部分が、1086年には約200人のノルマン人の諸侯のものになっていたことがわかります
「最後の審判の日」というあだ名
約100年後、1180年ごろに書かれた『財務府についての対話』は、この本についてこう説明しています(アヴァロン・プロジェクトの英訳より)。
- 王は、えりぬきの人たちを国じゅうにめぐらせ、森・牧草地・草地・耕地まで、全土をくわしく書きとらせた。それは、だれもが自分の権利で満足し、他人の権利を勝手にうばわないようにするためだった
- この本は、土地の人々から「ドゥームズデイ」、つまりたとえとして「最後の審判の日」とよばれている。最後の審判のきびしい判決を、どんな言いのがれでもさけられないように、この本にのっていることで争いがおきて本を開けば、その判定を無視したり、さけたりすることはできないからだ——と書いています

メル美「この本に書いてあることが最終決定」だから「審判の日」。世界の終わりじゃなかったんだね。
いまは?(国立公文書館より)
- 原本は、ごくまれな場合をのぞき、もう閲覧できません。かわりに、写真版(ファクシミリ)や翻訳で調べるように案内しています
- 国立公文書館の目録では、地名や人名から、そのページのカラー画像と英訳をダウンロードできます(有料)

イギリス国立公文書館によると、ドゥームズデイ・ブックはウィリアム1世が1085年のクリスマスに命じ、1086年に行われた、イングランドの土地と財産の調査と評価の記録です。
まとめ
- 1085年のクリスマスにウィリアム1世が命じ、1086年に調べた、イングランドの土地と財産の台帳
- 荘園の持ち主、牛の組、住む人の数、森や水車、価値を、1066年・土地を与えたとき・1086年の3つの時点で
- 人口調査ではない。1万3000をこえる地名
- 「大」と「小」の2冊。ロンドンや北部の一部は入っていない
- 「最後の審判の日」とよばれたのは、その判定から逃げられないから
- 原本はイギリス国立公文書館に
- イングランドの中世の文書はマグナ・カルタ、昔の法の記録はハンムラビ法典もどうぞ
参考文献
- The National Archives (UK). Domesday Book (research guide). https://www.nationalarchives.gov.uk/help-with-your-research/research-guides/domesday-book/ (閲覧日:2026年10月22日)
- The National Archives (UK). What does Domesday Book tell us? (education resource). https://www.nationalarchives.gov.uk/education/resources/domesday-book/ (閲覧日:2026年10月22日)
- The Avalon Project, Yale Law School. The Dialogue Concerning the Exchequer, circa 1180(英訳). https://avalon.law.yale.edu/medieval/excheq.asp (閲覧日:2026年10月22日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。