
メル美「夢応の鯉魚」は、お坊さんが鯉になってしまう話なんだって。

プレ男鯉に?それ、こわい話なの?楽しい話なの?
今回は、上田秋成の『雨月物語』巻之二「夢応の鯉魚」(むおうのりぎょ)です。青空文庫の「現代語訳 雨月物語」(上田秋成著、鵜月洋訳。底本:角川文庫『改訂 雨月物語 現代語訳付き』)で読みました。本文中の「」の言葉は、この現代語訳からの引用です。
魚の絵の名人・興義
- 醍醐天皇の延長年間、三井寺に興義という僧がいました。絵の名人として評判でしたが、描くのは仏像や山水ではなく、魚です
- 寺のつとめのひまには琵琶湖に小舟をうかべ、漁師からとった魚を買いもとめては湖に放し、その泳ぐ姿を描いていました
- あるとき、夢の中で湖に入り、大小の魚とあそびました。目がさめてすぐにその夢を絵にして、「夢応の鯉魚」と名づけます
- 絵をほしがる人は多くいましたが、鯉の絵だけはだれにもあたえず、冗談めかしてこう言いました。「仏門で禁じている殺生をしたり、鮮魚を喰ったりするあなた方世俗の人に、この法師が大事に養っている魚は、けっしてさしあげられません」
死んで3日目に
- ある年、興義は病で7日寝こみ、ついに息が絶えました。けれど胸のあたりに少しあたたかさが残っていたので、弟子たちは葬らずに3日見守ります
- すると興義は、眠りからさめたように起きあがり、こう言いました。檀家の平の助の屋敷へ行って伝えなさい。「殿にはいま酒を酌み、その肴に新鮮ななますをつくらせていらっしゃるようですが」、酒宴をやめて寺へ来てほしい、と
- 使いが行くと、助と弟の十郎、家臣の掃守が、まさにそのとおり酒をくみかわしていました
「漁師の文四に魚を注文しましたね」
- 寺にやってきた助に、興義は言いあてていきます。漁師の文四が1mあまりの魚を籠に入れて門を入ったとき、助は弟と碁をうち、掃守はそばで大きな桃を食べていた。漁師にほうびの桃と酒をあたえ、やがて料理人が魚をまな板にのせて、なますにした——
- 「どうしてこんな詳細に知っているのか」とたずねる人々に、興義は語りはじめました

メル美寝ていたはずなのに、よその家のことを全部知ってる!どういうこと?
金色の鯉の服
- 病で苦しく、熱をさまそうと杖にすがって門を出ると、籠の鳥が大空に放たれたようにのびのびとした気持ちになった。足にまかせて歩くうちに湖に出て、衣をぬいで飛びこむと、思うままに泳ぐことができた
- けれど、人がどんなに上手に泳いでも、魚にはおよばない。魚をうらやむ気持ちがおこったとき、冠をつけた人が大魚にまたがってあらわれ、湖の神の言葉を伝えます
- 「老僧はかねがね放生の功徳が多い。……そこでしばらく金色の鯉の服を授けて、水中のたのしみをさせてあげよう。ただ餌のかんばしいにおいに心まどわされて、釣糸にかかり、身を亡ぼすことのないように」
- 気がつくと、全身に金色のうろこが生え、興義は一匹の鯉になっていました
琵琶湖めぐり
- 興義は、尾をふり、ひれを動かして、思う存分に泳ぎまわります。志賀の浦の汀、比良の山かげの深い水底、夜は堅田の漁火にひきよせられ、鏡山の月が港のすみずみまで照らす
- 竹生島の朱塗りの玉垣が波にうつるのにおどろき、朝は矢橋の渡し舟の棹をかわして、瀬田の橋のほうへ。日ざしが暖かいときは水面にうかび、風がはげしいときは深い水底であそびました
餌のにおい
- にわかにお腹がすきましたが、食べ物は見つかりません。そこへ、知りあいの漁師・文四が釣り糸をたれていました。餌は、たまらなくいいにおいです
- 興義は湖の神のいましめを思いだし、仏につかえる身が魚の餌を食うようなあさましいことを、と一度は離れます。けれど空腹はますますはげしくなり、「たとえこの餌を食ったとて、おめおめと捕らえられるものか。それに文四はもともと知りあいのあいだがらだから」と、ついに餌を呑みこみました
- 文四はすばやく釣りあげ、あごに縄を通して籠におしこみ、助の屋敷へ運びます
まな板の上で
- 屋敷で、興義は大声でさけびました。「あなた方は、この興義をお忘れになったのですか。お許し下さい。寺にかえして下さい」。けれど、だれも知らん顔で、立派な魚だと手をうって喜ぶばかり
- 料理人が左手で両目をおさえ、右手の包丁で切ろうとしたとき、「仏に仕える僧を殺すということがあるか。助けてくれ、助けてくれ」と泣きさけびます。そして、切られたと感じたとき——夢がさめたのでした
- 聞いていた人々は言います。そういえば、魚の口が動くようだったが、声はまったく聞こえなかった、と。助は、残っていたなますをすべて湖へ捨てさせました

プレ男必死にさけんでいたのに、人間には魚の口がぱくぱくしているだけに見えたんだ…。
絵から泳ぎだした鯉
- 興義は病がなおり、のちに天寿をまっとうしました。臨終のとき、それまで描いた鯉の絵を何枚か湖に散らすと、絵の魚が紙や絹からぬけだして、水の中を泳ぎまわった。そのため、興義の絵は後世に残らなかった、といいます
- 弟子の成光も名人になり、ふすまに描いた鶏を、生きた鶏が本物と思って蹴った、と『古今著聞集』に書きのこされている——と物語は結ばれます

「夢応の鯉魚」の湖の神は、「餌のかんばしいにおいに心まどわされて、釣糸にかかり、身を亡ぼすことのないように」といましめていました。興義は空腹にたえかねて、知りあいの漁師の餌を呑んでしまいます。
まとめ
- 「夢応の鯉魚」は、上田秋成『雨月物語』巻之二の一編。舞台は三井寺と琵琶湖
- 魚の絵の名人興義は、病で息が絶えて3日後に生きかえる
- 湖の神から金色の鯉の服をさずかり、琵琶湖を泳ぎまわった
- いましめを破って漁師文四の餌を呑み、まな板の上で「助けてくれ」とさけぶが、声は届かない
- 臨終に湖に散らした鯉の絵は、泳ぎだして消えた
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参考文献
- 上田秋成(鵜月洋訳). 現代語訳 雨月物語(底本:角川文庫『改訂 雨月物語 現代語訳付き』KADOKAWA). 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/001271/card60609.html (閲覧日:2026年10月12日)
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