
メル美「影踏み」って、子どものころ遊んだよね。

プレ男やったやった。でも、影を踏まれるのがこわい話があるんだって?
今回は、岡本綺堂の「影を踏まれた女」です。「近代異妖編」の一編で、青空文庫の本文(底本:国書刊行会『日本幻想文学集成23 岡本綺堂 猿の眼』、底本の親本:春陽堂『綺堂読物集・三』1926年)で読みました。本文中の「」の言葉は、青空文庫の本文からの引用です。
※この作品には、人が斬られて亡くなる場面があります。
「影や道陸神、十三夜のぼた餅」
- 語り手のY君によれば、「影を踏む」という子どもの遊びは、秋の月の冴えた宵に、町の子どもたちが往来で「——影や道陸神、十三夜のぼた餅——」と歌いながら、地にうつる影を踏みあうものでした。江戸時代から明治のはじめまで行われ、日清戦争のころにはもうすたれてしまったらしい、と
- 子どもたちは、ときどき通りがかりの娘や子どもの影を踏んで、はやしたてて逃げる。たわいないいたずらですが、「たとひ影にしても、自分の姿の映つてゐるものを土足で踏みにじられると云ふのは余り愉快なものではない」
嘉永元年、十三夜の前の晩
- 嘉永元年9月12日の宵。芝の柴井町の糸屋・近江屋の娘おせき(17歳)が、神明前の親類から帰る途中、宇田川町の大通りで、5、6人の男の子に影を踏まれます
- おせきは家まで逃げて帰り、店先につっぷしてしまいました。父は笑います。「影や道陸神なんぞ珍しくもねえ」
- けれどおせきは涙ぐんで言いました。「でも、自分の影を踏まれると、悪いことがある……。寿命が縮まると……」
二度目は、犬に
- それからおせきは、月の明るい夜には外へ出なくなりました
- その年の12月13日、親類の大野屋のおばあさんが倒れ、見舞いに行ったおせきを、いいなずけの要次郎(19歳)が送ってくれます。屋根の上には冬の月。要次郎は「大丈夫だよ」と笑います
- ところが柴井町に入ったところで、二匹の犬が路地から駆けだしてきて、おせきの影の上で狂いまわったのです。要次郎が小石を投げて追いはらいましたが、その夜の夢にも二匹の犬が出てきました

プレ男今度は犬が、わざわざ影の上で…。偶然にしてはこわいね。
月も、日も、灯火も
- それからおせきは、昼の日の光もこわがるようになりました。明るいところへ出れば影が地にうつり、それをだれかに踏まれるのがおそろしいのです
- 翌年3月ごろには、灯火さえ嫌うように。「月といはず、日と云はず、燈火といはず、すべて自分の影をうつすものを嫌ふのである」
- 医者たちも確かな診断はできず、「年ごろの娘にあり勝の気鬱病」であろうか、と言うだけでした。婿入りの相談も先のばしになります
行者の蝋燭
- 嘉永2年6月、親たちは下谷の行者をたずねます。行者は神前の蝋燭を一本わたして言いました。今夜の子の刻にこの火で娘の影を壁にうつしてみよ。狐が憑いていれば狐の影が、鬼が憑いていれば鬼の影がうつるはずだ、と
- 真夜中、寝ぼけた娘を起こして蝋燭をかざすと、壁にうつったのは、たしかに娘自身の影でした
- 行者は「それでは私にも祈祷の仕様がない」と言い、もう一本の蝋燭をわたします。「今から数へて百日目の夜、時刻はやはり子の刻、お忘れなさるな」
- 要次郎は、行者は「狐使ひ」で、こわがらせて高い祈祷料をとる魂胆だ、と怒っていました
百日目の夜
- 百日目は9月12日。おせきが初めて影を踏まれた日から、ちょうど1年目にあたる日でした
- その夜、親たちが蝋燭をかざすと——「壁には骸骨の影が映つて……」
- 行者は、ただ黙って考え、「わたしにもよく判らない」と言うだけでした。「ほんたうに判らないのか、判つてゐても云はないのか、どつちでせうね」

メル美本人のうしろの壁に、骸骨の影…。おせきさん本人は、それを知らないんだよね。
十三夜
- 翌13日、十三夜。要次郎は、おせきに月の光をおそれない習慣をつけさせようと、散歩にさそいます。おせきは、いつもよりきれいに化粧をして、意外にも素直についてきました
- また「影や道陸神」の子どもたちがやってきます。「平気で思ふさま踏ませて遣る方がいゝよ」。要次郎がおせきの手をにぎって平気で歩いていると、子どもたちは急に「お化けだ、お化けだ」とさけんで逃げだしました
- 要次郎がふりかえると、地面に落ちた二つの影の、ひとつは自分の影、もうひとつは——骸骨の影でした
- 要次郎は思わずおせきの手をふりはなして逃げます。親たちとかけつけたとき、おせきは右の肩から袈裟斬りに斬られて、往来のまん中にたおれていました
- 近所の人によれば、通りかかった侍が、いきなり刀をぬいて斬って立ち去ったといいます。侍も、地にうつる怪しい影を見たのかもしれない——
- 親たちは前兆だったのかと嘆き、要次郎は行者が狐を憑けたのだと憤りました。「しかし誰にも確な説明の出来る筈はなかつた」

「影を踏まれた女」のおせきは、影を踏まれてから月も日の光も灯火もこわがるようになり、医者は「気鬱病」であろうかと言うばかりでした。物語は「誰にも確な説明の出来る筈はなかつた」と結ばれています。
まとめ
- 「影を踏まれた女」は岡本綺堂の「近代異妖編」の一編
- 嘉永元年9月12日、十三夜の前の晩。17歳のおせきは「影や道陸神」の子どもたちに影を踏まれる
- 「影を踏まれると寿命が縮まる」——月夜を、日の光を、灯火をおそれるように
- 行者の蝋燭。一度目は娘自身の影、百日目の夜は骸骨の影
- 1年後の十三夜、地に落ちた骸骨の影。おせきは通りがかりの侍に斬られる
- 生きた人の魂の話は小泉八雲の生霊、同じ十三夜が舞台の樋口一葉の十三夜もどうぞ
参考文献
- 岡本綺堂. 影を踏まれた女——「近代異妖編」(底本:『日本幻想文学集成23 岡本綺堂 猿の眼』国書刊行会). 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card1308.html (閲覧日:2026年10月12日)
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