
プレ男「モンロー主義」って、世界史で習ったけど、何だったっけ?

メル美もとは、大統領の議会へのメッセージの一節なんだって。米国立公文書館で原文を見てみよう。
この記事は、米国立公文書館(National Archives)の解説ページ「Monroe Doctrine (1823)」と、そこに掲載された教書のトランスクリプトで確かめた内容です。英文の訳は、この記事で訳したものです。
1823年12月2日の年次教書
- 1823年12月2日、ジェームズ・モンロー大統領は、議会への7回目の年次教書のなかで、のちに「モンロー宣言」(モンロー・ドクトリン)と呼ばれる考えを述べました
- 解説によれば、それは、ヨーロッパの国々に西半球の問題に干渉しないよう警告するものでした
- 解説は、この宣言が、議会へのふつうの年次教書のなかに「埋もれていた」と書いています。その一節が、ヨーロッパの国々に対し、アメリカはこれ以上の植民地化や傀儡の君主を許さないと警告したのです
教書の言葉
the American continents, by the free and independent condition which they have assumed and maintain, are henceforth not to be considered as subjects for future colonization by any European powers
- 「アメリカ大陸は、みずから獲得し維持している自由で独立した状態によって、今後、ヨーロッパのどの国によっても、将来の植民地化の対象とみなされてはならない」
- 一方で、教書は、こうも述べています。「ヨーロッパの国々の、彼ら自身にかかわる戦争に、われわれはこれまで一度も加わったことがなく、それはわれわれの政策にもかなわない」
- そして、ヨーロッパの国々が、その体制をこの半球のどこかに広げようとすることは、「われわれの平和と安全にとって危険」とみなす、と
- ただし、「ヨーロッパのどの国の既存の植民地や属領にも、われわれは干渉してこなかったし、干渉しない」。けれど、独立を宣言し、アメリカがその独立を認めた政府を、抑圧したり支配したりする目的の干渉は、アメリカへの非友好的な態度のあらわれとみなす、と続けます

プレ男「ヨーロッパのことには口を出さないから、アメリカ大陸にも口を出さないで」ってことか。
合言葉になった宣言
- 解説によれば、この宣言は、そのときの大きな懸念にこたえるために考えられたものでしたが、まもなく西半球でのアメリカの政策の合言葉になりました
- 解説は、アメリカが最も近い隣人である西半球の国々に関心をもつのは理解できるが、その関心のあらわし方は、ほかのアメリカ大陸の国々に、いつも好意的に受けとられてきたわけではない、とも書いています
1865年、1904年、1962年
- 1865年:アメリカ政府は、外交と軍事の圧力で、メキシコのベニート・フアレス大統領を支えました。フアレスは、フランス政府が王位につけた皇帝マクシミリアンに対する反乱を成功させます
- 1904年:中南米のいくつかの国のヨーロッパの債権者が、借金の取り立てのため武力介入をちらつかせると、セオドア・ローズヴェルト大統領は、こうした「慢性的な非行」をおさえるため、アメリカが「国際的な警察力」を行使する権利を宣言しました。いわゆる「ローズヴェルトの系論」です
- 解説によれば、モンロー宣言はヨーロッパの国々を西半球から遠ざけるためのものでしたが、ローズヴェルトは、それを、アメリカがほかの西半球の国々に乗りこむことを正当化するものへと強めました。アメリカの海兵隊は、1904年にサントドミンゴ、1911年にニカラグア、1915年にハイチへ送られます。ほかの中南米の国々は、こうした介入を不安な目で見ていた、と解説は書いています
- 1962年:ソ連がキューバにミサイル発射基地を建設しはじめたとき、モンロー宣言は象徴的に持ちだされました。米州機構の支持を受けて、ケネディ大統領はキューバを海と空から封鎖し、数日の緊張ののち、ソ連はミサイルの撤去に同意しました

メル美「守る」ための言葉が、時代によっては「乗りこむ」理由にもなったんだね。

米国立公文書館によれば、モンロー宣言は1823年12月2日の年次教書のなかで述べられ、ヨーロッパの国々に西半球の問題に干渉しないよう警告しました。のちの1904年、ローズヴェルトの系論は、その意味を、アメリカがほかの国に乗りこむことを正当化するものへと強めました。
まとめ
- モンロー宣言は、1823年12月2日、モンロー大統領の7回目の年次教書の一節
- 「アメリカ大陸は、今後、ヨーロッパの植民地化の対象とみなされてはならない」
- 一方で、ヨーロッパの戦争には加わらず、既存の植民地には干渉しない
- やがて西半球でのアメリカの政策の合言葉に
- 1904年の「ローズヴェルトの系論」で、アメリカの介入を正当化するものへ。1962年のキューバ危機でも持ちだされた
- 米国の文書はルイジアナ買収、アラスカ購入の小切手、ケネディの就任演説もどうぞ
参考文献
- U.S. National Archives. Monroe Doctrine (1823). https://www.archives.gov/milestone-documents/monroe-doctrine (閲覧日:2026年10月12日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。