
プレ男「鐘ヶ淵」って、隅田川の淵の名前なの?

メル美その淵の底に、昔の鐘が沈んでいる——っていう言い伝えをもとにした、岡本綺堂の怪談なの。
今回は、岡本綺堂の短編「鐘ヶ淵」です。青空文庫の本文(底本:原書房『異妖の怪談集 岡本綺堂伝奇小説集 其ノ二』)で読みました。初出は『みつこし』1925年(大正14年)2月です。本文中の「」の言葉は、青空文庫の本文からの引用です。物語の中の出来事や言い伝えは、作中の話として紹介します。
※この作品には、人が亡くなる場面があります。
大原家の記録
- 語り手のI君の友人・大原の家は旧幕臣で、6代前の当主大原右之助は、八代将軍吉宗に仕えていました。その家の記録に書きのこされた出来事だ、と語りはじめます
- ただし、I君自身も言います。「由来、諸家の系図とか記録とか伝説とかいうものは、かなり疑わしいものが多いから、これも確かにほんとうかどうかは受け合われない」
水練の名手たち
- 作中では、吉宗は紀州で若いころから海を泳いでいた水練の達人。鷹狩で川に落ちた鷹を泳いで救いあげた御徒士に米四百俵をあたえたのをきっかけに、御徒士組の者は競って水練にはげむようになった、とされています
- なかでも名手は3人。去年の水練上覧では、大原は隅田川のまん中で立ち泳ぎをしながら短冊に歌を書き、三上治太郎は立ち泳ぎで西瓜と真桑瓜の皮をむき、福井文吾は家に伝わる大鎧と兜をつけ、太刀を佩いて泳ぎました
「鐘ヶ淵の鐘を探れ」
- 享保11年、旧暦4月の末。将軍の隅田川御成の日、3人は近習頭によびだされます。「こんにちの御用は鐘ヶ淵の鐘を探れとあるのだ」
- 作中の言い伝えでは、昔、ある寺が移転するとき、船で運んでいた鐘をあやまって淵の底に沈めたので、その場所を鐘ヶ淵とよぶ。引き揚げようとした者もいたが、いつも成功しないのは水神が惜しむからだ、鐘の下には淵の主がすんでいる、とも伝えられていました
- 3人は少し気味わるく思いながらも、将軍の命とあれば、とお請けします。順番は年の順。25歳の三上、22歳の大原、20歳の福井です

プレ男将軍が見ている前で、伝説の鐘をさがしに淵にもぐる…。プレッシャーがすごい!
3人の報告
- 三上:鮎をねらう鵜のように飛びこみ、しばらくして浮かんできて報告します。「淵の底には何物も見あたりませぬ」
- 大原:晴れた日なのに、水の中は思いのほか暗く濁っています。藻のなかに光るものが見え、近づくと、それは大きな魚の眼でした。魚は「牡丹のような紅い大きい口」をあけて向かってきます。生け捕りにしようと抱きかかると、脇腹を強く打たれ、魚は藻の奥へ。藻は無数の水蛇か蛸のように手足にからみつき、まるで生き物のように一度にそよぎだしました。大原はおそろしくなって浮かびあがり、「鐘らしいものは見当らなかった」と報告します。脇腹には大きな紫の痣がのこっていました
- 福井:「淵の底には鐘が沈んでおります。……鐘は横さまに倒れているらしく、薄暗いなかに龍頭が光っておりました」
- 将軍は福井をほめ、「いずれ改めて引揚げさするであろう」と言いました
「福井はほんとうに鐘を見付けたのだろうか」
- 面目をなくした三上は、大原を葉桜の木かげに招いて、ささやきます。年が若いので、魚の眼の光るのでも見ちがえたのではないか。苔や藻のついた大きな亀の頭を、龍頭と見ちがえたのではないか
- もし、ありもしない鐘をあると申し立てて、引き揚げのときにうそが発覚したら——福井は申し訳の切腹、組じゅうの不面目にもなりかねない
- 組頭が何度念をおしても、福井は「相違ござりませぬ」。三上が「今のうちに正直に言い直した方がいい」と言うと、福井はとがった声で答えました。「いや、見たものは見たというよりほかはない」
その夜
- 家に帰った大原は、脇腹の痛みと熱で寝こんでしまいます。そこへ三上がたずねてきて、これから鐘ヶ淵へ引きかえして、もう一度もぐってみる、と言いだしました。大原が止めても、「おれの見損じか、福井の見あやまりか。あるものか、ないものか。もう一度確かめて来なければ、どうしても気が済まない」
- 大原が高い熱から回復したころ、家の者がかくしていた出来事を聞かされます
- 翌朝、鐘ヶ淵に、三上の亡骸が浮かんでいた。昼と同じ半裸の姿で刀を背負い、ひとりの若い男と引っ組んだまま。相手は、福井文吾でした。福井もその夜、夕飯のあとふらりと家を出たまま、帰らなかったのです

メル美二人とも、夜の淵でもう一度たしかめようとして…。そこで何があったんだろう。
鐘はあったのか、なかったのか
- 二人の死について、解釈は二つにわかれたと作中は語ります
- 鐘があったことがわかったので、三上が福井の手柄をねたみ、水の中で殺そうとした
- 鐘がなかったことがたしかめられたので、福井は面目を失い、どうせ死ぬなら口論の相手の三上を殺して死のうとした
- 水練の名手どうしが、たがいに押し沈めようと水中で闘い、組みあったまま息絶えたらしい。けれど、「鐘があったために二人が死んだのか、鐘がなかったために二人が死んだのか、その疑問は依然として取残されていた」
- 同役の者は大原にささやきます。「それでも貴公は運がよかったのだ。三上と福井が死んだのは水神の祟りに相違ない」。鐘の引き揚げは、その後沙汰やみになった——大原家の記録には「上にも深き思召のおわしまし候儀にや」とある、と物語は結ばれます

「鐘ヶ淵」で、鐘を見たと言ったのは3人のうち福井だけでした。その夜、三上と福井は組みあったまま淵に浮かび、鐘があったのか、なかったのかは、最後まで明かされません。
まとめ
- 「鐘ヶ淵」は岡本綺堂の短編。初出は『みつこし』1925年2月
- 旧幕臣・大原家の記録に伝わる話。享保11年、将軍吉宗の命で、淵の底の鐘をさぐる
- 三上「何物も見あたりませぬ」、大原は大魚と藻におびえて逃げかえる、福井「鐘が沈んでおります」
- 「見たものは見たというよりほかはない」——その夜、淵にもぐった三上と福井は、組みあったまま浮かんでいた
- 鐘はあったのか、なかったのか。引き揚げは沙汰やみに
- 綺堂の離魂病、影を踏まれた女、湖の底の話は『雨月物語』の夢応の鯉魚もどうぞ
参考文献
- 岡本綺堂. 鐘ヶ淵(底本:『異妖の怪談集 岡本綺堂伝奇小説集 其ノ二』原書房). 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card43544.html (閲覧日:2026年10月12日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。