
プレ男山の神さまにも、もてなし上手とそうでない神さまがいるの?

メル美『常陸国風土記』では、宿をことわった山と、もてなした山で、そのあとの運命が分かれたんだって。
こんにちは、Dr. Taro です。 神話の解説、今回は日本の『常陸国風土記』にある「福慈の岳と筑波の岳」です。『常陸国風土記』の原文(ウィキソースの「古風土記/常陸國風土記」)から、筑波郡の条を読みました。同じ風土記の仲間の『出雲国風土記』からは国引きもどうぞ。日本神話の全体は日本神話の入門へ。
プロフィール
| 神祖尊 | 神々のすむところを、めぐり歩いていた祖神 |
| 福慈の岳 | 駿河の国の山。その神は、宿をことわった |
| 筑波の岳 | 常陸の国の山。その神は、もてなした |
| ことわったわけ | 「新粟の初嘗」の日で、家の中はものいみ中 |
| その後の福慈の岳 | いつも雪で、のぼれない |
| その後の筑波の岳 | 人々があつまって、歌い、おどり、飲み食いする |
1. 福慈の岳の神
- 「古老の伝えでは、むかし神祖尊が、神々のおられるところをめぐり歩いて、駿河の国の福慈の岳に着いたとき、日がくれてしまったので、宿をたのんだ」
- 福慈の神は答えました。「新しい粟をはじめて食べる祭りで、家の中はものいみをしています。きょうのところは、どうかおゆるしください」
- 神祖尊は、うらんでなきながら、ののしって言いました。「おまえの親であるわたしを、なぜとめようとしないのか。おまえのすむ山は、一生のあいだ、冬も夏も雪と霜がふりつもり、寒さがかさなって、人ものぼらず、飲みものも食べものもそなえられないだろう」

メル美祭りのきまりをまもったのに、のろわれちゃうなんて…。福慈の神さまも、ちょっとかわいそう。
2. 筑波の岳の神
- 神祖尊は、さらに筑波の岳にのぼって、また宿をたのみました
- 筑波の神は答えました。「今夜は新しい粟の祭りですが、あなたのおおせにしたがわないわけにはいきません」。そして、飲みものと食べものを用意して、うやうやしくもてなしました
- 神祖尊はよろこんで歌いました。「いとしいわが子孫よ、高い神の宮よ。天地とならび、日月とともに。人々はあつまってことほぎ、飲みものも食べものもゆたかに。代々たえることなく、日ごとにさかえ、千年万年、あそびの楽しみはつきないだろう」
3. それからの2つの山
- 「こうして、福慈の岳は、いつも雪がふって、のぼることができない。いっぽう筑波の岳には、人々があつまって、歌いおどり、飲み食いし、いまにいたるまでたえない」
- 風土記は、筑波の岳のようすも書いています。雲の上にそびえ、いちばん高い西の峰はけわしく、「雄の神」とよばれて、のぼらせない。けれども東の峰は、四方が岩で、そのそばにわく泉は、冬も夏もかれない
- 坂より東の国々の人々は、春の花のさくころと、秋のもみじのころに、手をとりあい、飲みものと食べものをもって、馬や歩きで筑波の岳にのぼり、あそびたのしんだ、と書かれています

プレ男もてなした筑波の山は、春も秋も、人がにぎやかにあつまる山になったんだね。

『常陸国風土記』では、宿をことわった福慈の岳はいつも雪でのぼれず、もてなした筑波の岳には、人々があつまって歌いおどり、飲み食いすることがいまもたえない、と書かれています。
まとめ
- 神祖尊は、日がくれて、駿河の福慈の岳の神に宿をたのんだが、新粟の祭りのものいみを理由にことわられた
- 神祖尊は「おまえの山は、冬も夏も雪と霜で、人ものぼらない」とのろった
- 筑波の岳の神は、祭りの夜でももてなし、神祖尊は筑波をことほぐ歌をうたった
- それから、福慈の岳は雪でのぼれず、筑波の岳には人々があつまるようになった
- 『出雲国風土記』の国引き、富士山本宮浅間大社などでまつられるコノハナサクヤヒメ、日本神話の入門もどうぞ
参考文献
- 『常陸國風土記』(筑波郡の条). ウィキソース(古風土記/常陸國風土記). https://zh.wikisource.org/wiki/古風土記/常陸國風土記 (閲覧日:2026年10月12日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。


