
メル美「みさき」って、海の岬のこと?

プレ男それが、土佐で言い伝えられてきた、形も影もない物の怪の名前なんだって。
今回は、田中貢太郎の「八人みさきの話」です。青空文庫の本文(底本:河出文庫『日本の怪談』河出書房新社、底本の親本:桃源社『日本怪談全集』)で読みました。本文中の「」の言葉は、青空文庫の本文からの引用です。この記事で紹介する人物や出来事は、すべて作品の中で語られているものです。
※この作品には、切腹、子どもが亡くなる場面、処刑の場面が出てきます。
少年のころの「七人御先」
- 作者は、高知市の南の海岸に生まれました。少年のころ、よく「七人御先(しちにんみさき)」の話を耳にしたといいます
- 外で急に病気になったり、急に亡くなったりする人がいると、みな「七人御先に行きあったから」と言った。行者を呼んで払ってもらう人もいた。その恐怖は「今でも私の神経に生きている」と作者は書きます
- そして、七人御先の話をするには、まず「八人御先」の伝説から始めなければならない、と語りはじめます
家督相続の評定
- 天正16年(1588年)10月4日。岡豊から大高坂へ移ったばかりの土佐の領主・長宗我部元親は、一族と老臣を集めて、家督相続の評定をひらきます
- 長男の信親が豊後の戸次川で戦死したため、元親は四男の盛親(千熊丸)を世継ぎにし、信親の娘をその妻にしようとしていました。次男はその前年に亡くなっており、順番なら三男の津野忠親(孫次郎)です
- みなが元親をはばかって黙るなか、凛とした声で反対したのが、元親の弟の子で、元親の娘婿でもある吉良左京之進親実でした。孫次郎殿を世継ぎにするのが当然、兄の娘を妻にするのは人の道にはずれる、と。同族の比江山親興も同じ意見をのべます
- 反論したのは家老の久武内蔵助親信。親信は以前、仁淀川の河原で材木の監督をしていたとき、狩りに来た親実に矢を射かけられたことを根にもっていました。元親は不快な顔で、奥の間へ入ってしまいます
碁を打ちおえてから
- 親実はその日から出仕を止められ、内蔵助は毎日、元親のそばで親実を悪く言いつづけます
- 10月14日、元親の命を受けた検使2人が、小高坂の親実の屋敷へ。親実は客と碁を打っていて、「碁が済むまで待たしておけ」と静かに石をおろしました。このとき26歳
- 碁を打ちおえた親実は、検使を迎えて命を受け、「長宗我部の家もここ五六年じゃ」と言いのこして、静かに自害しました
- 作品では、ほかにも比江山親興、家臣の勝賀野次郎兵衛らの名があげられています。勝賀野は、討手を相手に名刀を見せて笑い、斬りあいの末に討たれました。作者は1920年(大正9年)8月に蓮池城の跡にのぼり、村の人が「しょうがさま」と呼ぶその墓を見たと書いています
見えない客を乗せた渡し舟
- ある静かな晩、仁淀川の渡し守・常七は、むこう岸から「渡船……」と3度呼ばれ、舟を出します
- 「舟の用意はいいか」という声とともに、何人もの人が乗りうつったように舟が重くなる。けれど、だれの姿も見えません
- 「これは、蓮池左京殿でござるぞ」。不義の者どもに目にもの見せようと大高坂へ行くところだ、おまえたちにはお咎めはない、帰りにもこの舟に乗るぞ——気がつくと舟は東の岸に着いていて、常七は小屋へ逃げこみました

メル美姿は見えないのに、舟だけが重くなる…。静かな川の場面だから、よけいにこわいね。
八人御先のたたり
- 親実をはじめ八人の死は、人々の同情をひきました。親実の屋敷や墓所には怪しい火が燃え、弾丸のような火の玉が飛び、それにあたった人は亡くなったり病気になったりした。人々はこれを八人の怨霊「八人御先」と呼んでおそれます
- 久武内蔵助の屋敷では、幼い末の男の子が、庭にあらわれた白髪の見知らぬ老女に肩をさわられて病気になり、「悪人を生け置いてたまるか」とさけびながら亡くなります。7日目の晩には12、3歳の長男が短刀で自分の腹を突き、「元親公の御諚で検使が二人来て、詰腹切らされました」と言って息をひきとりました。内蔵助の家には、その後も不幸がつづいたと作品は書きます
- 内蔵助の従弟・五月新三郎は、親実の屋敷のそばで困っている若い女を背負ってやりますが、その背の上には角のある鬼の顔。夜明けの道で出会った駕籠の中には、吉良左京之進の姿がありました
- 元親ははじめ「臆病者共が何を云う」と笑っていましたが、火の玉は城の中にも飛び、そばの若侍が亡くなります。寺で祈祷をさせると、台の上の八つの位牌が親実の位牌を先頭に次々と落ち、列をつくって本堂から出ていった。空のほうで、何人もの笑う声がしました
- 近侍の少年が「左京を神にして祭るとなれば、喜んで受けられる」と口ばしったことから、親実の墓は社として祭られ、木塚明神となります。怪異は少なくなりましたが、それでもときどき御先に行きあって病気になる人がいた、と作品は書きます
新改の七人御先
- 比江山親興が切腹を命じられたとき、親興は家来を走らせ、妻と5人の子どもを逃がしました。6人をかくまったのは、新改村の長福寺の住職です
- けれど、褒美の金に目がくらんだ植田の百姓たちが訴え出て、6人は捕らえられ、河原で処刑されることになります。その場で住職は、訴えた者たちへの怨みをさけんで、自害しました
- その夜から、そのあたりでも火の玉が飛び、急に亡くなる人、病気になる人が出て、とくに植田の人に多かった。人々は「七人御先」と呼んでおそれます
- 明治になってからも、墓地に草を刈りに入った2人の若者の前に、黒い蛇が棹立ちになってあらわれ、追ってきたといいます。作者は、少年のころおそれた七人御先は、この新改の七人御先だろう、と結んでいます

作者は、少年のころにおそれた「七人御先」は、比江山親興の妻子と長福寺の住職の「新改の七人御先」だろう、と書いています。
読みどころ
- 怨霊の話であり、人の話でもある:たたりの場面のあいだに、碁を打ちおえてから検使を迎える親実、名刀を見せて笑う勝賀野、命がけで妻子をかくまう住職と、人々の姿がくっきり書かれています
- 作者自身の記憶から始まる:高知生まれの作者が少年のころ聞いた物の怪の話から始まり、墓を訪ねた体験もまじえて、最後はふたたび少年のころの七人御先へもどってきます
- 怨霊となった人を神として祭ってしずめる話は、『雨月物語』の白峯の崇徳院とも読みくらべられます
まとめ
- 「八人みさきの話」は田中貢太郎の作品。底本は河出文庫『日本の怪談』、親本は桃源社『日本怪談全集』
- 土佐で、出会うと病気になると言われた物の怪「七人御先」
- そのはじまりは、家督相続に異をとなえて死を命じられた吉良親実ら八人の怨霊「八人御先」
- 見えない客を乗せた仁淀川の渡し舟、列をつくって本堂を出ていく八つの位牌、社として祭られた木塚明神
- 比江山親興の妻子と長福寺の住職の「新改の七人御先」
- 田中貢太郎の累物語、義猫の塚もどうぞ
参考文献
- 田中貢太郎. 八人みさきの話(底本:『日本の怪談』河出文庫、河出書房新社、底本の親本:『日本怪談全集』桃源社). 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/card1613.html (閲覧日:2026年10月22日)
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