大人の教養An Evening of Culture

第二幕Act II — True Romances

銃をとって籠城した女性と、アメリカ帰りの牧師新島八重と新島襄。1876年、京都でキリスト教式の結婚式。最晩年の夫が妻の手を握って言った「お互いに忍耐の徳を養いたい」の実話

No.1492026年10月22日

会津藩の砲術師範の家に生まれた山本八重は、戊辰戦争の籠城戦で銃をとって戦いました。京都で兄・山本覚馬をたよって暮らしていた1875年、アメリカ帰りの新島襄と知りあって婚約し、1876年に結婚します。結婚式は、明治の日本で見られはじめたキリスト教式で、八重は前日に洗礼を受けていました。夫婦で会津を訪ねた1882年の旅、渡米中の夫が妻に書いた「武士の心ばかりにては足らず」の手紙、最晩年の握手まで。国立国会図書館の電子展示、京都市の冊子、同志社大学の公式サイトに掲載された寄稿をもとにまとめました。

目次
  1. 会津で銃をとった八重
  2. アメリカ帰りの新島襄
  3. 1875年に婚約、1876年に結婚
  4. 「生き方がハンサム」
  5. 2人で訪ねた会津、1882年の旅
  6. 「武士の心ばかりにては足らず」
  7. 最晩年の握手
  8. 夫を亡くしたあとの八重
  9. デートで話すなら
  10. まとめ

メル美戊辰戦争で銃を持って戦った女の人が、そのあと牧師さんと結婚したんだって。

プレ男え、すごい組み合わせ!どんな夫婦だったんだろう。

こんにちは、Dr. Taro です。 「大人の教養」の男女の実話、今回は同志社英学校(いまの同志社大学)を開いた新島襄と、妻の新島八重です。国立国会図書館の電子展示「本の万華鏡」、京都市産業観光局が発行した冊子『八重とハンサム京都』、同志社大学の公式サイトに掲載された山下智子氏(新島学園短期大学)の寄稿「八重と会津」をもとにまとめました。

会津で銃をとった八重

京都市の冊子の年譜によると、八重の前半生はこうでした。

同志社大学の公式サイトに掲載された寄稿でも、八重は会津では、断髪・男装で籠城し、銃を持って勇ましく戦った女性として長く親しまれてきたと紹介されています。

アメリカ帰りの新島襄

1875年に婚約、1876年に結婚

プレ男明治のはじめに、もうキリスト教式の結婚式をした夫婦がいたんだね。

「生き方がハンサム」

2人で訪ねた会津、1882年の旅

山下智子氏の寄稿によると、

「武士の心ばかりにては足らず」

メル美籠城戦を戦った人に「武士の心だけでは足りない」って、夫だから言えた言葉かもね。

最晩年の握手

新島襄は最晩年、八重の手を固く握って「お互いに心棒して忍耐の徳を養いたいものだ」と語ったと伝えられています。夫婦として歩んだのは、1876年の結婚から14年間でした。

夫を亡くしたあとの八重

京都市の冊子の年譜によると、

山下智子氏の寄稿によると、八重は1921年、75歳で会津や安中(襄の父祖の地)を再び訪れ、「心和得天真」という書を残しました。李白の詩の一節で、寄稿はクリスチャンとしては「心を和やかにすれば神様の御心を知ることができる」と理解すべきだろうと書いています。生前の襄も、同じ言葉を書に残しています。

デートで話すなら

日本の夫婦の実話は、坂本龍馬とお龍の新婚旅行もどうぞ。

まとめ


参考文献

  1. 国立国会図書館. 本の万華鏡 第38回 ふりかえるブライダル結婚式の歴史と文化 第二章 さまざまな挙式スタイル(明治~昭和). https://www.ndl.go.jp/kaleido/38/2 (閲覧日:2026年10月22日)
  2. 京都市産業観光局観光MICE推進室. 八重とハンサム京都(冊子・PDF). https://ja.kyoto.travel/yae/Handsome_Kyoto.pdf (閲覧日:2026年10月22日)
  3. 京都市産業観光局観光MICE推進室. 八重とハンサム京都 相関図と年譜. https://ja.kyoto.travel/yae/yae_nenpu.html (閲覧日:2026年10月22日)
  4. 山下智子. 寄稿 八重と会津(同志社大学 公式サイト掲載の広報誌特集記事・PDF). https://www.doshisha.ac.jp/attach/page/OFFICIAL-PAGE-JA-1841/34085/file/135_024.pdf (閲覧日:2026年10月22日)

この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。