
プレ男「兜」って、武士がかぶる、あの兜?

メル美そう。持ち主がつぎつぎに変わっていく兜と、それを追いかけるようにあらわれる女の人の話なの。
今回は、岡本綺堂の短編「兜」(かぶと)です。青空文庫の本文(底本:光文社文庫『鷲』)で読みました。初出は『週刊朝日』1928年(昭和3年)7月です。本文中の「」の言葉は、青空文庫の本文からの引用です。
※この作品には、人が斬られて亡くなる場面、自ら命を絶つ場面が出てきます。
震災のあとに届いた兜
- 東京の山の手に住む邦原君は、大正12年の震災で、家も家財もすべて焼かれました。ところが、家に伝わる古い兜だけが助かったのです
- 9月なかばの雨の日、避難先に、ひとりの女がたずねてきて、「お宅の門前にこんな物が落ちていましたから」と兜を置いて帰りました。名前は聞きもらしました
- 一家は着のみ着のままで逃げたので、兜を門前まで持ちだした覚えはない。届けた女は、いまだにわからない——邦原君は、届けた人だけは知っておきたい、と言います
文久2年、兜をかぶった道具屋
- 兜の由来は、文久2年(閏8月12日の宵)にさかのぼります。物騒な江戸の夜道、月の光の中を、単衣の尻をはしょり、頭に鉄の兜をかぶった町人ふうの男が歩いていました
- 本郷の追分の近くで、だれかが駆けよって、うしろから兜のてっぺんに斬りつけたのです。男は半町あまり逃げて、邦原家の屋敷にころげこみました
- 男は武具を扱う道具屋の金兵衛。「やられました。あたまの天辺から割られました」。ところが調べてみると、頭にもからだにも傷ひとつない。兜の鉢に薄い太刀傷がのこっているだけでした
- 古道具と一緒に仕入れた兜を、持ちにくいのでかぶって帰る途中だった、と金兵衛。隠居の勘十郎は笑いながら叱り、相当の名工の作だろうと、その兜を買いとります。鑑定してもらうと、何代目かの明珍の作だろう、と

プレ男兜をかぶって歩いていたおかげで、辻斬りから助かったんだ!
盗まれた兜
- 翌朝、追分の近くの路ばたで、ひとりの侍が腹を切って死んでいました。金兵衛は、自分を斬った侍が、兜を斬れずに刀を傷めたのを恥じて自害したのだ、と言いはりますが、身元はわからずじまい
- 2か月後、兜は床の間から盗まれます。刀剣には目もくれず、古びた兜ひとつだけ
- 金兵衛が仕入れ先に聞くと、その兜は、ことしの5月の雨の夕方、二十七、八の女が売りにきたものでした。屋敷者らしい上品な人で、破れた番傘をさし、9つか10ぐらいの女の子をつれていた。そして、「左の眼の下に小さい痣があった」
「あの兜には何か祟っているんですな」
- 12月の末、金兵衛がかけこんできます。同業の善吉が、下谷の坂本の往来で、うしろ袈裟に斬られて死んだ。善吉は、あの兜をかかえて死んでいたのです
- 金兵衛は、兜を持つ者がつぎつぎにやられる、仕入れ先の女房もこの夏に死んだ、と祟りを言いたてます。勘十郎は、それはただの偶然のまわりあわせだと説明しますが、兜を引きとるのはやめました
彰義隊の落武者
- 慶応4年(明治元年)5月15日。邦原君の父・勘次郎は、上野の彰義隊の落武者として、五月雨の中を根岸へ逃げていました。人々が家財をすてて逃げたあとの路上で、なにかにつまずくと——見おぼえのある兜でした
- 勘次郎は、なぜか懐かしい気がして、その重い兜を拾って抱えて走ります
- 箕輪で、日が暮れるまでかくまってもらった家には、16、7の娘と、34、5の上品な母。母の「眼の下に小さい痣のある」のを、勘次郎は初めて見ました
- 出がけに礼の小判をわたそうとすると、母は言います。「あのお兜をいただきたいのでございます」。勘次郎は、兜を置いていきました

メル美また、眼の下に痣のある女の人!売りにきた人と、同じ人なのかな…。
兜の前で
- 明治になって、勘次郎は礼を言おうと箕輪をたずねますが、家は空き家でした。近所の人によれば、親子は上野の戦いの翌年の夏、奥の六畳でともに命を絶っていた。わけはわからない。古い机の上に兜を飾って線香を供え、その前で亡くなっていたのです
- 兜は、葬式の費用のために古道具屋に売られていました。勘次郎はそれから、彰義隊の墓に参るたび、親子の小さな墓にも花を供えるようになります
- 明治22年の夏、勘次郎は銀座の夜店の古道具屋で、ひとつの古い兜を見つけ、言い値で買いました。いろいろの因縁を思うと、見すごせなかったのです。兜は勘次郎の形見として、邦原君にのこされました
震災の夜の女
- そして震災。兜を避難先に届けた女を見たのは、若い女中でした。女は三十四、五の上品な人で、白地の浴衣に破れかかった番傘。そして、「左の眼の下に小さい痣のあること」
- 箕輪の母も、左の眼の下に小さい痣があった。けれどその人は、もう50年前に亡くなっているはずで、生きていたとしても、たいへんな老人になっているはずです
- 邦原君の妻は気味が悪いと兜を嫌いますが、手放すこともできない。邦原君は、往来でも電車でも、左の眼の下に小さい痣のある女に気をつけていますが、まだ一度も会えていない
- 「万一かれが五十年前の人であるならば、僕は一生たずねても再び逢えないかも知れない」——語り手は、早く届け主を見つけて、彼の迷いをさましてやりたい、と結びます

「兜」では、兜を売りにきた女も、箕輪の家の母も、震災の夜に兜を届けた女も、左の眼の下に小さい痣があります。届けた女がだれなのかは、最後までわかりません。
まとめ
- 「兜」は岡本綺堂の短編。初出は『週刊朝日』1928年7月
- 大正12年の震災で焼けた邦原家に、ひとつだけ届けられた古い兜
- 文久2年、兜をかぶった道具屋金兵衛は、辻斬りに斬りつけられて命びろい
- 盗まれ、持ち主が斬られ、彰義隊の落武者の父が拾い、箕輪の親子にゆずる
- 売りにきた女、箕輪の母、震災の夜の女——みな「左の眼の下に小さい痣」
- 綺堂の河鹿、鐘ヶ淵、離魂病もどうぞ
参考文献
- 岡本綺堂. 兜(底本:『鷲』光文社文庫、光文社). 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card45482.html (閲覧日:2026年10月12日)
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