
プレ男「人民の、人民による、人民のための政治」って、リンカーンの演説だよね。どんな場面で話したの?

メル美戦争で亡くなった兵士のお墓の式典なんだって。しかも、すごく短い演説だったみたい。
こんにちは、Dr. Taro です。 「歴史の文書と遺物」、今回はリンカーンのゲティスバーグ演説です。米国議会図書館(LoC)のオンライン展示「Gettysburg Address」で確かめました。同じ年に出された奴隷解放宣言、リンカーン夫妻の実話リンカーンとメアリーもあわせてどうぞ。
プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 日時 | 1863年11月19日 |
| 場所 | ペンシルベニア州ゲティスバーグ、国立戦没者墓地の献納式 |
| 話した人 | エイブラハム・リンカーン大統領(この日、2番目の演説者) |
| 背景 | ゲティスバーグの戦い(1863年7月1〜3日)。南北戦争の大きな戦いのひとつ |
| 手書きの原稿 | 5つ知られている。そのうち2つがLoCに |
招待状は、式の2週間あまり前
- LoCによると、リンカーンへの正式な招待状は、墓地を発案し式を準備した地元の判事デイヴィッド・ウィルズからの、1863年11月2日付の手紙です
- ウィルズは、墓地は戦没者が眠る各州が計画し費用を出していること、そして大統領の役割はほんの小さなものだということを、はっきり書いていました。式のメインの演説者は、名演説家として知られたエドワード・エヴァレットです
- 日付が遅く、役割も小さかったため、「ウィルズは形だけ招いた」と考える人もいました。けれどLoCは、同じ日付の同封の1枚が、その説をくつがえすとしています。ウィルズは大統領が来ることを期待し、自分の家に泊まるようすすめていたのです
2時間のあとの、2分
- 献納式で、エヴァレットは2時間話しました。リンカーンはそのあとに演説します
- 翌11月20日、エヴァレットはリンカーンに手紙を書きました
- 「式典の核心に、私が2時間で、あなたが2分で近づいたのと同じくらい近づけたと思えたら、うれしいのですが」(LoCの展示の英文から訳しました)
- LoCによると、その場でリンカーンが聞いたのは、大統領という立場の人に向けた儀礼的な拍手だけでした。国じゅうから賞賛の声がわき起こったのは、人々が演説を読んで、考える時間をもってからのことです

プレ男2時間の演説のあとに2分!しかも、その場ではあんまりウケなかったんだ。
何が語られたのか
LoCが公開している「ヘイ版」の書き起こしで、内容をたどります(訳は Dr. Taro)。
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「87年前」、私たちの父祖はこの大陸に、自由のうちに生まれ、「すべての人は平等につくられている」という命題にささげられた新しい国を生みだした
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いま私たちは大きな内戦のさなかにあり、そのような国が長く続きうるのかが試されている。私たちはその戦場の一部を、国が生きるために命をささげた人々の最後の安息の地としてささげるために集まった
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けれど、より大きな意味では、私たちはこの土地をささげることも、清めることもできない。ここで戦った勇敢な人々が、私たちの力のおよばないほどに、すでにこの地を清めたのだから
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世界は、私たちがここで言うことを長くは覚えていないだろう。だが、彼らがここでしたことを忘れることはない
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私たち生きている者こそが、残された大きな仕事にささげられるべきだ。この死者たちの死をむだにせず、この国に自由の新しい誕生をもたらし、そして——
- “government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth”(人民の、人民による、人民のための政治を、地上から消し去らないために)
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LoCは、リンカーンが、いちばん好きな歴史文書であるアメリカ独立宣言から着想を得て、南北戦争の大きな苦しみを、「すべての人は平等につくられている」という命題に恥じない国であろうとする、アメリカの人々の努力と重ねた、と解説しています
5つの原稿
LoCによると、手書きの原稿は5つ知られています。
| 名前 | どんな原稿? | いまの所蔵 |
|---|---|---|
| ニコライ版 | 知られている中で最も古い原稿。演説の前に書かれた、ただ1つの下書きと考えられている | LoC |
| ヘイ版 | 2つ目の原稿。ワシントンに戻った直後に書かれたとみられる | LoC |
| エヴァレット版 | 演説よりずっとあとに、慈善のために書かれた | イリノイ州立歴史図書館(スプリングフィールド) |
| バンクロフト版 | 同じく慈善のため。歴史家ジョージ・バンクロフトの依頼 | コーネル大学 |
| ブリス版 | 同じく慈善のため。バンクロフトの義理の息子アレクサンダー・ブリス大佐のために | ホワイトハウスのリンカーンの部屋 |
- ニコライ版とヘイ版は、リンカーンが2人の秘書ジョン・ニコライとジョン・ヘイに1つずつ渡したもので、1916年にヘイの子孫が2つともLoCに寄贈しました
- 2つの原稿には、言葉や句読点のちがいがたくさんあります。LoCは、どちらも一般に印刷されている「ブリス版」とも少しちがう、と注意しています

メル美同じ演説なのに、原稿ごとに言葉がちがうんだ!
1枚目はホワイトハウスの便せん
- ニコライ版の1枚目は、ホワイトハウス(当時の呼び名は「エグゼクティブ・マンション」)の便せんに書かれています。LoCは、ワシントンで書かれたという説を強く支えるものだとしています
- ところが2枚目は、大判の筆記用紙(フールスキャップ)と呼ばれる紙です。LoCは、リンカーンが最後の段落に満足せず、11月19日、ゲティスバーグのウィルズ判事の家で書き直したことをうかがわせる、と解説しています
- LoCは1990年代、2つの原稿を長く保存するために、それぞれ専用の保存ケースをつくり、低温の保管庫で守っています

米国議会図書館によると、エヴァレットは翌日の手紙で、リンカーンが2分で式典の核心に近づいたとたたえました。ただ、その場でリンカーンが聞いたのは儀礼的な拍手で、国じゅうの賞賛は、人々が演説を読んで考えたあとに広がりました。
まとめ
- 1863年11月19日、ゲティスバーグの国立戦没者墓地の献納式で、リンカーンは2番目に演説した
- 前のエヴァレットは2時間。翌日、エヴァレットは「あなたは2分で核心に近づいた」と手紙を書いた
- 演説は「87年前」で始まり、「人民の、人民による、人民のための政治」で終わる
- 手書きの原稿は5つ。最も古いニコライ版とヘイ版が米国議会図書館にある
- ニコライ版の1枚目はホワイトハウスの便せん、2枚目は別の紙。最後の段落は、ゲティスバーグで書き直したとみられる
- アメリカの建国の文書は、アメリカ独立宣言、アメリカ合衆国憲法もどうぞ
参考文献
- Library of Congress. Gettysburg Address (Online Exhibition). https://www.loc.gov/exhibits/gettysburg-address/ (閲覧日:2026年10月22日)
- Library of Congress. Gettysburg Address: Exhibition Items. https://www.loc.gov/exhibits/gettysburg-address/exhibition-items.html (閲覧日:2026年10月22日)
- Library of Congress. Transcription of the Nicolay Copy. https://www.loc.gov/exhibits/gettysburg-address/ext/trans-nicolay-copy.html (閲覧日:2026年10月22日)
- Library of Congress. Transcription of the Hay Draft. https://www.loc.gov/exhibits/gettysburg-address/ext/trans-hay-draft.html (閲覧日:2026年10月22日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。